アレッサンドラ・モントゥルッキオ著「物語としてのプロローグ」

いつもバレエ的視点から羽生君の凄さを解析して下さるアレッサンドラさんが、今回は彼女の本業である作家・小説家の視点で、アイスショー「プロローグ」を物語の構成とプロットという観点から分析して下さいました。

原文はエレナさんのブログに掲載されています。

Prologue: una storia ben raccontata (elecsworld.com)

アレッサンドラ・モントゥルッキオ著

皆さんは私のことを#BalleticYuzuの作者、つまりバレエを知り、実践する人間として知っていると思います。確かにそうですが、自分が第二のシルヴィ・ギエムになることは絶対にないと早い段階で理解した私は他の関心も育み、別のことを勉強しました。そして現在、私が生計を立てている分野は本です。他者が書いた書物の校正や翻訳、自作の執筆、そして文芸の教師。その結果、私は年月をかけて本だけでなく、映画やマンガ、そして物語を語る全ての作品で叙述の土台となっているメカニズムを見分ける術を学びました。しかし、「プロローグ」を見た時、ユヅのスケートを目撃して魔法をかけられたものの、そのメカニズムの巧みな使い方を見抜くことが出来ませんでした。だからこそ、叙述としてのプロローグについて、そして私の意見では、このプロローグが、極めてハイレベルなフィギュアスケートのパフォーマンスとしてだけでなく、物語としても秀逸だった理由を説明したいと思います。

物語はどのように叙述されますか?

古典的な理論に従えば、3部に分かれています。この3部は古代ギリシャ以降、様々な名称で呼ばれてきましたが、内容は大体同じです。まず登場人物の通常の生活を紹介する最初の状況があり、ある時点で何かが起こります(これを動的出来事と呼びましょう)。これにより最初の状況が変化し、物事の均衡が崩れ、登場人物はこの事態に対処することを余儀なくされます。こうして最も読み応えのある物語の第2部が始まります。登場人物が直面しなければならない一連の冒険と災難、いわゆる転変です。この一連の「転変」は通常、穏やかな時間である休憩、「水平」と張り詰めた時間であるアクション、「垂直」が交互に繰り返される「階段」のように進行していきます。この階段状の進行は物語にリズムを与え、サスペンス度を高めます。傾斜が段々急になっていく階段で、静寂が常に緊張の余地を残し、この状態は第2部の終わりまで続き、動的出来事、すなわちクライマックスへと向かっていきます。登場人物は絶体絶命のピンチに立たされ、もはやこれまでと思われます。しかし、状況は登場人物に有利に逆転します(喜劇の場合)。あるいは事態は取り返しがつかない状況に陥ります(悲劇の場合)。あるいはその中間の状況(ほろ苦く、辛く、現実的な物語として様々なジャンルや定義があります)。いずれにしても再び安定した状況、新しい「常態」に戻ります(物語の開始時より良い、悪い、あるいは前と同じ、または異なる常態)。そして最終状況に到達します。『完』、そしてエンドクレジット。

これら全てに直面する登場人物は特定の役割を担っていなければなりません。主人公がいて、敵役(敵対者)がいて、それぞれに協力者がいます。彼らを待ち受ける褒賞があり、この褒賞は、例えば2人の男性が切望するヒロインなど、登場人物のこともあります。登場人物の役割は物語の基本です。

分かり易い例を挙げましょう。犯人が誰かがすぐに分かる推理小説をイメージしてみて下さい。そしてその犯人が物語の中でどのような役割を果たしていたか考えてみてください。何の役割も果たしていなかったはずです。犯人は何の役にも立たない登場人物でした。つまり、出来の悪い推理小説は、犯人である登場人物が、犯人であるという以外、物語の中で何の役割も果たしておらず、犯人が誰か読者にすぐに分かってしまう作品です。

勿論、語り手はカードをシャッフルすることが出来ます。クライマックスから語り始めることも、最終状況から始めて過去に戻っていくことも出来ます(フラッシュバックまたは回想と呼ばれる手法です)。同じ役割を担う複数の登場人物を登場させることも、一人の登場人物に複数の役割を担わせることも出来ます。その後でストーリーテーリングの際に注意すべき他のメカニズム (視点、リズムなど)がありますが、ここで基本的なことだけに留めましょう。簡単に言うと、どんな物語でも核となるのは、誰に、何が起こるか、ということです。

それでは始めましょう。

プロローグはVTRから始まります。最初の映像は競技からの引退を表明する会見の模様です。それから「ロミオとジュリエット2.0」の旋律に乗せて、アスリートの日常的なシーンが次々に流れます。氷上トレーニング、陸上トレーニング、転倒、ユヅの素敵なひと時、マットに横たわる彼、片手を自分の前に掲げ、何かを掴むような仕草・・・まるで夢や高く遠い目標のような、手の届かない何かを掴もうとするように・・・
そして試合。試合はユヅのキャリアを象徴する瞬間です。4ルッツの初成功、4Teu3Fの初成功、トリノの2019年グランプリファイナルにおけるOriginのフィニッシュ。
VTRは2つの異なる、しかし相反する強烈な印象を与えるシーンで締めくくられます。彼がどこかに独りでいて、スケート靴を磨いている逆光のシーン、そして彼が一人、リンクインする前にエッジカバーを握っているシーン。3月11日の地震以降、常に彼の試合に寄り添い、彼の額に押し当てられてきたエッジカバーです。

この事は「プロローグ」がほぼ終わりから始まったことを意味しています。

つまり、このショーが語ろうとしている物語はユヅの「アマチュア」キャリアであり、これから私達が見ていくように、物語は最終状況を私達に見せています。動的出来事、転機、クライマックス、そして最終状況。この物語の構想では、彼が競技から退くことを発表した9月19日の記者会見はクライマックスのひとつです。彼が競技人生を終え、新たな段階に進むという出来事でした。

物語の転機となるクライマックスである記者会見の後、プロローグのいわゆる「概要」を構成する映像が続くのは偶然ではありません。練習と試合、幾つかの決定的な瞬間の映像によって総括されたアマチュア時代の羽生の歴史(音楽が暗示しているように最初のオリンピック金メダル。そして彼が何をやっても、どんなにスケートを続けても、もはや重要な金メダルを取らせて貰えないことを彼に示したあのファイナルは特に決定的な瞬間でした)。

プロローグの物語がクライマックスから始まるという事から、結弦がファビュラとプロットを区別している事が分かります。ファビュラは物語が話す出来事の時系列、一方、プロットは作者が出来事を「組み立てる」方法です。結弦はファビュラとプロットを一致させない選択をしました。従ってプロットはファビュラの年代順に従っておらず、最初から始まりません。実際、記者会見から始まり、主人公(彼)とその人生の短い紹介が続きます。ある種の本や映画で起こるように、私達に語られる物語の「いろは」を理解してもらうためのプレビューのようなものです(007映画のオープニングクレジット前の一連のシーンを思い出して下さい)。

そして突如、照明が点灯します。眩しく、単調で騒々しい照明。そして競技プログラムを滑る前の恒例の6分間練習がアナウンスされます。プレビューの後のプロローグ本編の始まりです。専門用語で「イン・メディアス・レス(物事の中途へ)の始まり」と呼ばれます。アクションの瞬間であり、観客を巻き込み、一瞬で彼らを虜にします。試合で観客が最も感情移入する瞬間は何時ですか? 比類のない世界最高得点を叩き出し、彼に2個目のオリンピック金メダルをもたらした結弦の代表作「SEIMEI」。この叙事詩を開始するのにこれほど適した瞬間はありません。彼のキャリアの頂点、夢の実現、そして彼の才能と血の滲むような努力が金メダルを競う機会を与えていた時期と才能と努力だけではもはや不十分になった時期との分岐点、幸運な出来事が続いた時期と彼自身は進化していたにも拘わらず不運な時期との分岐点(簡単に言うと転変)。そして不当に下降させられた同じく転変の時期。

主人公にとって要となる瞬間から語り始められる物語には強力なパンチ力があります。その物語を読んだり、聞いたり、見たりしている人に先を知りたい、主人公がどのやってそこまで到達したのか知りたいという願望を起させます。そして「プロローグ」の象徴であり、舞台の中心にある時計の針が目まぐるしく逆転し、全てが始まる「起源」まで時間を巻き戻します。その「起源」は2本目のVTRで説明されます。

ユヅと呼ばれる4歳のマッシュルームカットの少年が初めてスケート靴を履きます。同じく9歳のキノコが試合でプログラムを滑り、素晴らしい成績を収めます(「ロシアから愛を込めて」で挑んだ彼にとって初めての2004年全日本ノービスBです)、クリスマスツリーの傍の、あるいは小さな回転木馬に跨る10歳のユヅ・・・人気のないショッピングセンターのロビーのような場所で木馬を激しく揺らす子供を見ると、胸を締め付けられます。彼は熱中していて笑顔ですが、独りです。
ユヅがこの映像を無作為に選んだ訳ではないと思います。最初のVTRの最後で、このショッピングセンター同様、人気のない空間で一人、スケート靴を磨く彼の姿と同じ孤独がここにあります。まるで、夢を追うことを選んだ彼のような人間の宿命を暗示しているようです。多くのことを犠牲にする人生、絶対的献身の人生、それ故に必要とされ、求められる人生。しかし、どれほど重い孤独であろうか・・・
そして「物語のルール」について話すなら、孤独は主人公、もっと言えば、壮大な物語におけるヒーローの基本的な特徴なのです。ヒーローは孤独です。仲間(協力者)や手段(魔法など)はあっても、敵(敵対者)と対峙する決定的な場面では、ヒーローは常に、そう、常に一人なのです。滅びの山におけるフロドとゴラムの戦いやホグワーツの廃墟でのハリー・ポッターとヴォルデモートの対決を思い出してみて下さい。
そして、オリンピックで金メダルを獲りたいと宣言する2007年の有名なインタビューが続きます。それから「パガニーニの主題による狂詩曲」、14歳の彼にスーパースラム達成に必要不可欠な最初の2つのタイトル、グランプリジュニアのファイナル金メダルと世界ジュニアの金メダルをもたらしたプログラムです。

このVTRは、羽生結弦の競技人生というこの物語の最初の状況を正確に表しています。つまり、まず(孤独な)子供の人生、そしてフィギュアスケートのオリンピック金メダルを夢見る将来有望なスケーターである少年(主人公)の人生。しかし、物事を変える動的出来事は何でしょうか?

慌ててはいけません。結弦はここで一旦休憩が必要なことを知っています。巧く構成された物語は、一度もペースダウンせずにエキサイティングな出来事を次々に畳みかけることはしません。過剰で息つく間のないリズムが長く続くと単調になります。ですから、ここで一旦止まります。
まず楽しく、高尚過ぎない「Change」のようなプログラムが披露され、観客との対話が続きます(この『変化』は、これが新しい別の物語の序章であることを思い出ださせます)。彼に寄せらせた質問に応えるコーナーは、聞き覚えのある全日本選手権の女性の声によって問答が交わされます。バングルによって選ばれた2つ、または3つのプログラム(公演日によって異なります)。休憩といっても、単調になっては観客の関心が下がってしまいます。ユヅは、静的な時間(「スピーチ」)と動的な時間(「スケーティング」)を巧みに織り合わせ、この間隔のリズムを巧くコントロールしています。前者が長過ぎたり、自己中心的にならないよう(ここでのスピーチはモノローグではなくダイアログです)、そして秒(長さ)がスピーチを圧倒しないよう注意が払われています。

それから結弦はリンクを去り、休憩は終わります。最初の状況は語られました。次は動的出来事ですか?

そう、次は動的出来事の番です。

2011年3月11日が語られます。

ユヅ自身が映像を選んで編集したVTRは非常に独特でした。地震の『最中』と『直後』を記録した映像から始まります。彼の人生を変えた出来事のドキュメンタリーは感動的ですが、病的に号泣させるような構成にはなっていません。そして「歴史」から「結弦の歴史」に移ります。ホームリンクが損傷し、別のリンクを求めて旅をする少年のプロフィール。練習が困難になったことは動的出来事の後の最初の転変でした。あるいは2番目の転変だったかもしれません。困難は物流面だけでなく、心理的・感情的な面でもありました。私達はスケートを続け、オリンピックの夢を追うことが無意味で間違っているようにさえ思えたこの瞬間における結弦の心の葛藤を知っています。従って、彼のこの葛藤が、震災後の彼にとっての最初の転変だったかもしれません。誇り高い主人公の大きな敵対者は、己の内面、「ダメだ、お前には相応しくない、今やっていることを続けたり、夢を見たりする資格はない」と囁く自分自身の一部なのかもしれません。

必然的に、この後、ユヅが2011年に神戸の被災地支援チャリティ公演で滑ったプログラムが続きます。感動的で感情的な「ホワイトレジェンド」。完璧な技術と、観客との間に共感を生み出す能力はスタンディングオベーションによって讃えられました。そしてこの瞬間、例え問題があっても自分が進んできた道は今も、そして常に正しく、それどころか、この道を進むことは、個人の夢の実現だけでなく、人々の歓びと希望にもなり得ることをユヅは理解したのです。例え束の間であっても、内なる敵との葛藤に勝ったユヅは自分の歩みを続け、2011-2012年シーズン、すなわちロミオ+ジュリエット1.0が訪れます。

動的出来事からユヅが直面した転変まで私達をいざなったVTRはここで終わります。そして物語は今、ロミジュリ1のような需要なプログラムにスポットライトを当てることを必要としています。内面の敵と向き合い、外部の障害に立ち向かったヒーローは(練習場所の問題だけではありません。このシーズン、ユヅは足首を痛めています)、重要な戦いに勝ちました。グランプリファイナルは4位、世界選手権では銅メダルを獲得しました。この時、彼が滑ったプログラムは、何千人ものファンと専門家の注意を獲得しただけでなく、トロントのクリケットクラブに移籍するという大きな決断をする時が来たと彼が納得するきっかけの一つになりました。プロローグでユヅがこれほど重要な意味を持つプログラムを滑らない訳がありません。ユニークな演出も見事でした。スクリーンで17歳のユヅがロミジュリ1の前半を締めくくるスピンを実施中、27歳のユヅがリンクに入り、演技を引き継ぎます。映画ではこのような編集技術はフェージングと呼ばれ、あるシーンが次のシーンにフェードインします。映像からスケートのライブパフォーマンスへの移行にこの技術が用いたことは非常に革新的です。

次のVTRはフィギュアスケートのオリュンポスに駆け上がる羽生結弦のドキュメンタリーです。ソチでの勝利、史上初の4Lo、グランプリファイナル四連覇を果たした史上初かつ唯一の男子スケーター(2016年のファイナル優勝の映像)、平昌での勝利(ここで前述の「イン・メディアス・レス(物事の中途へ)の始まり」であるSEIMEIが再び登場します。回想の物語はここで終わり、物語は2018年以降へと続いていきます。プロットとファビュラが一点で交わり、同一化したように見えますが、「プロローグ」の構造構築におけるギャップはまだ続きます)。間違いなく「栄光の瞬間」の総集に相応しいひと時です。2011年3月11日以降の数々の試練の後で、ヒーローは重要な戦いで勝利を収め、障害や躓きが全くなかった訳ではありませんが、全体的にポジティブ、それどころか非常にポジディブな時期であり、「褒賞」、すなわち2個目のオリンピック金メダル獲得によって最高潮に達します。

それからどうなったでしょか?

幼い頃からの夢は実現しました。それではこれからどうなるでしょうか?

再び静寂の時間が必要です。まさに内観の時間です。物語のリズムがそれを必要としており、結弦も必要としています。自分自身と他者にとっての「羽生結弦のフィギュアスケート」の意味について、己の道程の土台となる新たの夢について、彼は自問自答します。ここで時間は少し先送りされ、栄光のVTRは、何となくほろ苦い、謎めいた旋律と共に終わります。まるで再び夢を見ることは、再び戦うことであり、ひょっとしたら失う危険を冒すことを意味していることを自覚しているかのように。「プロローグ」の中で唯一、羽生結弦がプロアスリートになってから披露した演技、「夢見る憧憬」の旋律です。ここまで時間を進めることは単なるフラッシュフォワードではありません。ここで話された物語の観点からすると、このプログラムは予弁法、すなわち将来起こる出来事の予測ということになります。予弁法は全知の叙述者、すなわち物語の全貌を全て知っている語り手によって語られる小説で用いられます。例えばマンゾーニのような叙述者です。彼は「いいなずけ」の中で、レンツォやルチアやカンパニーのエピソードを彼の思想とモラルに則って隠すことなく語ります。あるいは主人公が当事者で、全ての経緯を知っている、既に完結した出来事について語る一人称で書かれた物語でも予弁法は使われます。ユヅの場合は後者に該当します。プロローグは回想録でもあり、ユヅは当然、全ての詳細を知っています。そして「夢見る憧憬」は彼流の方法でこう言っているのです:「物語はまだ終わっていませんが、僕はこれからどう展開していくのか知っています。その未来を少しだけ味見してみて下さい。その未来は、適切な環境、まだ語られていない部分の叙述に相応しい感動的な雰囲気の中に挿入されなければなりません。

非常に自然な方法で「夢の憧憬」から「いつか終わる夢」に引き継がれます。ユヅを世界から隠し、ユヅから世界を隠す白い布がこの2つのプログラムの繫がりを表しています(前者の最後と後者の最初で彼はこの布をまとっています)。そして夢にこだわるタイトルと雰囲気。これらの2つのプログラム、特に2つ目のプログラムには彼のキャリア、彼の輝かしい瞬間、平昌後に増えていった暗い瞬間、彼の観客やフィギュアスケートとの関係性についての結弦の思索が詰まっています。「いつか終わる夢」の演技中、氷上に映し出された文字は無作為に選ばれたものではありません。
以下にこれらの言葉をリストアップします:

真っ暗
暗い水
光を受け止めて
灯る
応援

ただ滑る
希望
水面
想い
分かってる
怖い
感情
独り
世界
呼応
消えた力

心理学者に分析してもらうまでもなく、結弦は再び自分の中にいる敵対者、自分の迷い、弱さ、恐怖と闘っていることが分かります。トリトンの優美さ、美しさ、憂いを備えた結弦は、おそらく暗い森の中にある種の小道か小川を切り開き、渦を生み出し、それから人間の姿でもあるリンクを横切ります。結局のところ、私達は物語のかなり先に進んでおり、クライマックスが訪れる前に、主人公は最悪の挫折を経験しなければなりません。まさに万事休すと思われる瞬間、無数の疑念、時にはポジティブな、しかし多くがネガティブな無数の言葉・・・そして氷上の光の輪のように見えるものの中心に跪きます。実際には一重の輪ではなく、複数の輪が重ねり合っています(オリンピックの五輪でしょうか)。そして輪の光がより強くなるにつれて、氷に触れ、覚悟したのようにうなだれる彼の姿は黒い影の中に飲み込まれます。

・・・そしてこれは彼の思索を映像に変換し、内面の戦いを外部の戦いに変換するVTRです。
閉まるドア、そして平昌五輪の日に印が付いたカレンダー。上昇は終わりました。ユヅは頂点にいます。これからは下降しなければならないのでしょうか?転倒、怪我、新たな敵は彼を頂点から引きずり下ろすことが出来るでしょうか?私達の目の前に過去と現在の障害と敵対者が次々に現れます。パトリック・チャンが頂上に立つ表彰台。グランプリファイナル欠場を余儀なくさせた2018年ロステレコム杯での負傷、2014年中国杯におけるハン・ヤンとの衝突・・・このVTRの前半は最悪の事態を恐れさせます。苦痛が勝つかもしれない、戦えないかもしれない、勝てないかもしれない、という怖れを抱かせます。

そして曲調が変わります。リズムとトーンが変わり、希望と自信が膨らみます。苦痛と敗北のシーンに克服と勝利のシーンが混ざります。北京での転倒と負傷のシーンとトリノで再び4ルッツに成功したシーン(優れた物語で起こるように、ショーの冒頭で張られた伏線を回収します。この4ルッツは最初のVTRにも登場しました)。成功とはならなかったものの認定された4A、そして2015年GPF、この時の330点を超える世界最高得点は結弦の競技人生だけでなく、フィギュアスケートとスポーツ全体の頂点であり、彼にとっては、ある意味で予期せぬ敵対者(ISUと日本スケ連)との新たな『戦闘の前線』を意味していました。
そしてユヅは言葉を紡ぎます:

たとえ報われない努力だったとしても、
僕の歩んできた道のりが、無駄だったとしても。
僕なんかのスケートを見てくださって、
幸せを感じてくださったのなら、
これ以上ないくらい、
報われています。
僕は、幸せです。

そして「ロシアより愛を込めて」でフィニッシュのポーズを取る小さな結弦と、「天と地と」のフィニッシュで同じポーズを取る大人の結弦がVTRを締めくくります。

希望があり、信じる気持ちがあるなら、全てが失われる訳ではありません。春はまだ存在するなら、冬は終わります。
「春よ来い」の時間です。
結弦は唇に微笑みを浮かべ、瞳に光を湛えながらこのプログラムを滑ります。そしてブレードの下で桜のピンクと葉のグリーンが渦巻くプロジェクションが広がります。風に揺れる草原。白い氷上に渦を巻きながら広がっていく黒い飛沫、この物語のインク、鳥の群れ?最初は白黒だった渦が、嬉し気に、誇らしげにカラーに変化します。満開の花。

いいえ、全てを失った訳ではありません。ヒーローは再び勝つことが出来るでしょう。

暗闇。

静寂。観客はアンコールか映像かプログラムか・・・何かを期待して拍手を続けます。

緊張感。

それから・・・

映像が始まりますが、VTRではありません。時計です。
11時11分で止まっていた時計が再び動き出します。カチ、カチ、カチ、と針が時を刻む音によって一秒一秒が強調されます。しかしカウントダウンではありません。シンデレラのタイムリミットでも真夜中12時でもなく、馬車がカボチャに戻ることもありません。60秒後、長針が進むだけです。
11時11分が11時12分になりました。

実際には見えませんが、ファビュラに従うなら、7月19日の記者会見の時です。
そして「春よ来い」によって表されるクライマックスは頂点に達します。競技フィギュアスケートを離れ、プロアスリートに移行するという結弦の決断によって。「プロローグ」における最終状況はプロ転向です。

ユヅは再び平衡を見出しました。勿論、彼は彼のままですから不安定です。あまりにも多くのプロジェクト、あまりにも多くの夢、あまりにも多くの挑戦が彼を生き生きと輝かせ、彼が永久的な真の平穏を見つけることはないでしょう。彼にとっては敗北こそが敵なのです。

そして、ユヅはアンコールとして世界記録を連発し、2019年スケートカナダのエキシでも観客を歓喜させた、(2013年世界選手権以外)常に勝ちプロだった「パリの散歩道」を再演します。敵対者がガラガラのアリーナで採算に頭を痛めている間、彼は満員のアリーナでリンクを周回し、全公演のチケット完売を彼に保証した観客の称賛と愛を受け取り、感極まります。

最後にマイク無しで「ありがとうございました!」と絶叫し、舞台から去り、ショーは終わります。

終わり?

5公演中4公演がそうだったように、「プロローグ」はこのように、最終状況を保留にしたまま幕を閉じても物語として素晴らしい出来でした。ユヅはプロに転向しました。この新しい物語がどのような展開になるのかはまだ分かりませんが、1月になった今までに私達は最初の章を読みました。YouTubeでの成功、数々の受賞、多くのテレビ出演、このプロローグの大成功・・・私達はこの最終状況がポジティブであることを知っています(そして、ずっとポジディブであり続けることを願っています)。ポジティブ・・・確かに2018年から2022年までの4年間と北京で彼が受けた不当な仕打ちに対する苦しみは残っていますが、ヒーローは勝ったのです。幾らかの悔恨は残っていますが、全体として物語はハッピーエンドだったと言えます。要するに喜劇です。

12月5日の最終公演は彼の「ありがとうございました」で終わりませんでした。

2004年の「ロシアより愛を込めて」のVTRが始まり、マッシュルームカットのユヅがスピンを始めます。それから大人のユヅがリンクに戻って来て、キノコのスピンを引き継ぎます。そして別の映像に切り替わります。
笑顔、多くの笑顔。彼の声が話します。何を?聞いてみましょう。

そこに幸せはありますか?
誰かと繋がっていますか?
心は壊れていませんか?
大丈夫。大丈夫。
この物語と、プログラムたちはあなたの味方です。
これはあなたへ  
あなたの味方の、贈り物

少しの間があって、文字が現れます:

東京ドーム

最後に「GIFT」を発表するポスター。
2月26日にプロアスリートでフィギュアスケートのGOAT、羽生結弦はこのポスターの文字通り、新たなスペクタクル、新しい物語を演じます。

Ice Story 2023 – al Tokyo Dome

つまり展示会の神殿、そしてスポーツと音楽の神殿で。マイケル・ジャクソンやデヴィッド・ボワイはここでコンサートを行いました。しかし、ここでパフォーマンスを行ったスケーターは、未だかつて存在しません。55000席の会場で、ユヅはスケーターとして史上初めてこの場所で演技するのです。

ユヅは続けます:
「皆さん、どうか、どうかどうか、これからの物語を、プログラムたちを、贈り物を、受け取りにきてください!」

そうです。これが「プロローグ」で叙述された物語の最終状況なのです。プロ転向だけではなく、「GIFT」なのです。
物語の最初の状況と比べて良くなりましたか?悪くなりましたか?「プロローグ」はハッピーエンドの喜劇ですか?それとも悲惨な終わり方をする悲劇ですか?
このようなエピローグでは、疑問の余地はあまりないでしょう。
ヒーローは戦いに勝ちました。これからは私達が平穏で幸せで、他者に優しくなれる世界を再建し始めることが出来ます。傷跡は残っていますが、ハリー・ポッターの稲妻型の傷跡同様、もう痛くはありません。これからはこの傷跡は、夢の実現のために彼が支払った代償、そしてこれから築き上げる物語の基礎を結弦に思い出させるために存在します。

そして私達は・・・ユヅ、ここにいて、あなたが話す物語を聞き、見ています。

これからもずっと・・・

アレッサンドラ・モントゥルッキオ
作家、編集者、翻訳家。幼少時よりバレエを学び実践するバレリーナであり、指導も行っている。
Wikiプロフィール:https://it.wikipedia.org/wiki/Alessandra_Montrucchio

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☆素晴らしいエッセイです。アレッサンドラさんの深い愛に感動します。彼女は何冊も小説を発表し、作品が映画化されたこともあります。
プロローグが並外れていた点は、挙げればキリがありませんが、全体の構成、映像とプログラムの選択と配置もその一つでした。彼自身が当日までかかって編集に関わったというVTRはどれは秀逸でした。ライブで演じられたプログラムの配置とタイミングも絶妙で、アイスショー全体が一本のドキュメンタリー映画のようなクオリティに仕上がっており、冗長と感じられるところが一秒もありませんでした。
90分が本当にあっという間に過ぎ去っていました。
映像の中には私が現地で目撃することが出来た瞬間も数多く含まれていました。バルセロナでの330点越え、マルセイユでのファイナル四連覇、世界最高得点を更新したオトナルと右足首を負傷しながら迫真の演技を見せたオリジン、優美な黒オリジン衣装にナチュラルヘアで、本当はもの凄く辛く、悔しく、苦しいはずなのに、切ないほど美しく優しい笑顔で松葉杖をつきながら表彰台に立ったロステレコム杯、そしてトリノ・・・

プロローグの映像を見ながら、当時見た光景、当時の感動が鮮やかに脳裏に蘇ってきました。そして、彼の競技人生、彼の戦い、彼の歓び、彼の苦しみを共に生き、自分自身のその時の感情と感動を追体験しているような錯覚に陥りました。

奇しくも今日、八戸公演初日の映像を見ることが出来ました。前日訳したマルティーナさんのエッセイと、このアレッサンドラさんの分析を読んだ後でしたから、前回見た時には気付かなかった様々な細部が見え、最初に見た時よりも、2回目に見た時よりも、3回目に見た時よりも・・・もう何回見たか覚えていないのですが・・・とにかく、今までよりも、更に一層、深く感動しました。ていうか、お二人の分析凄くないですか???言葉のハンデがありながら、ここまで深く、詳しく読み解こうする情熱と知識と愛に感動させられます。


余談になりますが、羽生君の新しい動画『The Final Time Traveler』for『GIFT』が投稿されて以来、朝食後と夜寝る前にこの動画を視聴するのが毎日の日課になっているのですが、昨晩、トラベラーの後にYoutubeにお勧めされるまま久々にドイツ国営テレビ版レミエンを見ました。

再生数がいつの間にか413万を超えている😲・・・

この動画に一カ月前に寄せられたドイツ人のコメントが印象的でした

このビデオスポーツショーのチームに感謝します。たった2分で私は完全に彼のファンになってしまいました。当時、私は男子シングルがこんな風になれるとは思ってもいませんでした。長い助走がなく、プログラム全体が力みのない踊り。結弦はレジェンド。

そう、彼のスケートは一瞬で見る者を虜にしてしまいます。
それほど美しく、カッコよく、特別なのです。

Disney+dアカウント以外の申込<年間プラン>” border=”0″></a></p>
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⠔⋰#ディズニープラス
2/26(日)国内独占ライブ配信決定❄
⠢⋱

『Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023
   “GIFT” at Tokyo Dome』#羽生結弦 製作総指揮
スケーター史上初 単独東京ドーム公演✨

全国どこでも観られるチャンス❕
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— ディズニープラス公式 (@DisneyPlusJP) February 3, 2023

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu