Corriere dello Sportより「絶叫に値する羽生」

コリエーレ・デッロ・スポルトというイタリアのスポーツ新聞に掲載された記事です。 2018OG_CS

22歳は日本のアイドル、満場の喝采、後に彼が寄付することになる無数のプーがリンクを埋め尽くす

絶叫に値する羽生

1952年オスロ大会以来のオリンピック二連覇
『人生で一番幸せな日です』

2018年2月18日
アルベルト・ドルフィン(平昌)

日本では冬の皇帝と見なされている。
彼の快挙にアイスアリーナの観客は熱狂した。滝のように降り注ぐクマのプーさんが、彼が自身に2つ目のオリンピック金メダルをもたらした華麗なフリープログラムで装飾したリンクを埋め尽くした。

羽生はこれらのぬいぐるみを大会後、慈善団体に寄付する。
ソチと平昌の二大会連続金メダルは1948年サンモリッツ大会と1952年オスロ大会で連覇したディック・バトン以来66年間も成し遂げられていなかった偉業である。

フィギュアスケートがどんどんジャンプと技術要素に偏向していく中で、羽生は数年前から彼を指導するコーチのブライアン・オーサーと共に磨き上げた、あらゆるディテールまで洗練された彼の並外れた芸術的インスピレーションでまたしても会場を魅了することに成功した。

彼は2011年の地震が故郷を襲うまで仙台で練習していた。

その後、カナダに練習拠点を移して成長を続け、満を期して彼のコーチが決して到達することの出来なかった場所に到達した。

実際、オーサーは1984年のサラエボ大会と1988年のカルガリー大会で銀メダルを2度獲得している。

11月、羽生は母国で開催されたグランプリシリーズ大阪大会の公式練習中に4ルッツの着氷を失敗して右足を負傷し、日本中が息を呑んだ。

このためオリンピックの最初に行われた団体戦には参加せず、直接個人戦に登場したが、そのコンディションは疑問視されていた。

彼は2つのプログラムでこんな疑念を一掃した。彼のスタンダードである世界記録には及ばなかったものの、歴史的二連覇を達成するには十分だった。

そして彼は堰を切ったように泣き出した。

「僕の競技人生で一番幸せな日です」彼は感極まりながらこう言った。

「心の底から込み上げる涙です。今、僕に言えることは、すごく幸せだと言うことだけです」

日本はお祭りだ。
羽生の演技を生で見るために現地に駆け付けた日出る国のファン達は熱狂した。

銀メダルは昨年から皇帝の座を狙っている日本の名古屋出身の20歳、宇野昌磨だった

一方、銅メダルは羽生のトロントでのリンクメイト、ハビエル・フェルナンデスの首に掛けられた。まさにこの理由から、先月モスクワで行われた欧州選手権では、日本のジャーナリスト達は羽生のコンディションについてスペイン人を質問攻めにした。

フェルナンデスは3日間のうちに2つ目の冬季オリンピックメダルを母国スペインに贈った(木曜日にヘルナンデスがスノーボードクロスで銀メダルを射止めた)。

男子シングルはネイサン・チェンの打ち上げ花火のようなフリープログラムのおかげでより宇宙的な大会になった。18歳の中国系アメリカ人はオリンピック史上初めて6本もの4回転ジャンプを含むプログラムを披露し、5位まで浮上した。

「今週のあれだけの転倒の後、一生懸命練習しました。僕の心全てを注ぎ、どんなことが起こるか見たかった」

2022年北京では新たなショーが見られることになるだろう。

 

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世界選手権が終わり、興味のある内容はとりあえず一通り訳しましたので、再び平昌の記事の翻訳に戻りたいと思います。

新聞、雑誌、ニュースサイトの記事、オリンピック開催中に放送された特集番組、マッシミリアーノさんの強引なぶち込み、メドザギの演技解説などなど
訳したいものは色々あるので、気長に一つずつ訳していきたいと思います。

どっちにしてもこれから当分、ユヅルロスが続くわけで・・・😭
翻訳は一種のセラピーというか、気晴らしというか・・・

改めて、羽生君のいない世界選手権は本当に寂しかった・・・:awww:

一人の選手がいないだけでここまで次元の違う大会になってしまうものなのか(ハビとパトリックもいなかったけれど)

ポスト五輪の世界選手権は皆さんお疲れだから比べてはいけないと分かってはいるけれど・・・去年のヘルシンキを生で見ているだけに、ミラノ大会の失望は大きかったです・・・

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu