黒い山羊

衝撃的だったプロローグ横浜公演の内容を振り返りながら、改めて思います。

「ああ、羽生結弦はスケート村を完全に卒業したのだ」と

正確には「卒業」というのは正しい表現ではないでしょう。実際には羽生結弦が村の色に染まったことは一度もなかったのだから。

日本のスポーツ界が狭い村社会なのは見ていて分かります。スポーツ界だけではないでしょう。私は音大出身ですが、音楽の世界でも門下や教授の派閥はありました。そして野球やサッカーに比べて競技人口が少なく、練習場所の数が限られているフィギュアスケート界はスポーツ村の中でもひと際狭くて窮屈そうという印象を受けます。

ノービスカテゴリーから日本スケート連盟の大会に出場していた羽生君は本当に幼い頃から村の中にいた訳ですが、本当の意味で村の一員になったことはなかったのではないかと私は思います。

幼い頃から羽生結弦は羽生結弦でした。何しろ4歳の時からオリンピックで金メダルを獲ると決めていたのだから。私はてっきり9歳頃だと思っていましたが、プロローグ初日のインタビューによれば、4歳で既に目標はオリンピック金メダルと定めていたと言うのです。

4歳ですよ?

私もかなりモチベーションの高い子供だったけれど、4歳の時は何を考えていただろう・・・全く思い出せない😅・・・

彼はスケート村の他のスケーター達とは違いました。高い志を持つ少年は、早い段階から明確な目標を定め、そこに目指してまっしぐらに進んでいきました。他のスケーター達と群れず、仲良しごっこにも加わらなかった。日本のフィギュアスケート界の二大派閥である関大や中京大ではなく、早稲田大学の通信教育課程に進学する道を選び、学業においても、より楽な腰掛学生ではなく、高いハードルを自らに課しました。妥協のない意識の高さ。個性より協調性が評価される村において、彼はその突出した才能と周りの色に染まらない個性故に常に浮いた存在だったのかもしれません。

スケート村における羽生結弦のような存在を、イタリアではCapra Nera~黒い山羊と呼びます。

白い山羊の群れの中で、慣れ合いを好まず、己を貫く黒い山羊。群れの中で異端児と見なされる存在、羽生君は惑星ハニューの住人ですから、異端児ではなく異星人ですが。

しかし、だからといって他の選手達と仲良くない、他者に対するリスペクトがない、という意味ではありません。ライバル選手達が口を揃えて称賛しているように、彼ほど他選手や周りの関係者に心から敬意を払っているアスリートはいません。これほど圧倒的な実績を誇りながら、決して驕らず、明らかに格下の選手とも同じ目線で接し、まだほとんど実績のないシニアに上がりたての若手選手から学ぶことがあると言えるオープンな心と謙虚さを持ち合わせているのです。

フィギュアスケートという括りや枠を一気に飛び越えた今回の「プロローグ」は、羽生結弦のクリエイターとしての並外れた才能と無限の可能性を見せつけたイベントでした。

革新的だった点は幾つも挙げられますが、何よりもまず演者が彼一人のワンマンショーだったということ。

羽生君はプロスケーターになっても競技と同じように高難度ジャンプを組み込んだ難度の高いプログラムを滑ると宣言していました。そのようなプログラムを入れて90分ものショーをたった一人で演じ切ることが果たして可能なのか?

そんな疑問に対し、彼は最初の一秒から最後の一秒まで濃厚で素晴らしいクオリティのパフォーマンスを披露し、「羽生結弦になら可能」という圧倒的な答えを返してくれました。

そして物理的・体力的に可能なのであれば、「羽生結弦のフィギュアスケート」が見たい私のようなファンにとっては大勢のスケーターが出演する長いショーより90分のワンマンショーの方がずっとありがたいのです。

私は以前から日本のアイスショーは時間ばかりが長く、内容が冗長過ぎると思っていました。アイスショーによっては新シーズンに向けて新プログラムを試行する場になっており、未完成の転倒だらけのプログラムを見せられたり、あるいは明らかに練習不足の元選手による難度を下げたゆる~い演技が続くと、正直退屈で、お目当ての選手の出番まで果てしなく長く感じます。

シーズン前に競技プロを人前で滑る機会を選手達に与える必要性があるのは理解出来ますが、それで高いチケット代を取るのはどうかと思うのです。例えば、音楽界では国際コンクールで入賞するなどの成績を収めてようやくお金を取ってコンサートやリサイタルを開ける、いわゆるプロの演奏家になれます(オペラやオーケストラの場合にはオーディションに受からなければなりません)。そしてそこから定期的にリサイタルを開いても採算が取れるようになるかどうかは、その演奏家にお客を魅了し続ける実力や創意工夫があるかどうかにかかっており、非常に厳しい世界なのです。おそらく、バレエなどの舞台芸術の世界も同じではないかと思います。日本のアイスショーにも羽生君を初め、プロ意識の高い素晴らしいパフォーマーは出演していますが、そこにアイスショーをシーズン前の慣らし運転の場と捉えている選手やプロ意識の低い練習不足の元選手の演技を混ぜることは、言ってみれば有名ピアニストのコンサートに学生による発表会レベルの演奏を混ぜるようなもので、音楽の世界では絶対にあり得ないことです。その意味で、日本のアイスショーのお客は舐められているのではないかと思う訳です。

羽生君は10代の頃からお客様に最高のパフォーマンスをお見せする、楽しんで頂く、という意識が非常に高いスケーターでした。「常に全力、出し惜しみはしない」という生来の性格に加え、少年の頃からプルシェンコやランビエールやウィアーといったプロ意識の高い本物のパフォーマーと共演し、彼らのアイスショーに対する姿勢を間近で見てきたからでしょう。その彼が、これまでに出演したアイスショーで培われた経験と、天才パフォーマーとしての資質とセンスを生かし、ハードな体力強化トレーニングに取り組むことで、彼しか出演しない、彼だけを見ていられるショーを可能にしてくれたのです。ファンにとって、これほど嬉しいアイスショーの形があるでしょうか?

そして、大胆な発想と従来の形式を壊す勇気。

アイスショーの定番であるオープニングという形式をあっさり取り払い、いきなり6分間練習でショーが開始された時、彼の6分間練習が大好物な私は、既にそれだけでスタンディングオベーションでした。出来るなら今後のアイスショーでもこの形式を継続してもらいたいぐらいです。そしてフル照明で競技プロ「SEIMEI」。私はアイスショーは照明が暗くてせっかくのフットワークが良く見えないと思っていましたから、競技と同じように明るい照明の下で競技プロを滑ってくれたことで、まさに試合を見ているような緊張感と興奮を味わうことが出来ました。

また、今回のアイスショーでは彼の人脈の広さ、豊かさにも驚かされました。スケート村ではなく、もっとずっと広い、多様な分野における一流の人達との繋がり。彼がこれまで共演や対談などの機会で得たあらゆる出会いを如何に大切にしてきたか、そしてその才能や人柄によって彼に関わった人々を如何に魅了してきたかが伺えます。

クールダウンがベースの「これぞフィギュアスケート」という美しいスケーティングを堪能させる新プログラム「いつか終わる夢」にプロジェクションマッピングを融合させるという斬新なアイデア。しかも、リオ五輪引継ぎ式を担当した演出振付家のMIKIKOさんによる本格的なプロジェクションマッピングでした。まさに超一流同士の共演。まるで彼の雄大なスケーティングが光を操っているようでした(リオ五輪の引継ぎ式の演出も素晴らしかったです。東京五輪の開会式も彼女が最後まで演出を担当していたらあんなことにはならなかったのに😭・・・)。クールダウンをこれほど壮大な作品に変えてしまえるというのも、羽生結弦にしか出来ないことです。

そして羽生結弦だからMIKIKOさんのような方が喜んでこのプロジェクトに参加したのでしょう。以前から感じていることですが、スケート村ではない他分野の人の方が、羽生君の凄さを理解し、惜しみなく称賛している気がします。嫉妬やコンプレックス、あるいは自分が所属する派閥への気兼ねや忖度などのフィルターがないからでしょう。このようなフィルター越しにしか物事を捉えられない人達の思考を私は村メンタルと呼んでいます。そして村メンタルで凝り固まった人達には羽生結弦はスケールが大き過ぎて理解することさえ出来ないのかもしれません。

他の出演者にギャラを支払うより、こうした大掛かりな舞台装置や演出にお金をかけたのはあっぱれな選択であり、結果的に大成功でしたが、企画段階では非常にリスクのある選択だったのではないでしょうか。ここにも安全策を取らず、理想の追求のためにはリスクを恐れない彼のゲームチェンジャーとしても気質が表れています。

演技の合間に挿入された映像のチョイスと進行、そして配置も見事で、一本のドキュメンタリー作品も見ているようでした。彼自身が映像や写真を一つ一つ慎重に選び、専門家のスタッフと共に丁寧に、心を込めて作り上げていったことが分かります。

こうして完成し、観客の前で披露された「プロローグ」は、アイスショーのあらゆる常識と固定観念を打ち砕く総合芸術でした。

そしてこの作品を見て、黒い山羊の羽生結弦が、完全にスケート村から飛び去っていったと感じたのは私だけでしょうか。

山羊はイタリア語ではCapraですが、英語ではGOATです。フィギュアスケートのGOATが狭いスケート界を飛び出し、今度はパフォーミングアーツや総合芸術の世界に殴り込みかけようとしています。本人は礼儀正しく、あくまでも控え目ですが、彼がやろうとしていることのスケールを考えると、「新風を吹き込む」なんて生易しいものではなく、「殴り込み」ぐらいの破壊力なのです。

まだプロローグが始まったばかり。これから何が起こるのか、引き続きハラハラドキドキしながら見守りたいと思います。

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち