命の尊さ

このブログを開設してからもうすぐ7年になります。子供の頃から日記を3ヵ月以上続けられたことのなかった私が、ここまで続けられているのは我ながら驚異的です。
時には1ヵ月以上更新しないこともある気まぐれ更新ですが、こんないい加減な私でも、この7年間、必ず記事を投稿している日があります。

12月7日と3月11日です。

時には日本時間には間に合わず、イタリア時間内でのギリギリ更新であっても、この2日に関しては、絶対に投稿を欠かしたことはありませんでした。それが今年は初めて、3月11日に何も投稿することが出来ませんでした・・・

どんなに多忙でも3月11日に何か記事を投稿することは、私にとって、とても重要なことでしたから、とても無念ですが、今回ばかりは不可抗力でした。
その言い訳をつらつらと書かせてくださいね。

実は3月3日から昨日11日まで子宮筋腫摘出手術のために入院していました。
筋腫はかなり大きかったので、開腹手術でしたが、一般的に「簡単」と見なされている部類の手術であり、予定では6日の月曜日に退院出来ることになっていましたから、3.11について何か書く時間はたっぷりあると思っていました。
ただ、術前検査の過程で、私は軽い貧血に加え、先天的に血液の凝固に必要な因子の一つが普通の人より少ないことが分かっており、疾患レベルの欠乏ではないものの(実際、これまでの人生でこの欠陥に気付いたことはありまでせんでした)、外科手術にはギリギリのラインで、術中または術後の出血のリスクが高いと言われていました。そして、残念ながらそのリスクが現実になってしまいました。

金曜日の手術は成功しましたが、その後、傷口からじわじわと内出血していました。外に出血していればすぐに気が付いたのでしょうが、内出血だったため、腹部全体に広がった皮下血種によって激痛が引き起こされるまで、分かりませんでした。しかも、不運な事に激痛が始まったのが、土曜日の深夜で、若い当直医しかいませんでしたから、この時点では痛み止めの量を増やされただけでした。翌朝は強い痛み止めで痛みは少し治まったものの、外にも出血していて、もうフラフラの状態でした。幸いなことに、私のこの血液の問題を事前に把握していた脈管科と血液内科の専門医が、このような事態に備えて必要な薬を揃えて待機してくれていましたから、すぐに止血するために血液を凝固する治療が行われ、その後、お腹に溜まった血を抜くために再度手術をしなければならないと言われました。手術前に身長と体重を測定されたのですが、身長は167センチで通常通り、体重は59キロ。

59キロ???

私は普段51キロで、どんなに重い時でも52キロを超えたことがありませんだから、「そんなはずはない。その体重計は較正が狂ってるんじゃないの?」と確かめてもらって測り直しましたが間違いなく59キロでした。今朝、自宅で測ったら51キロに戻っていましたから、この8キロの差はお腹に溜まった血液の重さだったのだのでしょう。

そして注射器のようなもので血を抜くのだと思っていたら、再び全身麻酔で開腹すると言われ、ストレッチャーに乗せられながら、家族に連絡した方がいいと携帯を手渡され、手術室に向かうエレベーターの中で慌ただしく色々な書類にサインさせられました。一つは輸血に対する同意書でしたが、それ以外はもう読む時間も、何に同意させられているのか理解する余裕もなく、言われるままにサインするしかありませんでした。

あまりのジェットコースター展開に、恐怖を感じる暇もなかったのですが、手術室についてから、医者が「Codice Rosso(コードレッド)の緊急手術」と言っているのを聞いた時は流石に不安になりました。
コードレッドって、医療ドラマとかによく出てくるあの「赤タグ」のこと???😱
それで傍にいた麻酔医に「あのう・・・もしかして、これって命の危険がある手術なんですか?」と聞いてみたところ、真顔で「トラブルが起こらないよう最善を尽くします」と励まされました。
トラブルって😨・・・

意識を取り戻したのは病室に戻るエレベーターの中でした。大勢の医師に囲まれていて「もう大丈夫。これからはどんどん良くなるわよ」と言われました。
エレベーターを出て、不安そうな面持ちで待機していた夫の姿が目に入った時の安堵と感動は忘れられません。

「ああ戻ってこれた、良かった・・・」
そう思いました。

激痛発生から手術までの展開が早過ぎて、その時は何が何だかよく分からないままに起承転結していましたが、実際はかなり危険な状態だったようです。

私にとって幸運だったのは、おそらく外科手術が必要なかなり大きな子宮筋腫があると分かった時点で、近所のクリニックの婦人科ではなく、イタリア最高の医療機関の一つである総合病院の婦人科で診てもらったことです(保険適用だと数カ月先まで空きがなかったので、自費で診察してもらいました)。私の血液の欠陥は数十万人に一人の非常に珍しいケースで、普通の血液検査では分かりません。私が入院した病院には国内最高レベルの脈管科と血液内科があり、婦人科と連携して、適切にフォローしてくれました。
小さな病院で手術していたら、私はもうここにはいなかったかもしれません。
そして、術後の内出血が皮下に留まり、腹腔内には行かなかったのも幸いでした。

今回の件で、私は命の尊さを身をもって知りました。
私は子供の頃から健康優良児で、医者要らず薬要らずでここまできましたから、今回の開腹手術も正直かなり舐めていました。

そして何よりも、この病院のサービスの素晴らしさ、医療レベルの高さに本当に感動しました。バスルームとWi-Fi完備の広くて清潔な病室。医師も看護師ももの凄く親切で、最先端の治療を施し、手厚く看護してくれました。コロナで同じ病院に入院した近所の肉屋の主人が、入院中に受けた処置の素晴らしさに感動し、「もし自分に財産があれば、あの病棟の彼らに遺したい」と言っていましたが、今なら彼の気持ちが100%理解出来ます。
自分は彼らによって生かされ、今ここに存在出来ているのだと感じています。
私の命を救ってくれた医師団の皆さん、そしてこれほど過酷な激務を日々こなしながら常に温かい笑顔で優しく看護してくれた看護師の皆さんに対する感謝を私は生涯忘れないでしょう。

そしてありがたいことに、イタリアでは手術が必要だと診断された時点で、術前検査から、手術、入院に至るまで自己負担ゼロなのです。術前の婦人科、血液内科での精密検査、2度の手術と止血のための最先端治療、そして9日間に及ぶ至れり尽くせりの入院生活で私が支払った金額と言えば、術後の腹部を支える腹帯の代金45ユーロだけでした!

2回目の手術の後、前日までとは別人のように気分が良くなりました。
私は普段からスポーツをしているおかげで体力と筋力があり、手術翌日から脚の筋肉を落とさないために、病棟の長い廊下を腿上げ運動をしながらせっせと歩いていましたから、術後の回復はかなり早く、水曜日ぐらいには割と元気になっていましたが、貧血が酷くてヘモグロビンの数値が中々上がらなかったのと、医師団としては全ての傷口が完全に固まり、出血のリスクがゼロなるまでは退院させられないということで、ようやく家に戻ってこれたのは昨日、土曜日でした。
イタリア時間ではまだ3月11日でしたから、数行でも何か書こうと思ってコンピュータの電源を入れたら、Windowsが立ち上がらない!

何故???

何度も電源を切って、電源を入れ直してみましたが、黒い画面のまま😨・・・

仕方がないので諦めて、夫とレストランに食事に行きました。
何しろ入院中の食事と言えば、こんなのばかりでしたから飢え死にしそうでした・・・


昨晩はようやくまともな食事が出来ました😭

そして今朝、再びコンピュータの電源を入れてみたところ、何事もなかったように普通に立ち上がりました。
昨日のトラブルは一体何だったのか・・・
神様が今晩は美味しいものを食べてゆっくり休みなさい、と言ってくれたのかもしれません。

羽生君が新動画をアップしていました!
感動的な『天と地のレクイエム』
感謝を込めてシェアさせて頂きます。

アイスショー「羽生結弦 Notte Stellat」は入院中にスマホで断片的な映像を見られただけですが、素晴らしいショーだったようですね。いずれ、ショーの全編を視聴出来ればよいのですが・・・
取り敢えず、今は溜まっている情報を遡って追いかけるので精一杯です。

でも9日間も入院していたおかげで、お腹の傷はもう痛み止めがいらないほど治癒し、入院中にせっせと歩いていましたので、買い物に行ったり、普段の生活が出来るだけの体力は戻っています。
しかし、激しい運動は1ヵ月は控えるべき、ということなので、合気道やジョギングを再開出来るようになるのはもっと先になるでしょう。

そこで思い出したのが、2014-2015年シーズン、羽生君は12月に尿膜管遺残症で開腹手術を受け、3月には世界選手権に出場し、4回転ジャンプを跳んでいた、ということです。

😨😨😨😨😨😨

世界最高のアスリートである彼と、私のような一般人を比べるのはおこがましいですが、それでも、今なら開腹手術による身体の負担や術後数カ月間におけるリスクは分かります。
私も来月の2週目ぐらいには合気道を再開したいと思っていますが、例えば前回り受け身などをやるのはその更に一カ月後になるでしょう。
しかし羽生君は術後3か月後に4回転ジャンプですよ????
練習を再開したのはもっと前ですから、開腹から2か月後にはもう4回転ジャンプや3アクセルを跳んでいたことになります。
ジャンプもそうですが、開腹した3か月後にシットスピンも相当キツそうです。
更に彼はお腹の糸が出てきて炎症を起すというトラブルに見舞われながら、翌月の国別対抗戦にも出場していました。
改めて・・・何という人でしょう・・・😭
この時のファントムの演技は忘れられません(GIFTでオペラ座の怪人を再び見ることが出来たのは嬉しいサプライズでした。しかもプロジェクションマッピングと融合された見事な演出でした)。

今年は3.11の記事を投稿出来ず、例年のようにYahoo検索募金のリンクを貼ることさえ出来ませんでした。でも、まさにこの3月11日に、私に命の尊さを教えてくれたこの貴重な体験の後、生きて、無事に家に戻ってこれたのも何かの運命なのかもしれません。

今、命があることに感謝しています・・・

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu