作家であるマルティーナさんによるフィギュアスケートに関する歴史的文献や本、過去の新聞記事を考察するシリーズ。
今回は2013年に出版されたアメリカのレジェンド、ディック・バトンの著書「Push Dick’s Button」(ディックのボタンを押す)を読み解いていきます。
マルティーナ・フランマルティーノ著 (2021年9月2日)
「Push Dick’s Button」(ディックのボタンを押す」を読み終わってから数カ月が経ちますが、他のことを優先してこの本を取り上げるのをずっと後回しにしてきました。取り敢えず何箇所か引用したいと思います。
ディック・バトンは2013年にこの著書を出版しました。幾つかの段落ではこの出版年を思い出さなければなりません。文調は・・・私の感覚では少し会話的過ぎて、まるで雑談のようなところもありますが、考察の多くは非常に興味深いものです。
バトンは史上最高のスケーターの一人であることを忘れてはなりません。戦後、男子シングルでオリンピック二連覇を成し遂げたのは1948年と1952年の彼と、その66年後、2014年と2018年の羽生結弦の二人だけです。
バトンは2アクセルを史上初めて成功させたスケーターであり、3ループを初めて成功させたスケーターでもあります。羽生結弦は4ループを史上初めて成功させたスケーターであり、4アクセルを成功させた史上初のスケーターになる可能性があります。つまり2人は同じジャンプを得意としています。
また、バトンはフライングキャメルスピンの考案者です。ジャンプとスピンのどちらにおいてもライバル達よりずっと優れており、当時の報道記事によれば音楽的感性でも際立っていました。
現役引退後、バトンは長年に渡ってアメリカのテレビで試合を解説していますから、スケートの認知度への影響力という意味でも貢献しました。彼の発言の幾つかは賛同出来ないこともあるかもしれませんが、彼の後に就任した解説者達が彼と同じ能力や誠実さを持っていないのは残念です。
言い方は異なりますが、以下の引用と同じようなことをソニア・ビアンケッティも著書「氷の亀裂」の中で言及しています.1972年オリンピックで銅メダル、1973年世界選手権で銀メダルを獲得したジャネット・リンの演技について言及しています。
40ページ
数年前、当時の国際スケート連盟(ISU)の会長だったジャック・ファヴァールは、ジャンプとスピンの数がごく僅かだったことを誰かに指摘された際、「しかしあなた、彼女はスケートをしましたよ」と答えた。 (記録によれば、ジャック・ファヴァールはフィギュアスケーター出身の最後のISU会長であり、それも40年以上前のことである!)
ペアの選手だったジャック・ファヴァールは妻のデニース・ファヴァートと組み、1948年のオリンピックで14位、1947年と1949年の世界選手権で10位でした。そして1980年に亡くなりました。ISU会長にはずっとスピードスケート出身者が君臨しています。そしてISUを統治する人が、自分の専門ではない競技に対しても同等の注意を払い、同等の知識と能力を持っているのか私は疑問に思うのです。
当時のルールとは違い、現在ではスピンの種類と数は正確に決められていますが、ファヴァールの「しかしあなた、彼女はスケートをしましたよ」というフレーズは、現在でも重要な意味を持ちます。リンは規定のコンパルソリーフィギュアが大の苦手だったため、金メダルを取ったことは一度もありませんでした。フリーでもミスを連発することがしばしばあり、幾つかの転倒が高くつくことがありましたが、表現力は豊かでした。彼女のプログラムは見ていて美しかったのです。そう、ファヴァールは技術要素だけでなく、スケーティングの重要性にも注目していました。現在にも通じることです。
現行のルールではテクニカルエレメントはTES、スケーティングの能力はPCSにまとめられています。従って、ジャンプを跳ぶだけの選手に高いPCSを与えることは、大きな間違いであり、フィギュアスケートの精神(そしてルールの内容)と矛盾します。
バトンには優れた音楽的感性が備わっていたと先ほど書きました。
44ページ
ここで私にとって重要なことは、スケーターが音楽について知っているべきだということだ。その曲は何を語っているのか?スケーターと観客の両方にとって、その曲の歴史や感情的インパクトがどのようなものか?それともスケーターは音楽に関係なく滑っているだけで、最初のジャンプ(おそらく最も難しい動作だろう)に入ることに集中し、音楽などクソくらえだと思っているのか?
このフレーズはジャッジに配布される全てのマニュアルの表紙に大きな字で印刷すべきです。スケーターは自分のプログラムの曲について、何語で歌われているのか、作曲者は誰なのかGoogleで検索するだけでなく、音楽を理解し、それを解釈しなければなりません。スケーターが実施する全てのことは、ジャンプを跳ぶためのただの助走ではなく、音楽的な意味を持つ、プログラムの一部でなければならないのです。
更に読み進めていくと、バトンは最も頻繁に使用されている曲、カルメンと 白鳥の湖について苦言しています。特にオリンピックシーズンではこのタイプの曲が氾濫します。何故か?
46ページ
何故なら滑りやすく、エッジワークをサポートする抒情的で一般受けするメロディーで、とりわけ耳慣れているからだ。スケーターは耳慣れた音楽を快適に感じるのだ。
これはスケーターだけでなく、ジャッジにも言えることです。不思議なことに、欧米のスケーターが東洋の音楽で滑るとエキゾチックで神秘的と見なされ、アジアの選手がこのような曲を選ぶと理解不可能と言われるのです。振付師が欧米人で、2つの異なる感性が融合されたプログラムであってもです。
ここでは多くの文章を引用しませんが、バトンは音楽の重要性と、スケーターは曲を単なるジャンプのBGMとして使うのではなく、音楽を解釈し、表現すべきだということをこれ以上ないほど力説しています。
52ページ
音楽はスケーターが「絵画」を描くように仕向ける(そして我々をその絵画が見えるように導く)。音楽はストーリーを語り、ムードを設定し、緩急を提案し、スタートとストップの場所を作る。そして、音楽は「ネガティブスペース」、すなわち「静止」、あるいはスケーターがエレメントや動作、独立したコレオシークエンスやアイデアを構成するためにダイナミクスを変化させるための「間」も提供する。
ストップ(静止)が如何に表現豊かになり得るか理解するには、この瞬間を見れば十分でしょう。
75ページ
ジャンプは重要であり、過去数年間は常にそうだった。しかし、それでも芸術的印象に与えられる得点と[…] コンパルソリーフィギュアに与えられる得点のウエートがより大きかったため、バランスが取れていた。
この文章を書いた人物が、2アクセルと3ループを史上初めて成功させたスケーターであったことを忘れてはなりません。つまり、彼にとってはフィギュアスケートを構成する全ての要素のバランスが重要だったのです。コンパルソリーフィギュアは1990年に廃止されましたが、だからといってジャンプが全てになった訳ではありません。そのようなことは一度もありませんでした。コンポーネンツと呼ばれる芸術的要素は、プログラムの価値と言う点において重要であり、その重要性はスコアにおいて認識されなければなりません。
完璧なジャンプはまず跳び上がり、それからスケーターは然るべき回転数を回る。そして本当に優秀なスケーターは空中で一瞬の間をおいてから着氷する […]。また、素晴らしいジャンプは髙さだけでなく、幅もなければならない。
78ページ
[…] ジャンプは観客にインパクトを与えるべきだ。そのようなジャンプは私達の中でささやかな高揚感を爆発させるはずだ。
間違いなくプレローテーションが多数派ではなく、このような疑問が取り沙汰されていなかった時代の発言です。まず跳び上がり、それから回転する。バトンはこれが正しいジャンプであることを知っていました。
ISUは何故プレローテーションを罰しないのでしょうか?
今では、競技プロトコルで申告されている回転数を空中で本当に回っているジャンプはごく稀になりました。
回転、高さ、幅、観客へのインパクト。素晴らしいジャンプを実施するには、ただ転ばずに着氷するだけでは不十分なのです。GOEにはバトンが列挙した全ての特徴が考慮されるべきです。バトンは現行の採点システムが好きではありません(少なくとも考えが変わっていない限り、2013年の時点では気に入っていませんでした)。しかし、彼にはジャンプのクオリティだけでなく、全体としてのスケーティングのクオリティも認識する能力がありました。
この後、別の種類の考察が続きます。アクセルが特殊なジャンプであることは以前からずっと言われています。エリーザ(私は彼女のおかげで技術と物理学の側面からフィギュアスケートについて色々なことを学びました)が、何故アクセルが特殊なジャンプなのか解説してくれています:
身体の向きの変化がアクセルを非常に難しいジャンプにしています。このテーマについては、アレッサンドラ・モントゥルッキオが非常に興味深い記事を執筆しています。
EleC’s Worldより「BalleticYuzu 01 – 『天と地と』のジャンプシークエンス」
必読に値する記事です。この記事の中でアレッサンドラはアクセルについて次の点を強調しています:
『天と地と』のジャンプシークエンス」
3アクセルが他のトリプルより難しいのはこのためだと思います。前向きで踏切り、後ろ向きで着氷するということは、スポットが180度移動することを意味しています。数秒で視線と頭部全体を一点にフォーカスし、放棄し、すぐに別の一点にフォーカスしなければならないので、バランスを失う可能性はより高くなります。
従って、ジャンプの実施に必要な技術の難度に身体の向きを変える難度が加わるのです。バトンはこの問題について力説しています:
79ページ
我々の身体は後ろ向きではなく、胃に向かって内側に丸まるように作られている。[…]だから前向きのエッジジャンプで転倒すると危険なのだ。後ろ向きのジャンプで転倒すると、身体が丸まり、身体のよりソフトなクッションから氷上に落ちる可能性が高い。
アクセルでの転倒は他のジャンプでの転倒より痛い傾向があるのです。この理由からも、2アクセルが他の2回転ジャンプよりずっと難しいと見なされているのかもしれません。この理由から3アクセルが他の3回転ジャンプよりずっとずっと難しいと見なされているのでしょう。そしてこの理由から4アクセルは・・・この辺で止めておきましょう。基礎点を見る限り、4回転アクセルはそれほど難しいジャンプではないのかもしれません。未だかつて誰も成功されたことのないジャンプですが。
最後に別の状況に関する考察を付け加えます。現役終盤に起こったバトン自身の怪我についてですが、これも前述の理論に完璧に当てはまっています。
86ページ
前向きのエッジでは、あらゆる瞬間にグリップを失い、滑って氷上に叩き付けられることがある。ドスン!パシャッ!
おおお!本当に痛そうです・・・
それでは、少し前に戻ってディレイドアクセルについて触れましょう。
これは簡単な技ですよね?最終的に1回転半しかしていないのですから。
技術的なことは私にはよく分からないので、チャンピオンの言葉を借りることにします。
79ページ
バロン(バルーン)とは、ダンサーがジャンプするときに見られるナノ秒(10億分の1秒)の動きのことで、ジャンプのピーク時に突然、僅かな空中停止(サスペンション)が追加され、一瞬の遅延(ディレイ)が起こることである。[…]
バロン(気球)のような印象を与え、同時に無重力感があるバロンはHang time(吊り下げられた時間)のフランス語である。スケーターは「ディレイドアクセル」と呼ばれるバリエーションによってこの「バロン効果」を更に高めようと試みる。この技術を最初に教えたのは、スキージャンパーとして、遅延(ディレイ)と空中停止(サスペンション)の原理を学んだグスタフ・ルッシ である。
グスタフ・ルッシはスキージャンプの選手でしたが、アメリカに移住し、バトンを初め無数のチャンピオン達を指導しました。バトンはこう言っています:
91ページ
グスタフ・ルッシはスキージャンパーであり、飛行と回転の両方を理解していた。
加えて、分析的思考を持ち合わせていた彼は、全てを解剖し、全ての瞬間を構成部分に分解した。
「スキージャンパーであり」という部分を取り除くと、ある人物を思い起こさせます。しかし、脱線するのは止めておきます。この引用でディレイドアクセルの話題を締めくくります。
(79-80ページ)
ディレイドアクセルはシングルアクセルがまだ得点に反映されていた時代には、より頻繁に見られていた。実際、ディレイドアクセルは非常に難しく、高度なコントロール能力が求められる。
簡単なことを好まない羽生は、このディレイドアクセルを両手を上げて跳び始めました。アレッサンドラはこのシングルアクセルについても詳しく解析してくれています。
スケーター達は、そのエレメントで稼げる得点に基づいて、どのエレメントを自分のプログラムに入れるかを判断しますが、バトンの意見では
80ページ
ジャンプで最も価値のある要素は、昔も今も全体のクオリティ(スムーズなエントリー、高さ、飛距離、回転、回転間の遅延、着氷)であることに変わりはない。
バトンはISUの技術委員会に入ってくれないでしょうか?
彼の能力が必要だと私は思います。
著書のほぼ半分でバトンは自身の競技経験について語っています。本のスタイルは個人的ですが、これはバトンについてではなく、フィギュアスケートについて書かれた本です。著者はチャンピオンだった自分自身について書くことが出来たにも拘わらず、自分ではなくフィギュアスケートに焦点を当てたのです。
1947年、バトンは世界選手権で2位になります。彼は屋外で滑ることに慣れていなかったため、環境条件に順応するのに苦労し、銀メダルに甘んじました。翌年のオリンピックの年、彼は前年の経験を念頭に万全な準備をしました。オリンピックの1か月前、バトンは欧州選手権に出場しました。
1948年のことでした。ヨーロッパ人以外の選手が優勝した史上初かつ唯一の欧州選手権でした。男子シングルではバトン、女子シングルではカナダのアン・スコットが優勝しました。この結果を見たISUは、ヨーロッパの選手しか出場出来ないようルールを即座に変更しました。こうすることでヨーロッパの選手が1年に少なくとも一大会では優勝出来るようにしたのです。
ISUには常にルールを改正する準備があります。以前は、スケーターは男性でなければならないという規定がなかったため、1902年の世界選手権ではマッジ・サイアーズが銀メダルを獲得しました。当然、その後女子シングルが誕生しますが、数年後の1906年のことで、ISUが即座に講じた対策は、男子の種目から女子を締め出すことでした。ISUは時に対応が遅いですが、時には非常に迅速に対応出来ることを示しています。
1948年の欧州選手権はプラハの屋根のないアイスリンク、ジムニスタジアムで開催されました。
101ページ
天気が悪く、川に吹きつける穏やかな風がリング外の氷を温めて溶かした。至る所が水浸しで、スケーティングのトレースは誰にも見えなかった。ポジションとスタイル以外に判断の目安はほとんどなかった。
つまり1948年の試合の結果は・・・一体どのような基準で判断されたのでしょうか?
バトンはフリーでは首位でしたが、コンパルソリーフィギュアでは彼とハンス・ゲルシュワイラーが僅差でした。もしコンパルソリーの点差がもっと開いていたなら、最終結果は異なっていた可能性はありませんか?点差が大きければ、あり得ました。点差がもっと大きかった可能性はありませんでしたか?誰にも分かりません。バトンには分かりませんでしたし、生前のゲルシュワイラー にもおそらく分からなかったでしょう。そしてジャッジ達にも分からなかったのでしょう。おそらく、客観的な判断が不可能だったため、誤審の汚名を誰にも着せないために僅差にしたのでしょう。あくまでもこれは私の仮説であり、告発ではありませんが、もしゲルシュワイラーがコンパルソリーにおいて断然優れていたとすれば、正しい判断が不可能だったこの状況によって、彼は欧州選手権の金メダルを逃したことになります。ひょっとしたらオリンピック金メダルも。五輪の僅か1か月前に行われた大会の結果がジャッジ達の心理に影響を及ぼさないはずがないからです。
はっきり分かっていることは、悪天候が疑わしい結果に繋がったケースだったということです。この大会はフィギュアスケート史上、数多くある疑わしい結果のひとつでした。
数年先に進みます。1962年の世界選手権はプラハで開催されました。カナダで最も有力だったペアはマリア/オットー・ジェリネック組でした。ジェネリック兄妹は40年代にプラハで生まれますが、1948年に冷戦が始まると一家でカナダに移住しました。当時のチェコスロバキアの法律では、亡命した人々を含め、男性市民全員に兵役が義務付けられていました。つまり、もしオットー・ジェネリックがプラハに戻れば、チェコスロバキアの軍隊で兵役を課せられることを意味しており、彼は深刻な問題に直面する可能性がありました。このケースではISUはチェコスロバキア政府に対して厳格な姿勢を取りました。
142ページ
本質的にISUはこう言ったのだ:「それは違うよ、君達。ジェネリック兄妹は二人共カナダ人でこの大会ではカナダ代表だ。もし君達が譲らないなら、我々はこの大会を別の国で開催する」
何と言うか・・・昔はスポーツは政府の考え方をより穏健に変え、アスリートを保護することが出来ました。ちなみにこの年、ジェネリック兄妹は金メダルを獲得しました。フィギュアスケートの話題に集中するために、政治から離れましょう(本当でしょうか?)。
144ページ
ABC スポーツは何よりも「ドラマ」に興味を持っていた。
テレビにとってドラマを作り上げることが重要だということは、ケリー・ローレンスの著書「On Air」を引用した時に実は既に触れています。テレビ局の利益の背後に本当に政治は存在しませんか?
バトンの次の文章を引用しましょう:
145ページ
偉大なスケーターとは、ただトップに立った選手ではなく、彼らがそこにいたことによって、フィギュアスケートの芸術性を別のものに昇華した選手のことである!
私は彼のこの言葉が大好きで、この定義に当てはまる選手が4カテゴリー全てで思い浮かびます。
つまり完璧な定義なのです。同時に、多くの勝利を収めたにも拘わらず、この定義が全く当てはまらない選手も数人思い浮かびます。しかしここでは脱線せずに核心に向かって進みましょう。
1972年のオリンピックでは、バトン曰く、未だかつて見たことがないほど規定コンパルソリーフィギュアが最も上手い女子スケーターであるオーストリアのベアトリクス・シューバが金メダルでした。シューバが絶賛されている箇所からも、彼女がコンパルソリーフィギュアにおいて本当に完璧だったのか漠然とした疑念は残ります。
153ページ
彼女のフリースケーティングは良くなかった。彼女はコンパルソリーフィギュアで1位、フリースケーティングで8位だった。
(8位はギフトだった)
これはバトンの記憶違いで、シェーバはフリー7位でした。8位だったのは同じく規定コンパルソリーが得意なアメリカのジュリー・ホームズでした。最終的にシューバ(1位と7位)が、カナダのカレン・マグヌセン(3位と2位)とジャネット・リン(4位と1位)を上回って金メダルを獲得しました。バトンは規定コンパルソリーの後、リンは7位だったと書いていますが、これは間違いで、正しくはリンは6位、スイスのシャーロット・ウォルターが7位でした。
別にバトンの揚げ足を取りたいわけではありませんが、記述に誤りがあれば指摘します。ここに引用した試合の展開に関する彼の主張の全てが絶対的真実とは言いませんが、幾つかの発言は非常に重大であり、省察させられずにはいられません。彼の時代に調査が行われるべきでした。そして既に古文書館に保管された大昔の試合であっても、結果を修正するためではなく、今後同じことが繰り返されることを防ぐために、何か良からぬことが起こったのかどうか突き止めるために、ISUは調査を行うべきだと思います。次に進みましょう。
(153-154ページ)
ジャネットは規定コンパルソリーが上手く出来ないと評判だった。規定コンパルソリーの後、彼女は7位だった。(これは余談だが、後にジャッジの一人がリンのコーチであるスラフカ・コホウトに、「一団」のジャッジがオーストリア人に有利になるよう、彼女の得点を下げたと話している)
バトンによる順位の記述にミスがあるのは分かっていますが、私はスケーターの国籍とジャッジの名前を調べました。これらのスケーター達がこの大会(1972年五輪)の開催前にどの程度の結果を期待されていたのか理解するために、括弧内にそれ以前の世界選手権における彼らの順位、太字はオリンピック前大会の順位を記載しました。
1 シューバ、AUT (9, 5, 4, 2, 2, 1)
2 マグヌッセン、CAN (12, 7, 7, nd, 4, 3)
3 リン、USA (9, 9, 5, 6, 4)
4 ホームズ、USA (9, 9, 4, 3, 2)
5 ハルマシー 、HUN (17, 18, nd, 7, nd, 6, 8, 3, 5, 7)
6 モルゲンシュテルン、GDR (28, 20, wd, 11, 6, 5)
7 トラパネーゼ、ITA (13, 25, nd, 13, 8 ,5)
8 エラート、GDR (9)
クリスティーネ・エラートはその後、強い選手になりますが、1972年はまだ15歳でした。シューバ以外、有力だったのは全て北米の選手達だったようです。確かにハルマシーは世界選手権で銅メダルを獲得したことがありますが、それから3年が経過しており、彼女がその後、このようなレベルの結果を繰り返すことはありませんでした。
ジャッジの面子を見ましょう。レフェリーはスイスのエンデルリン、アシスタントレフェリーは上野衣子( 1938年全日本選手権銀メダルで平松純子の母親です)でした。ジャッジは、イタリアのミケーレ・ベルトラミ、ロシアのバレンティン・ピセエフ(私が何度も引用したピセエフと同人物ですが、その疑わしい採点にも拘わらず、その後、まずISUの技術委員会委員長に、そしてロシア連盟会長に選出されました)、東ドイツのウォルブルガ・グリム、スウェーデンのインゲガルグ・ラゴ、オーストリアのハン・クチェラ、カナダのジョアン・マクラガン、アメリカのマルセラ・ウィリス、日本の帯谷竜一、そしてハンガリーのクララ・コザリというメンバーでした。各ジャッジの出した得点が分かれば良いのですが、残念ながら入手出来ません。ISU様、どうか数十年前の試合の得点内訳も公開して下さい。フィギュアスケートの歴史を更に詳しく知ることが出来れば素敵です。いずでにしても、バトンは次のように書いています。
154ページ
ジャッジ達を管理するのは容易ではなく、彼らを徹底的に教育するのは困難だった。
これについては全員賛成だと思います。いずれにしても長くなり過ぎますので。バトンの著書の考察は3回に分けて投稿することにしました。今日のところはこの辺で止めておきます。
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☆この記事で引用されたバトン氏の数々の言葉から、私はすぐに2018年平昌オリンピックの後に放送された神番組「アナザーストーリーズ」を思い出しました。
羽生君と所縁のある3人の人物、ディック・バトン、エフゲニー・プルシェンコ、そしてハビエル・フェルナンデスが、それぞれの視点から羽生結弦を語るという構成で、非常に秀逸なドキュメンタリーに仕上がっていました。
動画を探してみたのですが、見つからないのでバトン氏の印象的だった言葉を書き起こします:
結果なんておまけだよ。
私の評価基準は演技がちゃんと劇場になっているかどうか、それだけだ
独創的でお客を呼べる劇場にね
羽生結弦の演技はそういう意味では最高だ
みんなをうっとりさせる
満員御礼間違いなしだね(中略)
今の選手にはスケート界を変えるという気概がないよ
採点に縛られて窮屈で新しい技をやろうなんて選手は全然いない(中略)
フィギュアスケートは採点スポーツである以前にお客を魅了するものなんだ。
オーケストラで一音でも飛ばしたら台無しだし、バレエでダンサーが転んだら白けるだろう?
同じだ。お客をがっかりさせちゃあいけない。いけないんだよ!
だから結弦の言葉に感銘を受けたんだよ。
若いの、分かってるじゃないか、ってね。(中略)
4回転、4回転、だから何だっていうんだ!
どいつもこいつも点数目当てに雑巾を絞るみたいなジャンプばかりして
あんな見苦しいものは見たくない。
私が見たいのは例えばジャネット・リンだ
彼女は軽やかに飛躍していた。距離を跳んで静かに着地する
それが本当のジャンプだ。
(中略)
ジャネットのプログラムには切れ目がない。
ひとつの表現としてコントロールされていて、ジャンプを音楽に乗って静かに跳ぶ。
彼女のスケートこそまさに劇場だ。
もう一人忘れてならないのが、伊藤みどりだね。彼女はジャネットとは別の意味で最高の劇場だった。とにかくみんな目を奪われたよ。
そして浅田真央、彼女はゴージャスだったね。まさに名女優
他の選手にやれと言っても絶対に出来ないパフォーマンスだった。
そうした名選手と比べても羽生結弦は別格
破格の存在なんだよ。
結弦はどこかで見たような演技はしない。
今見逃すと二度と見られないような演技、それだけが価値があるんだ。
どんなに難しい技だろうがその選手独自の表現になっていなくちゃ
みんな似たようなジャンプじゃあ点数だけで感動はない。
(中略)
キャメルスピンとかをやったのも見る人の心を動かすためさ
優雅にゆったり滑るだけだったスケートにダイナミズムを加えて目を釘付けにしたんだ。
要は点数を超越した感動を与えられるかどうかだ
結弦には出来る
オリンピックの前に怪我があったけど彼が戻ってくることだけを願っていた。
本物のスケーターをね(中略)
彼(結弦)のジャンプで見るべき一番重要なポイントはスピードだ。
ジャンプに入る時と出る時のスピードが変わらない。
そんな選手はまずいない
見たかい?跳びましたよ、なんてアピールはしない
他の選手は難しいジャンプを跳び終わると「終わった感」が出ちゃうけど
彼は切れ目なくシンプルに演技を続けているアナザーストーリーズ(2018年)
(前の五輪と比較して)
遥かに人を引き付ける演技になっていたね。
よりシンプルなのにより伝わるものがある
点数なんて関係ない。
この大舞台で見せ得る最高の「劇場」を見せてくれたと思うよ
これぞ金を超えてダイヤモンド級の演技だね
如何ですか?
この本は2013年に出版されたものですが、バトン氏のフィギュアスケートに対する価値観や考え方は一貫していますね。
音楽はジャンプのBGMになるべきではない、ジャンプもスピンも全てがプログラムの流れの中に組み込まれた切れ目のない表現、観客を引き込む劇場を作り上げる演技
以下はマルティーナさんが転送してくれた同著書からの引用です。
(20-21ページ)
フィギュアスケートはプログラムをどれだけ速く終えるかではなく、どのように終えるかが重要なスポーツである。
[…]
あまりにも多くのスケーターがフィニッシュポーズを速攻で解いてプログラムを台無しにしている。 バタン!バタン!バタン!ダメだ!「すぐに崩れるフィニッシュ」では絵画は完成出来ない。このようなフィニッシュは観客の目から完成した芸術作品を奪う。
[…] スケーターは最後のポーズを維持し、息を吸い、観客とジャッジ、そしてあなたや私に、彼らが描いていた絵画を完成させ、それを誇らしく思っていることを見せなければならない!
全日本の「天と地と」のフィニッシュを思い出しませんか?
著書のあらゆるフレーズからディック・バトンと羽生結弦には時代や国籍を超えて様々な共通点があることが分かります。だからバトン氏は自国選手の強力なライバルである羽生君を惜しみなく絶賛するのでしょう。
ジャンプについての言及も興味深かったです。
つまりバトン氏にとって素晴らしいジャンプとは、エントリーがスムーズで、高さと飛距離があり、跳び上がってから回転し、回転し終わってから着氷する、観客に強いインパクトを与えるジャンプなのです(まさに羽生君のジャンプそのものじゃないですか!)
そうではないジャンプは彼の言う「雑巾を絞るようなジャンプ」なのでしょうね。
確かに空中で実質3回転と少しか回っていないコンパクトジャンプにはバトン氏が言うような視覚的インパクトはありません。
ディレイドアクセルに関する考察も面白かったです。
バレリーナのアレッサンドラさんがこのディレイドアクセルに衝撃を受けて記事を書いていましたが、「バロン効果」のあるこのようなジャンプは見る者に永遠に降りてこないのではないかという錯覚を起こさせます。
そして有能で仕事効率が超人的なマルティーナさんは精力的な執筆活動を続けながら、ついに千羽鶴も完成させたようです!😲👋
最初は羽生君が怪我をした日のカレンダーのページを切って折ってみたそうですが、あまり綺麗ではなかったので衣装を印刷した紙を使うアイデアを思い付いたそうです。
素敵ですね!