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InformazioniUtiliより「羽生結弦 – 神のようなスケーター」

Informazioni Utiliというブログに今年の元旦に掲載された記事です。

 

原文>>

 

2020年1月1日

 

非常に若い日本の青年、2018年平昌オリンピックにフィギュアスケートの日本代表として出場し、金メダルを獲得した。

これが羽生結弦だ。

彼のスケートには捉えどころのない何かがある。彼は音楽を感じる能力に優れている。そしてただ音楽を感じるのではなく、その身体と手で音楽を歌うのだ。

彼は氷を踏みながら、音楽に完全に身を委ねる。

 

蝶の舞

日本の誇りであり、伝説である羽生結弦はISU世界ランキングの頂点に君臨する。

23年の人生の中で、彼はオリンピックにおいてショートプログラムで史上初めて101.45点を記録したスケーターとなった。その後、フリーで216.7点、合計で322.4点という世界記録を樹立した。

彼はこの得点に相応しかった。何故なら全てのエレメントを驚異的に、簡単に、そして音楽的に実施したからだ。

彼のジャンプはまるで蝶の羽ばたきのように軽やかで、観客に魔法をかけた。

大会に立ち会ったタチアナ・タラソワはこのように述べた:

これほど無比の男子のスケートを見られることは神の恵みです。
人は誰でも自らの運命を築きます。この運命は彼が握っているのです。コーチはただ彼を助けるだけで、羽生がオリンピックでやってのけたことは彼自身がやらなければならないことでした。

一人の選手がどうやってこのような域に達したのか理解するために、彼のバイオグラフィーは読むに値する。

 

どのようにスケートを始めたのか

未来のスケーター、羽生結弦は1994年12月7日、仙台(日本)で誕生した。

少年は4歳の時にスケートを始めた。彼はコーチが好きで、全てが上手く機能した。ジャンプすることも、フィギュアの様々なエレメントをこなすことも彼にとっては簡単で、天性の柔軟性とジャンプの才能によって、彼はもっと大きな子供達でも出来ないエレメントをリンクで実施していた。

10歳の時、結弦は全日本ノービスに出場して初優勝した。
これが若きスケーターの競技人生の始まりだった。

 

2010–2011年シーズン

結弦はジュニアの大会に出場しており、2010年に世界ジュニア選手権で金メダルを獲得した。写真中央が羽生結弦。

少年は16歳でシニアに上がり、4位に入ったNHK杯で華々しくシニアデビューを飾った。続くロシア大会はそれほど素晴らしい演技は出来ず、7位に終わった。

しかし、2011年にロシアで開催されたロステレコム杯では表彰台の一番高い場所に上った。

練習が困難だったにもかかわらず、羽生はシニア初シーズンを堂々たる成績で終えた。

彼の人生には多くの困難な状況があり、数多くの逆境を経験しなければならなかった。

喘息とは何か誰もが知っているわけではないだろう。

少年は幼い頃からこの病を患っており、時には演技の後、呼吸を整えるのが困難になることもある。

 

2011年に起こった地震で彼の町は被災した。

地震が起こった時、結弦はアイスリンクで練習中だった。

リンクが揺れ始め、氷に亀裂が入り、壁が崩壊し始めた。

彼は大急ぎで建物の外に逃れたことを覚えてる。

この時、屋根は氷の上に崩れ落ちようとしていた。
多くの人の運命を一変させた恐ろしい悲劇だった。

新シーズンに向けて準備するために、彼は別の町で練習しなければならなかった。

ソチ・オリンピック

飽和状態だった2012-2013年シーズンは羽生に2つの金メダルをもたらした。

2014年のソチ・オリンピック、年若いスケーターはその演技で観客とジャッジに勝利した。

羽生結弦は切望していたオリンピック金メダルを勝ち取ったのだ。

そしてこれは驚くことではなかった。完成度という点において、ただ単に彼のパフォーマンスが規格外だっただけだ。

 

ジャーナリストの質問:

「これは凄い偉業ですが、この勝利はあなたにとってどんな意味がありますか?」

羽生はこう答えた:

「本当に信じられない勝利です。この先ずっと自分はオリンピックチャンピオンになったことを心得ることになるでしょう。このメダルは僕の母国、僕の日本に捧げます。

3年前、僕達は悲劇に見舞われました。津波を引き起こした震災は、家屋だけでなく、人間の運命も破壊しました。亡くなった全ての方々とその家族に金メダルを捧げます。これは皆さんのためのメダルです」

結弦は金メダルに相応しかった。エフゲニー・プルシェンコが怪我で棄権したことは関係ない。パトリック・チャンを含む強力なライバル達はメダルを賭けて闘った。

日本の世界選手権で結弦はもう一つの「金メダル」を獲得した。

翌シーズンは6分間練習中に大怪我を負うという雲行きの怪しいスタートとなった。更に尿膜管の問題で外科手術を受けることになった。手術は成功したものの、これにより羽生結弦は安静を強いられることになった。怪我と手術が原因で、彼にとってこのシーズンの最後はあまり喜ばしい結果ではなかった。

 

平昌オリンピックへの準備

2015-2016年シーズンが開始する。

カナダの大会、オータムクラシックインターナショナルで金メダル。グランプリファイナルでも金メダルを獲得する。その後、少し調子を落とし、悔しいミスがあって世界選手権で銀メダルだったは残念だった。

 

同年、羽生結弦は試合で4ループを投入し始めた。

2017年、世界選手権で自らが持つフリープログラムの世界最高得点を塗り替えて優勝を飾った。

怪我はしばしば選手達を悩ませる。

2017年11月、羽生は足首を負傷すした。回復に非常に長い時間を要し、全日本も欠場することになったが、羽生は平昌オリンピック出場の望みを捨てなかった。

そして、全てが結弦が予見していた通りになった。

2度目のオリンピック金メダルに輝いたのだ。

 

羽生結弦の私生活

結弦の私生活と競技人生は常にメディアの注目の的である。

インタビューの中で、彼は自分のやりたいこと、自分の人生で何が起こっているかを語っている。

ゆっくり休養し、数か月間、練習をしないで過ごすことを受け入れられるかという質問に対し、羽生はこう答えている:

「自分のやっていることが好きです。進化し、それによって結果を得るのが好きです」

フィギュアスケートに従事する彼は、日本の大学で人間科学を学び、学士号を取る。しかし今のところ、彼の主要な目的は、無比のリーダーとして、ライバル達のミスに頼らず、自分のプログラムに与えられる得点だけで圧倒的に勝つことだ。将来的にコーチになることも示唆している。

 

アスリートの私生活については確かなことは何も知られていない。メディアが羽生の私生活について色々書くのは驚くことではないが、全て噂や憶測で信憑性はない。

この青年はまだ25歳だが、既にこれほど重要なレベルに到達している。

この先ずっと長い間、世界は彼について語り続けるだろう。

 

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☆Informazioni Utili(有益な情報)というタイトルの通り、フィットネスや特定の筋肉の鍛え方、スポーツ栄養、ダイエットなど、スポーツと健康に関する有益な情報を提供するブログのようですが、世界の歴代トップアスリートに関する記事も時々投稿しています。

しかし、「腹筋トレーニングマシンのレビュー、お勧め情報」、「短期間でボディを引き締めるための効果的で機能的なプログラムと食事」、「胸筋を伸ばす方法。エクササイズとヒント」なんて記事に混じって「羽生結弦 – 神のようなスケーター」のタイトルのインパクト!😂

しかも、2020年の元旦に投稿されています。

 

腹筋と言えば、シチズンの羽生君メッセージ動画の効果で「プランク」がちょっとしたブームになっていましたね。

ピラティスでよくやる姿勢ですが、名前が「プランク」とは知りませんでした。

片足を高く上げたり、横向きで片手を上方に伸ばしたりするバリエーションもあります。

中国のファンの間ではプランク選手権まで行われたとか!

優勝者は40分ってマジですか???と思ったら、男性だったんですね。それにしても凄い!

私はパスタを茹でている時間を活用してよくやります。太めのスパゲッティで11分😌

 

話が逸れましたが、羽生結弦=フィギュアスケートの神(Dioまたはdivinità)と言う表現はイタリアのメディアもよく使っています。

イタリアでこのような称号が定着しているスケーターというと、プルシェンコのZar(皇帝)、キムヨナのRegina(女王)ですが、羽生君はGOAT、Alieno(エイリアン)、Re(王)、Extraterrestre(地球外生命体)、Dio(神)と称号やあだ名がやたらに多い。

一時期無双で世界選手権を三連覇したパトリックやクワドを5本も6本も跳ぶネイサンが王とかエイリアンと形容されたことはないですし、2シーズン無双だったメドちゃんやスーパースラムを達成したアリーナも女王とは呼ばれませんでしたから、たくさん勝てばいいという訳ではないようです。

羽生君の場合、エイリアンが一番定着していますが、五輪二連覇後は「フィギュアスケートの神」もよく言われるようになりました。

当然ですが、他のチャンピオン達とは別格という扱いです。

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち