Sportlandiaより「ディック・バトン著:Push Dick’s Button/2」

作家のマルティーナさんよりディックバトンの著書を考察するシリーズの2回目です。

原文>>

マルティーナ・フランマルティーナ(2021年9月13日)

再びディック・バトンの著書から。前回は「ジャッジが正しく採点しているか管理するのは難しい」というフレーズまで読みました。

6.0採点システムで不正行為が行われた後、オッタヴィオ・チンクアンタはISUジャッジングシステムを作りました。2015ー2016年シーズンまでは、ジャッジは匿名でしたので、私達は誰がどの得点を出したのか知ることは出来ませんでした。ジャッジが今も匿名制ならサロメ・チゴギゼ (123)を資格停止にするための証拠はありませんでした。もう一つの重要な点は、私達は各エレメントについて各ジャッジがどのプラス要件とマイナス要件を与えたのかを知ることは出来ないということです。つまり結局のところ自由裁量の数字なのです。バトンは間違いなく新しい採点システムのファンではありませんが、彼の言葉は考察に値します。

この新しいシステムの目的は、不正行為や「ブロック審査」(複数の国の複数の審査員が一団となって審査すること)といった常習的な審査災害の解決を試みることだった。全ては、得点がベースになっており、主観ベースの部分は僅かだった。しかし本当の目的は全てを可能な限り秘密(非表示)にして、2002年ソルトレイクシティのようなスキャンダルが再び発生することを防ぐことだった

(154-155ページ)

別のスキャンダルを避けることは、チンクアンタにとって常に重要なことでした。2002年、IOCはマリー・レーヌ・ル・グーニュの告白によって勃発したスキャンダルを迅速に解決するようチンクアンタに圧力をかけました。そしてチンクアンタは二度と同じ状況に陥らないことを決意したのです。どうすれば解決出来ますか?私なら、全てのジャッジを注意深く監視し、何か疑わしいことがあれば常に徹底的に調査し、不正行為があったことを証明された場合には、ジャッジと、場合によっては彼らの国の連盟も資格停止または資格はく奪にします。 重要なのはジャッジシステムを変更する、しないではなく、ジャッジと各国連盟を改善することです。しかし、チンクアンタにとってはジャッジは問題ではないのです。チンクアンタは2014年オリンピックの女子シングルのジャッジパネルについてフィリップ・ハーシュにこう説明しています:

「私は些細な違反のために1人の人間を一生資格停止にすることが出来ません。(バルコフは)ウクライナ連盟の問題です。彼らが彼を派遣することを選択したのです」

ここで言及されているバルコフの「些細な違反」とはブロックジャッジング(集団採点)のことです。これより悪質な違反と言えば猥褻行為と身体的または精神的暴力ぐらいしか思い浮かびません。ドーピングは重大な違反ですが(ドーピングを行った選手は資格を永久剥奪すべきだと私は思います)、私はブロックジャッジングの方が罪が重いと思います。最近、試合中にテレビがジャッジ席を映すことを禁じたことからも、最も重要なのはスキャンダルの回避であることは明らかです。今ではジャッジは最初に紹介されるだけで、その後、テレビには映りません。カメラに捉えられたことにより不正が発覚したケースとして、合図を交わしていたスビアトスラフ・バベンコとアルフレッド・コリテック、そして他のジャッジの得点をカンニングしていたヴァルター・トイゴが挙げられます。いずれのケースでも彼らの不正の現場を捉えた映像が動かぬ証拠となり、資格停止の処分が下されました。しかし、ジャッジをカメラで映すことが出来なくなった今、私達が不正ジャッジから解放される希望は失われました。いずれにしても、映像によって不正ジャッジを監視することは、ISUの優先事項ではないのです。

ジャッジの話は(今は)このぐらいにして、オレグ・プロトポポフの発言に移りましょう。オレグ・プロトポポフをご存じない方はこちらをご覧下さい。

彼と妻のリュドミラ・ベルソワは1964年から1968年にかけてペアで2つのオリンピック金メダルと4つの世界選手権金メダルを獲得しました。当時、アスレチック面は今ほど重要ではなく、彼らの演技は純粋な芸術でした。ベルソワ/プロトポポフについては、アレクセイ・ミーシンの著書「The Secrets of the Ice」(氷の秘密)の中で非常に興味深いエピソードに遭遇しました。現在執筆中のこの本を考察する記事の中でいずれ触れるつもりですが、今はプロトポポフの発言を引用するだけに留めます。

芸術性がなければ技術的メリットは得られないし、技術的メリットがなければ芸術性は得られない

(162ページ)

偉大なチャンピオン達はこの考えに賛成です。嘘だと思うならスコット・モイアに訊いてみて下さい(誰かモイアのこの発言が掲載されたサイトが分かる人がいたら教えてください)。

それでもまだ疑う人がいるなら、羽生結弦という人物に尋ねることが出来ます。

羽生がジャーナリストの質問に答えてこの考えを述べているのは、この動画の16.37からです:

そして・・・忘れていましたがバトンもバベンコとコリテックについて書いています。バトンが彼らに触れているのに、どうして無視することが出来るでしょう?

1999年のヘルシンキ世界選手権 で、ロシアのユーリ・バベンコとアルフレッド・コリテックが、足でコツコツと叩くことにより、自分達が与えると順位を相手に知らせている様子をカナダのテレビが捉えた。私はすぐに彼らを「タップダンスをするジャッジ」と呼んだ。

両者共にISUから資格停止処分を受けた。どちらも停止期間は短かった(1~2年)。どちらの停止期間も後に短縮された。どちらのジャッジもあっという間にジャッジ席に戻ってきた。

ただいま!!!

(175-176ページ)

バトンの文調は、いささか会話的過ぎますが、ここでは完璧です。是非、彼の著書を購入されることをお勧めします。私は幾つかのフレーズを引用して考察していますが、数ユーロ払って全文を読む価値があります。

このすぐ後、バトンは次のように回想しています。

モスクワ在住のジャッジは、信頼できるジャッジが誰もいない、しかし自国の連盟を存続させなければならない小国(ベラルーシなど)のためにジャッジを務めることがよくあった。これにより、母国(ロシア)がより多くの票を管理出来るようになった。

(176ページ)

そして団結して馬鹿げた採点を行うジャッジが多くなれば、馬鹿げたと得点は目立たなくなり、不正ジャッジを罰するのは困難になります。アメリカ人であるバトンはロシアを標的にしていますが、これは正しいと私は思います。ただし、他の国も別の国と同盟を組み、団結して採点する可能性があるのです。私は特定の得点をこの観点から調べていますが、何かを証明出来るかどうかは分かりません。統計を混乱させる余計な要因があまりにも多いからです。何か見つけることが出来たらお知らせします。

この少し後で、バトンはオッタヴィオ・チンクアンタがスピードスケート出身であることに言及しています。2つの競技には同じ尊厳があり、決して悪いことではありません。しかしながら、一つの連盟にこれほど異なる2つの競技が存在する場合、連盟は両方の競技に等しく気を配ることが出来るのか私は疑問に思うのです。

次の一文は特に衝撃的ではありませんが、思わず笑ってしまいましたので、ご紹介したいと思います。

この章(ただし本全体ではない)では「私はスピードスケートの選手で、フィギュアスケートについては何も分からない」と繰り返し公言するミスター・オッタヴィオ・チンクアンタの「正直さ!」だけにフォーカスしたい。

(177ページ)

2つの競技と言えば

幾つかの国では、政府の財政支援を受けるためにはスケーターがランキング上位を獲得する必要があった(オリンピックに出場出来る選手がいなければ、お金は入ってこない)。幾つかの国では自国のスポーツ事業のためにテレビ収入によって、ISUから資金を得る必要があった。個人の中には、自身へのサポートを支払うために収入を欲しがっている者もいた。
フィギュアスケートはスピードスケートより遥かに収入があると考えられていた。どちらの組織が別の組織に支援を提供しているか推測出来る?どちらのスポーツに依存しているか推測出来る?

(180ページ)

形はどうあれ、行きつくところは常にお金です。フィギュアスケートだけでなくスピードスケートも機能させるために連盟は資金を必要としていました。2つの競技の関係についてはソニア・ビアンケッティも著書「氷の亀裂」の中で詳しく解説しています(この本は「Cracked Ice」というタイトルで英訳されていたと記憶しています)。この問題についてはこれ以上掘り下げません。残念ながら全てについて書く時間は物理的にありませんので、多くの論題については仄めかす程度にした取り上げられません。この少し後、バトンは新しいISU採点システムが承認された経緯について語っています。ソニア・ビアンケッティやジョン・ジャクソンが「オン・エッジ」で語っていた内容と重なります。要約すると、技術に関するルールは、本来ならフィギュアスケートの会員限定の会議で議論されるべきであったのに、チンクアンタはスピードスケートの会員も投票出来る全般会議に彼のプロジェクトを持ち込みました。そして、(新採点システムの)この提案はプロジェクト に過ぎないと何度も繰り返し、この場で承認されたプロジェクトは、適用の可否を評価するために、後日もう一度検討されると強調しました。残念なことに、新しい規定が公開された時、このプロジェクトは正式なルールになっていました。投票は公正に行われ、新しい採点システムは前より良くなったことは認めますが、この採点システムが承認された経緯には欺瞞がありました。そして、組織のトップにいる人間が、その協力者を欺くような連盟がどれほど公正だと思いますか?

本を終えるまで多くページが残されていますが、次回に回したいと思います。

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芸術性がなければ技術的メリットは得られないし、技術的メリットがなければ芸術性は得られない

これは1945年から1952年まで無敵だったレジェンドスケーターによって引用された、1957年から1969年にかけてオリンピック金メダル2個、世界選手権金メダル4個を獲得したスケーターの言葉です。

つまり昔も今もフィギュアスケートの本質は変わっていないし、変わるべきではありません。
技術的にどんなに進化し、4回転ジャンプの数が増えても、フィギュアスケートの本来の姿、技術と芸術の融合という概念は失われるべきではありません。アーティスティック面がないがしろにされ、アスレチック面ばかりが重視されるようになったら、それはフィギュアスケートではなく、もはや別のスポーツです。
フィギュアスケートは決してアスレチックだけのスポーツではありません。アスレチックとアーティスティックの両方が求められるスポーツであり、本当に優れているスケーターだけがこの2つを両立し、融合させることが出来るのです。

昨晩放送されたポッドキャストでのマッシさんのお言葉
スキーの話題がメインで相方のダリオ・プッポさんが

「君に質問だけれど、この3週間に重要な大会が幾つかあったけれど、僕が名前を挙げる3人、クレボ、小林、フレディックの中で君が最も評価したのは誰?」

と尋ねますが、提案された選択肢に含まれていない、スキーにも関係ない羽生結弦の名前を唐突にぶち込むマッシミリアーノさん😂

「僕は全日本で優勝した羽生結弦と言いたいね。彼はフィギュアスケートが何たるかを世界中に教示し、これが本物のフィギュアスケートだと証明してみせた。今週末に名前も言いたくない大陸の大会で見せられたものなんかではなくね」

どこの大会かバレバレですが、ダリオさんが「USAだよね」と全米であることを暴露していますw

エレナさんが該当部分を切り取ってくれました。 Grazie Elena come sempre!♥

元動画>>

全米は部分的にしか見ていませんが、ある意味楽しめる大会でした。その内に雑感もまとめるかもしれません(ただ全日本女子の雑感もまとめたいと思いつつ、ずっとそのままになっています😅)
国内大会の得点について日本の実況でよく「ISU公認大会ではありませんので、あくまでも参考記録です」という説明がが入りますが、全米の得点は「参考」にすらならないという😅・・・
マルティーナさんの研究によれば、米スケ連は70年代からこの方針を貫いているそうですから、今さら驚くことではありません。

そしてこの全米を見て改めて確信したことは、羽生結弦は別次元だということ。
全日本の羽生君の演技を見たイタリアのファンが言っていましたね。

「羽生結弦がやっているスポーツがあり、それから他の人達がやっているスポーツがある。同じスポーツではない」

まさにその通りです。羽生結弦がショートとフリーを両方ノーミスで揃えたら誰も勝てるはずがない。 このスポーツの名称が「フィギュアスケート」である以上、そうあるべきです。

ですから、羽生君には周りの不毛な雑音や煽りは気にせず、自分を信じ、己の信念を貫いて北京に向かって欲しいです。 そして彼は間違いなくそうするでしょう。

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu