Corriere della Seraより「羽生結弦は固定観念を超越した存在」

ラ・レプブリカと並ぶイタリアの二大全国紙「コリエーレ・デッラ・セーラ」に掲載されたコラムです。

コリエーレ紙でコラムを連載する作家でジャーナリストのコスタンツァ・リッツァカーザさんが読者(ミケーレ)の質問に答える形で執筆したコラムです。
イタリアでちょっとした炎上騒ぎになったアルペンスキー滑降の平昌五輪の金メダリスト、ソフィア・ゴッジャの発言を取り上げ、スポーツ界における同性愛者への偏見に関する問題を提起した質問者に対し、筆者は未だに偏見が根強く残るスポーツ界の現状に苦言し、特に偏見と差別が顕著なフィギュアスケート界における例を幾つかあげますが、「でも・・・性別の枠を超越したレジェンド、羽生結弦を見て下さい!」と、唐突に羽生君の話になり、最後は「羽生結弦」賛美で締めくくっています😂

スポーツ界は偏見が多過ぎる

コスタンツァ・リッツァカーザ・ドルソーニャ
(作家、ジャーナリスト)
2022年5月4日

ソフィア・ゴッジャは勇気をヘテロセクシュアリティ(異性愛)と結び付け、「スキーヤーにゲイはいない」と発言した。だがミケーレは「いや、存在する。まさにこのような発言がそれを隠している」と強調する

親愛なるコスタンツァ
あなたのコラムではよくスポーツについて取り上げていますね。
僕は「異性愛者だけが山から身を投じることが出来ます。何故なら(滑降には)勇気が必要だからです」というソフィア・ゴッジャの同性愛者を侮辱する発言に衝撃を受けました。
確かにホモセクシャリティ(同性愛)を公言するスキーヤーはごく僅かですし、サッカー選手についても同じです(それどころか存在しません)。
しかし、これらのスポーツに同性愛者がいない理由や、スキーやサッカーが特に「男性的な」スポーツである理由ではなく、まさにイタリアにおけるこのような極端に保守的な姿勢について掘り下げるべきではないですか?これは非常に若い世代を含むスポーツ選手達の間でも頻繁に見られる姿勢です。
世界中を飛び回る29歳の若い女性であるゴッジャのようなオリンピックチャンピオンが、
未だにこのような思考的バリアと偏見を持っていることに僕は驚愕しています(ミケーレ)

親愛なるミケーレ
全くその通りです。そして残念なことに、これはイタリアだけではありません。
同性愛嫌悪の考えは世界中のスポーツ界に根強く残っています。ソフィア・ゴッジャの発言は、ラトビアのデニス・ヴァシリエフスのポニーテールや、繋ぎやパンツスタイルの衣装を好み、5回転ジャンプを跳びたいと公言して従来の「お姫様」スタイルを拒否するロシアのサーシャ・トゥルソワを批判する人々が未だに存在するフィギュアスケート界に蔓延する偏見を思い出させました。
フィギュアスケートは、ほとんどのLGBT+アスリートが、メディアからなぶりものにされたり、ジャッジ達から格下げされたり、スポンサーを失うことを怖れ、引退後にようやくカミングアウトするスポーツです。
ジョニー・ウィアーが自国連盟から虐められたのは有名です。フランスのアイスダンサー、ギヨーム・シゼロンがゲイゆえに元ジャッジから「冷たく」「説得力に乏しい」と形容されたことは有名です。アダム・リッポンがロシアのアレクセイ・ヤグディンから「自然の過ち」のレッテルを貼られたことは有名です。昨年、22歳の未来のオリンピックチャンピオン、ネイサン・チェンは、「ゲイに支配された」スポーツで異性愛者でいることはフラストレーションが溜まる、と発言しました(他の状況ならナショナルチーム代表の座を失う可能性もある非難すべき発言です)。
チェンは後日謝罪しましたが、私の友人のサリーは、彼の発言が、別のアメリカ人、スコット・ハミルトンの発言と全く同じニュアンスであることを思い出しました。80年代のチャンピオンだったハミルトンは、自身の同性愛嫌悪を告白し、「ゲイと間違われないために」常に(チェンと同じように)非常に男性的な衣装ばかりを選んでいたと語りました。

幸いなことに、皆がこのように偏見の固まりという訳ではありません。
最近、プリーツスカートを履いた中国のアイスダンスの男子スケーター、シンユー・リウの写真が雑誌「Purple」を飾り、話題になりました。

何よりも、フィギュアスケートはほとんど全ての男子スケーターの中で最も力強く、最もカリスマ性があり、同時に多くの女子スケーターより繊細で優美なこのスポーツのレジェンド、日本の羽生結弦に目を向けることが出来ます。武術、セクシーな首元、白鳥の羽根、フリルで飾られたピンクのブラウス、タンクトップを脱ぎ捨てて観客席に投げる数百万人の少女達を絶叫させるパフォーマンスなど、彼は男性的要素と女性的要素をごく自然に混合し、ジェンダーの固定観念をとっくの昔に超越しています。何故なら、羽生がインタビューで発言しているように、フィギュアスケートは性別云々とは全く関係のない、己の個性の表現だからです。彼は皆の模範です。

***************
☆この貴重な記事を見つけて下さったのは、BalleticYuzuシリーズでお馴染みのアレッサンドラ・モントルッキオさんです。
彼女はこの記事をFBファングループに投稿する際、以下のようなコメントを添えています:

ジャーナリストがフィギュアスケートに紙面を割くのは稀なことです。特にコリエーレ・レッラ・セーラのようなスポーツ専門ではない新聞では。
そして、一般紙のジャーナリストがユヅルの考えを的確に引用し、彼を理解していることを示すことは更に稀です。
記事の転載を許可して下さった筆者のコスタンツァ・リッツァカーザに感謝します。

確かに・・・
何度も言うようですが、イタリアは「サッカー以外スポーツじゃない」国であり、フィギュアスケートはその中でもかなりマイナーなスポーツです。
全国紙のスポーツ専門ではないジャーナリストが、スポーツ欄ではなく文化欄の記事で、他国のチャンピオンを称賛することは極めて異例なことであり、例えるなら朝日新聞の天声人語でイタリアのバイアスロンのチャンピオンの話が引用されるようなものです。

確か大会中の記者会見で、(四回転ジャンプを跳ぶ)現在の女子フィギュアスケートについてどう思うか?と質問された羽生君が、重要なのは性別ではなく個性。僕は各選手の個性を楽しませて頂いている、というような答えを返していました。(毎度のことながら)何て聡明でビジョンの広い答えだろう!と感心したものでした。
筆者のコスタンツァ・リッツァカーザさんも感銘を受けたのでしょう

競技やカテゴリーの枠を超え、性別の垣根すら超越し、あらゆる分野の人々を魅了する存在、それが羽生結弦なのです。

そして偏見がないから、ともすれば女性的に見られがちなフリルやレースで飾られた衣装を着ることを躊躇せず、「どう思われるか?」などの雑念に捉われことなく、プログラムの世界観を重視した自由な選択が出来るのです。
「ゲイだと思われたくない」と考える時点で、その人には偏見があることを物語っています。

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち