一目惚れだった・・・マッシミリアーノさんがインスタライブで愛を語る

先日、マッシミリアーノさんがインスタライブで羽生君について語っていたそうです。

私はインスタをやっていませんので知りませんでしたが、マッシさんが提供してくれた動画をエレナさんが羽生君部分を切り取って編集してくれました。

Grazie Max!
Grazie Elena!

OA Sportのライターも務めるスーパー高校生、ジュリオ・ヴィターリ君がインスタライブで配信したマッシミリアーノさんのインタビューで、彼のジャーナリスト、解説者としての軌跡に焦点を当てていますが、何度か羽生君の名前が登場し、その度にここぞとばかりに熱く語っていました!
羽生君部分を抄訳します。

エレナさんが英語・日本語訳の字幕を入れてくれました!
ありがとうございます!

M:特定のスポーツやアイコンとなっている特定の選手を解説するのは好きだ。

羽生の解説をする時は、彼の演技が良くても悪くても(良いことがほとんどだけれど)誇らしい気持ちになる。

僕は彼が最初に出場した重要な国際大会を見ていたから、まさにその青年の功績を語れることが誇らしいのだ。

当時の彼は身長155センチほどで、誰も彼のことを知らなかった。

僕は彼を見て雷に打たれたような衝撃を受けた。
僕はすぐに他のどの選手にも見出せなかった何かを彼の中に見出した。

彼が意図するフィギュアスケートは、まさしく僕が夢見るフィギュアスケートだった。

ひょっとしたら少々無謀でリスキーで、難しいスタイルだったかもしれない。

でも何と言ったらいいのか・・・ある種の一目惚れだった。

羽生のために僕はフィギュアスケートを見続けた。

というのも2010年の世界選手権以降の男子シングルは悲惨だったからね。
僕は最も酷い代物は脳内から排除したからまだよかったけれど。

僕はもうフィギュアスケートを見るのはやめようと思っていた。

しかし、幸運なことに世界ジュニア選手権をアンジェロと一緒に見るという偶然に恵まれた。僕の長年の実況パートナーで、現在コーチを務めるアンジェロ・ドルフィーニだ。

あの日、僕達は世界ジュニア選手権を一緒に観戦していて、フェンスほどの高さがある3アクセルを決める結弦を再び見た。

僕にとっては一種の天啓(天からのお告げ)だった。

僕は自分自身にこう言った。

彼がいるなら僕も残ろうと

彼が歩む軌跡を僕も語りたい、僕も生きたいと

彼はフィギュアスケートを変革し、15年近くに渡って僕達にスペクタクルをプレゼントしてくれている。だからこのような選手のストーリーや快挙や試合を語る時、僕は凄くエキサイティングする。

 

(中略)

 

M:最近閉幕したばかりの世界選手権では、感動し、感情移入する瞬間が幾つかあった。

(ロシアの年若いチャンピオンが驚異的な演技で中国ペアを破って世界タイトルを勝ち取ったのには心を動かされた)

そして男子ショートでは、彼がロビー・ウィリアムズの過去のヒット曲を引っ張り出してきて、究極難度の要素が詰まった2分40秒の純粋なスペクタクルとアドレナリンを描いた。

エキシビションでも僕は感動した。試合ではない別のものだけれど。

またしても羽生がリンクに降りて復興の賛歌となっている日本では非常に有名なモチーフに乗せて滑る。2011年に福島県と東北地方を襲った地震と津波の後に作曲された曲だ。

彼は驚異的な3アクセルを盛り込んでこの音楽を演じながら、メッセージを発信する。

復興のメッセージだ。そんな彼を見たら涙せずにはいられない。このプログラムの背景にある全てを思うと。

テレビの解説でこのようなことを語ることが出来ると、素敵だし、より価値が高まり、感動する。でもいつもこのような状況になるとは限らない。

(中略)

<平昌オリンピックの実況について>

僕は深夜12時半に放送を開始し、7時半に終えていた。
家に帰ってベッドに入り、シャワーを浴びて目を覚ました。
寝る前にシャワーではなく、起きてからシャワーだ。

正直、でも北京ではこのような過酷なスケジュールに僕の身体が耐えられるかどうか分からない。
他に余計なストレスがなければよいが、自分ではどうすることのできない問題が起こると、かなりハードになる。

8時半から実況、スタジオ、実況、スタジオ、考察番組の準備。
考察番組の前に他の解説者が見逃したことを彼らに知らせるために特定の競技の全ての試合を見なけれがならない。
非常にハードだ。

(時差的に)北京も平昌と同じような時間帯になるから、アスレチックトレーニングが必要だ。

平昌には多くの思い出がある。

あのオリンピックの実況を思うと・・・まるで昨日のことのようにはっきり覚えている実況として僕の脳裏に浮かぶのは、フィギュアスケートの男子ショートプログラムだ。

よく覚えているけれど、僕達は薄汚いブースの中に押し込まれていた。
僕はこの試合は実況すべきだと主張したんだ。

男子ショートは番組表には入っていなくて、本来なら放送されないはずだった。

でも僕はせめてユロスポプレーヤーで実況出来るよう、頑張って交渉した。

結果的に、僕とアンジェロで急遽実況した。あの時のブース内での熱気と解説をよく覚えている

これが平昌で最もよく覚えている瞬間だ。

他にもよく覚えている試合はあるけれど、実況自体で僕の記憶に一生残るのはフィギュアスケートの男子ショートプログラムだったと思う。

それにまさにこの試合で羽生は驚異的な力を発揮して、五輪二連覇を達成したからね。

もしこの試合を実況出来なかったら、悲劇だったね。僕にとっても、視聴者にとっても。

だから幸運にも実況することが出来てよかったよ。

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☆マッシさんが羽生君を最初に見たジュニアGPイタリア大会メラーノ杯。
この時、彼はまだ13歳でした。

一目惚れ、と形容するほど衝撃的な出会いだったのですね。この時から1ミリもブレることなく、ずっと羽生君を見守り、応援してくれています。

私が彼を初めて見たのは2011年の四大陸選手権で、羽生君は16歳になったばかりでした。
ニースのロミオの前ですから覚醒前で、まだ荒削りでしたが、それでも「この選手は特別」と確信させる何かがありました。まるでガラス玉の中に混じったダイヤモンドの原石のように。

幼い頃からスケートを実践し、スケートを心から愛するマッシミリアーノさんはメラーノで見出したこの小さな少年に運命的なものを感じたのかもしれません。

 

確かに平昌オリンピックの男子ショートは番組表には入っていませんでした。

時間が時間だし仕方がないよね、と思いながら最終グループの少し前にユーロプレーヤーの解説無し版を開いたら・・・何とマッシミリアーノさんとアンジェロさんがしゃべっているではないですか!!!

元々予定になかったのにマッシさんが駄々をこねて交渉して実況出来ることになったんですね!

そしてアンジェロさんも「おいおい夜中の2時だよ・・・勘弁してくれよ~」とはならず、夜中にブースに来てくれたのですね!

マッシミリアーノさんの熱意によって実現した平昌ショパン-オトン解説版

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち