アリアンナ・フランザン著「私、フィギュアスケート、ユヅル、ユヅリーテ」

イタリアフォーラムにも時々コメントしているアリアンナ・フランザンさんのエッセイです。
アリアンナさんは高等学校で教鞭を執る傍ら、これまでに小説やエッセイを何作も発表しています。
エッセイでは前半で彼女自身の幼少時代のスケート体験、後半で羽生君について書き綴られています。

このエッセイはアリアンナさんの著書を出版している出版社、Priamo社のホームページに掲載されました

原文>>

2017年4月10日
<私、フィギュアスケート、ユヅル、ユヅリーテ>

認めましょう、私は病気・・・そう、病気なのです!!!AriannaF

お願い、誰か私を助けて!!!

断っておきますが、説明するのは容易なことではありません。

第一に皆さんは私を知らないし、第二に皆さんはこのエピソードの背景を何も知らないのですから。

勿論、私は誰も怒らせたくはないけれど、私が苦しんでいるこの病を理解するにはある程度の予備知識が必要です

もし『フィギュアスケート』と呼ばれるスポーツを実践したことがないなら、想像してみて下さい。

始める否や、不可能だと思い知らされるスポーツ。

スケート靴を履いて、動きながら片足でターンし、片足だけ、いいえ、それどころか片方のスケート靴だけで着氷して、体勢を崩さずに立っているなんて絶対に無理でしょう!

父は私にいつもこう言っていました。

「お前が空中に跳び上がったところを写真に撮って、先生に送るよ。彼女にはその直後にお前が転倒してリンクから転がり出たなんて分からないだろう」(愉快な父でしょう?)

でも私は最初の挑戦でパッと立って着氷することが出来たのです。

その時は簡単でした・・・何故だか説明することは出来ないけれど!

私は完璧に半回転して、氷に全く穴をあけずに着氷して造詣美術のようなポーズを決めることが出来たのです!

そして自分自身に言いました、私はチャンピオンになると!!

こうして私はコーチの元でトレーニングを受けることになりました。
当時、私はコーチをマエストラ(マエストロ=師匠の女性形)と呼んでいました。だって子供はコーチのことをマエストロと呼ぶものだと思っていましたから。

「マエストラ、マエストラ、出来たわ!!!」

この時、確かに私は歓喜のあまり地に足が付いていませんでした。
この瞬間、大腿骨を砕く可能性のある武器が足元にあることを忘れていたのです。
私はブレードを完璧に操り、チャンピオンだけがするようにターンしながら(この時の私は完全にチャンピオンになったつもりでした)コーチに近づいて行きました。

コーチは寛大な眼差しで私を見つめながら「ブラボー、ブラボー!!!」と言いました。
だって子供は常に勇気づけなければならないでしょう?
責任は重大です。

その子供が自信を喪失して成長するかもしれないし、思春期に問題を抱えるかもしれないし、適応出来ない大人になってしまうかもしれない

私の方は子供らしい態度で彼女を見つめながら、こんな風に思っていました。

「バカな子供のように私を扱ってくれて結構よ。あなたは自分の前にいるのが誰か分かってないのよ。今に開いた口が塞がらなくなるわよ。あなたが今までに見たこともないような最高の3連続ジャンプを見せてあげるから!」

私は既にコーチが両親に駆け寄り「この少女は神童です!フィギュアスケートのレッスンを無償で提供させて下さい。私が送り迎えもします。彼女を育て、共に世界を征服します!」と懇願する姿を思い描いていました。

こうして私はエンジン全開で発進し、助走を始めました。
大いなる瞬間で、私は史上誰も成し遂げたことのないようなジャンプを跳べると確信してました。

実際に、ほら、3連続ジャンプよ。

最初のジャンプを空中で完璧に半回転してしっかりと着氷し、2つ目も悠々と美しく・・・そして片足を引いてもう1回転!

私は得意になっていたけど、度を越してはいませんでした・・・最終的に私はチャンピオンになったつもりでいました。

私はいつも物事が全て簡単に行くと思っていたのです。そして、人々が「彼女がやると何て簡単に見えるんだ」と話しているに違いないと思っていました。

そう、天才は常に謙虚でなければなりません!

でも私の『マエストラ』の言葉は、私がこの15分間で膨らませた自信を打ち砕きました。
彼女は自分が教育的ダメージを招いていることを少しも自覚せずにこう言ったのです。

「ブラボー!(当然、これは一応言いました)・・・でも逆の足を使うのよ・・・左足ではなく右足で跳ぶの」

微笑を浮かべながら
そう、憎たらしい微笑を!!!

それで私は考えて、彼女が言ったようにジャンプを跳んでみました。

結果は・・・大惨事

まるで宇宙飛行船用の重力発生装置が付いているような気分でした。
酷く転倒して氷上に倒れたのです。
私のキャリアは崩壊しました。

一体何が起こったのでしょう?

ただ単に私は左利きだったのです。
そして、コーチは私が彼女の言う通りに跳ぶべきだと考えていました。
でも彼女は私に普段どちらの手で字を書くか尋ねるべきだったのです!

それからの数か月間、完全な左利きの私が右から跳べるように身体を適応させるためにどれほど努力したか想像してみて下さい。

まるでカロリーナ・コストナーのように。
そう、私は左利きで、右足でジャンプを跳ばなければなりませんでした。
カロリーナ・コストナーに今とは逆の足でジャンプを跳べと言えると思いますか?

融通の利かないマエストラ!

おそらくこのために、私は幼少時代をこのひねくれたジャンプと格闘しながら過ごしたのです。
毎回毎回まるで崖から飛び降りるようだと思いながら

今考えると私は病気だったのでしょうか?
いいえ、いいえ、そんなことはありません。

17歳の時、私は断腸の思いでフィギュアスケートと決別し、モダンバレエに打ち込むことにしました。モダンバレエでは左右の区別はそれほど重要ではありませんでしたから
ターンは左右両方から回らなければならなかったし、フリーレッグは更に馬鹿げたポジション(皆は芸術と呼んでいるけれど)で維持しなければなりませんでした。
そして全てがうまく行きました。

私は普通の人、フィギュアスケートに対して少々うるさいことは認めますが、それでもあくまでも正常な人間でした。
今でもはっきりと記憶に刻みこまれているあの日の、あの瞬間までは・・・

2012年3月30日、テレビではフィギュアスケート世界選手権の男子の試合を放送していました。
私はかなり上の空で見ていました。告白すると、当時ハマっていたiPhonのゲームをしながら見ていたのです。

でも・・・しばらくして17歳の日本人の少年がリンクに立ちました。
17歳、それはまさに私が栄光への夢を永久に断念した年齢でした。
そしてこの瞬間、私はフィギュアスケートとは何かをはっきり知ったのです。

全てが氷上で起こる・・・白く、滑らかで、同時に魂を削る音をさせるあのブレードによって溝が刻まれたあの氷で・・・

彼は炎でした。自らの火焔を包み込んだ吠える炎・・・

純粋なエレガンスと力と優美さとパワーを突如目の当たりにした自覚のない哀れな視聴者達はどうなったのか・・・

全てが一緒くたに、一度に起こったのです。
私には強過ぎました・・・そして、皆にとっても強過ぎました。
全く予期していなかったまるで神話のような体験。

テレビに釘付けになった私の両眼は、このようなことを実際に目撃していることが信じられませんでした。
私はずっと私の夢、それも私が夜ベッドの中で、あるいはリンクを独りで滑りながら見ていた本物の夢の中だけで起こっていたことをようやく現実に見たのです。

そう、滑る喜びを噛みしめながら微笑み、「もし天国が存在するなら、私はこれが全部欲しい」と叫びながら、まるで空を飛んでいるような感覚で全く力を入れずに、これほど滑らかに美しく滑走している夢

それが彼でした。

未だかつて一度も・・・そう、一度も見たことがないもの・・・
それが彼だったのです。

分かりますか?
私はまるで病んだ人間のように語っているでしょう?
でも私は本来、そういうタイプの人間ではありません。
どちらかというと冷めた反ロマンチストで、気取ることが大嫌いな人間・・・

それなのに・・・今、私はこんな風に彼のことを話している!!!

彼は私に何をしたのでしょう?
一体何を???
私は何故、今、ここで、こんなことを徒然と書いているのでしょう???

ユヅル・ハニュウ(私達のヒーローはこういう名前でした)は、あの有名な2012年3月30日の後、オリンピックチャンピオンと世界王者になり、グランプリファイナルでは4連覇を果たし、自国のアイドル、そして人類の伝説になりました。
もはや彼を適切に評価出来る得点は存在しません。
それどころか、彼のせいでおそらく次のオリンピックの後、採点システムが見直されることになるほどなのです。

宇宙人、彼しか住人がいない惑星の唯一の住人、ホログラム、キングと定義され、今では彼が世界中のアイスアリーナにやってくる度に、日本式のお辞儀をまるで神の恵みのようにファン達に広めています。

そして今、少し前に2017年の世界選手権が閉幕し、ユヅルは史上最高のプログラムを滑りました。
そして、それからの1週間というもの、私は毎朝、耳の奥で彼の音楽を聴き、目の奥で彼の4回転ジャンプが見ながら目覚め、道を歩けば、無数のミニユヅ君が私の周りをまるで星が煌めくように飛び跳ねているのです。

ですから、私がここで、こうして筆を執っていることはごく普通のことなのです。
何故なら書くことだけが、私に出来るおそらく唯一のセラピーなのだから
そして大袈裟な感情表現を全て使い尽くした今・・・精神錯乱状態の中で私はこんな考えに至りました。

可哀想な私は3連続ジャンプでチャンピオンになるつもりでいたけれど、最終的に、私がこのスポーツに関わったのは、将来、この超人的存在を知り、彼が実施していることの難度、壮麗なジャンプ、魔法のようなトランジションが如何に凄いことなのかを理解するためだったのだと
偶然は存在しない、これは運命だったのだと

私はこの運命に感謝し、今、生きていること、そしてこの氷の精霊が滑る姿を見ることが出来ることに感謝します。

 

アリアンナ・フランザン

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アリアンナさんは執筆活動だけでなく、舞台や映画の演出も手掛ける才色兼備の素敵な女性です。

ちなみに彼女の叔母様はフィギュアスケートや新体操等の競技用コスチューム及び練習着のデザインから縫製・製造までを手掛ける衣装メーカーで、イタリアのペア、ポーリ/マルガッリオ組やヴァレンティーナ・マルケイの競技用コスチュームを手掛け、現在はロシアチームの練習着も担当しているそうです。
その衣装メーカーSagester社のウェブサイト:http://www.sagester.it

アリアンナさんに限らず、イタリアフォーラムのほとんどの人がニースのロミジュリで羽生君に「堕ちた」ファンです。
ニースはイタリアから近いので、カロリーナやモイア/ヴァーチュ組を見るために現地観戦に行って、急性ユヅリーテを発症して帰ってきた人も結構いるようです。

かくいう私もその前のシーズンに羽生君を知り、一番注目して応援していましたが、あのニースの演技で完全に心を鷲掴みにされ、急性ユヅリーテを発症(その後慢性化)・・・
あのロミジュリの動画は何千回見返したか分からない(ユロスポのアンジェロさんも他の試合の実況中に今でも時々、あのロミジュリ演技を見返していて、その度に感動して鳥肌が立つと言っていました)

今回のホプレガに関しては・・・アリアンナさん同様、私もあの曲がずっと耳から離れず、仕事中でも、道を歩いていても、スポーツジムで筋トレしていても、スーパーで買い物をしていても、気が付くと無意識の内にメロディーを口ずさんでいる・・・これって相当重症・・・

世界中の人々をこの不可解な病に感染させた罪深い動画
ニースワールドのFS「ロミオ+ジュリエット」(Rai Sport マンマ解説版)

ヘルシンキワールドのFS「Hope & Legacy」(EuroSport オトン号泣版)

Ringrazio all’ Arianna Franzan per avermi autorizzato di tradurre e condividere suo meraviglioso racconto sul mio blog

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu