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La Repubblica紙より「羽生、津波から金メダルへ『母国の人々への褒賞です』」

ソチ五輪男子FSの翌々日にイタリアの最大手全国紙のひとつ、「La Repubblica」紙に掲載された羽生選手の記事です。
「サッカー以外スポーツじゃない」国、イタリアでは新聞の扱いは80%サッカー、15%F1、5%その他のスポーツですので、スポーツ紙ではない、全国紙で外国人の金メダリストが写真入りで取り上げられるって凄い事なんです!
ちなみにレプブリカ紙は知識層が愛読するクオリティの高い新聞です。

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(2014年2月16日)

Repubblica_sochi2015

フィギュアスケート新王者は仙台出身の日本人

ソチ ― 心優しいランボスが皇帝プルシェンコの後を継ぐ。

「だって僕は勝つために学んだ多くのことを失ったのだから」

羽生結弦、フィギュアスケート日本男子初の金メダリストにして1948年のディック・バトン(18歳)に次いで2番目に若い19歳のオリンピックチャンピオン。

金曜日の夜、勝敗を決める演技中、羽生は4回転サルコウと3回転フリップの2つのジャンプで転倒した。まるでゴムで出来たタコのような腕を持ち、身長は172cm、体重はわずか54キロ。しかし、彼は怯まなかった。その後、ほぼ完璧に演技を建て直し、観る者を魅了した。もう一人のチャンピオンである元フィギュアスケーター、ジョニー・ウィアーがデザインしたボイルとストーンの黒い衣装をまとって。

聖バレンタインの日に「ロミオとジュリエット」の音楽を使うという選曲も評価に値するもう一つの点だ。

「これほど緊張したことも、自分のミスがこれほど悔しかったこともこれまでありませんでした。自分の夢が消えてしまうのを見るのが怖かった」

ニースの世界選手権で既に銅メダルを手にしているこのほっそりとした少年の成功への道のりは苦難に満ちていた。

「2011年、足元で氷が割れた時、僕は故郷の仙台で滑っていました。地震でした。その後、津波が襲ってきました。当時、僕は16歳で家は倒壊し、体育館での避難生活を余儀なくされました。この時から僕は運命論者になり、この地上では僕達は皆、通りすがりに過ぎないのだということを知りました」

彼は氷上では見せることのない自身の脆さと内気さに驚いた。

「練習場所を失い、放射能からも遠ざからなければなりませんでした。僕はスケートリンクを再建するお金を稼ぐために多くのショーに参加しました。2012年、僕は母と共にカナダのトロントに渡り、ブライン・オーサーの指導を受けることを決断しました。言葉の壁もあり決して簡単なことではありませんでしたし、故郷に帰りたいと思うことが何日もありました。このメダルは僕にとって一度は終わりだと思っていた人生の報いであり、何より僕の母国と震災に苦しんだ全ての人々への褒賞です。これは皆さんのための金メダルです」

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち