L’ALTRO GIAPPONE「トータルパッケージ~羽生結弦に捧ぐ」翻訳書き起こし

先日公開された動画「トータルパッケージ~羽生結弦に捧ぐ」の内容を文章で読みたい方のために、全文の書き起こしを掲載します。

動画はこちら↓
L’ ALTRO GIAPPONE 2021 | THE TOTAL PACKAGE:TRIBUTE TO YUZURU HANYŪ, con Massimiliano AMBESI (EN/日本語) – YouTube

☆原稿もメモもなく、ひたする喋り倒すマッシさんを是非ご覧ください。

製作
L’ALTRO GIAPPONE

協力
ナポリ国立考古学博物館

講演
マッシミリアーノ・アンべージ(M)
(冬季競技アナリスト/ジャーナリスト、ユーロスポーツ解説者)

イントロダクション
バルバラ・ワシンプス(B)
(L’Atro Giappone芸術監督)

寄稿ビデオ
キアーラ・ギディーニ(C)
(ナポリ東洋大学「東アジアの宗教及び哲学」学科教授)

寄稿
カーティア・チェントンツェ(K)
(ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学アジア研究学部教授、早稲田大学講師、舞台芸術研究者)

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B:これまでに何度も述べたように、このフェスティバルは東北の三重苦(地震、津波、放射線)の災害、東日本大震災10周年に捧げられています。
とりわけ人類が世界レベルのパンデミックという状況に直面している今、地球の未来は不確かに思われます。だからこそ、私達はイベント全体を通して、何よりもまず『人間と自然の関係』というテーマを中心に据えるべきだと感じました。
これを行うために私達は2011に被災地で起こったことを回想しながら、層化していこうという考えから始めました。被災地の大地は、今も遺品や遺体を返還し続けています。

それから私達はあらゆる形での震災の記憶に取り組みました。
このコンテクスト、いわゆる記憶のコンテクストにおいて、私の思い入れの強い記憶ですが、坂本龍一は言いました「日本の文化では、神はあらゆる場所に存在すると信じられている。山に、樹木に、岩に、親しみのあるロボットやハローキティにも。つまり、アニミズム(精霊信仰)という意味において、この悲劇は我々が自然を傷つけたことを意味しているのだ」彼は2011年にこう言っていました。今朝、私達は坂本龍一の素晴らしいドキュメンタリー、ステファン・ノムラ・シーブル監督の「Sakamoto:CODA」を見ました。

2012年、園子温も私達のフェスティバルで上映した映画『希望の国』で力強く言っています。
「我々はもう一度あの日に戻る勇気を持たなければならない。もしもう一度体験すれば、我々が共存を強いられている放射線という現実の意味が理解出来るかもしれない」と。
そして今、私達は何について話そうとしているのでしょうか?
このようなコンテキストにおいて今日、羽生結弦を語ることは、まさに「パーフェクト・ストーム」と定義することが出来ます。

羽生は現役のオリンピックチャンピオンです。彼の軌跡、彼のストーリー、彼は成し遂げた数々の例を語るのにこれほど適切なタイミングはありませんでした。
何故なら今、私達は2つのオリンピック大会の間にいるからです。
2月には、羽生が出場するかもしれない北京2022が開催される予定です。

そして東京2020が閉幕したばかりでもあります。
復興五輪と言う大義名分で誕生したオリンピックでしたが、現実にはパンデミックに抵抗する五輪となりました。日本人にとってはとても複雑で困難な時期となりました。
私の意見では、東北で起きたことに対する追悼のひと時を設けるべきでした。とりわけ開会式と閉会式では。

開会式に羽生結弦がいなかったことは、巨大な不在として注目されました。
彼の不在にとりわけ反応したのは、誰だと思いますか?中国人です。
オリンピック開会式の開催中、Weiboでは「何故、羽生結弦がいないの?」「何故、彼にインタビューしなかったの?」「何故、彼が最終聖火ランナーじゃないの?」「何故、仙台にまつわる演目がないの?」というトレンドトピックの表示数が1億6千万回に上りました。仙台で生まれ、練習中に倒壊したホームリンクから生き延びた彼が何故いないのかと

従って、比類のない才能に加え、ストイックな決意と、超人間的な努力によって人がどこまで到達できるかの証として、羽生のストーリー以外考えられませんでした。

ですから、私は個人的に、日本を語るこのようなコンテクストでは、日本の芸術遺産を豊かにしている偉大なアスリートにオマージュを捧げるべきだと思いました。そして彼は母国の文化を運んでくる大使でもあるのです。
しかし、よく新聞で見かけるような、人気現象について語るのではありません。

外国特派員クラブのピーター・ランガンは、2018年平昌五輪後に行われた羽生結弦の会見の冒頭で、彼に注目している私達全員にとって非常に印象的なことを言いました。
彼はフィギュアスケート専門のジャーナリストではありません。
普通のジャーナリストなら誰でもそうですが、次から次への飛び込んでくるフェイクニュース、事実の捏造、真実の改ざんにまみれて1年を過ごした後、彼はオリンピックでの羽生の演技を見て衝撃を受けました。
そして自分自身に向かってこう言ったのです。「これが真実だ」と
彼は続けます。「多くの真実、美、芸術があった。これはAntidote (解毒剤)だ。このレベルの卓越への到達を求め続ける彼の渇望はAntidote、すなわち真実である」

こうなると、自然に解毒剤や治療としての「美」について語りたくなります。
10年前に起きた大惨事や現在のパンデミックのような状況において、芸術は文化資産であり、美は人間の資産なのです。

これがフェスティバルをジョルジョ・アミトラーノ教授によってプレゼンテーションされた歌舞伎役者、坂東玉三郎にスポットを当てたスペシャルイベントで開幕した理由です。ダニエル・シュミット監督の映画「書かれた顔」です。
坂東玉三郎と羽生結弦の人物像には想像以上に共通点があるのです。
2人のパフォーマンスの分野がこれほど違うにも拘わらず。
坂東玉三郎は言葉は二次的なものだと言っています。動作は沸き上がるもので、自分の心にあるものが形になるのです。

羽生結弦は何度も言っています。自分が表現したいものは、まず氷上における自らの身体の動作によって到達されると。
どちらも卓越の域に達するには、幼少の頃から習い始めなければならず、ストイックな修練と犠牲を必要とします。しばしば出発点におけるある意味でのハンデにも拘わらず。玉三郎は片足に先天的な問題があったと語っています。つまり舞踏家として出発点では決して恵まれていた訳ではありません。また、女形を演じるには背が高過ぎました。
坂東玉三郎は歌舞伎史において最も著名な女形であり、女形とは女性の役を演じる男優のことです。彼は伝統的な女形にしては身長が高過ぎました。しかし彼は身体表現を追求し続け、若い頃の彼を見た三島由紀夫が予言したように、最も偉大な女形になったのです。

羽生結弦は幼いことから重い喘息を患っていました。しかし、このことは勝つために戦い、自分自身を超えたいという彼のモチベーションに拍車をかけただけでした。今夜のゲストが、結弦が僅か17歳の時、あるいは、おそらくもっと早い時期から予言していたように。
今夜は17歳の彼についての証言を聴くことが出来ます。
歌舞伎同様、フィギュアスケートについて話す時、ショーとは一線を画した芸術について話しています。ショーは純粋な芸術の終点ではないからです。

天性の才能を磨き上げるための彼の包括的な軌跡は、常に努力、断固たる意志、完璧の追求を伴ってきました。この意味において、羽生結弦の『フィギュアスケート道』と定義出来たら素敵ですが、フィギュアスケートは西洋のスポーツですから、東洋の修行のように~道(どう)を付けることは出来ません。しかし、数人かの日本の友人と話して『羽生道』、つまり「羽生のフィギュアスケート道」と定義出来るのではないかという結論に達しました。

何よりも羽生結弦はこの競技の偉大な研究者でもあります。早稲田大学人間情報科学科における彼の卒業論文が証明しているように。論文は、研究によって開発されたセンサーを通して、スケーターの技術の向上だけでなく、将来的により試合における公正な評価に役立てるという目的で、モーションキャプチャー技術の適用に焦点を当てています。

羽生結弦は日本文化の最高の提唱者でもあり、自分のプログラムに日本文化のより意義深い要素を取り入れていますが、それだけではありません。
真っ先に思い浮かぶのはSEIMEIです。彼のキャリアの中で何度も戻ってきたプログラムで、2001年の滝田洋二郎監督の映画の音楽を使っています。非常に有名な狂言師で俳優である野村萬斎(この映画でブルーリボン賞を受賞しました)と真田広之が出演しました。
安倍晴明は陰陽師です。11世紀頃に活躍した天文学者であり、現在なら魔術師と呼ばれるような人物でしたが、日本の民間伝承の人物になりました。
結弦はまさにこの映画からスタートし、梅林茂作曲のサウンドトラックを使用しています。映画ファンの間では有名な偉大な作曲家で、ウォン・カーウァイの「花様年華」とトム・フォードの「シングルマン」の楽曲も担当しました。
結弦は野村自身から、幾つかのポーズをより適切な、文献学的により正しい形に修正してもらい、プログラムを完成させて行きました。そしてある段階なら、キャラクターについて彼が行った内面的追求によって、完全に彼自身になったことが分かります。更に彼は音響技師になり、原曲の編曲家になり、パフォーマンスを豊かに飾るために、楽器の音を追加し、修正し、完璧に仕上げました。
パフォーマンス要素の中には、非常に有名な振付師シェイリーン・ボーンが4本の手、または4本の脚を駆使して作り上げた振付を通して、日本の観客が一目で分かるジャスチャーが組み込まれました。これらにフィギュアスケートの技術を超えた非常に精密で複雑な要素が統合されます。
しかし同時に、西洋のクラシックバレエの世界から直接やってきた要素でもあります。

つまりアーティスト結弦はあらゆる次元で話すのです。複数の身体表現を同時に使用しながら、絶対的熟練によって全てを支配しているのです。
この意味で究極に達した例を時系列に挙げると、
私達がこれ以上はないだろう思う度に、このアーティストは更にその上を行くのです。
最近も2020年年末に「天と地と」というプログラムでこのようなことが起こりました。
日本のテレビドラマ、大河ドラマの主題曲を使ったプログラムでした。
大河ドラマとは1年間続くNHKの連続ドラマです。羽生結弦は戦国時代が舞台のこのドラマに登場する大名で、優れた軍師であった上杉謙信の人物像を再現し、2016年に亡くなった日本を代表する電子音楽作家、冨田勲の原曲を選びました。とりわけ彼の編曲により、東京2020開幕式終盤のピースが含まれています。
羽生に注目している私達にとって、彼はフェノメノ(超常現象)です。フェノメノという言葉だけで既に鳥肌を覚えますが、彼は実在するフェノメノであり、彼の影響と効果は無視することは出来ません。

羽生結弦は地球全体のスターであり、数年前のオリンピックチャンネルの会見では幹部達が、羽生結弦はオリンピックチャンネルの議論の余地のないスターであると認めています。
羽生のようなアスリートが起こす社会現象は新造語を生み出します。現在、ハニューエコノミーという言葉がありますが、とりわけ、彼が常に仙台と宮城県の被災者達に捧げてきた博愛精神に満ちた持続的な献身の一貫として、彼はオリンピックの賞金を始め、無数のチャリティ活動によって得た収入を何年間も寄付し続けています。

それだけではありません。仙台市と宮城県だけでなく、彼が練習しているアイスリンク仙台にも恩返しを続けています。オープニングの映像でお見せしたように、このリンクは2011年3月11年の地震で被害に遭いました。

ポジティブな意味での「羽生現象」は心の内にある親日家の新世代を生み出しました。他のジャンルのアジアンスターによって起こる現象に少し似ていますが、若者達またはそれほど若くない人々が日本語や日本文化の勉強を始め、同時に大衆向けのステレオタイプに捉われないようにします。何故なら、すぐに理解出来る、分かりやすいキャラクターは、通常アニメのキャラクターや芸能人を偶像化する人達によって作り上げられた大衆向けのステレオタイプに過ぎないからです。このようなステレオタイプは羽生とは何の関係もありません。
しかも、彼の巨大な影響力は日本国内に留まらず、何度も言いますが、地球レベルなのです。
ソーシャルを一切やっていないにも拘わらず。
羽生結弦は一切発信せず、公式の発言以外、一切発言しないのです。
自国の大衆と全く交流することなく、これほどその一挙一動が注目されている日本人は他に誰も思い浮かびません。
何故なら、羽生はある種の修行僧に近い人物で、有害な過度の露出を避けているからです。実際、露出オーバーになる度に、羽生結弦が損害を被ることがしばしば起こるからです。

それでは氷と雪の競技について世界最高の専門家の一人であり、特にフィギュアスケートに関しては道しるべとなる北極星のような存在
皆さんもご存じのユーロスポーツのアナリスト
皆さん
マッシミリアーノ・アンべージをご紹介します。

M:この場にいることを嬉しく思います。
何故ならスポーツがある意味で文化になりつつあることを意味しているからです。

フィギュアスケートの世界を詳しく知らない人に、羽生結弦はどういう存在なのかとよく訊かれます。
答えるのは容易ではありません。
私が思うに、歴史上、宗教上、音楽界、映画界には2つの時代の分水界(分岐点)となった人物が多く存在しました。何故なら彼らの偉業や作品が、彼らが活躍する分野の概念を変えたからです。羽生結弦は一言で言うとフィギュアスケートの2つの時代の分水界です。
彼以前のフィギュアスケートと彼が現役中のフィギュアスケート、そして彼の現役後のフィギュアスケートがやがてやってくるでしょう。
しかし彼の現役中に起こったあらゆることによって、彼が引退した後、フィギュアスケートは変わるでしょう。
何故なら15年間のフィギュアスケートで彼は決して消えることのない痕跡を残したからです。
オリンピック4周期です。
確かに彼がオリンピックに出場したのは2度です。
3度目のオリンピックに出場してくれることを願い、祈りましょう。
しかし、彼はバンクーバー五輪までの4年間に国際レベルの競技活動を開始しました。
ジュニア世界チャンピオンになるという明確な目標を持って。
2010年に彼はこの目標を達成しました。それも月並みの勝利ではありません。この件については後ほど話しましょう。

皆さんはタイトルを見ましたか?
「トータルパッケージ」とは?
私の解説を聴いてくれている人は知っていると思いますが、私は英語を使うのをあまり好みません。
フィギュアスケート用語の原語は全て英語ですが、イタリアの視聴者の皆さんに向かって話す時は、常にイタリア語の用語を使った方がいいでしょう。
本来なら「Pacchetto Completo」(トータルパッケージのイタリア語)と命名すべきでしたが、それではまるでツアーオペレーターのメッセージのようです。
ですから、我々の国内だけに留まらない選択をしました。
それにフィギュアスケートは世界レベルの競技です。
それで我々はこの「トータルパッケージ」というタイトルが気に入りました。
何故なら、根本的に羽生がトータルパッケージだからです。
しかし、彼はただのアスリート、またはスケーターがそうあるべきであるトータルパッケージではありません。人間としても
このテーマについても掘り下げる時間があることを願っています。

それでは私が初めて羽生を見た時にまつわる幾つかの秘話をお話しましょう。
おそらくこの出会いは偶然の賜物でした。
私はスケートから逃れるためにトレンティーノ地方に来ていました。
2008年9月初めのことです。
アルト・アーディジェ地方のメラーノでジュニアのグランプリ大会が行われていました。
フィギュアスケートのジュニアグランプリは非常に重要な大会の一つです。私にとっては断トツで興味深い試合です。
そこで私は「それなら、この「脱線」を2~3日延ばしてメラーノで何が起こるか見に行ってみるか」という気になったのです。
私がメラーノに赴いた理由は、主に2つのことに興味があったからです。
1つ目はチェコのスケーターでした。既に成人でそれなりに認知されており、彼を褒める意見を耳にしていました。
もう一つは、日本の13歳の少年でした。
彼の噂は遠方から聞こえてきましたが、実際に見たことはありませんでした。
日本のような国で、僅か13歳でグランプリ大会にアサインされたということに驚きました。
考慮してもらいたいのは、ジュニアグランプリは13歳から19歳までの選手に出場資格があるということです。
つまり、思春期の少年から既に身体が出来上がった選手まででです。
通常、日本は選手層が厚く、もっと年長のジュニア選手が大勢いるのです。女子も男子も同じ状況でした。
このような国で13歳の子供がこれほど重要な大会にアサインされたことに衝撃を受け、私は主に公式練習を見るためにメラーノに行ったのです。
何故かというと、私の意見ではジュニアの大会でより興味深いのは、試合は勿論ですが、その前の練習だからです。
練習中の少年を見れば、多くのことが分かるからです。

そして、この日本の子供がいるグループがやってきてそれからリンクに入りました。
彼はとても華奢で、おそらく13歳より幼く見えました。12月に14歳になるはずでした。
リンクを2周し、何度か方向転換を行い、何度がダッシュし、何度か沈み込み、
突如、何もないところからアウトサイドエッジのイーグルからフェンス程の高さのある2アクセル!
私は両腕を広げ、「この代物は一体何だい?!」と自問自答しました。
そして周りを見渡しましたが、客席は閑散としていて見学しているのは数人でした。
私の表情はずっと生き生きと輝き出し、この瞬間からある種の共感が生まれました。
そして、私は練習を最後まで見ることになったのです。
リンクには他の少年達も練習していましたが、興味はありませんでした。
何故なら、この少年の何もないところから実施出来る能力に衝撃を受けたからです。
彼は既に質の高いスケーティングスキルを持っていました。
私はこのような身体つきの華奢な少年からこれほど滑らかなスケーティングを期待していませんでした。
しかし、少年にはスケーティングの能力があり、スケート靴と仲良しでした。
当時はなかなか見かけられないようなスケーティングでした。

私の意見では、2010年バンクーバー五輪までの4年間は、男子シングルのレベルが最も低下した周期でした。芸術的にも技術的にも見どころはほどんどありませんでした。
フィギュアスケートをこれまでとは異なる方法で解釈する13歳の少年に出会ったことに私は感動しました。

フィギュアスケートを異なる方法で解釈するとはどういう意味か?
説明しましょう。
彼はこの練習で多くのエレメントを実施していました。
公の場で初めて3アクセルに挑戦しました。それから約1か月後、彼は試合で初めて3アクセルを成功させるのです。国内大会でした。
そしてこのエレメントを挑戦しながら、何度も激しく転倒していました。
見ていて恐ろしくなるような転倒です。
皆さんの中でトリノに行った方は、彼が4アクセルに挑戦中、何度も同じように転倒していたのを見たでしょう。これはまた別の映画です。
しかし、彼は転倒の後、常にすぐに立ち上がりました。
何よりもその場にいた、全員彼より年上の他のスケーター達との違いは、彼のジャンプは5-6秒の助走の後に生まれてくるのではありません。
何の準備もなく実施されるジャンプなのです。時には簡単なトランジションから。
いずれにしても、常にジャンプの前後に何かを入れているのです。
このことは私に衝撃を与えました。
当時、このようなフィギュアスケートのコンセプトを持っていることに。

当時のシニアの男子スケーターを思い出してみて下さい。
ブライアン・ジュベール、エフゲニー・プルシェンコ
羽生からどれほど離れているでしょうか?
確かに羽生はいつもプルシェンコが憧れだと発言しています。
彼が勝ち取ったタイトルを考えればそうあるべきでしょう。
しかし、私の意見では、氷上において羽生から数光年離れているスケーターと言えばプルシェンコなのです。
それを理解するにはあるゲームをやってみて下さい。
2人のスケーターの上半身は見ず、膝から下の動きだけに注目して下さい。
つまり足で行っていることです。
一方は高いポテンシャルを持つダンサーでスケーター、すなわち羽生。
もう一方はスケーター、つまりプルシェンコです。
驚異的な違いです。

とにかく、この日本の少年は鮮烈な印象を与える3つの側面において私に衝撃を与えました。
一つ目、彼はずっと自分自身に話しかけていました。ジャンプの後、転倒の後、彼は自分のやるべきことを手のジェスチャーで真似ながら、自分自身に話しかけ、修正し、まるでアニメのようでした。これもかなり異例なことでした。
私は浅田真央のようなレベルのアスリートを生で見たことがあります。当時彼女も小さな少女でしたが、彼女はこのようなアプローチは行っていませんでした。非常に超然としたアプローチです。

次に私に衝撃を与えたことは、ジャンプは彼の友達だということです。
運動競技のジェスチャーとしてのジャンプではなく、まるでコミュニケーション手段として挿入されたジャンプなのです。
我々がいつも見ているジャンプとは、真逆のジャンプでした。

3つ目は、どんな酷い転倒の後でも常に再び立ち上がることが出来る能力でした。
当時、彼はコンビネーションのファーストジャンプに3Tを付けることに苦戦していました。
フリップとサルコウに付けようとしていました。
サルコウの方が少し良かったです。
フリップではまさに悪戦苦闘でした。
当時の結弦のフリップは酷いものでした。
つまりあまりフリップらしくなく、踏切りのエッジはインサイドではありませんでした。
実際、試合ではエッジで減点されることが何度もありました。
しかし、彼は戦い続けていました。
転倒しては立ち上がり、転倒しては立ち上がり。つまり、彼のキャラクターは私に衝撃を与えたのです。

☆マッシミリアーノさんの心を一瞬にして鷲掴みにした当時13歳の結弦少年

それから僅かの間、1年半程の間に彼はジュニアで獲得可能な全てのタイトルを獲得しました。
この年、2010年には彼はオリンピックにまだ出場出来る年齢に達していませんでした。

世界ジュニア選手権における勝利は歴史的な出来事でした。
2010年3月のことです。
何故ならこの勝利からフィギュアスケート・シングル部門における日本の前例のない完勝へと繋がっていったからです。
羽生はオランダでジュニアの世界タイトルを獲得しました。
彼はこの大会の優勝候補で、グランプリファイナルと全日本ジュニアでも優勝していました。
ここで彼のキャリアにおける最初のスラムを達成しました。このスラムについては後で再びお話します。
そしてこのスラムの完遂についても後に触れましょう。
翌日、村上佳菜子が女子ジュニアの世界タイトルを勝ち取りました。
その3週間後のトリノで、日本は浅田真央が女子の世界タイトル、高橋大輔が男子のタイトルを獲得しました。
フィギュアスケート史上、1つの国がシニアとジュニアでシングルの世界タイトル4つを獲得出来たのは、大昔にロシアが一度成し遂げただけでした。
そして、現在の状況を見渡す限り、おそらくこのような大勝利を成し遂げられる国は当分出てこないでしょう。
羽生の勝利から始まった大勝利でした。
そして羽生は4人の中で東日本出身の唯一のスケーターでした。
彼の出身地はフィギュアスケートがそれほど盛んな地域ではありませんでした。
この勝利には大きな意味がありました。何故なら彼は他のスケーター達に比べて少し不利な地域の出身だったからです。
日本では練習リンクが簡単に見つかると思わないで下さい。
日本のスケーターにとって練習するのは簡単なことではありません。
この点ではイタリアと同じです。
ただ、野心や規模という点において全く違いますが
しかし、決してリンクに恵まれている訳ではないのです。
ロシアとは違います。
何よりも、フィギュアスケートが健康な唯一の国です。何故なら、他の国々では昏睡状態だからです。
つまり国際舞台における結弦の非常に重要な勝利から、日本の世界タイトル完勝が始まったのです。
このことも、私にとってはこれから起こることの前兆でした。

もし羽生の偉大さを説明しなければならないとしたら、私は窮地に陥るでしょう。
何故なら、おそらく形容詞はずっと以前に尽きてしまっているからです。
しかし、ここで言葉こそ少なくても、彼が氷上で何か出来るのかを皆さんに理解してもらうための幾つかの例をご紹介したいと思います。
私達はあらゆる練習と試合をスマートフォンで撮影出来る時代に生きています。
私は非常にハイレベルなリンクで、小さな少女達が練習中、何度もフェンスに近づき、スマホを確認し、また滑り始める光景を見たことがあります。
一言で言うと、他のスケーターを模倣するのが当たり前に基本となっている時代なのです。

2011年9月、つまり日本を襲った津波を伴う大地震の数か月後です。
羽生は試合のリンクに戻ってきました。
オーベルストドルフのネーベルホルン杯です。
スケートファンに良く知られている大会です。
ショートプログラム
彼はショートプログラムに初めて4トゥループを投入しました。
2つ目のジャンプは3アクセル。
この3アクセルはバックカウンターから実施されました。

バックカウンターがどういうものなのか理解してもらうために、サッカーで例えてみましょう。
おそらくここにいる皆さんのほとんどが、フィギュアスケートより良く知っているスポーツです。
技術的ジェスチャーの難度と言う点において、例えばペナルティエリアの半円で一方の足をもう一方の足の後ろから回しながらシュートするようなものです。
あれから10年が経ちました(数週間前に10周年を迎えました)。そしてこの10年の間にこのようなことに挑戦したスケーターは彼以外では一人だけです。
このことは羽生が如何に偉大かを示しています。

☆ネーベルホルン杯ショートプログラム

彼はかなり早い段階から他のスケーター達とは異なる言語を話し始めました。
しかし、あまりにも難しい言語だったため、誰も真似することが出来ませんでした。

羽生の全日本初優勝にまつわる興味深い逸話をご紹介しましょう。
この時は、私はミラノ中心、ロンバルディア中心の歴史あるアイスリンクにいました。
彼がフリーを滑っている時、ちょうどミラノのリンクではペアが練習していました。
私の20メートル先でステファニア・ベルトン/オンドレイ・ホタレックが3ループのスロージャンプを決めました。彼らがずっと苦戦していたエレメントでした。
その瞬間、私は跳び上がってガッツポーズをしました。
周りの人達は私を見ましたが、実はこの時、私はイタリアのペアを全く見ていませんでした。
私は自分のコンピューターで全日本選手権の男子フリーを見ていたのです。
結弦が日本国内のこの大会で初めて優勝したのです。
驚異的な圧巻のプログラムでした。
私は走ってアイスリンク内のカフェに行き、そこでイタリア人のコーチに会いました。
今ではイタリアの有力コーチですが、当時は経験を積んでいる最中でした。
名前を言ってもいいでしょう。ロレンツォ・マグリです。
私は羽生がやったのけたことを彼に語りました。
すると彼は静かにこう言いました。
「ISUはやがてルールを完全に変え、この少年がこれからやることに応じて書き直す羽目になるだろう」
当時の彼は国際レベルではまだ何も勝っていなかったにも拘らず。
これが羽生結弦なのです。
確かに重要な大会で表彰台に乗っていましたが、彼の軌跡は始まったばかりでした。
しかし、専門家は彼の軌跡が何処に到達するのか、既に見抜いていたのです。

☆2012年全日本選手権フリー

私が「技術的万能が芸術的卓越と融合する」と言う時、間違いなく、大袈裟な表現ですが,
最終的にこれが彼なのです。
そしてバルバラがイントロダクションで言っていたように、彼が引退する日、フィギュアスケート界に何が起きるのか私には分かりません。
この8-9年間、私達が見てきた全ては、彼と彼がやることに由来していました。
ライバル達は、常に結弦が氷上に持ち込む内容を参考に戦略を立てました。
技術レベルではクローンが幾つ存在すると思いますか?
そしてその選手が彼を真似たそのエレメントをどう実施するかは別の問題です。
3アクセルの例は先ほどお話しました。
大量にあります。全て彼が起源なのです。

問題は何でしょうか
善良なマグリ氏は羽生がやることをベースにルールを改正すべきだと言いました。
問題はこのルールは変更されなかったことです。
細かい修正は幾つかありました。
しかし、フィギュアスケートの本来の意味が失われてしまいました。

バルバラはイントロダクションで結弦の論文について言及しました。
私はこの論文の中に、私が読むことの出来た部分についでですが、多くの苦悩を見出しました。
私には彼の警告の叫びが見え、そして感じられるのです。
これは彼からの提案なのです。
「このフィギュアスケートを救おうではありませんか」という提案なのです。
何故なら、我々は皆フィギュアスケートが大好きで、皆フィギュアスケートに思い入れがあり、皆がフィギュアスケートが全ての大陸で機能することを願っています。
救おうではありませんか!
つまりこれは間違いなく重要な作品でした。
何故なら史上最高のスケーターがどうすればフィギュアスケートを改善出来るかについて論文を執筆する決意をしたからです。
例えば、メッシが(彼は大学に行っていないという問題もありますが)、サッカーのルールを改善する方法について書いた論文を見ることは決してないでしょう。
サッカーとはこういうものだからと気にもしないでしょう。
羽生は2014年に引退することも出来ました。
彼なら何処もかしこも金塊で埋め尽くしたでしょう。
しかし、彼は現役を続け、彼のスポーツを救おうとしているのです。
私が思うに、現時点では彼のメッセージは聞き届けられていません。
それなら・・・この講演は録画されていますよね?
ですから、ここで私達が話したことはいずれ拡散されるかもしれません。私はこの場を活用しますが、今後、私が使える別の機会も利用するつもりです。私にとって重要なこのメッセージを広めるために。

私達は皆、羽生は間もなく現役を終えると考えています。
イタリアでのオリンピックまで氷上で彼を見られるのが夢ですが、身体的に不可能だと私は思います。
このレベルのスケーターはオリンピック周期を何周期戦えるでしょうか?
ジュニア時代も含めれば5周期?
それなら・・・彼が競技に別れを告げる時が間もなくやって来るのなら
私はこのメッセージを発信したいです。

フィギュアスケートは羽生を必要としています。

羽生はこれまでの年月の中で、このスポーツのイルミナート(光明)であることを示しました。
フィギュアスケート界は他の誰でもなく羽生結弦によって運営されるべきです。
競技を仕切る派閥や政治は存在すべきではありません。
英語圏の界隈によって牛耳られるべきではありません。

羽生ならフィギュアスケートに対する人々の意見をポジティブにするための処方箋を見つけることが出来るでしょう。

ちなみに、お断りしておくと、私はよくネガティブな意見を口にする一人です。
「罪のない者が最初の石を投げなさい」と言うでしょう。
ツイッターを開くと、私はあらゆるタイプの批判ばかりを目にします。
私の批判も含めて。

ごく稀にポジティブな意見も見ますが、それは羽生の演技に関するものだったりするのです。
誰かが新しいジャンプを発明した、とかそういったコメントです。
しかしフィギュアスケートについてはネガティブな意見ばかりです。
何故か?
何故なら、立派な意図から生まれたはずのルールが(2002年ソルトレイクシティのスキャンダルの後に作成された有名なルールです)、悲しむべきことに、このルールは難破し、フィギュアスケートを構成する2つのコンポーネントを統合することが出来なくなってしまったからです。
技術面と、俗に言う芸術面のことです。

フィギュアスケート史上、羽生結弦ほどこの2つの異なるコンポーネントを見事に融合させたスケーターはいませんでした。
彼なら、フィギュアスケートが芸術面を取り戻すソリューションを見つけることが出来ると私は思います。視聴者のこの競技を見る目を変え、私達が陰謀や工作や誤ったジャッジングなどといったものを見なくて済むようになるソリューションを。

彼がテストしたテクノロジーの導入はこの意味で間違いなく特効薬になるでしょう。
何故なら、テクノロジーは人間の気ままな越権行為を排除するのに役立つことがあるからです。
テクノロジーはルッツかフリップかを簡単に判断することが出来ます
トゥを突いていない方の足のエッジの傾斜を見れば分かることです。
エレメントのコールはコンピューターにやらせればいいのです。担当のスペシャリストに任せるのではなく。
コンピューターとスペシャリスト、どちらが信頼出来ますか?
教えて下さい。
回転についても同じことが言えます。
2021年になるというのに、ジャンプの回転を計算できるシステムがない、などと言うことがあり得るでしょうか?
いいえ、あり得ません。
1度の角度の違いで得点が変わるようなスポーツでは特定のジャンプがどれだけ回転したか測定出来るテクノロジーが適用されるべきです。
人間の肉眼では無理です。何故なら私にとって回転不足のジャンプは、別のジャッジにとっては回り切ったジャンプかもしれないからです。見る人の目によって感じ方が変わるかもしれません。
この点についても、結弦はどのように改善するべきか道しるべを示したのです。

私は2018年オリンピックの勝利の後、羽生は引退すると確信していました。
何故ならこの時の彼は、全てに満足し切ったアスリートだと思ったからです。
しかし、そうではありませんでした。
彼は3つの理由から現役を続行したと私は思っています。

1つ目は翌年に彼の母国で世界選手権が開催されたこと。
ですから6年越しに母国で優勝したいと思ったのかもしれません。
この点において、彼の思い通りには行きませんでしたが、採点システムに関する論争が勃発しました。

2つ目の理由は4回転アクセルです。
彼はこのエレメントは試合で成功させた史上初のスケーターになりたいのです。
「成功させる」と言うのは正しい表現ではありません。
彼はプログラムの流れの中に4アクセルを組み込んだ、史上初の人間になりたいのです。
女子シングルの3アクセルでよく見られるような15秒間の助走の後にこのエレメントを実施する訳ではないのです。例えばトゥクタミシェワのように。
振付の中に組み込まれ、前後に何かがあるという意味なのです。
これは常軌を逸した難度の代物です。
このようなことが可能な人間がいるとしたら、彼だと私は思います。

彼が現役を続けた3つ目の理由は、これは私の意見で彼自身は一度も明言していませんが、
遠かれ早かれこのテーマを掘り下げることになると思います。
改正された採点システムを試してみたかったのではないかと思います。

皆さんもご存じのように2018年までは-3/+3でした。そして2018/2019年シーズン以降、-5/+5の11段階に変わりました。
それだけではなく、ジャンプやスピンの要件も正確に箇条書きされ、ジャッジの仕事はより楽になるはずでした。
しかし、嘆かわしいことに、この改正は本来の目的とは逆の結果をもたらしました。
つまり、ジャッジ達は混乱し、迷走しました。
ジャッジ達はGOEに6項目のプラス要件があるのを知っているはずですが、ジャンプを見る時、この6要件に基づいて判断していません。
気に入った=+5
気に入ったけれど少し疑問があり、偏向ジャッジと批判されたくない=+4
小さな欠陥があった=+3
と言う具合に点数が下がっていきます。

しかし、これでは採点システムとは言えません。
何か全く別のものです。
しかし、私はこれらがジャッジの責任だとは言いたくありません。
現代のジャッジにはフィギュアスケートのプログラムを審査するのは無理なのです。
何故なら見なければならないことがあまりにも多過ぎるからです。
4分間で12個のエレメントを評価することがどんなことが分かりますか?
しかも-5から+5の11段階でプラスとマイナスの全ての項目を考慮しながら、同時の5項目ある演技構成点も評価しなければならないのです。
従って、1つのジャンプ要素にフォーカスすることが出来ません。
更に、このプログラムの構造、コンポジションを把握し、トランジションを評価し、その選手のスケーティングスキル、つまりスケーティングの質を評価し、更に音楽の解釈、これも二次的な項目ではありません。
皆さんは1人のジャッジがこれら全てを評価出来ると思いますか?
手元のタッチスクリーンの複数のボタンを押しながら?
不可能です。
だからこそ、羽生は自身の論文でソリューションを与えようと試みたのです。
将来、別のフィギュアスケートを可能にするために
より評価の負担が少ない、そして視聴者にとって理解し易いフィギュアスケートにするために。
ジャンプが完全に回り切っていると分かれば、視聴者が順位について騒ぎ立てることはなくなるのです。
このジャンプはこの得点に相応しいから、その得点を持ち帰る。

ですから、羽生が現役を続けた理由は3つあると私は思うのです。
彼を2022年オリンピックで見ることが出来るかどうか私には分かりません。
あるいは彼はそのつもりかもしれません。
しかし、彼の目標は金メダルではありません。

2014年の後、この時点で引退することが出来たにも拘わらず、彼は現役を続けました。
彼はこのオリンピック金メダルに満足していなかったからです。
2014年のオリンピックを覚えていますか?
フリープログラムでは幾つかミスがありました。
この時点で彼はこの大会は勝てないと思っていました。
何故なら、その直後、この4年間、彼の因縁のライバルだったパトリック・チャンが滑ったからです。しかし、彼も結弦と同じようにミスを犯しました。大きなプレッシャーが掛かっていたからです。

結弦はこう言いました:「僕はオリンピックチャンピオンで、日本男子初のオリンピックチャンピオンになれたことを誇りに思います。でも僕のフィギュアスケートは別物で、自分がもっともっと進化出来ることを示すために現役を続けます」と。
それからの4年間、私の見方では羽生のライバルはフェルナンデスでもネイサン・チェンでも宇野昌磨でもありませんでした。彼のライバルは彼自身だったのです。
平昌までの4年間は彼にとって、自分自身への挑戦でした。
彼が2014年の金メダルに相応しかったこと、そして2018年にも同じように勝てることを証明するために。フリーで4種類の4回転ジャンプを実施して

そしてこの苦難の連続だった4年間、例えば中国杯における衝突事故です。
6分間練習中にハン・ヤンと激しく衝突したのです。
彼の計画では、平昌までに4種類の4回転を揃える予定でした。
最初から彼の意図を理解していたのは誰だと思いますか?
エフゲニー・プルシェンコです。
プルシェンコは2014年のオリンピックの後、日本に長期間滞在し、アイスショーに出演しました。
プルシェンコも2014年オリンピックで団体戦の金メダルを獲得しました。
ただし、団体戦のメダルはシングルとは別物ですが
彼はインタビューでこう言いました:
「見ていて下さい。彼は平昌で4本の4回転ジャンプを跳ぶつもりです」
ジャーナリスト達はどう解釈したでしょうか?
おそらく彼は4サルコウ2本、4トゥル―プ2本を跳ぶつもりだと思ったことでしょう。合計するとクワド4本です。
プルシェンコは実際には別のことを言いたかったのです。
「羽生は平昌で4種類の4回転ジャンプを跳ぶだろう」と

しかし残念なことに、それは叶いませんでした。
何故ならこの4年間、様々なアクシデントが次々と彼を襲ったからです。
実質、彼は2年失いました。
ハン・ヤンとの衝突で1年目を失いました。
従って、この年は前年の構成を維持せざるを得なくなりました。

その後、彼は遅れを挽回したように見えました。
何故ならヘルシンキのフリープログラムでは4ループを完璧に決めたからです。
詩を語れるような4サルコウ
4トゥループ
何か途方もないものでした。
この時の彼は4トゥループではなく4サルコウを2本入れていました。
この時は、全てが順調に進んでいるように見えました。
しかし、2017年11月に再び怪我をします。
何に挑戦して起きた怪我でしょうか?
彼の計画を締めくくる最後の4回転ジャンプ、あのルッツを回転し切れず転倒したのです。
ロステレコム杯で成功したジャンプで、2度目の挑戦でした。
少し格の低いカナダの大会、皆さんもよくご存じのオータムクラシックでも挑戦しましたが、3回転になりました。
そして2度目の挑戦では成功しました。
そして練習での出来事です。
彼は疲れていて、あまり体調がよくありませんでした。
熱があり、順応するのが困難な時差の影響も感じていました。
怪我が起こりやすい状況だったのです。

彼が怪我をした時、多くの人が羽生は平昌オリンピックには出場しないだろうと思いました。
実際、彼が氷上に戻ることが出来た時、11月のあの日から既に2か月が経過していました。
最初、リンクに戻り2アクセルを試しますが、跳べませんでした。ミスターアクセルにとって、ダブルアクセルが跳べないのは屈辱です。
彼に非常に近い人物、ジャンプに関するあらゆる知識を持つカナダ人のコーチ、ジスラン・ブリアンは、ダブルアクセルを跳べないのはトリプルに慣れているからだと彼に分からせました。そして、それから3アクセルで練習を再開し、オリンピックで勝つために必要な全てを追加しようとしました。
そう、彼は2018年のオリンピックで勝ちたいと思っていましたが
彼が思い描くジャンプ構成で勝ちたかったのです。
4種類の異なる4回転ジャンプで。
しかし、4ルッツを入れるのは不可能でした。
ループは必ずしも不可能ではありません。これについては後ほどお話します。

それで結弦はどうしたでしょうか?
「OK、4種類の異なる4回転を入れるのは無理だ。
でも僕はずっとオリンピックのフリーで4本のクワドを入れる考えだったのだから、クワド4本で行こう」
このことから羽生結弦がどういう人物なのか分かります。
彼は目標を定めるのです。
人生の歩みの中で、障害に阻まれることはよく起こります。
彼はこれらの障害を常に何らかの方法で超えてきました。
時には彼が好まない妥協する道を選んでも。

平昌のフリープログラムでは冒頭に4ループは跳ぶのはやめました。
何故でしょうか?
何故なら、彼は別の重要な目標を達成しなければならなかったからです。
冬季オリンピックで二連覇を達成した最初に日本人になることです。
ショートプログラムで首位に立った後、その演技は後でご覧頂きますが、フィギュアスケートのアンソロジーに入りました。
息が止まるような演技でした。
私が知っている羽生は間違いなくこのオリンピックの勝利、その勝ち方に大満足しているでしょう。2度オリンピックチャンピオンになったことに。
しかし、悔しさは残りました。
何故なら、彼は韓国のリンクに他のジャンプも持って行きたかったからです。

こうなると、彼の挑戦は北京に4アクセルを持っていくことではないかと思います。
彼を愛する観客の前で。
何故なら、私は羽生が日本よりも中国でより称賛されているという漠然とした印象を抱くことがよくあるからです。
ここは、イタリアだけでなく、国際レベルでも髙く評価されている非常にハイレベルな東洋学者達が集まる場です。
彼らはこの点に関する理由を説明出来るかもしれません。何故なら何らかの理由が隠されているはずだからです。私の印象が間違っているのかもしれませんが。
いずれにしても彼は中国で日本と同じように愛されているのです。
北京でこのエレメントを成功させたなら、最終結果に関係なく、彼の前人未到のキャリアは成就するでしょう。スケートに専心する選択をし、類稀な勝者となったオールラウンドのアーティストのキャリアです。

人間としての側面について話すなら、バルバラも言及していましたが、私は数字だけを挙げたいと思います。
スケーターは年間給与が1000万ユーロのサッカー選手ではありません。
サッカーとフィギュアスケートは全く別の世界です。
彼は彼の大地と人々を支援するためのプロモーターになりました。
時にはイベントに直接参加せず傍観者としての立場で。
彼はあの地震の後、スケートを辞めたいと思いました。家を失った大勢の人々を見てスケートをやっている場合ではないと思ったのです。
彼は無力感を覚え、彼の家族のように地震の被害にあった人々をどうやって助ければいいのか分かりませんでした。
そして長い内観の後で結論に達したのです。
「自分が地元の人々を助けられる唯一の方法は、スケートをすることだ。
自分のスケートと自分が企画出来る全ての慈善事業で日本を支援したい」と
そして彼は成し遂げました。

数字を見れば明白です。
10年経った今、彼が集めた資金は100万ユーロを超えています。
しばしば、彼は自分が行った慈善事業を公表すらしません。そして何年も後になって別の情報筋から公になることがあるのです。
そう、これが羽生結弦なのです。
彼はスター特有の自己顕示を好みません。
羽生の人気の秘密は、彼自身が全く人気を得ようとしていないからかもしれません。
人気は自然発生したのです。
何故なら彼ほど見ている私達の心に伝達出来るスケーターは誰もいないからです。全てのプログラムがメッセージを伝播します。
私達は氷上における彼のジェスチャーを外から鑑賞し、ある意味で彼と共に生きるのです
苦難の時期、多くの転倒、再び立ち上がる力、彼がシリンダーから常軌を逸したエレメントを引き出した幾つかの瞬間における勇気を私達は彼と共に生きているのです。

これらのエレメントの意味についてはお話していませんでした。
別の例を挙げましょう。
4トゥループ/3アクセルのシークエンスジャンプを覚えていますか?
それほど前のことではありません。
私はフィギュアスケートの専門家として、彼がこのエレメントを入れると決めた時こう言いました
「クレージーだ・・・ゲームの掟に反している。
何故、君は綺麗に決まっても、君が実施出来る他のジャンプより得点的に損をするエレメントを入れるんだ?」と
私には分かりませんでしたし、彼が何故このエレメントを入れるのか理解出来ませんでした。
しかし、やがて理解するに至ったのです。

彼はルールを書いた人達にメッセージを発信したかったのです。
このようなメッセージを
「あなた方はスケート靴を履いたことがありますか?」
4トゥループ/3アクセルのシークエントがどれほど難しいか想像出来ますか?
このようなエレメントが何故、4トゥループと3アクセルを個別に跳ぶより低い得点しか得られないのでしょうか?
彼は幾つかのインタビューでも分かるようにさりげなく仄めかしました。
そして彼はこのエレメントを入れるのをやめました。
何故なら、試合があり、その試合で勝ちたいのなら、このエレメントでは勝てないからです。

ISUが何をしたかご存じですか?
数年の会話の後、来シーズンからシークエンスジャンプをコンビネーションジャンプと同等にすることを決めたのです。
彼は誰よりも早くそのことに気付き、おそらく進むべき正しい道を分からせるためにこのエレメントを跳んだのかもしれません。
これが羽生結弦なのです。
彼はいつも誰よりも早く一連の状況を理解するのです。勝利の多くをしばしば苦悩を味わいながら達成したのではないかと私は思います。
彼がずっと愛してきたフィギュアスケートがもはや以前と違うものになってしまったという苦悩です。

唖然とするようなことを話をしましょう。
2017年ヘルシンキ、4月1日
彼は圧巻のフリープログラムを滑りました。
彼がプログラム後半の最初に4サルコウ/3トゥループのコンビネーションを決めた時、私は涙を流していました。
歴史的快挙に立ち会っていることを理解した者の涙です。
涙が出たのは、そのシーズン、彼はずっとフリープログラムでこのコンビネーションを決めることが出来ず、鬼門だったからです。
決まった瞬間、彼が如何に解き放たれたか見て下さい。
最後の1分半で彼がやっていることを見て下さい。
途方もないプログラムでした。
フィギュアスケート史上最も高い頂点に達した瞬間でした。
これに並ぶプログラムを今後見ることはないでしょうし、それ以前にも見たことがありませんでした。

その2日後、彼に対して次の質問が向けられました。
「このような快挙をどのように祝いましたか?
上手く行かなかったショートプログラムの後の驚異的な逆転劇です」
彼はこう答えました
「ずっと部屋でショートプログラムについて考えていました」

お分かり頂けますか?
しかし、事実を言うと、この時彼は既に戸惑いを感じ始めていました。フィギュアスケートが変わりつつあること、そして本来なら必要条件であるべきことが、もはや反映されないことに対する戸惑いを。
具体的に言うと、彼は誤審の犠牲者であると感じたのです。
ショートプログラムでは彼のコンビネーションジャンプは認定されませんでした。確かに判定の難しいケースですが、フィギュアスケートでは疑わしい場合には常に選手に有利な判定しなければなりません。
そして結弦は次のように省察したのでしょう。
「判定の難しいケースだけれど、僕はこのエレメントを正しく実施したと思う」
本来ならスケーターに有利に判定されるべきでしたが、彼には適用されませんでした。

☆2017年ヘルシンキ世界選手権ショートプログラム「Let’s Go Crazy」

ヘルシンキ世界選手権ショートプログラム「Let’s Go Crazy」
翌日、彼はおそらくショートのアクシデントに対する怒りも抱きながらフリープログラムに臨んだのでしょう。

しかし、ショートプログラムで起こったことは別として、彼は技術点と演技構成点、2つの得点の均衡が失われようとしていることに気付いていました。

ヘルシンキでは多くの4回転ジャンプが実施されました。
そして多くの4回転ジャンプは前に何も入っていませんでした。
つまり、振付の中に入っているもの、フロー(流れ)はありません。
そこにジャンプが入っているから、大事な得点源だから跳ぶのです。

勿論、それも有りです。
では何が問題なのでしょうか?
こうした振付の空白にも拘らず、スケーター達は演技構成点で非常に高い得点を獲得するのです。
従って、4回転ジャンプを長い助走からではなく、平凡ではない難しい入りから実施し、着氷の後にも何かを入れている羽生結弦は、長い休憩のあるプログラムを滑る選手達と同じように評価されていると感じるのです。
中断のあるプログラム、フロー(流れ)のないプログラム
フローはアイスダンスで乱用されている用語で、動作の連続性という意味です。
おそらくこのために部屋に留まり、平昌五輪がどのようになるか、この点についても考えを巡らしていたのではないでしょうか。

彼が頭に描いていた4種類の4回転無しに勝ったことは奇跡であり、このことからも、この選手の偉大さが理解出来ます。
しかし、彼の戸惑いはそこから発しているのです。
私の考えでは、彼の本当の戸惑いは演技構成点の評価に対してだと思います。
もはや演技構成点ではなく、別の何か、実施して成功した4回転の数に比例して上がる数字です。
当然、試合は最終的に最も多くの4回転ジャンプを決めた選手が優勝します。
しかし、これはフィギュアスケートではありません。
旧採点システムの時代でさえ、このようなものはフィギュアスケートではありませんでした。
6.0システムを覚えていますか?
そして採点システムはこのように機能するものではありません。
従って、コンパスの針が狂ってしまったのです。

しかし、注意して下さい。
決してシステムが間違っている訳ではありません。
採点システムが誤った方法で適用され、誰も手を打てないことが問題なのです。
私は彼の論文は「僕には改善するためのアイデアがあります。僕の話を聞いて下さい」というメッセージだと思います。
僕はここにいます。このフィギュアスケートのために何かしようではありませんか。

☆2012年ニース世界選手権「ロミオとジュリエット」

M:男子シングルではショート7位から表彰台まで追い上げた選手は未だかつていなかった羽生はこの快挙を達成した。
ショートプログラムが終わった時点ではメダルは難しいように思われた
この少年はアクセル1本を含む5本の3回転ジャンプをプログラム後半に跳んだことを忘れてはならない。
これで高得点を稼ぎ、差を付けた

A:その通り、これらの3アクセルで大量の点を稼いだ。
冒頭の見事な4回転ジャンプ、振付のクオリティも傑出していて、スピンも素晴らしい。
レベル4を取れなかった最後のスピンを除いて
それ以外はスピンも非常に良かった。
だから本当にコンプリートなスケーターだ。

M:みんなも分かったと思うけれど、銀河点を獲得することになった
歴史的と言うべきだろう
既に歴史的と言うだろう。これより高い得点を出したことがあるのは歴代最高得点保持者のパトリック・チャン、小塚、プルシェンコ、高橋だけだ
というわけだから、17歳と数か月のこの少年に脱帽する

A:得点を見た時の彼の表情を見てよ!
ファンタスティコな得点
この少年にはまだまだ伸びしろがある。
だって確実にこれから更に成長してくだろう

h☆2015年バルセロナGPFフリー「SEIMEI」

M:惑星ハニューにようこそ!住人は一人、彼だ!
A:僕達はここにいて、一番前で見ていた!
恐・る・べ・し!!・・・120点!
ダメだ、恐ろし過ぎる
マッシミリアーノ、正直、僕達は脱力している。驚異的なレベルの試合で、羽生結弦がリンクに降り、またしても歴代最高得点をプレゼントしてくれた。
だってこれは記録を更新するだろう。
総合得点は確実だ。
フリーではたぶん4トゥループ/3トゥループはNHKの方が良かった。

☆2017年ヘルシンキ世界選手権フリー「ホープ&レガシー」(日本語字幕付き)

☆2018年平昌五輪ショート「ショパンのバラード第1番」

M:惑星ハニューにおかえりなさい!
住人は未だに一人だけ、彼だ
A:技術点62.85
途方もない演技
M:僕はコンビネーションの評価が3点満点じゃないことに困惑している
A:あんな難しい入り方から
M:難しい入り方だけじゃなくて、3トゥループは両手を上げて跳んでいる
Aいずれにして羽生の恐るべき演技。オリンピックで、怪我で1か月前までずっと滑れなかった後でこんな演技をするなんて!
驚異的だ
本当に途方もない選手
規格外のチャンピオンだ
M:これは歴代第2位の得点になるだろう
111.68点

☆2018年平昌五輪フリー「SEIMEI」

M:素晴らしい演技
依然として彼の惑星の唯一の住人だ
しかし2つ目のオリンピックタイトルを確信するには待たなければならない
いずれにしても高得点が出るだろう
110点の技術点、95点以上の演技構成点が出るだろう
何故ならジャンプの難度は少し下げたけれど、このプログラムは要素間のトランジションがものすごく豊かだった。羽生史上最もトランジションの豊かなプログラムだ

M:勝ったのはあらゆる時代を超えて最も偉大な選手
羽生結弦
彼のような選手は誰も存在しない
彼のようにこれほどの技術的クオリティと芸術的クオリティを氷上で披露出来る人は誰一人存在しない
僕達は何度も言った、技術的全能が卓越した芸術性と融合した時、羽生結弦が現れる、今泣いている羽生結弦が
今シーズン、彼の身に起こった全てのことを考えたらどうして泣かずにいられる?
A:皆さん見て下さい
彼が感極まって、観客に感謝している
彼が最も困難な時期に彼のファン達は皆、彼を応援し、彼を励ました。
M:ループとルッツを諦めなければならなかったけれど、勝った
つまり誰が正しかったのか?
アンジェロ・ドルフィーニだ
彼は最初から何と言っていたか?
ルッツもループもい・ら・な・い
ルッツ無しでも問題なく勝てると

☆2019年埼玉世界選手権フリー「ORIGIN」(日本語字幕付き)

M:今ご覧頂いた中で最初のSEIMEI、ホープ&レガシー、そして昨シーズンの全日本で滑ったフリーには共通の分母があります。
彼が身体的問題のない健康な状態で試合に臨んだということです。
彼はシニアカテゴリーだけで40以上の試合に出場した選手ですが、私の意見では、健康な状態で競技出来た試合はおそらく両手で数えられるほど(10回)もないと思います。
そして多くの場合、私達は試合の後になって怪我のことを知るのです。
彼は決して言い訳をしないのです。
彼は自分が勝てなかった時、いつも自分の責任だと言いますが、彼のキャリアは無数の身体的問題に見舞われてきました。
万全な時、彼はこのようなパフォーマンスを引き出すのです。

私の個人的な趣向では、ORIGINはそこまで大好きという訳ではありません。
少し「ミックスフライ」のように感じるからです。
並外れた作品に仕上がっていますが、ホープ&レガシーと比較することは出来ません。
SEIMEIのストーリーや、昨シーズンの全日本と世界選手権で披露されたプログラムとは比較出来ません。

(ストックホルム世界選手権は)私の意見では勝てていた試合でしたが、フリーの前に体調を崩したのです。普通のスケーターなら棄権するところですが、彼は大会に敬意を払い、試合に出場することを望み、リンクに降りました。
しかし本来の彼ではありませんでいた。最初の滑り出しの2歩を見れば彼ではないことが分かります。私はバレンティーナ・マルケイと一緒に解説をしていて、「バレンティーナ、違う、彼ではない」と言いました。
実際、力を振り絞って何とか最後まで滑り切りますが、非常に苦しいフリーになりました。
彼が健康な時、一体何が出来ると思いますか?

キアーラ・ギディーニ教授の寄稿ビデオ
C:羽生の世界は、フィギュアスケートに詳しくない人々にとっても興味深い世界です。
日本通の人だけでなく、一般的に彼の演技を見たあらゆる人々にとって。

つまり、羽生は映画の主人公を選択しました。一方で歴史的な人物であり、他方では客観的に伝説の人物である安倍晴明です。

彼は映画のサウンドトラックを使いましたが、陰陽師、安倍晴明の人物にも興味を持ちました。
陰陽師、すなわち陰と陽の道、陰陽道を極めた修行者です。陰陽道は、特に前近代日本の平安時代において非常に重要であり、中国と日本の異なるシステムのちょっとした融合でもありました。羽生が大勢存在する仏教や神道の人物ではなく、安倍晴明を選んだことも興味深い点でした。ポピュラーな人物で映画も有名でしが、非常に特殊です。何故なら、陰陽道は、一方では道教、仏教、神道の他の要素である中国の宇宙論、五行思想が融合されているからです。

先ほども言ったように、安倍晴明は、羽生自身がそうであるように伝説と歴史が融合させた人物であり、伝説の要素をより歴史的な要素から切り離そうとするのはナンセンスなのかもしれません。安倍晴明はその後、偉大な狂言師によっても演じられました。羽生とも会った野村萬斎です。この対談は是非ご覧になることをお勧めします。
陰陽道、または陰と陽の道は10世紀から12世紀にかけての「平安時代」と呼ばれるこの時代には特に重要でした。
占術としてだけでなく、陰陽寮(陰と陽の寮)が天変(天の異変)を管理し、解釈するより適切な方法と見なされていたことも陰陽道が重要であった理由でした。
天変には地震も含まれます。このことは当然、私達に羽生を彷彿させます。
彼のストーリーと2011年の仙台の震災を生き延びた彼の存在を。

羽生が安倍晴明の人物像から、そしていずれにしても陰陽道と陰陽師の姿から描き上げたキャラクターであったと仮定すると、おそらく最も分かりやすい魔法に関する側面は別として、実際、これが型だったと想像できます。 型とは「形式的」という意味ではなく、何か厳粛で重要な、儀式にも関係するものであり、安倍晴明は彼の占術の実践おいてこれを使用しており、羽生は間違いなく芸術家として、そしてフィギュアスケートの様々な技術のエキスパートとしてこれ(型)を使用し、使用し続けています。野村萬斎との対談で議論された型だけではなく、安倍晴明と羽生を結ぶ共通点もまた、「治療・救済」という側面なのです。おそらく私達は羽生を彼の苦難、つまり、彼を襲った怪我や病気とも結び付けて考えることに慣れています。これに立ち向かう彼の姿を見ると何らかの形で力を与えられます。すなわち彼の身体的な脆さや彼が長い間苦しんだ健康や怪我の問題ではなく、むしろ、彼自身を鼓舞し、見る者を鼓舞する一種の治癒力なのです。
従って、もし羽生(彼は安倍晴明を祀った神社を参拝しています)と安倍晴明の共通点を仮定するとすると(安倍晴明は彼に奉納されたお祭りがあるほど人気のある歴史的人物です)、それは伝説と歴史の融合であり、自分と他者を癒す能力であり、安倍晴明が占術で用いていたように(少なくとも伝説と歴史が伝えているように)、羽生が常に持っている並外れた厳粛さなのです。
従って安倍晴明が占術における陰陽師であるように、羽生はフィギュアスケートにおける陰陽師であると言えます。

B:ここでヴェネツィア・カ・フォスカリ大学アジア研究学部の教授であるカーティア・チェントンツェから届いたメッセージをご紹介したいと思います。彼女は舞台芸術の専門家で、早稲田大学の講師でもあります。
今日、私達と共にこの場に参加して頂きたかったのですが、当然不可能でしたので、短いメッセージを頂きました。この場で読み上げたいと思います。

カーティア・チェントンツェ教授の寄稿
K:カーティア・チェントンツェです。私はヴェネツィア・カ・フォスカリ大学で教鞭を執っており、日本の舞台芸術における身体表現を専門としています。
私はフィギュアスケートの専門家ではありませんが、自分がずっと私的で個人的な領域において培ってきたものを外の世界に伝えるという、一種の自分自身への挑戦のような機会を与えてくれたバルバラ・ワシンプスに感謝します。

私が自分のスケート靴をもらったのは確か5歳の時だったと思います。
その少し前からバレエを習い始めていました。
そしていつも私は凍ったリンクで踊りながら飛翔する選手やアーティスト達の演技を夢中で見ていました。
何故なら、氷上での踊るリスクに加え、この危険はダンサー達に翼を与えるからです。
私が日本で生活していた数年間、私の目はとりわけ日本の選手達に向けられていました。
私は試合やインタビューや彼らの怪我や奇跡的なリハビリに関するエピソードを熱心に追っていました。

『完璧』すなわち羽生結弦について語ることは、私にとって簡単な課題ではありません。
流れに逆らって私が羽生結弦からずっと見逃していた側面から始めてもいいですか?
それはエロティシズムです。
私は常にこのスラッと背の高い青年の能力を評価してきましたが、今日は過去の数々の感動を振り払い、最も最近の演技で見出した新たな側面について語ります。
私は全く新しい印象を受けました。
数日前、私はストックホルム世界選手権におけるロビー・ウィリアムズの「Let me entertain you」に乗せた羽生の演技をようやく見ることができました。
そして羽生はおそらくこれまで敢えて休眠させていた一面を外に引き出し、自分自身を超えてみせたのです。
私は彼の目のくらむような完璧なパフォーマンスが引き起こす強烈な感動を描写する適切な言葉を見つけることが出来ません。
ジェフリー・バトルが考案し、羽生によって再アレンジされた振付は「理想」そのものでした。
間違いなく、華やかな黒の衣装、レザーの手袋、セットされた髪も重要な役割を果たしていました。しかし芸術家は技を超えた、より難しい何か、「身体を使ったエグゼキューション」と呼ばれるものを常に入れなければなりません。

羽生が冨田勲の音楽で舞った「天と地と」で中心的要素として提案していた献身と専心がここでは「Let me entertain you」の中にはっきりと現れていました。
2020年長野で達した高得点は羽生の意見では、唯一の傷はジャッジからレベル4ではなくレベル3と判定されたステップシークエンスだけでした。

「天と地と」では、まず高さ60cmの完璧な4ループを冒頭で披露します。驚異的な軽やかさと軸の究極のコントロールによって実施されました。
疑う余地なく、私が心底尊敬する友人である梅林茂の音楽に乗せたSEIMEIから「天と地と」へと繋がっていプロセスによって(どちらも氷上の素晴らしいダンサーであるシェイリーン・ボーンの振付です)、羽生は技術力を深い探求だけでなく、芸術性の幅を更に広げることに成功しました。

おそらく、狂言の身体表現の天才である野村萬斎との対談にも刺激され、審査のためだけではなく、世界のための踊りをどのように表現するかについて沈思黙考したのではないでしょうか。野村が彼に伝えたのは、書物の奇跡と、踊りが空間を刺激して伝播し、配電網のようにパフォーマンスを見ている人々の身体に届く奇跡と振動だったように私には思われます。

これらの新たに開かれたチャンネルによって、羽生は彼が長年、人類に向けて発してきたポジティブなメッセージを更に具体的な方法で伝達することが出来るでしょう。あらゆる種類の境界を超え、地球人の境界さえ超えて。

何故ならマッシミリアーノ・アンべージが明言し、エフゲニー・プルシェンコが明言しているように、羽生は別の惑星に属しているからです。

☆2020年全日本選手権フリー「天と地と」(本人解説)

M:私は彼が(天と地と)と完全に一体化出来ると確信しています。
何故なら、この音色・曲調は、氷上における彼のライン、彼のような特徴を持つスケーターにとって最高だと思うからです。

私は昨シーズンのフリーの曲が「ミッション」であって欲しいと願っていましたが、彼はこのような傑作を披露しました。しかし、私はいつか彼がアイスショーでこの曲を滑ってくれると信じています。何故なら、「ミッション」は日本でも常に高く評価されている曲だからです。
他のスケーターによって試合で披露された、私が並外れていると見なしているプログラムはあります。三原舞依を覚えていますか?まだ現役の選手です。
2-3シーズン前、体調を壊す前に、彼女が氷上にもたらしたミッションは、素晴らしかったと私は思います。

羽生のフリーのベスト3は東洋の音色と物語をベースにしたプログラムです。最新の「天と地と」、SEIMEI、そしてホープ&レガシー、私達は羽生のキャリアにおいて最高の3つのプログラムを見ました。
しかし、LET ME ENTERTAIN YOUで彼が如何にたやすくロックスターに変身するか見て下さい。
LET’S GO CRAZYもです。
私にとって LET’S GO CRAZYは結弦のショートの傑作です。
試合で1度も完璧な演技が出来なかったことが彼は悔しいでしょう。しかし、これほど難しいショートプログラムは後にも先にも私は一度も見たことがありません。全てのジャンプの前後にあのようなトランジションが組み込まれたプログラムは、彼でさえ二度と滑っていません。
あれから何年が経ったでしょうか?4年?
2016/2017年シーズンのプログラムでした。
そして彼はこの夏のアイスショーで滑りましたが、素晴らしいプログラムでした。
つまり、私の意見では、彼は自分の文化からかけ離れたキャラクターとも一体化することが出来るのです。

何故、私はあまりORIGINを愛していないのか?
何故なら異なる要素が詰め込まれ過ぎているからです。
ここには複数のプルシェンコがいます。
プルチェンコもキャリアの中で進化していきました。
ここには2人のプルシェンコがいます。
若き日のプルチェンコとより成熟したプルシェンコ。
確かに結弦は彼にオマージュを捧げましたが、そんな必要はなかったと私は思うのです。何故なら、おそらく現在、羽生にオマージュに捧げるべきはプルシェンコの方だと思うからです。

唯一悔しいのはショパンとSEIMEIで世界選手権を優勝する彼の姿が見られなかったことです。もし世界選手権をこの2つのプログラムで勝っていたら、シニアではこのプログラムだけでグランドスラムを達成したことになりました。
勿論、彼はジュニアとシニアで獲るべきタイトルは全て獲りました。
スーパースラムです。
もし、シニアで同じ2つの曲でこの快挙を成し遂げたなら、私にとっては叙事詩でした。
何故なら2つの伝説的プログラムだからです。
これらのプログラムは見ましたね。
初披露のバージョンからどんどん進化していった2つのプログラムです。
つまり、彼は同じプログラムを複数のシーズンで使うことがよくありますが、決して同じではないのです。

一方、音楽を変えても氷上のトレースを見ると全く同じ、というスケーターが何人もいます。とても上手いスケーターの中にも。
例えば、名前は言いませんが彼が弟のように思っている後輩スケーターを例に挙げると、彼はタンゴからポップミュージック、ブルース風の曲まで様々なジャンルを滑りますが、プログラムを分析すると中身は全く同じです。勿論、彼は素晴らしいアーティストで、並外れた表現者ですが、最終的にいつも同じことをやっているのです。
しかし、羽生は同じプログラムでスコア(総譜)を変え、進化させることが出来るのです、このことも彼の偉大さを象徴しています。

もう一つの偉大な点をお話しします。
私は先ほど小ささについて話しました。勿論、バックカウンターからの3アクセルを真似することが出来なかった全てのスケーターを軽視つもりは毛頭ありません。
一方、羽生はまるで乾いたスポンジのように常に他のスケーターから全てを吸収するのです。

年上の選手達と競技するためにやってきた彼が誰に注目したでしょうか?
パトリック・チャンです。
当時の彼は瞬きをするようにリンクで加速出来たからです。
2012年のロミオとジュリエットまでの羽生と、その後の彼の滑りを見比べて下さい。
彼のスケーティングは変化しています。滑りが進化し、より消耗が少なく、滑らかスケーティングになっています。
2012年の時点で、彼は既に非常にハイレベルなスケーティングを持っていました。
そして、自分より優れた選手を研究することにより、「卓越」の域に達したばかりか、あまりにもよく研究するため、最終的にお手本を超えてしまうのです。

別の例を挙げましょう。ジン・ボーヤンです。
彼は多くの勝利を収めることの出来るポテンシャルを持った選手でした。
ボーヤンに何が欠けていると思いますか?
結弦の頭脳です。
結弦は天性の才能に恵まれていますが、同時に比類のない努力家です。
もし紀平梨花に羽生の頭があれば、ロシア女子と対等に戦えるはずです。
しかし、実際には彼女より年下の選手にも勝てたことがありません。
私は紀平梨花のファンに憎まれていますが、才能はあるのに、選手の頭に関する問題によって開花しないのを見ると、私はもどかしいのです。

ジン・ボーヤンは結弦のコーチの一人、ブリアンの指導を受けていますが、今ではいわゆる通信授業です。
撮影した映像を見て修正する、これがフィギュアスケートの新しい形態なのです。
ジン・ボーヤンが練習中に結弦の目の前で4ルッツを2本決めた時、彼はこのルッツを研究し始めました。何故なら、彼にとってこれが本物のルッツだったからです。
トゥを突いて実施されたプレローテーションのないルッツです。
ブレード全体で踏切り、ループのようになってしまっているトゥジャンプとは訳が違います。
ジン・ボーヤンのジャンプがルッツなのです。そして彼は試合や練習などで見る機会がある度に彼のルッツに観察して研究し、例えば2019年トリノのグランプリファイナルではボーヤンのより優れた4ルッツを披露しました。

真似しようと、観察して、再現することの出来るスケーターが何人いるでしょうか?
小さい頃の結弦は3アクセルを降りることが出来ませんでした。無理だったのです。そして日本の有力な選手達が揃うキャンプで、浅田真央がやって来て、彼の目の前で3アクセルを決めました。自分よりさらに華奢で、力も弱いはずの彼女が3アクセル?
彼にはこのジャンプのための鍵がなく、ずっと探していました。
浅田真央はその鍵を彼の顔に向かって投げたのです。
彼はそれから1分ほどの間に3度目の挑戦で3アクセルを成功させました。

観察し、自分もやろうと考え、成功させるには、超越した存在でなければなりません。大袈裟かもしれませんが、彼に出来て他者には出来ないのですから。
例えば、バックカウンターからの3アクセルは皆の目の前にあります。10年間、誰も試さないなどと言うことがあり得ますか?
事実を言えば、1人挑戦しました。そして5回中1回ぐらいは成功させています。
フランスのケヴィン・エイモズです。彼は結弦に似たことをやっています。

しかし、このエレメントが初披露された2011年オーベルストドルフ でのバージョンと、次の試合で彼が実施するバージョンを見比べて下さい。
動作がより大きくなっています。
つまり、いずれにしても彼はこの数年間でこのエレメントのあらゆるディテールを磨き上げたのです。指の位置も自然になってますが、これも研究の結果なのです。

しかし現在、ジャッジ達の間で「調整」があるのは明らかです。それがどこから来て、何故生まれたのか私には分かりません。
しかし、気付かずにいるのは無理ですし、だから批判が起こるのです。
現在ではテクノロジーによってジャンプのあらゆる側面を検証することが出来ます。ネイサン・チェンの3アクセルがジャッジ全員から+4と幾つかの+5を貰うのに、羽生のトリプルアクセルが+5満点でないのを見たら、あり得ないだろうと自問自答するのは当然です。

3アクセルで+5を獲得するには何が必要かご存じですか?
高さと幅がある。
エフォートレスな(力みがない)自然なジャンプでなければなりません。
多くの選手が両手を上げてジャンプを跳ぶのはこのようなこのような理由からですが、実際はより早く回転するためのトリックなのです。
3つ目の要件は踏切りと着氷(take off and landing)が良いことです。
+5を得るにはこの3つの要件に加え、残り3つの要件の内2つを満たしていなければなりません。
皆がバックカウンターを見ていますよね?
より偏向の激しいジャッジにもこれは見えているはずです。従って既に+4です。皆さんも賛成ですね?
つまり、何人かのジャッジによれば、彼の3アクセルは音楽に合っていなかったか、空中姿勢が良くなかったということになります。
羽生はマニアックなほどディテールにこだわります。その羽生の3アクセルが音楽に合っていなかったなどということが考えられますか?
私の意見ではジャッジの視力と聴力のコーディネーションに問題があるとしか思えません。
何故なら、ジャッジの仕事が難し過ぎるからです。
彼らのせいではありません。あまりにも多くのことを見なければならないため、この要件に気が付かなかったのでしょう。
しかし、羽生の3アクセルの空中姿勢をフィギュアスケートの教本通りと見なさないなら、それは異端です。
従って、美しく決まった羽生の3アクセルで+4を見ると、私は冷静ではいられなくなるのです。このジャンプに+4を与えてはいけないからです。
ジャッジは理由を説明しなければなりません。そして説明した時、そのジャッジはジャッジ名簿から除籍されなければなりません。何故なら、私は自分の好みに合わせて審査し、判断しますという説明は通用しないからです。いいえ、規定された要件があるのです。
あるいは、このジャンプには彼にとってもはや簡単すぎるから、と説明するのでしょうか?
それなら私はこう答えます。この10年間、誰も成功していないということは、このジャンプが非常に難しいということを意味していませんか?

同じことがツイヅルの入りについても言えます。
更に言うと、彼がこれまでに実施した全てのイーグルからの3アクセルを見に行くと、この夏のアイスショーのバージョンより優れたジャンプはないのです。

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☆美術監督のバルバラ・ワシンプスさんのイントロダクションでは、坂東玉三郎との比較の後、宮本武蔵と羽生結弦を比較したそうですが、編集の過程でカットされたそうです(どれだけ長いイントロダクションだったのでしょうか!!!)
それ以外は演技動画以外ノーカットだそうです。

L’Altro Italiaでは今後、舞台芸術の観点から羽生結弦を分析・考察する企画も構想中だそうで、今回で終わりではありません。
しかし、バレエやオペラといった舞台芸術の歴史と伝統がこれほど古い国イタリアで、舞台芸術を体現する至高の存在として愛され、研究され、模範とされる羽生結弦って!
彼はオペラ歌手でもバレエダンサーでもなく、フィギュアスケーターです。そしてイタリアではフィギュアスケートは冬季競技の中でもマイナーなスポーツなのです。

そして予想はしていたけれど、いやその予想さえも遥かに上回る愛に溢れる圧巻のユヅル語りをプレゼントしてくれたマッシミリアーノさんもまだまだ語り足りないようで、北京前までに羽生結弦スペシャルなるものを配信(放送)する計画を立てているとか。
現在、資料を集めているそうでなので、楽しみですね。
しかし、ハニューデータバンクのようなマッシミリアーノさんがまだ入手していない資料って一体・・・

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Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu