Sportlandiaより「チャンピオン探し:アメリカのフィギュアスケート」

書店を経営するライター、マルティーナ・フランマルティーノさんの分析シリーズ。
何回かに分けた方が読みやすいとは思ったのですが・・・途中で切れませんでした・・・

3万7000文字、原稿用紙93枚分の分量です。

読んで下さる方は覚悟して下さいw

原文>>

マルティーナ・フランマルティーノ著
(2020年11月22日)

 

2010年のオリンピックにおいて、アメリカはフィギュアスケートで2つのメダルを獲得しました。エヴァン・ライサチェクの金メダル、そしてメリル・デイヴィス/チャーリー・ホワイトの銀メダルです。しかし最も人気のあるカテゴリー、女子シングルでは長洲未来が4位、レイチェル・フラットは7位でした。

そして、その後は?
何もありません。

文字が小さくなり過ぎますので、重要な大会(世界選手権とオリンピック)におけるアメリカのメダリストの一覧を三枚のスクリーンショットに分けました。

左は世界選手権のメダリスト、右はオリンピックのメダリストです(左から男子、女子、ペア、アイスダンス)。第二次世界大戦のために大会が開催されなかった年、オリンピックイヤー以外の年、アイスダンスが世界選手権/オリンピック競技に含まれていなかった期間、サベナ航空548便墜落事故で世界選手権が開催されなかった年、そして同じく私達が良く知る理由で世界選手権が開催されたかった今年の行は薄いグレーになっています。ペアの名前が途中で切れてしまったのは残念ですが、列の幅を広げてスクリーンショットの数を倍にすることは出来ませんでした。選手名の記されたセルは分かりやすいようにメダルの色で色分けされています。それでは誰が、何時、メダルを獲得したのか詳しく見ていきましょう。

第一次世界大戦以前、世界選手権とオリンピックに出場したアメリカのスケーターはいませんでした。アメリカ選手が参戦し始めたのは1924年以降ですが、大会は主にヨーロッパで開催され、今に比べると移動に時間がかかり、旅費も高額でしたから、当時はヨーロッパ中心の競技でした。
しかし、第二次世界大戦後、アメリカの選手と、規模はアメリカに劣るもののカナダの選手が競技を支配し始めました。特にペアの支配率は傑出しています。シングルは前世紀から、アイスダンスは特に今世紀強くなりました。

しかしながら、全ての逆境を乗り越え、たった一人で偉業を成し遂げた男性(または女性)というアメリカ人が思い描くイメージを刺激するのは個人競技です。

これらの結果は私の興味を引きますが、それは大会の重要度のためではありません。私の関心度は常に「出場選手が誰か」がベースになっていますから、例えはテッサ・バーチュ/スコット・モイアが出場するアイスダンスの試合は、例え国内選手権であっても、2018年世界選手権男子シングルより私にとっては興味深い試合なのです。でもここでは、私は戦後、シングルの大会でアメリカ人スケーターが獲得したメダルにのみ焦点を当てました。

ここで公開したデータが私が実際に処理したデータの一部に過ぎないことを示すために、縁の部分を少し残しました。私もミスをすることはありますが、何か書く前に本当に何度もチェックしています。また、私は全てを保存することを覚えました。特定の情報が何時何処で役に立つかわからないからです。

結果の横に一目でわかるようにメダル数をまとめました。CQ-CSの列には、アメリカのスケーターが世界選手権で獲得したメダルの数と種類が示されています。CU-CWの列はオリンピックメダル、CY-DAの列は2つの大会で獲得したメダルの合計を示しています。結果を見ましょう。戦後の世界選手権14大会の内、13大会で1人以上の女子スケーターが表彰台に上がり、合わせて金メダル7個、銀メダル5個を獲得しています。

その後、アメリカチームの『死』と共に危機の時代がやってきます。つまり、ピークの選手達がいなくなり、若手選手はまだ発展途上でした。そして、1965年から2006年までのアメリカの支配は驚異的です。世界選手権42大会中39大会で最低1人の女子スケーターが表彰台に上がっています。10大会ではメダルを2個ずつ獲得しており、内1大会はアメリカ女子選手による表彰台独占でした。
合わせると金メダル19個、銀メダル14個、銅メダル16個、合計49個。これらの大会の合計メダル数は126個ですから三分の一のメダルをアメリカが獲得したことになります。
表彰台に上がったのはペギー・フレミング、ジュリー・リン・ホームズ、ジャネット・リン、ドロシー・ハミル、リンダ・フラチアニ、エレイン・ザヤック、ロザリン・サムナーズ、ティファニー・チン、デビ・トーマス、キャリン・キャダビー、ジル・トレナリー、ホリー・クック、クリスティー・ヤマグチ、トーニャ・ハーディング、ナンシー・ケリガン、ニコール・ボベック、ミシェル・クワン、タラ・リンピンスキー、サラ・ヒューズ、サーシャ・コーエン、キミー・マイズナーの合わせて21人の女子スケーターです。

男子シングルではメダル数は断然少なく、1965年から2009年にかけて、つまり世界選手権45大会で、メダルを獲得したのは「たった」32回、しかも1971年から1977はメダリストは一人もいませんでした。
金メダル11個、銀メダル10個、銅メダル13個、135個のメダルの内、アメリカ男子が獲得したのは34個で、実質全体の四分の一でした。この数字はアメリカ女子チーム(あるいは他のアメリカ選手を抑え、世界の他の地域を粉砕してあらゆるタイトルを総なめにしたディック・バトン、ヘイズ・アランとデヴィッドのジェンキンス兄弟が台頭した1947年から1959年までの時代)の成功に比べれば少ないように思われます。
表彰台に上ったのはスコット・アレン、ゲイリー・ヴィスコンティ、ティム・ウッド、チャールズ・ティックナー、スコット・ハミルトン、デヴィッド・サンティ、ブライアン・ボイタノ、クリストファー・ボウマン、トッド・エルドリッジ、ルディ・ガリンド、マイケル・ワイス、ティモシー・ゲーベル、エヴァン・ライサチェク、ジョニー・ウィアーの合わせて14人の男子スケーターです。

オリンピックを見てみましょう。1952年以降の大会に限定すると、2006年までは3年前に有力選手達が引退した1964年以外、アメリカの女子スケーターは15大会中14大会でメダルを獲得していました。

15人の異なる女子選手が合わせて金メダル7個、銀メダル7個、銅メダル5個を獲得しており、上述の女子選手の他に、1961年以前の世界選手権で表彰台に上がったテンリー・オルブライト、キャロル・ヘイス、バルバラ・アン・ロールスといった選手達がいました。1948年から2010年までのオリンピックでアメリカの男子スケーターは金7個、銀3個、銅5個、合計15個のメダルを獲得し、1956年は表彰台を独占しました。

上述の男子選手以外にジェームズ・グロガン、ロニー・ロバートソン、ポール・ワイリーがメダルを獲得しています。

アメリカは他のどの国よりも多く勝ち、数十年もの間、この競技を支配し、その後、姿を消しました。アメリカ人スケーターがいなくなった訳ではなく、ただ単に彼らが勝つのを止めたのです。

2006年から2017年までの11シーズン、女子シングルでアメリカが獲得したメダルは自国開催の2016年ボストン世界選手権におけるアシュリー・ワーグナの銀メダル1個だけです。
オリンピックではメダルは1つもありませんでした。
私はある理由から、平昌オリンピック直前のシーズンである2017年までの世界選手権とオリンピックのメダルを考慮しています。2011年から2017年までの7シーズン、男子シングルでアメリカはメダルを1個も獲得していません。

アメリカにとってメダル無しの期間がこれほど長く続いたのは70年代初頭以来です。
何か手を打たなければなりません。
でもどうやって?

この際女子は置いておきましょう。アメリカにとって花形は女子シングルですが、応援したいマッチョがいれば、男子シングルでもいいのです。私は故意に『マッチョ』と書きました。何故なら、女性に優美さが求められるように、少なくとも西洋の概念によれば、男性は男性的で逞しくなければならないからです。詳しく知りたければ、メアリー・ルイーズ・アダムスの「Artistic Impressions」を読んでみてください。全文を通して、様々な形でこのテーマが出てきます。

フィギュアスケートが女子またはゲイのスポーツというレッテルを貼られ、潜在視聴者だけでなく選手までこの競技から遠ざけてしまうことを恐れ、欧米のメディアは常に男子シングルのアスレチック面を強調してきました。そして並外れたゲイのスケーターがいましたが、彼らのセクシャリティは私的な問題です。
しかしながら、偏見が非常に強いため、ルディ・ガリンドとジョニー・ウィアーを除き、スケーター達は引退後にカミングアウトしています。従って、審美面よりもジャンプの難度や回転数に重点が置かれてきました。スピンについてはほとんど言及せず、スケーター達が多くのジャンプを跳び、転倒しなければ、ジャンプとジャンプの間に長い助走しかなくても、多くの人の目には説得力のあるプログラムのように見えたのです。

言い過ぎだと思いますか?これは、1996に出版された本「Inside Edge. A Revealing Journey Into the Secret World of Figure Skating」 (インサイドエッジ。フィギュアスケートの秘密の世界を暴く旅」の中でクリスティン・ブレナンが公開した、ルディ・ガリンドの発言です。

ルディ・ガリンドについて少し説明すると、彼は1988年の世界ジュニア選手権でクリスティー・ヤマグチと組んでペアで優勝し、1989年と1990年のシニアの全米選手権のペアで優勝、世界選手権は5位でした。その後、ヤマグチはシングルに専念することを決意し、彼女レベルのパートナーを見つけれなかったガリンドもシングルに専念せざるを得なくなりました。ガリンドはシングルで全くダメだった訳ではありません。1985年と1987年には世界ジュニア選手権で銅、銀、そして金メダルを獲得しています。しかし、シニアでは苦戦しました。全米選手権で表彰台に上がったのは、彼の現役最後のシーズン1995-1996年の1度だけでした。この時、彼は全米で優勝し、最初で最後の出場となった世界選手権で銅メダルを獲得してキャリアを締めくくりました。しかし、彼がブレナンのインタビューに応じた当時、その少し後に何が起こるか誰も知りませんでしたし(ジャンプに問題のない演技)、それまでの彼の戦歴と言えば全米選手権で5位1度、7位1度、8位3度、10位1度でした:

彼はバレエ的な動き、スピン、そして芸術性はアメリカのジャッジには評価されていないと発言した。

 「全米選手権では、男達はクリーンに滑ります。彼らは本当に筋骨たくましい体格で、彼らがやっているのはジャンプジャンプジャンプジャンプだけです」そして彼はこう述べた。「アメリカのジャッジはこういう演技が好きなのです。彼らはとても保守的で、実際のところマッチョな男性だけを求めています。他の男達が20回転倒し、私は彼らが私を3位に据える前にクリーンに行かなければなりません」(ブレナン、68ページ)

ジャンプ-ジャンプ-ジャンプ?
どこかで聞いたフレーズですが、気のせいでしょうか?

この本は(繰り返すようですが)1996年のものです。
そして当時、自分の国で主流となっている唯一の評価基準が偏っていると嘆いたのはアメリカ人でした。風潮に順応し、ジャンプがようやく安定した時、ガリンドは優勝しました。

国際レベルでは、トッド・エルドレッジ、マイケル・ワイス、ティモシー・ゲーベル、エヴァン・ライサチェクの活躍で、アメリカの男子シングルには更に幾つかのメダルがもたらされました。

黄金期後のアメリカには誰がいたでしょうか?
10年後の時代を見ると、トリノ・オリンピックでオリンピック銀メダル1個(サーシャ・コーエン)、同シーズンの世界選手権で金メダル1個(キミー・マイズナー)、銅メダル2個(コーエンとエヴァン・ライサチェク)を獲得しています。

世界選手権メダルは各色1個ずつ合計3個、そしてオリンピック金メダル1個。4位が7つ、そして更に下の順位、それも時には翌年の3枠をアメリカから奪うほど低い順位もありました。

女子ではアシュリー・ワーグナーの銀メダルがポツンと一つあるだけで、再び重要なメダル争いに戻ってくるために、アメリカ人はアリサ・リウの成長に期待しています。
先日のスケートアメリカにおけるマライア・ベルの金メダルには何の価値もありません。出場選手は全員アメリカ人でしたから、当然、アメリカの選手が優勝するはずでした。唯一の疑問は、優勝がブライディ・テネルかマライア・ベルか、ということだけでした。

男子の中にはフィギュアスケートファンの注目を集めることが出来たアスリートもいます。例えは、2014年全米選手権におけるジェイソン・ブラウンのリバーダンスの音楽を使ったフリープログラムは話題になり、当時、ハードな時期を過ごしていてフィギュアスケートの試合をあまり見ていなかった私もこのプログラムは見ました。
見ていてどんなに美しい演技でも、ジェイソン・ブラウンには4回転ジャンプはありません。そして近年の男子シングルでは4回転ジャンプがなければ、メダルを勝ち取ることは不可能になりました。

このような状況がどれほど深刻なことだったのか?
最初の情報はエリン・ケステンバウムの著書「Culture on Ice」で提供されています。2003年の記事「Figure Skating & Cultural Meaning」(フィギュアスケートと文化的意味)ですから、当然のことながら90年代と今世紀初頭のフィギュアスケートについて書かれています。

1994年のオリンピック、ナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディングの対立に焦点を当てていますが、これはただ単に最も騒がれた大会というだけで、大会は他にもありました。
男子では当時の世界チャンピオンだったカナダのカード・ブラウニング、アメリカのブライアン・ボイタノ、ヴィクトル・ペトレンコについて書かれています。後の2人は1988年と1992年五輪の金メダリストで、プロに転向した後、再び現役に復帰していました。
2人の北米人と1人のウクライナ人は、オリンピック金メダルの後、ラスベガスに移住し、アメリカのアイスショーツアーに参加しました。
それから、前シーズンの世界選手権銀メダリストのエルヴィス・ストイコ、1993年世界選手権で6位だったスコット・デイヴィス(この順位は最終的に彼にとって4度出場した世界選手権とオリンピックにおける自己最上位となりました)といった、将来有望な若手選手達がいました。

 

例えば、CBSは、この5人のスケーター(内4人は北米出身)を「金メダル候補」と宣伝し、国際的評価がデイヴィスを上回っていたウルマノフやキャンデロロなどのヨーロッパの若手については全く言及しなかった(198ページ)。

 

デイヴィスはボイタノを破り、自身2度目となる全米チャンピオンに輝きますが、彼に期待していたのはアメリカ人だけでした。
ウルマノフは1991年の欧州選手権で初めて4回転ジャンプを成功させ(当時、アメリカの選手は誰一人4回転ジャンプを成功させていませんでした)、世界選手権で銅メダル、欧州選手権でも自身2度目となる銅メダルを獲得した翌シーズン、オリンピックで金メダルを獲得しました。アメリカのメディアがそれまで彼の存在を無視していたことは、彼らが極度の近眼(短絡的)だったことを物語っています。
キャンデロロは前シーズンの世界選手権は5位で、表彰台ではありませんでしたが、デイヴィスよりは上でした。そして1993年の欧州選手権で銀メダルを獲得しています。他の選手達ほど有力視されていませんでしたが、彼のプログラムで披露される幾つかの動作が非常に個性的だったこともあり、かなり話題になりましたから、彼を無視するのは困難でした。
ペトレンコ、ブラウニング、ボイタノはショートプログラムでミスし、オリンピックのメダル争いから自ら脱落しました。

 

ストイコと母国に銅メダルを持ち帰ったキャンデロロとの優勝争いにおいて、両方のプログラムで勝利したウルマノフと共に、メディアの作り上げる物語が、北米市場で急成長中しているフィギュアスケートの人気を利用するために男子フィギュアスケートが取るべき適切な方向性の一つになった。

 ゴールデンタイム後のストイコとのインタビューでパット・オブライアン(CBSのスポーツキャスター)は次のように述べている。「おそらく・・・フィギュアスケートは間違ったメッセージを発信している。何故なら、ここに君がいる。君は素晴らしい男性で、積極的に発言し、君の名はエルヴィスだ。そして君には市場性がある。これが全てだ。そしてウルマノフも好青年だと私は思う。しかし、彼はロシアに戻り、おそらく国内選手権まで我々が彼を見ることはないだろう。君はここにいて、フィギュアスケートを宣伝することが出来る・・・(198ページ)。

 

つまり、ウルマノフは好青年だけれど、勝ってロシアに戻ったら誰も彼を見ることはない。
一方、ストイコはここに残ってフィギュアスケートをプロモーション出来る。しかも彼は奇しくもスターと同じ名前だ。彼とならビジネスになるし、大金を稼げる・・・
どうしてロシア人に金メダルをやったのか?

これは1994年の試合について書かれた2003年の本の記述です。アメリカのテレビはロシアの成功を全く喜んでいませんでした。
アジアのアイスショーに出演するアジアの選手の成功を喜ぶと思いますか?

トリノ・オリンピック前の4年間まで時間を戻し、当時のテレビ放送を振り返ってみましょう。90年代に全てを放送した後、テレビは飽和状態になり、2003年のソルトレークシティーのスキャンダルでスポーツの信頼性は失われました。「Skating on Air」の中でケリー・ローレンスはこう述べています:

ESPNがグランプリシリーズを放送したように、2005年世界選手権を「ABCESPN」放送無しでケーブルテレビでのみ放送した際、テレビ局の重役達は酷い視聴率に愕然とした。数字は年々下がっていたが、2003年と2004年にABCチャンネルが獲得した5.25.4という数字は、2005年の同じ大会でESPNチャンネルが獲得した1.24に比べれば断然高い数字に見える。ABC社が「電波」放送で得た数字に近づくことはないだろうと覚悟していたとはいえ、彼らはこの数字(1.24)の2倍の視聴率を期待していた。

国際大会だけではありません。

2007年までずっとESPNABCの両チャンネルで放映されていた全米選手権の視聴率は、10年間、下降の一途を辿っていた。数字が物語っている:1997年には7.2だった視聴率が2005年には4.9まで下がっている。そして、オリンピックの栄光さえ、前年のような影響力をもたらしていないように見える:1998年はゴールデンタイムの全米選手権は11.5の視聴率を獲得した。2006年はたった4.7だ。

 これは小さな問題ではありません。

この番組のために広告を売ろうとした人々は悲惨な時間を過ごしたに違いない。重役達はどうしたらこのピンチを切り抜けられるか思案しながら契約書を眺めていたに違いない・・・大惨事だ!

視聴者がいなければ、誰も広告スペースを買いません。広告スペースが売れなければ、あるいは低価格でしか売れなければ、テレビは困るのです。更に読み進めると、次のような文章に遭遇します。

「不穏な噂はあった」とピーター・カールーザーズは語っている。 「テレビ局の営業担当者が時間を売るのに苦労しているという話をチラホラ聞くようになった。そして、それが何を意味するのかあなたは知っているだろう。しかし、権利に何百万ドルも支払った場合、それを広告収入で補った方がいい。それが出来ないなら、出て行かなければならない」

勇気づけられる数字がほとんど得られないまま、オリンピックがやってきました。
男子シングルのアメリカの選手は、全米三連覇の21歳、ジョニー・ウィアー(シニア5年目ですが、グランプリ大会より重要な大会での表彰台は一度も無し)、初出場の世界選手権で銅メダル、四大陸選手権で金メダルと銅メダルを獲得した21歳のエヴァン・ライサチェク、出場した世界選手権2大会で12位(2002年)と16位(2004年)、オリンピックシーズンで有力選手が軒並み不在だった同シーズン四大陸選手権で銅メダルだった25歳のマシュー・サヴォワで、大会前の期待値はそれほど高くありません。

女子シングルでは、当初、ミシェル・クワンが逃し続けていたオリンピック金メダルを求めて出場すると見られていました。クワンはシニアデビューした1994年から(ただしこのシーズン、世界ジュニアでも優勝しています)、世界選手権で金メダル5個、銀メダル3個、銅メダル1個、オリンピックで銀メダル1個、銅メダル1個、グランプリファイナルで金メダル1個、銀メダル4個、グッドウィズゲームズで銀メダル1個、グランプリシリーズで金メダル12個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得していました。
皆が彼女を待っていました・・・しかし、最初の公式練習でクワンは股関節を負傷し、2002年五輪金メダリストのサラ・ヒューズの妹、17歳のエイミー・ヒューズが代わりに出場することになりました。

シニアで4年間しか競技しなかったサラは、金メダリストになったにも変わらず、ミシェルのようにアメリカ人の興味を引くことは出来ませんでした。更にエイミーの現役時代は姉より更に短かく、世界選手権から四大陸(2007年に銀メダル)、オリンピックまでの2シーズンだけでした。
そして、世界選手権過去2大会で銀メダルだった21歳のサーシャ・コーエンがいましたが、信頼するにはジャンプが気まぐれ過ぎました。

そして3人目はシニアデビューしたばかりの16歳、キミー・マイズナーでした。誰もスターではなく、ケリー・ローレンスは2006年オリンピックの章に『 Searching for “Somebodies”』(『誰か』を探して』というタイトルを付けています。

このフレーズは既に別の記事で引用しました:

クワン無しのチームではトリノで名の知れたアメリカ人スケーターを見つけるのは難しい。そしてオリンピック2大会連続で各選手を各表彰台の上に見出すのは更に難しい。2006年の全米男子チャンピオンであるジョニー・ウィアーはショートプログラムで2位につけるが、同じように見事なフリープログラムで追い上げることは出来ず、5位に終わった。

長年クワンに次ぐ2位だった全米で2006年にようやく初優勝を果たしたサーシャ・コーエンは、実際にショートでは首位発進するが・・・ウィアー同様フリーでつまずいた。

 

これがアメリカの選手達の結果です。

男子:

  • 4位 エヴァン・ライサチェク(10+3位)
  • 5位 ジョニー・ウィアー (2+6位)
  • 7位 マシュー・サヴォワ (8+5位)

女子:

  • 2位 サーシャ・コーエン (1+2位)
  • 6位 キミー・マイズナー (5+6位)
  • 7位 エイミー・ヒューズ (7+7位)

これは前シーズンの世界選手権から施行された、多くの視聴者と、そして選手達にとってさえ、まだミステリアスだった新採点システムに則ってもたらされた結果です。ここでは採点システムのメリットとデメリットには触れませんが、以下の文章をご紹介します。

 

I.J.S. が(スコアを与えるジャッジの質ではなく)スコアの質を向上しようとしても、システム全体が無駄な努力に終わると誰かは思うのは事実だ。「ジョージ・スタインブレナーが世界シリーズの審判を選ぶようになったら、あなたは結果を信じますか?」スコット・ハミルトンはこう問う。「同じことです・・・ジャッジの質を見ずに。彼らは母国を代表しており、そこには利害対立が存在するのです。私はISUに所属しながら、自分個人でいられるジャッジを設定する方法はあると思います・・・そして最高のジャッジがオリンピックに行かなければなりません」

 

問題はどの採点システムが使用されているかではなく、どのように使用されているかです。そして点において、ソルトレークシティ以来改善は全く見られませんでした。

アメリカのテレビがトリノ五輪を放送中、何が起きたのでしょう?

2006223日、女子フリーが高視聴率の長寿番組「アメリカンアイドル」に対抗し、大差で敗れた(2アイドルは2,350万人、オリンピックは1,770万人)。1週間前にも同じようなことが起こり、男子フリーとアイドルが視聴者数を競い合い、2700万人対1610万人でアイドルが圧勝した。しかし、女子フリーは常にオリンピックの中でも最高視聴率のイベントなだけに、アイドルに負けた事は衝撃的だった。

 […]何故、毎週行われる歌唱コンテストが、4年に一度しか開催された世界的競技種目の頂点の試合より高い視聴率を稼いだのか?

 

オリンピックで6位だったキミー・マイスナーは、1か月後の世界選手権で金メダルを獲得しました。この世界選手権には、トリノの金メダリスト、荒川静香と銅メダリストのイリーナ・スルツカヤは出場しませんでした。この優勝後、2007年の4位、2008年の6位の後、マイズナーは引退しました。

ミシェル・クワンが現役を引退した後、アメリカ(およびABC / ESPN)は長期に渡って力を維持出来る新しいチャンピオンを探していた。キミー・マイズナーが16歳で2006年の世界チャンピオンとして頭角を現した時、ペギー・フレミングとテリー・ガノンは放送中に彼女を「フィギュアスケートの新しい顔」として熱烈に歓迎した。「不運なことに、その後の数年間、度重なる怪我とその他の問題がマイズナーを悩ませた。それ以来、アメリカの「女子」チームの他のメンバーにとっても「長期に渡って力を維持する」ことは困難だった。一部にはこのスポーツのアメリカのテレビの視聴率低下を非難する人もいる。

マイズナーは(彼女のせいだけではありませんが)、スターにはなりませんでした。

2009年の秋、彼女が怪我のために2009-10年シーズンも競技しないと発表した時、つまり2010年オリンピックチームに入るチャンスを拒否された時、オリンピック前に復帰するというマイズナーの望みは正式に打ち砕かれた・・・少なくともバンクーバーに関しては。そして、フィギュアスケートの「新しい顔」、少なくともアメリカのフィギュアスケートは、競争の場にはほとんど存在していなかった。

何らかの理由で落胆させられた女子スケーターはマイズナーだけではありませんでした。2009年、アリッサ・シズニーが初めて全米女王になりました。しかし、2か月後の世界選手権ショートプログラムでは14位でした。

 

その結果、NBCは彼女のフリースケーティングを放送から完全に外すことを選択した。テレビの視聴者が現全米女王を世界選手権で見ることが出来なかったのはこれが初めてのことだった。

 

全米女王を放送しないという決断はあまり良い兆候ではないと私は思います。翌年にはオリンピックがあり、アメリカ女子は2選手しか出場出来ませんでした:

フラットと長州はバンクーバー冬季オリンピックで良い演技をしたが、多くの人が、オリンピック女子フィギュアでアメリカ女子が表彰台に乗らなかったのは1964年以来初めてだということに気が付いた。

 何がまずかったのか?現在のアメリカ女子は、未だかつて見たことがないほど強い突発的なアジア女子にただ単に追い抜かれたのだという者もいる。

 

フィギュアスケートとアメリカンアイドルの視聴率を再び比較してみましょう。

プロデューサー/ディレクターのロブ・ダスティンは、両者の間には、ほとんどの人が理解しているよりも大きな繋がりがあると考えている。「それについて考えてみると、アメリカンアイドルは我々がフィギュアスケートで行っていたのと同じことをしています:その才能によって「誰か」になる「名もない人」について話し、その人物の周りにドラマを作り上げます」と彼は言う。「2006年のオリンピック中、NBCがストーリーテリングをあまり行っていないように感じました。そして彼らの注意を引く何かがアイドルで起こったのだと思う・・・ストーリーを語らなければならないと私は確信しています。視聴者が誰かについて興味を引かれるよう90秒与えます」

 ABCのスーザン・ワインはダスティンの見解に賛成だった。 「私はかつてオリンピックのストーリーに夢中になりました」と彼女は回想した。 「フランツ・クラマー(1976年オリンピックのダウンヒルの金メダリスト)とは誰か?私は知りませんでしたが、調べるつもりでした!私は小さな山間の町から来た彼らの話を聞くのが好きでした。そして彼らは英語を全く話しませんでした。そして東ドイツの少女・・・私は彼女も好きでした。悲しいストーリーを背負っていたから。私達全員にストーリーがあります。誰かをパーソナライズすると、人々は彼らに共感し、彼らを応援したいと思うでしょう。」

 

視聴率が落ちたのはスケートだけではありませんでした。インターネット普及で、生放送されなかった競技の結果をすぐに知ることが出来るようになり、あるいは試合を観戦するための別の手段を選べるようになりました。

ローレンスの話はここまでにして、メアリー・ルイーズ・アダムスと彼女の「Artistic Impressions」に話を移しましょう。

スケートの解説者はライサチェクが2008年に初めて全米王者になった時から、彼の市場可能性を誇大宣伝し始めた。アメリカのスケートブロガーが言ったように、 「一部のメディアと米フィギュアスケート界は、我々のスポーツがおそらく切実に必要としている「肉とジャガイモ」の男(ありふれた男)として宣伝するのにエヴァン・ライサチェクは非常に都合がいいと感じていた。背が高く、いわゆるルックスの良いライサチェクの出現は、マーケティング機会という点においてこれ以上ないタイミングだった。オリンピックイヤーに世界チャンピオンに輝いたことも、オリンピック金メダルに向けて彼にとって追い風になった。更に、彼のCM出演契約を引き付ける能力にとっても重要だったのは、2010年が、通常冬季オリンピックで最も誇大宣伝されるアメリカ女子が有名選手無しでオリンピックに向かうのは10年ぶりのことだったという事実である。誰かがメディアの空白を埋めなければならなかった。世界チャンピオンとして既に有名なゴシップ欄で特集されていたハンサムなライサチェクは有望な候補者だった。

女子シングルにメダルの見込みがなかったため、バンクーバーではアメリカ人はライサチェクに集中し、例えはジョセフ・インマンのように、公正ではない行いをする者もいました。

2010年の金メダルはアメリカにもたらされました。しかし、上述したようにその後はゼロです。アメリカ選手は男子も女子も技術面においてトップ選手達からかけ離れていましたから、空白を埋められる望みはありませんでした。勝てそうになければ、ストーリーを作る必要もありません。人々が気が付かなければ、中途半端な勝利でもいいのです。

2019年12月号の「フォーブス」(私の小さなブログではありません)に公開された記事の中で、デビッド・レイはアダム・リッポンについて次のように称賛しています:

アダム・リッポンは冬季オリンピックの史上最も有名な銅メダリストになるかもしれない。男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した選手の名前を言えますか?少なくとも彼は私が名前を言える唯一の銅メダリストのフィギュアスケーターだ。公平を期するために言うと、私はフィギュアスケートをあまり見ていない。

最後の一文が全てを物語っています。レイはフィギュアスケートを知りません。しかし、それでも敢えてフィギュアスケートについて書き、世論に何らかの影響を与えようとしています。
平昌オリンピックの男子シングルの銅メダリストはハビエル・フェルナンデスです。リッポンは10位でした。リッポンは団体戦で銅メダルを獲得しました。しかしレイはアダム・リッポンについて書いた彼の記事:「Beautiful On The Outside, Fabulously Frugal On The Inside」(外側は美しく、内側は信じられないほど慎ましい)の中でそのことを明記するのを忘れました。
おそらく(団体戦と書いてしまうと)彼の考察が台無しになってしまうからでしょう。オリンピック金メダルを獲ったのは、彼にとっては「名前も国籍も不明な誰か」であり、記事には偏りがあります。

全員が羽生を知っているべきだとは言いません。私も多くの競技の多くの選手を知りません。しかし、知らないからこそ、私は敢えて彼らについて語りません。何故なら(よく知らない競技や選手を)語る資格がないと思うからです。アスリートを知らないというのは、至って人間らしいことで、さして重要ではありませんが、己の無知のためにそのアスリートを下げるのは重罪です。私が遭遇したこの種の記事は何もこれだけではありません。これは私が簡単に見つけ出すことが出来た最初の記事というだけです。

アメリカのシングルの選手にとって、事態は上手く運びませんでした。
少なくともネイサン・チェンが現れるまでは。

チェンは幼少時から、多くの4回転ジャンプを跳ぶ能力によって注目されていました。2013-2014年シーズン、彼はジュニアGPファイナルと世界ジュニアで銅メダルを獲得しました。翌シーズンは身体的問題で幾つかの大会に出場することが出来ず、前シーズンのような結果は得られませんでしたが、2015年12月のジュニアGPファイナルで優勝しました。シニア全米選手権の銅メダルによって、ジュニアとシニア両方の世界選手権に出場するはずでしたが、左股関節の剥離骨折のため、数週間の安静を強いられました。

彼のシニアデビューは2016-2017年シーズンのフィンランディア杯でした。彼はこの大会でパトリック・チャンとマキシム・コフトゥンを破って優勝しました。2つのプログラムを合わせてチェンは4ルッツ2本、4フリップ2本(1本は転倒)、4トゥループ2本(1本は転倒)、4サルコウ(転倒)を跳びました。多くのミスがあり、どちらのプログラムでもスピンの一つにVマークが付き、フリーでは4ルッツ、 4フリップ、3アクセルがGOEマイナスでした。しかし、2つのプログラムで合わせて7本の4回転ジャンプを入れられるスケーターは目を引きました。
フィンランドでは全てのジャンプを決めることは出来ませんでしたが、これが彼の意図なら、もし全てのジャンプが入ったら、他のスケーター達にとって厄介な相手になるのは明白でした。

その前のシーズン、羽生はクワド2本のショートとクワド3本のフリーで全ての記録を塗り替えましたが、彼の4回転ジャンプはトゥループとサルコウで、チェンが実施したルッツとフリップより基礎点の低いジャンプでした。またフリーはチェンより4回転ジャンプが2本少ない構成でした。仮にこのシーズン、羽生がフリーに4ループを導入しても、チェンの方が1本クワドが多く、しかも基礎点が高いクワドばかりでした。この数字だけ見ると、チェンが問題なく勝てるように思えます。しかし、多くの場合、勝敗を分けるのはクオリティ、つまり基礎点のある各エレメントのGOE、そしてPCSです。GOEとPCSは基礎点に関係なく、これらのエレメントの実施のクオリティと、これら全てのエレメントが如何にプログラムに溶け込み、一体化しているかを評価するための得点です。

チェンがシニアで出場した2つ目の大会はグランプリ大会、フランス国際でした。ショートプログラム2位、フリーはサルコウとトゥループで転倒、他にも2つのジャンプがGOEマイナスで4位。総合4位でした。そしてNHH杯、羽生との最初の直接対決でした。羽生はショートとフリー共に1位で優勝し、チェンはどちらのプログラムも2位(転倒1回)で総合2位でした。2人の間には30点以上の膨大な点差が開きました。

基礎点はチェンの方が高いですが、羽生は出来栄え点(フリーのTESが羽生の基礎点より高いものの、チェンのGOEはマイナスでした)と演技構成点で勝ちました。

2度目の対決はグランプリファイナルでした。羽生のショートプログラムが前大会より得点を伸ばしたのに対し、チェンは4フリップを回りきれず、ショートプログラムの点差はNHK杯より開きました。違いがあったのはフリーでした。
チェンは全てのジャンプを降り、僅かながらGOEプラスを持ち帰り、GOE12点を基礎点に上乗せしました。羽生には幾つかのミスがありました。このシーズンの鬼門となっていた4サルコウ/3トゥループだけでなく、3連続ジャンプのオイラーの後のジャンプが2サルコウになり、最後のルッツがシングルになり、彼のGOEは8点に届きませんでした。
演技構成点は両者共に前大会とほとんど変わず、1点半ほど下がりました。チェンはショート5位、フリーは1位で総合順位は2位でした。羽生はショート1位、フリー2位で優勝しました。

2人の点差は11.05に縮まりました。宇野昌磨はフリー2位で、0.34点差でチェンに次ぐ3位でした。現世界チャンピオンのハビエル・フェルナンデスはどちらのプログラムでもミスを連発し、4位に甘んじることになりました。チェンとの点差は14点以上でした。

まだ誰も気付いていなかったとしても、この時、チェンは羽生の最も強力なライバルとして正式に名乗りを上げたのです。
事実を言えば、既にこのことに気付き、彼を推し始めている人がいました。

どちらの試合にもアメリカジャッジと日本ジャッジがいました。
太字は2選手がショートとフリーで獲得した得点、一番下はトータルです。私は2人のジャッジ、NHK杯のアメリカジャッジ、ロジャー・グランと日本ジャッジ、山田登美子、そしてグランプリファイナルのアメリカジャッジ、ローリー・パーカーと日本ジャッジ、小塚あゆみの振る舞いをチェックしました。
日本では、グレンは羽生のショートプログラムに平均より1.39低い得点、チェンに平均より0.11点高い得点を与えています。低い数値で、彼のバイアスは1.50に留まっています。一方、山田のバイアスは更に低く、どちらのスケーターにも平均より僅かに高い得点を与えており、彼女のバイアスはたった0.10です。このように低い数値ですがら、両ジャッジ共は誠実に評価したと言っていいでしょう。

フリーにおける山田のバイアスは2.37に上昇しますが、ショートに比べてフリーは得点が倍になりますから、全く許容範囲と言えます。しかし、グレンはナショナリズムを発揮しました。チェンは平均+2.68と控え目ですが、羽生には平均より7.15も低い得点を与えています。
グレンは他の9人の出場選手の誰に対してもこれほど低い評価はしておらず、羽生の次に不利な採点をされたナム・ニューエンは平均-3.58、デニス・ヴァシリエフスは平均-1.39でした。羽生には細心の注意を払って採点したと言えます。グレンはフリープログラムの羽生とチェンの点差を9.83点も縮めました。NHK杯におけるグレンのチェンを有利にするバイアスは合計11.33でした。結構な数字です。これは綿密な調査とおそらく資格停止に値する乖離です。グレンが正しい得点だったと証明出来るなら別ですが。一方、山田の2.47は低い数値で、ジャッジの通常の裁量範囲内です。

ファイナルでは2人の点差はより少なく、ローリー・パーカーのバイアスはどちらのプログラムで同じように配分されており、非常に高い数値になっています。彼女も綿密な調査に値すると言わなければなりません。小塚の得点を見ると、ショートプログラムでは羽生に対して少々寛大だったように見えます。
しかし、これだけでは、どのようにしてこの数値に至ったのか、リンクで選手が何を実施したのか分かりませんので、内訳を詳しく見てみましょう。冒頭の4ループに小塚は0を与えていますが、-1がより正しい評価でしょう。
しかし、+3に相応しい4サルコウ-3トゥループにローリー・パーカーは+1、他の3人のジャッジ(スペインのマルタ・オロガザルとカナダのベス・クレーン、ハビエル・フェルナンデスとパトリック・チャンが羽生の最も有力なライバルだったことを留意しなければなりません)は+2を与えています。+3に相応しい最後のスピンにもパーカーとクレーンを含む4人のジャッジが+2を出しています。
小塚は羽生のループと3アクセル(今回は膝を深く屈曲して着氷しました)に対しては確かに高めでしたが、彼女の得点が高かったのではなく、他のジャッジの得点が低過ぎたのです。

フリーでは評価のバランスを取り戻し、彼女の羽生に対する得点は平均より僅か0.5点高いだけでした。結局、小塚のバイアス、あるいはバイアスの主張は許容範囲、パーカーのバイアスは間違いなく異常でした。そして彼女のこのようなバイアスはこれで終わりではないのです。

グランプリファイナルの後、国際大会はしばらくありませんでした。羽生はインフルエンザで全日本を欠場し、チェンは初めて全米チャンピオンになりました。

どんな得点で優勝したのでしょうか?

国内大会の得点は国際レベルでは考慮されません。あるいは、少なくともそういうことになっています。確かに自己ベストとは見なされませんが、ジャッジ達はこの得点に影響されます。

過去に遡ってみましょう。

1974年、1972年オリンピックで銅メダル、2973年世界選手権で銀メダルを獲得したジャネット・リンが引退した後、ドロシー・ハミルが初めて全米女王になりました。「Culture on Ice 」(130ページ)でエリン・ケステンバウムは「Sports illustrated」1974年2月18日号のためにジャネット・ブルースが執筆した記事「The Divine Right of Queens」(女王の神権)の短い一節を引用しました。このような文章です:

「タイトルと王権は常に次の順番を待つ者に移る。従ってドロシー・ハミルは平凡なパフォーマンスを披露したにもかかわらず、王冠を勝ち取る者と見なされた」。そして、ハミルの明らかに過大評価だったスコアについて「ジャッジお得意の策略」と評した。「(世代交代は)このように行われなければならない。もし我々が彼女に5.5点を並べて世界選手権に派遣したら、ロシア人達は我々がそうしたからという理由で、無意識に彼女に低い得点を出すだろう」

 

つまり、アメリカのジャッジ達は国際大会で高い得点を出させる、という明確な目的を持って、全米でハミルに不相応な高得点を与えたのです。1974年のことです。
そして、彼らのこの習慣はずっと失われることはなかった、と私は感じています。

チェンの得点を見ましょう。基礎点はスケーターがリンクで実施したエレメントに基づいています。多かれ少なかれですが(2020年スケートアメリカのショートプログラムでチェンはシットポジションを2回転維持出来ませんでした。本来なら無効と判定され、0点になるはずですが、基礎点にGOEを加えた4点近い得点を持ち帰りました)。そしてGOEはこれらのエレメントがどのように実施されたかに基づいています。これに関しても議論の余地がありますが、時間がありませんので割愛します。

シーズン全体の演技構成点を見てみます。

グラフのメリットを上手く活用しようと試みています。矢印は全米選手権を指しています。チェンが最も高い得点を獲得したのがまさにこの大会だということが一目で分かります。その左側の試合、つまり全米以前の全ての試合で獲得した得点が、右側の全米以後の試合の得点より低いことがよく分かります。
数字にも注目して下さい:

数字の表も作成しました。全米(太字)後にチェンが獲得した得点の平均は、全米前に獲得した最も高い得点を上回っています。フィンランディア杯は彼の最初の試合で点が低く、参考にならないというのなら、この試合は除外しましょう。グランプリ大会の平均はショートが40.73、フリーが82.61で、いずれにしても国別対抗戦より低い得点です。確かに彼は上達したのかもしれません。
しかし、私は得点が「このスケーターは何点ぐらいに値する」というジャッジの先入観に左右されている印象を受けます。全米選手権のショートプログラムで8.50-9.00を獲得した選手に、どうして8.00前後の得点を出すことが出来ますか?
ジャッジ達が、このプログラムがどう実施されたのか、ということだけに集中すれば可能ですが、1つの演技を現実通りに評価しようとするのは大変なことです。

ただの批判ではありません。ここではダニエル・カーネマンが著書『ファスト&スロー』で説明している内容をご紹介します。彼はエッセイ冒頭で、然るべき評価を行わず、己の直感に従ってフォードの株式に多額の投資をした金融会社の取締役のエピソードを語っています。

このケースでは、男性は投資前にその株を購入する意味があるのかどうか自問自答した、とカーネマンは説明しています。彼の脳はその答えを知りませんでしたから、繋がりのある、しかし別の質問(「私はフォードの車が好きか?」)に対して答えを出しました。そして彼は別の質問に答えを出したことに気付かずに、この答えに基づいて行動しました。

これは直感的なヒューリスティックの本質です。困難な問題に直面した時、しばしば無意識の内により簡単な問題に答えを出し、大抵の場合、脳内でこのこのような置換が行われたことに気が付きません(カーネマン、17ページ)。

このことは、同国という理由で自国選手を助けるジャッジや、便宜の図り合いや交換採点などの奇妙な状況以前に(私は前の記事で、特定の採点を疑念を持って調べたくなるほど議論の的となった疑惑の採点エピソードを幾つか公開しました)、ジャッジ達はこのスケーターは既に高得点をもらっているからという理由で、その選手に高得点を与えるケースが多々あることを示しています。
これが、各国連盟の多くが自国選手に得点を爆盛する理由であり、間違いに陥らない唯一の方法は、問題を認識し、細心の注意を払うことです。

これは前試合の結果にジャッジが影響されたことを示す例です。
下は2016-2017年シーズンの最後の3試合におけるチェンのショートプログラムです。四大陸選手権、世界選手権、国別対抗戦の3試合です。

四大陸選手権は全米選手権のすぐ後でした。唯一の問題は3人のジャッジが-1を出した4フリップでした。事実を言えば、ジャッジ達はチェンに恩赦を与えていました。何故ならこのジャンプはステップどころか長い助走(Long preparation)から実施されていたからです。
*注)当時のルールではショートプログラムの「ステップまたは振付要素からのソロジャンプ」は必須要件。ステップがないとGOE-3でした。

一つのジャンプでマイナス要件2つは厳し過ぎますか?でも、本来なら自動的に-3になるべきジャンプでした。プラス要件を幾つか満たしていたとしても、最終的にGOEはマイナスになるべきでした。GOEについてはこれ以上掘り下げません。GOEも私の興味の対象の一つですが、何もかも分析していたらキリがありません。チェンは羽生のコンビネーションのサルコウがダブルになるミスに助けられ、ショート1位、フリー2位で大会で優勝しました。

ここではショートプログラムだけを見ます。というのは、前の大会で生まれたスケーターへの期待は特にショートに影響を与えるからです。フリーではその直前の得点、つまりスケーターがショートプログラムで出した得点が参考になります。いずれ四大陸選手権のフリーも分析しようと考えていますが、今ではありません。
当然のことながら、次の世界選手権ではチェンは優勝候補の一人と見なされていました。というのも300点を超えられる選手はごく僅かだったからです。
しかし、ヘルシンキでは事は思い通りに行きませんでした。

3アクセルで転倒し、このミスが響いてショート6位でした。フリーでは冒頭の4ルッツと4サルコウで転倒し、別の3つのジャンプ要素でGOEマイナスでした。フリーは4位でしたが、順位を上げることは出来ず、最終順位は6位でした。

ジャッジ達の脳内でチェンの相場は少し下がったに違いありません。シーズン最後の試合は世界国別対抗戦でした。

世界選手権に比べて、技術面において問題の少ないプログラムでした(私は4フリップを見直していませんが、彼がジャンプの前にステップを追加したか疑問があります)。しかし、大きなミスがなかったにも拘わらず、チェンの演技構成点は前の2大会より低い評価でした。つまり、ジャッジ達はチェンからもはや並外れた演技は期待しておらず、得点を下げました。

国内大会の得点が国際大会の得点に影響を与えた別の例を見ますか?これらはチェンのSkating skillsに与えられた得点です。彼がジュニアの大会に参戦し始めてから2019-2020年シーズンまで全てのシーズンを見ました。

字が小さすぎて解読不可能かもしれません。グラフを作成する別の方法を模索しているところです。

2012-2013年シーズンから、シーズンごとに色分けしました。ジャパンオープン以外(ジャッジパネルはいますがほとんどアイスショーなので除外しました)の全ての試合を見ました。フリーを滑らなかった大会が2度あります。ジュニアGP第2戦でチェンは負傷し、棄権を強いられました。またオリンピック団体戦ではフリーは同国のアダム・リッポンが滑りました。

飛躍的に上昇していますが、これについては演技構成点の全項目について更なるチェックを済ませてから、別の機会に掘り下げます。

しかし、共通の事実が一つあります。チェンがまだ若く、アメリカがどのアスリートに賭けるか思案中だった最初の3シーズンは評価が上下していますが、2015-2016シーズン以降は安定して上昇しています。
全米選手権はより濃い色で強調しました。得点に関係なく、チェンがSkating skillsで最も高い得点を獲得しているのは全米です。そして、2月から4月の全米より後に出場した全ての大会で、彼の得点は9月から12月までのシーズン前半より高くなっています(例外は2018年平昌オリンピックですが、チェンは2本のショートでミスを連発しましたから、本来そうあるべきではありませんが、フリーの評価に影響されました)。
私の勘違いかもしれませんが、ホームで与えられるバカ高い得点はジャッジに何らかの影響を及ぼしているのではないかという疑念を抱かされます。

そしてオリンピックシーズンがやってきました。アメリカは非常に長い間(7年)、男子シングルでメダルを獲得していませんでした。女子に関しては11年間で世界選手権またはオリンピックで獲得出来たのは銀メダル1個だけでした。
アメリカのテレビはまさに崖っぷちでしたから、応援するのは理解できます。
アメリカは金メダル候補であるチェンに全てを賭けました。
彼らにとってチェンは唯一の可能性でした。

女子シングルの金メダルは2度の世界女王エフゲニア・メドヴェデワと彼女のリンクメイトの新星アリーナ・ザギトワの一騎打ちで、他の女子選手達は最初から銅メダル争いだということは皆が知っていました。

アイスダンスはカナダのテッサ・バーチュ/スコット・モイアとフランスのガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロンによる金メダル争いで、マイア/アレックス・シブタニは銅メダル候補でした。

ペアではメダルの望みはありませんでした。

一方、団体戦ではアメリカは四大会連続の銅メダルになる可能性が高かったのです。

4カテゴリーで銅2個、またはアメリカ女子が自己最高の演技をすれば銅3個が期待されていました(残念ながら期待通りには行かず、銅メダルはカナダのケイトリン・オズモンドの手に渡りました)。

金メダルの唯一の可能性はネイサン・チェンにかかっていました。メディアは彼を未来のチャンピオンとして過剰に持ち上げましたが、こういった報道は無害ではありません。チェンにとってはプレッシャーが一層大きくなることを意味していました。しかしメディア砲撃はジャッジにも影響を与えました。

カーネマンに戻り、プライミング効果についての彼の解説を読んでみましょう。私達によく知られている話題、私達は聞いたばかりの話題、または私達が長時間聞いていた話題は、私達の脳内に残り、無意識の内に影響を与えると彼は説明しています。彼は一文字欠けている単語の完成を例に挙げています。

 

もし、少し前にEAT(食べる)という言葉を見ていた、または聞いていた場合、それからしばらくの間は単語SO_PをSOAP(石鹸)ではなく、SOUP(スープ)と完成させる可能性が高い。当然、WASH(洗う)という単語を見たばかりなら逆もあり得る(69ページ)。

我々は何かを聞くことに慣れており、この何に他の何かを結びつける。
ジャッジ達が「チェンがオリンピックで勝つ」と聞くことに慣れていた場合、彼が滑る時、ジャッジ達はネイサンが酷い演技をするはずはないからと、無意識に彼のGOEとPCSを上げるでしょう(当然、これは意識的にやっていなくても、という意味です。しかし、私がL____E P____Rと書いただけでも、既に敏感になっている皆さんには、私が誰のことを考えているのかお分かりになるでしょう)。

アメリカのメディアはチェンの勝利を助けるためにベストを尽くしました。そしてチェン自身も、グランプリファイナル初優勝を飾ったチェンとして、大会に現れたのです。右足首を負傷した羽生の欠場によってハードルが下がったとは言え、ファイナルで優勝するには、有力選手の一人である宇野昌磨に勝たなければなりませんでした。

チェンはオリンピックのショートプログラムで全てのジャンプをミスしました。
彼に出来たことは、星の巡り会わせが良かったのか、プライミング効果だったのか、そしてテクニカルパネルのおかげでフリーに進出出来たことに感謝するだけでした。

これは冒頭の4ルッツです。右端の最初の画像はトゥピック、残りの3枚は着氷で、左に向かって進行します。着氷の最初の画像で既に足が氷に付いており、しかも前向きに着氷しています。
2枚目では氷上で回転し続けており、3枚目で転倒し始めています。このジャンプは回転不足で、基礎点は13.50から9.50に下がるべきでした。
4.10点低かったことになります。
つまりジャンプ1本を見ただけでも、17位ではなく、21位のはずでした。
私は他のジャンプにも疑念を抱きましたが、はっきり見える画像が得られませんでした。

Performanceの得点を見てみましょう。全てのジャンプをミスして8.14点?
ミスをしなかったミハル・ブレジナのPEは8.25でした。大遭難だったこのプログラムがブレジナとほぼ同じ得点に値したでしょうか?ジャンプ1本(3アクセルで転倒)でミスをしたキーガン・メッシングのPerformanceはチェンより低い8.07でした。クリーンなプログラムを滑ったヨリック・ヘンドリックスのPEがチェンより少し高い8.25でした。確かに、ヘンドリックスはクワドを跳びませんでしたが、同じくクワドの無かったアダム・リッポンは3アクセルがGOEマイナスだったプログラムでPE8.86、同じくクワド無しで全てのエレメンツがGOEプラスだったミーシャ・ゲーは8.54でした。

Performanceにクワドの数は関係ありません。集合体としてのプログラム全体から受けた印象を評価する項目のはずです。ミスが続いたプログラムが良い印象を与えたとは思えません。

ジュンファン・チャもミスはなく、GOEは0が5個でそれ以外は全て+1、+2、+3でしたが、Performanceはチェンより低い8.07でした。少しミスのあったブレンダン・ケリー(3アクセルのGOEが-0.57)は7.61点止まりでした。

チェンの得点は少し寛大過ぎませんか?
そして寛大だったのはおそらくPEの得点だけではありません。

羽生が万全なコンディションではなかったことに助けられ(痛み止めを服用しながら練習を再開したのは1月ですから、大会に出場出来ただけでも奇跡でした。そして彼がどんな風に滑ったのか言うまでもありません)、チェンのフリーは1位でしたが、総合では5位にまでしか順位を上げることは出来ませんでした。
事実を言えば、ローリー・パーカーは彼を銅メダルにしましたが、幸運なことにジャッジは彼女だけではありませんでした。彼女は何時引退するのでしょう?

 

オリンピックが終わり、世界選手権がありました。
状況をまとめてみましょう。
オリンピックチャンピオンの羽生は欠場。彼の怪我はまだ治っておらず、安静と加療が必要でした。
銀メダリストの宇野昌磨は世界選手権の公式練習中に足を痛めました。深刻な怪我ではありませんが、彼の演技は制限されました。
銅メダリストのハビエル・フェルナンデスは競技引退を決めており、世界選手権には出場しませんでした。フェルナンデスは最後のタイトルを獲得するために2019年欧州選手権で再び競技しましたが、事実上オリンピックと共に引退しました(この際、2020年の欧州選手権にも出場すべきでした。練習しなくても彼が優勝していたでしょう)。

ボーヤン・ジンがミラノで何をやらかしたのか知りませんが、プロトコルは衝撃的です(いい意味ではなく)。しかし、あれから数年経過しているにも拘わらず、私は男子シングルのプログラムをまだ一つも見ていませんから、コメントすることは出来ません。

しかし、この状況によって、ネイサン・チェンに初の世界タイトルが恭しく差し出されたのは間違いありません。

その後、何が起こったでしょうか?
採点法が改正されました。+5/-5システムはジャッジのウエートを大きくしました。そして、何らかの理由でジャッジが間違った得点を出した場合、競技の結果が歪曲されやすくなりました。

ジャッジが出す得点を間違えますか?

歴史は「イエス」と言っています。それも頻繁過ぎるほど起こっています。

ショートプログラムでは3回転または4回転のソロジャンプの前にステップを入れるという必須要件がなくなりました。つまり、これまではチェンのステップ無しのソロジャンプにマイナスを与えなかったジャッジは罰せられたかもしれませんが(これまでに誰かが処分されたという意味ではありません)、今はチェンのやっていることは合法的なエレメントになりました。
羽生がジャンプの前にステップを入れ続けるのは彼の選択です。

難しいことに挑戦してミスをする?
彼の勝手です。
ステップを入れて完璧に決めた?
だから何だというのです?
+5は別の機会に取っておきます。彼ならもっと出来るはずです。

今ではジャッジ達はまるで重箱の隅をつつくように羽生のフィギュアスケートの粗探しをし、例え粗が無くても何かを見つけようとします。

彼が世界最高得点を塗り替えた2020年四大陸選手権のショートプログラムを見てみましょう。冒頭の4サルコウに+5を出さなかったのは、一体どの要件が足りなかったのでしょう(+5には「ジャンプ前のステップ」、「離氷から着氷までの姿勢が良い」、「音楽に合って実施された」の内の2つが必要)。ナ・ヨンアン(韓国)、ナデジュダ・パレツカイア(カザフスタン)、ヘイラン・ジャン(中国)、山本さかえ(日本)はこのジャンプに+4を付けています。

4トゥループ-3トゥループのコンビネーションにはどの要件が足りなかったのでしょうか?サーシャ・マルティネス(メキシコ)、ナ・ヨンアン、キャサリン・エブリン・デュ・プレズ(オーストラリア)、ナデジュダ・パレツカイア、そして山本さかえは+4でした。

そして3アクセルに何が足りなかったのでしょうか?サーシャ・マルティネス、ロジャー・グレン(アメリカ)、キャサリン・エブリン・デュ・プレズはこのジャンプに+4を与えました。

スピンとステップシークエンスについても同じ疑問が湧きます。

ショートプログラムの63個の評価の内、+5が19個、+4が35個、+3が8個、+2が1個(中国ジャッジ)でした。問題はこの試合だけではありません。

下のグラフの左にある最初の表を見て下さい。

トータルスコアを除外すると、羽生は15回世界最高得点を出しています(ショートプログラム10回、フリープログラム5回)。これら全ての演技について、彼が獲得したGOE、実施したエレメントで獲得可能なGOE最高点(満点)、そして獲得可能な最高点と実際のGOEの比率(達成率)を計算してみました。大量の数字を公開して読者の誰かを震え上がらせないために、データの一部だけを入力しました。

初めて歴代最高得点を出した2012年スケートアメリカで羽生が獲得したGOEは9.27です。
これらのジャンプ(4トゥループ、3アクセル、3ルッツ/3トゥループのコンビネーション)、レベル4のスピン3本、ステップシークエンスで獲得可能なGOE最高点は14.10ですから、達成率は59.22%でした。

その後、羽生がリンクで実施するエレメントのクオリティは年々向上しましたから、達成率は上昇していきました。旧採点システム時代における上昇は明らかで、例外はジャッジ達から信じられないような過小評価をされた2017年世界選手権のフリーだけでした。

採点システムの改正と共に(青から緑への移行が、改正前と後を示しています)、羽生が実施するエレメントのクオリティは突如として下がったのでしょうか?GOEの達成率が大きく下がっています。

ヘルシンキのGOE達成率は35.42%でした。世界最高得点にしては、大して加点されていません。
確かに、新ルール導入後の一定期間は世界最高得点がリセットされましたから、完璧でなくても記録を樹立することは可能でした。実際、羽生がこの記録を出す前に試合をした宇野昌磨(9月のロンバルディア杯での世界最高得点)とネイサン・チェン(10月のスケートアメリカで宇野の得点を上回る)を樹立していました。11月に羽生がチェンの得点を上回り、この記録は翌年2月の四大陸選手権で宇野がこの得点を上回るまで続きました。

つまり、シーズンのベストスコアの一つですが、GOE達成率はたった35.42%でした。特殊なケースだったのでしょうか?

他の得点を見てみましょう。
2017年世界選手権のフリーは考察の対象になりません。
この大会、羽生はショート5位発進で、一番滑走でした。ジャッジ達は後続の選手達が完璧に滑ったら彼を上回れるよう羽生の得点を下げました。ジャッジの誰かがこのように振る舞ったと告白することは絶対にないでしょうが、試合を見れば明らかです。

この動画は採点の間違いについて私が語るよりずっと分かりやすく説明しています:

このプログラムは置いておくとして、別のプログラムを見てみましょう。
採点システム改正後に樹立された5つの世界最高得点全てについて、羽生が獲得したGOE達成率は前ルールでの4つの世界記録中3つ(黄色で強調しました)より低くなっています。つまり、ジャッジ達によれば彼のエレメントの質が落ちたということでしょうか?

下の表と右のグラフは演技構成点を示しています。
比較しやすいよう、ショートは演技構成点を5で割り、フリーは係数が2倍になりますので10で割り、5コンポーネントの平均を出しました。

過去2年間で彼が樹立した5つの世界最高得点は全てそれ以前の5つの世界最高得点より演技構成点が低くなっています。

他のスケーター達の演技構成点は年々上昇する傾向があるのに、羽生のPCSだけ彼が提供するクオリティに関係なく下降しています。

私は同じ表とグラフを世界最高得点ではなく、ショパンのバラード第1番だけに焦点を当てて作成してみました。この場合、羽生がノーミスで滑ったケースだけに限定して得点を確認しました。

前述の4大会に加え、羽生が採点システムを破壊した試合、2015年NHK杯、2015年グランプリファイナル、2017年オータムクラシック・インターナショナル、2020四大陸選手権の得点も入れました。2016年世界選手権と2018年オリンピックは彼の別の世界最高得点とほぼ同じなので省きました。

彼がこのプログラムを最初にクリーンに滑ったNHK杯は、その後の試合に比べてかなり低い得点でした。だからといって高得点ではなかったわけではありません。この時、彼は自身が持つ世界最高得点を4.88点上回りました。そして、彼が世界最高得点を塗り替える時、多くの場合、前の記録より2点以上高い得点を出しています。

ただ単に彼が得点を上げなければならないとジャッジ達に理解させたのがこの瞬間だったのです。
最初の試合では、ジャッジ達はそのような高得点を出すことに躊躇しました。
2度目になると、完璧なプログラムという観念に慣れ、高得点が出たのです。
彼は+3や10.00を出すことが「異端」ではないとジャッジ達に分からせました。

そしてグランプリファイナルの後、得点はどの選手に対しても少しずつ上がって行きました・・・羽生を除いて。

GOEの評価は試合の度に下がっています(唯一の例外は2017年オータムクラシック・インターナショナルで前の大会、2016年世界選手権より高い得点が出ました)。
演技構成点も同様です。意図的にやっているのか否かはともかく、ジャッジ達はリンクで見ている内容に反比例して、羽生を下り坂に配置しました。
一般的な記述では今はチェンがチャンピオンですから、チェンの得点が上がる一方で、羽生の得点は下がらなければなりません。

これはISUウェブページに公開された羽生のバイオグラフィーです。ナショナル連盟ではなく、国際連盟が彼をこのように紹介しているのです:

羽生にとってアイドルのスケーターが、アメリカのジョニー・ウィアーだけになっており、ロシアのエフゲニー・プルシェンコの名がありませんが、きっとうっかり書き忘れたのでしょう。
2度世界選手権で優勝し、アジア男子史上初だったという記述がありませんが、まあ目をつぶりましょう。

しかし、「国際大会での結果」のセクションの記述には少なくとも興味深いものがあります。全てを記述するのが無理なのは分かりますし、過去2シーズンだけに絞るのもいいでしょう。しかし、リストは2017-2018年シーズンの1大会から始まっています。グランプリ大会を記述して、最も重要な大会であるオリンピックを記述しないのは何故でしょうか?
あまり重要でない大会の2位が記載され、どの大会より圧倒的に重要な大会の1位を省略しています。
どういう理屈でしょうか?
その後の2シーズンではB級大会のオータムクラシックインターナショナルまで入れているというのに、最も重要な大会を入れるスペースがなかったのでしょうか?何故でしょうか?
実際には、他のスケーターのバイオグラフィーにもオリンピックの結果は記述されていません。
オリンピックはISUではなくIOC主催の大会だからです。おそらくこれが理由だと思いますが、この記述の欠落は、ISU幹部達が、自分達の小さな庭の外に視界を広げられないことを私達に教えています。

いずれにしても、当然相応しい賞賛を受け取れないスケーターがいる一方で、自分がやっていないことまで賞賛されるスケーターもいるのです:

「チェンは1つのプログラムで初めて5本の4回転ジャンプを成功させたスケーターであり、今現在、試合で5種類の4回転ジャンプを成功させたことのある唯一のスケーターである」
この記述は正しいです。
しかし、1つのプログラムで最初に4本の4回転ジャンプを成功させたのは彼ではありません。彼は2016年全米選手権のフリーで4回転ジャンプを4本降りました。しかし、国内大会での記録に意味はありません。考慮されるのは国際大会だけのはずです。これは2016年四大陸選手権のプロトコルです。

スケーターの名はボーヤン・ジンです。

再び過去に遡り、ウルマノフとストイコを比較した1994年の記事を見ましょう。E.M.スウィフトが「Sports Illustrated」のために書いた記事をエリン・ケステンバウムが引用しています:

 

この新世代を代表するのはクワド・ゴッドとして知られる21歳のストイコである。彼の動きは意図的にぎくしゃくしており、彼のポーズは明らかにバレエ的ではなく、彼のジャンプは通常巨大である。練習で一週間ずっと4トゥループ/3トゥループを着氷していたストイコは、真のジャンプマシンだが、芸術性に対する評価が常に彼の足を引っ張ってきた。ジャッジ達はノルウェーのトロールの身体を持つ彼が許せないようである。彼の腕と脚は筋肉質の胴体には短過ぎ、頭と首は大き過ぎる。このため、彼の芸術的可能性は限られている。ストイコの体格は空中にクラシカルなラインを描くために意図されたものではない。「ジャッジはスケートには複数のスタイルがあることに気付くべきである」とストイコは言う。「クラシックだけではない」( 199-200ページ)

私はストイコをノルウェーのトロールと比べてきたことはありませんが、人々が思い描くスケーターのイメージとは異なる外見によって彼が損をしていた可能性はあります。ただし、ジャッジ達が複数のスタイルが存在することを理解すべきという彼の発言は、少々自分本位だと思いますが。

確かにジャッジ達は伝統主義者ですが、1993年世界選手権のショートプログラムでは、クラシックなプログラムとは言い難いレッド・ツェッペリンの「Bonzo’s Montreux 」のドラムに乗せて滑ったカート・ブラウニングが首位でした。

ストイコは、ジャンプと「マッチョさ」がより強調されたプログラムを滑っていましたが(男性的なフィギュアスケートの代表格でした)、ジャッジに影響を与え、芸術点(現在の演技構成点)を上げようと試みていた点において、ウルマノフより芸術性が劣っているということはありませんでした。

一方は洗練性に少し欠けているけれど、よりジャンプに優れているという比較が当時の解説でされていたことを私も覚えています。ストイコはアメリカ人ではなく、カナダ人ですが、プログラムの芸術性に関係なく、ジャンプの重要性を高めることに貢献し、欧米メディアは彼の味方でした。

 

スウィフトは不適切に着飾って媚びている、従って従来、女性的とされる美点を勝ち取るために、行為ではなく、身体的魅力に異存しているとして、ウルマノフを拒絶した(ケステンバウム、200ページ)。

 

フィギュアスケートにおける女性的側面に関する議論は、ケステンバウムの著書の基本であり、男性がフィギュアスケートをやることが社会的に受け入れられるためには、ジャンプのアスレチック面に重点を置く必要があると主張しています。美的側面は女性にとって重要であると見なされており、主要な美のコンテストが、女性のコンテストであることは偶然ではありません。女子は鑑賞対象の物として扱われ、従って優美な動きやイーグルを実施し、独特なポーズを追求することが出来ます。一方、男子は逞しく、精力的でなければなりませんので、ジャンプを跳び、アスレチック面において彼が行っていることから気が散らないような衣装を着なければなりません。

 

ストイコによって、新しさと西(すなわち新世界)、男らしい野生または荒々しさ、自然体、個人主義、大衆文化、片側からの客観的可算性という暗黙の構造主義バイナリーが確立された。その対局にフィギュアスケートの体系、保守主義と東(旧世界)、女性らしさ、洗練、人工的、調和、高尚な芸術、エリート主義、そして純粋に質がある[…]

アメリカとカナダのメディアは、ジャッジパネルが二者択一を余儀なくされている男子フィギュアスケートにおける代替ビジョンの見本としてこの2人のスケーターを繰り返し比較し、しばしばストイコに象徴される価値観を暗黙的または明示的に支持し、明らかにジャッジが好むウルマノフの特徴をことごとく否定した。「女子」のような男子がいる場所というフィギュアスケートの観念を否定するストイコと彼の支持者である西側メディアは、大きなジャンプやスピードあるスケーティングといった攻撃的アクションを主体とするスポーツの見解ではなく、主に外観や好みで評価されているとして、クラシックなボディラインとフリルが散りばめられた衣装が基本の男子フィギュアスケートに相応しいチャンピオンであるウルマノフを認めなかった。(ケステンバウム、200-201ページ)

 

上述の文章の「大きなジャンプ」を「多くのジャンプ」に置き換えると、チェンと羽生の対比と大体重なりませんか?チェンはストイコよりはハンサムですし、2人のスケーターを完全に別の2人と置き換えることは出来ません。しかし衣装やジャンプ重視の考察、男性的なフィギュアスケート、(羽生の斬新なプログラムを忘れて)特定のプログラムの斬新さを強調する辺り、そして西洋と東洋の比較(前者の方が良いという見方)、これらは共通しています。

 

欧米メディアはチェンを引き立てようと働き、2018年に再び負傷した羽生は図らずもチェンを助けることになりました。
危険なライバルの不在により12月、チェンは邪魔されることなくグランプリファイナルで2度目の優勝を飾りました。2019年世界選手権にやって来た時、チェンは確かに世界チャンピオンでグランプリファイナル二連覇中でしたが、彼のこれら成功が羽生不在の間に成し遂げられということをメディアは決して言いませんでした。
アメリカのメディアやイタリアのフィギュアスケートに詳しくないメディアだけではありません。
RAIからはチェンに対する賞賛しか届きません。彼に有利だった状況に触れず、優勝という結果だけを褒め称え、まるで大学に在籍しているスケーターが他にほとんど存在しないかのように、彼が大学生でもあることを過剰に強調しています(女子選手は年齢的に高校生の方が多いですが、大学に在籍しているスケーターは他にもいます)。

私は他のスケーター達の大学に関する話を全部合わせたよりも多く、彼の大学における学業の話を聞きました。
うんざりするほど繰り返し聞かされた大学の話は、彼という人物をより良く知ってもらい、彼を親しみやすくし、一般人に彼に好意を抱かせ、全てに努力する好人物として彼を紹介するための一種の戦略です。
アメリカのテレビは理解出来ますが、イタリアでまでこのような影響が見られるということは、アメリカのテレビが多額の投資をしていることであり、危惧せずにはいられません。
何故なら、カーネマンが教示しているように、チェンがチャンピオンであると、執拗に頭に叩き込まれることにより、彼がやっている内容に関係なく、得点が上昇するからです。

チェンの実施したことが、実際の内容ではなく、彼の名声に則って判定された例を見ますか?
前述したスケートアメリカ2020ショートプログラムのスピンです:

チェンと羽生は2019年埼玉世界選手権で再び対戦しました。
確かに羽生はショートプログラムでサルコウにミスがありました。4回転の予定がダブルになってしまったため、このエレメントは0になりました。ここまでは全て正しいです。
しかし、チェコ・ジャッジのミロスラフ・ミスレック、クロアチア・ジャッジのアンティカ・グルビシック、イスラエル・ジャッジのアルバート・ザイドマン、スイス・ジャッジのベティナ・マイヤー、スペイン・ジャッジのサオイア・サンチョ、フランス・ジャッジのフィリップ・メリゲは、彼の3アクセルに一体何が足りなくて+5を出さなかったのか説明すべきです。

ミスレック、マイヤー、メリゲは羽生とチェンの3アクセルを同評価の+4にしました。

羽生の3アクセルは、バックカウンターから実施され、着氷後、すぐにツイヅルに繋げており、飛距離3.62 m、高さ70 cmの完璧なジャンプでした。

チェンの3アクセルは助走の後に実施され(彼にしてはあまり長い助走ではありませんでしたが、準備無しに実施されたジャンプではありませんでした)、着氷で前のめりになり、それを誤魔化すために大急ぎでもう一方の足を着いて逃げ去っています。彼のジャンプの飛距離は2.66 m、高さは58 cmでした。

羽生のジャンプはショートプログラムに出場した35選手中最も幅のあるジャンプでした。一方、チェンのジャンプは平均でしたから、GOEプラス要件の最初のブレット「very good height and very good length」がありませんでした。
ルールではこの項目を満たしていないと、+4以上を与えてはいけないことになっています。
そして、「effortless」もありませんでした。勿論、減点に値するほど大きくバランスを崩したわけではありませんが、フィギュアスケートの試合を見たことがない人でも気付くレベルでした。
そして、ジャンプ前のステップは無し、「very good position」も不足していましたから、チェンのアクセルは大目に見ても+2が妥当でした。
+2が彼の受け取った最も低い得点なのは残念ですが、ジャッジ達はプラス/マイナス要件のブレットをチェックするのを忘れていたのでしょう。

これはジャンプ1本の例です。
一つはジャッジの恩恵を受けているアメリカ人のスケーターが実施したジャンプ、もう一つは日本人、つまり、決して文句を言わない、あまり重要ではない国の、しかも国内に派閥があり、彼ではなく別の日本人を推そうか思案しているような国から来た、完璧なエレメントでさえ下げられるスケーターのジャンプです。

問題はジャンプだけではありません。
チェンのコーチであるラファエル・アルトゥニアンは、2016年スケートアメリカの後、別の教え子であるアシュリー・ワーグナーについて話しながら、トランジションが何か知らない、あるいは彼にとって全く重要ではないと発言しました:

動画が消えてしまわないとも限りませんので、会話を書き起こします。

インタビュアー:プログラムに十分なトランジションがないという批判がありますが、(トランジションを)追加する予定はありますか?

 アルトゥニアン:いいや、いつも・・・トランジションとはどういう意味だね?

 インタビュアー:両足滑走が多いという意味です

 アルトゥニアン:両足だろうと片足だろうとパフォーマンスはパフォーマンスだ。ジャッジ達が・・・もしそれを気に入らなかったら低い点を出すだろう。

 インタビュアー:もしそうなったら(ジャッジが低い点を出したら)、トランジションを加えますか?

 アルトゥニアン:ない

 

アルトゥニアンは知らないようですから、トランジションとは何を意味しているのか明らかにしましょう。

少し前にISUはこの表に幾つかの変更を加えましたが、コンポーネンツの各項目が意図するところは明確にされています。
確かに片足または両足滑走に関係のない「Performance」という項目はありますが、「Transitions」という項目もあり、アルトゥニアンがはぐらかしたということは、質問の意味が分からなかったのか、あるいは彼の教え子のプログラムはトランジションがあまり多くないことを認めるつもりがなく、答えたくなかったのでしょう。

片足または両足とは書かれていませんが、「Intricate footwork」(複雑なフットワーク)と記述されており、ISUは別の文書で何が難しいステップに該当するのか明記しています:twizzles、brackets、loops、counters、rockers 、choctaws。最後のチョクトーだけ足換えがありますが、それ以外は全て片足で実施されるムーブメントです。

アルトゥニアンはトランジションを軽く一蹴し、ジャッジが気に入らなければ得点を下げると公言し、ジャッジメントの主観性はスケーターが実施する内容より遥かに重要であると強調し、とにかくトランジションは追加しないと言っているのです。

どうしてトランジションを入れる必要があるのです?彼の教え子達は、やっている内容に関係なく高得点を貰えることを知っているのでしょう。ワーグナーに関しては、Skating skillsとTransitionsの両方で浅田真央より高い評価を貰ったことがありました。

この表では興味のある部分を赤枠ではなく紫枠で囲みました(元の画像には既に赤枠が存在するからです)。得点の意味を紫枠で囲んで強調しました。スケーターは実施した内容が卓越していた場合(Excellent)にのみ9.00以上の得点に値します。たくさん努力したとか、好青年であることは得点に関係ありません。ここで問題になるのは他の何でもなく、スケーティングの質です。

上述のコメントは自国開催の2016年世界選手権で束の間の栄光を掴んだアシュリー・ワーグナーに言及した内容ですが、彼女は既に引退しています。そしてネイサン・チェンについては何と言っているのでしょう?この記事の一文を再び引用します:

https://fs-gossips.com/rafael-arutyunyan-if-a-person-is-a-fool-there-is-no-difference-whether-he-is-a-kid-or-adult/

ネイサンと私はかなり長い間批判されてきた。例えばフリープログラムではジャンプがあるが、トランジションはないと。そこで私は反対に訊き返した。私はこう質問した:「君はチェンが全てのクワドをクリーンに実行して、同時にジャッジにウインクすることを望んでいるのか?ああそう?ショートプログラムではそれに近いことをやった。しかしそれはプログラムが短く、ネイサンがかなり自信を持って跳べるジャンプで構成されていて、余裕があるからだ」

 

これはチェンが羽生に勝った20019年世界選手権の後の発言です。
彼にとってトランジションとはジャッジ達に対するウインクに過ぎないのでしょうか?
ショートプログラムではジャンプがそれほどハードではなく、余裕があるので、(トランジションを)ほぼ入れたということでしょうか?

リセットします。

2010年、ジョセフ・インマンは、自分のプログラムにはトランジションが無いというエフゲニー・プルシェンコの発言を60人近いジャッジにわざわざ報告し、オリンピックではプルシェンコのトランジションに対する得点は劇的に下落しました。

そして今アルトゥニアンがより強気な発言をし、チェンの得点は上がるでしょうか?
答えは「イエス」です。実際、翌シーズン、チェンの得点は更に上昇しました。
下のグラフはジュニア時代(2012-2013年)から今までのチェンの得点の変動です

グラフでは数字は見えませんが、左の表に数字を記載しました。左がショートプログラム、右がフリープログラムで、大会プロトコルの順番通りに:skating skills, transitions, performance, choreography/composition, interpretation of the musicの順で得点が入力されています。

5コンポーネンツの横に時々現れる数字は、最初の列は転倒の数、2列目はGOEマイナスの数を示しています。チェンのプログラムがクリーンだったかどうか分かるように自分用にこの2列を追加しました。

下の表は2019年世界選手権男子フリーの得点です:

チェンのトランジションは羽生に次ぐ2位の得点で、しかもその差は僅かです。

皆さんはジョージ・オーウェルをご存じですか?
彼の寓話小説「動物農場」の最初の方で、農場内で守るべき掟を明記した「7つの掟」が農場の壁に書かれます。しかし小説の終わりでは、いつの間にか壁の掟は「すべての動物は平等だが、一部の動物はさらに平等」の一つだけになっているのです。

ルールは全ての人に同じように適用される訳ではなく、場合によっては、望ましい結果を得るために不正行為も許されます。

前述のアルトゥニアンがチェンに言及したフレーズは実際はもう少し長く、このような言葉で始まります:

ルールについて考えるのではなく、自分が必要だと思うことをすべきだと私は思う。ルールは破るためにある。もし破らければ、その他大勢と同じになる。何も自分のアスリートがその他大勢と同じになるように指導することはないだろう?

つまり、彼にとってはルールは破るものなのです。それらを最大限に生かす方法を見つける必要はありません。ルールを破ればいいだけなのです。
そして明らかに彼は知っています、幾らルールを守らなくても見逃されることを。

彼の教え子達は、例えトランジションが無くてもTransitionsで高い得点を貰え、チェンは本来なら無効になるスピンがレベル4と判定され、加点まで貰えるのです。どうしてルールの取るに足らない詳細を気にする必要があるのでしょう?

数日前にご紹介したM.G.パイエティの2本の記事のリンクをもう一度貼ります: https://www.counterpunch.org/2014/02/13/yet-another-olympic-figure-skating-judging-scandal/  https://www.counterpunch.org/2014/02/18/can-olympic-ice-skating-sink-any-lower/
メリル・デイヴィス/チャーリー・ホワイトをネイサン・チェン、テッサ・バーチュ/スコット・モイアを羽生結弦に置き換え、「スピード」に関する話を「ジャンプ」に置き換えてみて下さい。
状況は全く同じです。

アメリカのスケート連盟はチェンを推しており、フィギュアスケート界はアメリカの希望に従っています。カーネマンはジャッジ達が如何に騙される可能性があるか説明しており、フィギュアスケートの歴史は、多くの間違いは誠意で行われたのではなく、本格的な政治ゲームだったことを私達に思い出させます。
埼玉でチェンが羽生を追い抜いたという土台が築かれ、2019年末のトリノではジャッジ達は風潮に従い、「現実ではあり得ない」としか形容しようのない得点をチェンに与えて彼を褒め称えました。
この風潮が2022年の北京まで続くことは疑う余地もありません。

チェンが2020年四大陸選手権をパスしたのは彼自身の選択です。彼は練習と学業のために家に留まることを選び、世界選手権でシーズンを締めくくるつもりでしたが、 世界選手権は中止になり、予定が狂いました。しかし、大会中止の被害に遭ったのは彼だけでなく、出場を予定していた選手全員です。無論、彼が優勝候補2人の内の1人だったことに議論の余地がありませんが。
そしてISUによって世界ランキングを発表された時、チェンは4位でした。馬鹿げた順位です。アレクサンドル・サマリンやドミトリー・アリエフといったチェンに一度も勝ったことのない2人のスケーター(少なくともシニアでは。ジュニアの結果は調べる気が起こりませんでした)がチェンより上の順位というのは確かに奇妙です。
そしてシーズン世界ランキングではチェンは何と15位です。
馬鹿げた順位であることは誰もが知っています。
チェンと羽生の最近の直接対決は2度共チェンが勝ちましたが、羽生はどちらのランキングでも1位でした。他の多くのこと同様、このことも頭に入れておきます。私は羽生が1位で嬉しいですが、大会が中止されたおかげで彼が1位になることは望んでいませんし、同様に彼があのような採点をされるのも見たくありません。これは私次第の問題ではありませんから、心に留めておくだけです。
しかし、私は自分が応援する選手をなりふり構わず褒め称えるために、世界ランキングを持ち出したりはしません。

世界ランキングは最も強い選手のランキングではありません。特定の期間に獲得されたポイントによって順位が決まりますから、当然、より多くの大会に出場した方がポイントを稼ぐことが出来ます。

多くのフォロワーを持ち、世論に影響を与えることの出来るフィリップ・ハーシュが、「可哀そうなチェンに対する不公平」と論じるのは、ジャーナリズムではなく、プロパガンダだと私は思います。
何故、プロパガンダなのか?
世界ランキングの仕組みはずっと前から同じですし、チェンが世界タイトルを守ることが出来なかったのは勿論、彼のせいではありませんが、他の誰のせいでもありません。やむを得ない事情による不運であり、何もチェンに対する陰謀ではありません。

ハーシュが公平とは思えないのは、羽生が自主的にパスした訳ではなく、怪我のために大会に出場出来ず、ランキングでチェンに抜かれた時は、何も言っていなかったと記憶しているからです。
チェンはこれでシーズンが終幕することになるとは知らずに自らの意思で四大陸選手権に出ませんした。ハーシュはこれを不公平だと主張するのでしょうか?
羽生は怪我でグランプリファイナル2大会と世界選手権1大会(しかも、もう1大会は怪我が完治していない状態で出場しました)に出られませんでしたが、ハーシュは完全にスルーでした。平等な扱いですか?

他のカテゴリーを見目見ましょう。

2019-2020年シーズン、ロシアのアリョーナ・コストルナヤは、グランプリファイナルと欧州選手権を含む出場いた全ての大会で優勝しましたが、世界ランキングでは7位です。世界ランキング2位のブライディ・テネルのシーズン最高の成績は、四大陸選手権銅メダルとスケートアメリカ銀メダルです。その他の成績はスケートカナダ4位とグランプリファイナル6位でした。2019年世界選手権では7位でした(このシーズン、コストルナヤは年齢制限でまだシニアではなく、世界ジュニアは怪我で欠場しました)。ハーシュは女子のランキングも馬鹿げていることに気が付かなかったのでしょうか?

アイスダンスでは、2019年世界選手権、2019年グランプリファイナル、2020年四大陸選手権全てで銅メダルだったメディソン・ハベル/ザカリー・ダナヒューが3位、世界選手権6位、グランプリファイナル2位、四大陸選手権1位だったマディソン・チョック/エヴァン・ベイツが5位、世界選手権とグランプリファイルで優勝し、欧州選手権2位だったガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロンは7位でした。
これらの奇妙な順位についてハーシュは全く触れていません。自分のアジェンダに不必要なことは話さない、これではジャーナリズムとは言えません。

現在、ランキングは固定されており、突発的に開催されている大会では、疑わしい採点が行われています。北京は・・・少なくても一種目については結果が既に決まっているのではないかと私は懸念しています。私の思い違いであり、誰かの経済的利益ではなく、スケーターがリンクで実施する内容に基づいて結果が決まることを願っています。しかしながら、過去に起こったこと、そして今起こっていることを見ながら受ける印象は、楽観的に受け止められるものではありません。

☆筆者プロフィール☆
マルティーナ・フランマルティーノ
ミラノ出身。
書店経営者、雑誌記者/編集者、書評家、ノンフィクション作家
雑誌等で既に700本余りの記事を執筆

ブログ
書評:Librolandia
スポーツ評論:Sportlandia
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私は短期集中型で、マラソンや持久走は昔から先行逃げ切り型です。なので毎日少しずつ、にすると途中でダレてしまって、余計に時間がかかり、時には途中で挫折してお蔵入りになってしまったりするので、どの記事も大体1日か2日(日中は仕事がありますので、正確には一晩または二晩)で一気に訳してしまうのですが、さすがにこの分量を2日で訳すことは出来ず、数日を要しました。

あまりにも膨大な量なので、最初は羽生君とネイサンに関する部分だけを抜粋しようかとも思ったのですが、そうするとこの記事のコンセプトが正確に伝わらず、説得力が失われると思いました。

アメリカにおけるフィギュアスケートの栄光と衰退の歴史、過去の記述や記事から読み取れるアメリカ・スケート界の思惑、アメリカテレビの切実な事情といったバックグラウンドがあっての現在のネイサン推し、という事実を綿密なデータと鋭い考察によって克明に浮かび上がらせていくマルティーナさんの手法はお見事です。

彼女は評論とノンフィクションを専門とするプロのライターで、彼女の書架には90年代から集めているというフィギュアスケートに関する書籍、雑誌、DVDなどの資料が揃っています

掲載元:Sportlandia:Di giudici, giurie e giudizi equiより

 

この記事を読んで、アリ・ザカリアン氏がアワード式開催に何故あそこまで固執したのか、少し分かったような気がしました。

アメリカのフィギュアスケート全盛期を知るアリ氏の懐古の念、何とかしてかつての栄光と人気を取り戻したいという気持ちがあまりにも強いのでしょう。

正装したスケーター達にレッドカーペットを歩かせ、形だけでもオスカーナイトの真似事をすれば、大衆の興味を引き、憧れを抱かせ、多少でも人気を回復出来ると思ったのでしょうか?

もしそうだとすると、非常に的外れで時代遅れな発想です。

テレビやメディアが好きなように演出して発信する情報を視聴者が一方的に受け取る、視聴者が受け身だった当時とは違い、現在はインターネットの普及によって、視聴者側が自分の興味のある情報だけを選び、受け取る情報をパーソナライズ出来る時代です。

そして、あらゆる情報がネット上に溢れていますから(勿論、フェイクニュースにも満ちていますので、真偽を見極める目が必要ですが)、メディアやテレビが報道しなくても(あるいは隠蔽または改ざんしても)、真実を隠しておくことは出来なくなりました。

メディアが何か、または誰かを不自然に推したり、過剰宣伝したりすれば、視聴者は押売商法特有のうさん臭さを感じ取り、却って白けるだけです。

アリ氏があのアワードから何を期待していたのかは分かりませんが、お粗末で誠意に欠ける運用によって批判と反感の的になり、挙句の果てに世界選手権は中止され、リモート開催になりました。

しかもドレスアップしていたのは司会のチャーリー&タニスと羽生君だけで、後の選手は思いきり普段着、しかもリモートですから、アリ氏が夢見ていたオスカーナイト張りの華やかなセレモニーからは程遠いものでした。

そんなにスターを作りたいなら、まず羽生結弦を研究すべきではないですか?

彼はマスコミから大して推されず、バラエティには一切出演せず、SNSもせず、試合以外では全く自分をアピールしていませんが、フィギュアスケート史上未だかつてないほど世界レベルで人気が爆発し、地球上のあらゆるアングルにファンがいます。

最後の白壁通信から2か月近くが経過し、その間、誰も生の彼を見ていませんが、これほど情報がなくても毎日SNSには彼に関する投稿に溢れています。

世界中から祝福され、世界各国のメディアによって報道された卒業のニュースにしても、早稲田広報誌に掲載されたインタビューで明らかになったことで、本人が発表した訳ではありません。

メディア(アメリカも日本も)はゴリ押しすればスターが作れると言うのは、一時代前の幻想だということに気付くべきではないですか?

 

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu