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EleC’s Worldより「蒼い炎と蒼い炎II:羽生結弦の自叙伝」

いつもイタリア実況解説の貴重な動画を提供して下さるエレナさんのブログから

イタリアの読者のリクエストに応えて羽生君の自叙伝「蒼い炎」について解説されていた記事があまりにも素晴らしく感動的だったのでご紹介させて頂きます。

 

原文>>

Elena C著(2020年7月18日)

 

今日は皆さんのリクエストにお応えして羽生結弦の本(彼自身が執筆したわけではありませんが、自叙伝と定義できる作品です)、「蒼い炎」と「蒼い炎II」についてお話ししたいと思います。

ここ数カ月間というもの、読者の皆さんからこの本に関する大量の質問(内容、購入方法、あるいはイタリア語で読めるのかどうか等々)が寄せられました。

これまで個々の質問に対してコメントやメールで個別に答えてきましたが、誰でも読めるよう記事にまとめようと思いました。

もっと早く出来ればよかったのですが、私には時間が幾らあっても足りないのです。

写真はエレナさんの承諾を得て掲載させて頂いています。転載はご遠慮下さい。

それでは早速始めましょう。

羽生結弦は非常に早い段階から規格外の子供であることを見せていました。
そしてチャンピオンのポテンシャルと途方もない才能を備えた少年になりました。

3歳の時から喘息を患っていますが、このことが、彼が非常に活発で明るく、いつも笑顔を絶やさない子供でいることを妨げることはありませんでした。

彼には堅実で団結した、高い価値観を持つ家族がありました。彼の家族は、彼を愛し、守り、慈しみ、選択の自由を与え、自らの責任で行動することを教え、周囲の現実を自覚するように彼を育てました。

優しく愛情深いだけでなく、とても厳格で要求の多い教育によって、結弦は今日の彼、他者を尊重し、甘く、優しく、時には愛すべき無邪気で幼い振る舞いをすることもあるけれど、並外れて成熟し、責任感があり、果敢で、揺るぎない確固たる信念を持つ青年になったのです。

これら全てに天性の才能、今では彼がほとんど使命だと感じ、同時に自身が最も愛すること故に幸運と捉えていることに対する絶対的な献身、そして闘志が加わったら・・・
決して不当な思い上がりにならない野心、それどころか忍耐と没頭と情熱の全てを注ぎながら、身体と心と魂の謙虚でたゆまぬ鍛錬に駆り立てる野心が加わったら・・・
世界中の人々にインスピレーションを与え続ける熟練、魂の気高さ、清廉の模範が生まれます。

やがて、この少年はもっとずっとドラマチックな別の現実に触れることになります。

2011年3月11日、地震とこれによって引き起こされた津波が東北地方を襲いました。
その中には彼の町、仙台も含まれていました。

彼は当事者としてこの災害を生きたのです。
その時、彼はアイスリンク仙台のリンクにいて、練習中でした。
四つん這いでリンクの外に逃れ、スケート靴を履いたまま建物の外に逃げ出しました。

家族と共に避難所で数日間を過ごしました。
多く市民や同胞と同じように、あらゆる快適性を奪われ、食糧と水さえ満足に得られない日々でした。

不幸中の幸いにも、彼の家は倒壊しませんでしたから、電気、水、ガス等のライフラインが戻るとすぐに自宅に戻ることが出来ました。

しかしながら、自分の周りで起きた凶暴な出来事の悲劇性を、彼は顔面にパンチを食らうほど強く感じていました。

快適に暮らしていた少年は、全てが次の瞬間には変わってしまう可能性があること、大切な全てのものを瞬時に失う可能性があること、そして当たり前なことなど何もないのだと突如自覚し、動揺しました。
そして人生が私達に与えてくれるどんなささやかなことにも、愛情、助け、慰め、そしてネガティブなことにさえ、感謝しなければならないと知ったのです。

全てが保存し、有意義に活用すべき宝なのです。もはやそうすることが出来ない人にとってさえ。

彼が16歳の時に生きたこの体験は、彼を大きく変えました。
彼のアイデンティティは確立され、彼の気高い人格をより明確に形成していったのです。

彼の競技人生は度重なる怪我と身体的問題によって幾度となく脅かされましたが、結弦は決して屈せず、どんな敗北も事故も不運も、そして自分が受けたどんな理不尽も自身を向上するための機会と捉え、史上最高のスケーター、そしてスポーツ界全体においてレジェンドと称されるに相応しい選手の一人になっていったのです。

長年彼を見ている人はこれら全てを深く認識しており、彼のこの意識の旅路から2冊の本が生まれました。

羽生結弦の自叙伝と見なされている2冊の本、「蒼い炎」と「蒼い炎II」です。
結弦が自分で執筆した訳ではありませんので、正確には自叙伝ではありませんが、数年間に渡って多くのインタビューの中で語られた彼の言葉と気持ちがまとめられ、彼の軌跡を再現しています。

まずタイトルに注目しなければなりません。

蒼い炎( Aoi Honoまたは Aoi Honoo)は英語でBlue Flameという意味です。

タイトルの意味は本の編集を担当した大久保かおりが説明しています。

タイトルは1冊目の本の表紙に使われた写真に由来しています。
結弦がまとっているブルー系グラデーションの衣装は、蒼い炎を彷彿させ、彼の激しい、同時に明晰で静かな闘志に結びついています(蒼い炎は、穏やかに燃えますが、実際には最も高温なのです!)。

結弦は2冊の本の印税を全額アイスリンク仙台に寄付することにしました。

彼はこれまでの人生の中でこの仙台にある唯一のアイスリンクの閉鎖を2度見てきました。
彼がスケートを始めた場所であり、2012年春にカナダに移住するまで、彼を育成し、彼が練習を積んできたホームリンクでした。

最初の閉鎖は資金不足による経済的な理由によるものでした。
2006年、トリノ・オリンピックの凱旋によって日本のフィギュアスケートが注目されるようになり、仙台のスケートクラブ、正確にはアイスリンク仙台が生んだもう一つの「産物」、荒川静香のオリンピック金メダルによって集まった資金と、市民からの要望の高まりによって、アイスリンクは営業を再開しました。

2度目は3.11の震災によって被害を被ったことによる閉鎖でした。

1度目の閉鎖では、結弦の練習時間は大幅に減り、彼の成績に影響を及ぼしました。言い換えるとこの期間、彼に運命づけられていた進化の速度が落ちたのです。

2度目の閉鎖が起こった時、彼は既にシニアに上がっていました。
彼は日本の他の土地で練習を続けましたが、滑れる時間はかなり制限されていましたから、特に夏のアイスショーでリンクを使えるチャンスを活用しました。何と66公演に出演し、誰もいないリンクで練習するために、他のスケーター達より早く会場入りしたのです。

これらの体験から、結弦は小さな子供でも楽に通えるような快適で適切な環境が近所にあることの重要さを認識し、フィギュアスケートの世界で己の道を邁進することを望み、練習と努力を続ける人が常に利用出来る、設備の整った施設のありがたさを噛みしめたのです。

出版社である扶桑社も収益の一部をアイスリンク仙台に寄付することを決めました。

これまでの寄付金で、リンクの送迎バス(車のナンバーは何と結弦の誕生日なのです!)を買い替え、内装をリニューアルし、より効率的で新しい発券機を設置しました。
また最新のニュースでは、このパンデミック期間中における安全基準に対応するために入口にサーモグラフィーカメラが設置されたそうです。

重要:

「蒼い炎」、及び「蒼い炎II」を購入する人は、結弦と同じスピリットでこれを行わなければなりません。
彼の意志を尊重し、すなわち彼が大切にしているものに貢献し、これを支援するという意識を持って本を購入して下さい。

ごめんなさい。
私は長々としゃべり過ぎたようです。

それではより実用的な情報に移りましょう。


蒼い炎

初版は2012年4月に発行されました。ちょうど結弦がブライアン・オーサーに師事するために仙台からトロントに渡った時期です。

この本ではカナダに移住する少し前までの彼の軌跡が綴られています。

蒼い炎II

2冊目の本は2016年7月に発行されました。カナダに到着した時期からその後の4年間の彼の軌跡が記録されています。

2020年現在の状況:

現在、「蒼い炎」、「蒼い炎II」の翻訳版を出版するための版権が様々な国で購入されています。

いつか英語版・・・あるいはイタリア語版(ないとは言い切れないでしょう?私は願っています。皆さんはどうですか?)が読める日がくることを願いながら、今後も海外での出版に関する情報を追っていきたいと思います。

 

ベトナム版

現在、私は詳細を知りませんので、本の表紙だけをご紹介します。第2刷は11月に発行される予定です。

 

台湾版(中国語)

繁体中国語版はホワイトレジェンドに着想を得たデザインで装丁されたケースに2冊が収められたブックセットになっています。

ブックセットには購入するショップによって異なる付録が付いているそうです。

先行予約は7月13日から、発売は7月20日の予定です。

これらの情報を翻訳し提供してくれた @lydiaoniceさんに心から感謝します。

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☆「蒼い炎」を初めて読んだ時、シンプルでストレートな言葉で語られる、その時々の彼の気持ち、心の旅路に心を打たれました。

特に震災当時の心の葛藤について語っている部分は・・・読んでいて胸を締め付けられました。

自分の育った町が目の前で倒壊し、自分を取り巻く環境、思い描いていた未来が一瞬にして崩れ去っていく・・・
僅か16歳の少年がこれら全てを体験し、悩み、葛藤する。

これは実際に体験した人にしか分からない。
私には想像することしか出来ません。

そして、今改めて読み返すと、この頃の彼が語っていた、彼にとっての理想のフィギュアスケートが、当時に比べて競技の動向も傾向も激変した今も少しも変わっていないことが分かります。

入りと出に工夫を凝らした幅と流れのあるジャンプ、音符と同調したスピン、深いスケーティング・・・全てのエレメントが振付の一部となった、一つの作品としてのプログラム。

4回転ジャンプの数がどんなに増えようと関係ない。
昔も今も彼が目指しているのはそこなんですね。

四大陸選手権後のインタビューで、彼は自分の中で燃える炎の色が赤から青に変わったと言っていました。
酸素が十分で、完全燃焼していると炎は青色になります。
そして青い炎の方が高温なのです。

真っ赤な炎から蒼い炎に変わった彼がどんな演技を見せてくれるのか楽しみでなりません。

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち