Sportlandiaより「J.ジャクソン著オン・エッジ4:裏工作」

マルティーナさんによるジャクソン著書の考察の続きです

 原文>>

マルティーナ・フランマルティーノ
(2020年12月14日)

現在、複数の記事を交互に投稿しています。書きたいことを全部執筆するために、複数のプロジェクトを同時進行しているのです。今回はジョン・ジャクソンのオン・エッジに戻ります。 今回は第8章です。引用を理解して頂くための予備知識を簡単にまとめます。ジャクソンは、最初は臭いが強過ぎて嫌悪感を覚えるようなチーズについて話しています。そしてこの臭いに慣れた時、その風味を評価するようになるのです。

私は政治、すなわち「ゲーム」について学び始めた当初、不正を目撃した。それは臭いの強いチーズのようで、感覚にかなりの嫌悪感を与えた。しかし、やがて私は政治ゲームに伴う仲間意識を楽しむようになった。カクテルパーティーやジャッジのスペシャルディナーは素晴らしく、審査の不規則性はどういうわけか許されるようになった。

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これは非常に興味深い考察だと思います。最初は善意を持って始めた人でさえ、自分のいる環境に順応し、特定の振る舞いが間違っていることに気付かなくなったり、それほど深刻ではないと思うようになるのです。環境に流されてしまった善良なジャッジが何人いるでしょうか?連盟やISU、そして各国連盟の優先事項は、(心理的レベルであっても)ジャッジを育成する重要な要素となり、簡単に過ちを犯す方法を認識させる可能性があるのです。

そのすぐ下の段落で、ジャクソンは、サンジェルヴェにおける大会で、ナタリー・ウランディスとジェレッド・グズマン を1位(彼にとっては妥当な順位だった)にしたことにより、ISUから受け取ったナショナルバイアスの罰点について回想しています。 彼の書き方から、その通達を受け取ってもあまり心配していなかったことが感じられ、例え、彼自身は良心に反することが何もないと感じていたとしても、ジャッジに対する警告がこれほど簡単に撤回されるのだとしたら、ISUの警告にどれほど意味があるのだろうと考えてしまうのです。

1998年春に行われたグランプリファイナルのジュニア大会でジャクソンは再びアメリカのチームリーダーとジャッジを兼任していました。この二重の役職については前回の記事で既に言及しています。アイスダンスのアメリカジャッジはキャサリン・フラハティでした。 カクテルパーティの最中

特に一人のジャッジ(既婚の男性ジャッジ)がカクテルパーティの間中、彼女(キャサリン)に猛プッシュを仕掛け、彼女とイチャイチャし、事あるごとに彼女にお世辞を言った。彼は自分の国のアイスダンスチームのために彼女の票を得ようと躍起になっていた。幸いなことに、キャサリンは彼の見え透いた行動に気が付いた。

その後、彼は私にモーションを掛けてきた。私がバーで座っていると、彼は本来あるべきではない股間を私に押し付け、その後、「グラッパ」を振る舞うために私を自分の部屋に招待した。グラッパ?(非常にアルコール度が強いイタリアの蒸留酒)この既婚男性は一体何を意図していたのか?

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ワオ!ジャッジがこのような状況に遭遇するとは思いませんでした。男女見境なく誘惑するほど愛国心の強いこのジャッジが誰なのか明かされていないのは残念です。大会の行方に関しては、完全な結果は分かりません。優勝したのは、ロシアのオクサナ・ポディコワ/デニス・ペチュホフとイタリアのフラヴィア・オッタヴィアーニ/マッシモ・スカリを上回ったイタリアのフェデリカ・ファイエッラ/ルチアーノ・ミロでした。ジャクソンは男子の試合のジャッジで、ブルガリアのイワン・ディネフとアメリカのマシュー・サヴォワを上回ったアメリカのティモシー・ゲーブルが優勝しました。フリーでゲーブルは4回転サルコウを決めました。アメリカのスケーターが4回転ジャンプを成功させたのはこれが初めてであり、何よりも史上初の4サルコウでした。

彼に「ゴミのような」芸術点を与えたジャッジ数人の試みにも拘わらず、彼は勝った。

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残念ながらこの演技の動画は見つかりませんでしたので、得点を確認することは出来ませんでした。その直後、ジャクソンは何人かのコーチが彼の元を訪れ、レフェリーのサリー・ステープルフォードに彼の4回転ジャンプ(ジャクソン自身は疑念を持っていた)を正式に認定してもらうよう頼みに来たと語っています。ジャクソンにとってはこの認定は無意味でしたが、コーチ達にとってはそうではありませんでした。

「まあ、ヨーロッパ人は史上初の4サルコウ成功者の称号をアメリカ人に与えたがらないかもしれない。彼らはそのジャンプを「チート」だったと却下するかもしれない。「念のために訊いてもらえますか?」コーチ達は懇願した。

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現在のアメリカ連盟の力を見ると、政治力においてアメリカがヨーロッパより劣っている考えていたことは奇妙に思えます。しかも、ヨーロッパを一括りにしていますが、ロシア、イタリア、スペインが力と言う点において同レベルとは思えません(この3カ国はいずれも近年重要な大会の表彰台に上ったスケーターを輩出しています)。しかし、特定の要素を史上初めて実施したスケーターとして記録に残ることが重要なことであり、連盟間の政治ゲームの題材になり得るという事実を理解しておくのも重要です。この場合、イギリス人のステープルフォードにとっては上手く実施されたジャンプであり、正式に承認されていたため、このような質問は彼女にとっては馬鹿げていました。政治ゲームの話題を掘り下げると、この少し後、ジャクソンはネーベルホルン杯のジャッジを務めました。この大会中、同時進行でISU会議が開かれ、五輪ジャッジになるための試験も行われました。この時、この試験を受けたアメリカのジャッジ、タフィー・ホリデーは緊張の余り実力を発揮出来ませんでした。

結局、タフィーは試験に合格した。ロン(プフェニヒ)、レイカーミック、ブリッタ(リンドグレン、スウェーデン人)は彼女に有利に投票し、サリー(テープルフォード)とウォルブルガ(グリム)は何らかの理由で彼女の合格に反対した。ロンは2人のスウェーデン人(両者共にタフィー同様、緊張に飲まれていた)の一人に投票する代わりに、ブリッタの票を確保することで合意した。

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何と言うことでしょう・・・政治ゲームは試合の採点だけで起こる訳ではないのです。このような環境では、例え最初は正しい信念を持っていても、ずっと公正でい続けるのは極めて困難です。

ジャクソンがルーシー・ブレナンと2000年全米選手権について話しているように、問題は国際的なだけでなく国内的であるのです。本来ならジャクソンがレフェリーで、ブレナンは彼のアシスタントのはずでしたが、ブレナンはこの割り当てが気に入らず、2人の立場を交換させることに成功しました。今では改善し、気まぐれで役職を交換したり、更に悪い場合には、ジャッジを変更するなどということが行われていないことを願っています。こうして重要な役職を得たニューヨーク出身のジャッジ(ルーシー)は、

彼女はニューヨークのスケーティングクラブを代表する数人のスケーターの大ファンであり、彼らの利益になるようジャッジ達の練習中のおしゃべりを仕切っていた。あなたがルーシーの選んだお気に入りでないなら、警戒しなければならない!

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あるスケーターが、特定の地域出身のスケーターを好む自国連盟に政治的な理由から好まれないという話を聞く事がありますが、その場合、連盟トップの誰かが非常に具体的な先入観を持っているは明らかです。

ジャクソンは定期的に旧ソ連のジャッジ達に矛先を向けますが、東側の誰か、すなわちロシアのコーチ、ジャッジ、選手の本が、私の理解出来る言語(イタリア語、英語、フランス語)に翻訳されていなければ、彼らの側の見解を知ることは出来ません。間違いなく、彼らも面白いエピソードを語ることが出来るでしょう。【追記】アレクセイ・ミーシンの著書が英訳されるそうです。英訳版を読める日がくるのを楽しみにしてます。

それではブロック審査とジャッジの動機に迫ってみましょう。ただ一種の「中毒」よって自分達のやっていることが間違っているという自覚がない事はこの際置いておきましょう。こちらは少し前の時代について言及しています。

そして、ロシアや他の東側諸国のジャッジ達が、フィギュアスケートのジャッジとして国外を旅行し続けるために、自国連盟が要求することを何でも喜んでやるのはしごく当然のことである。旅行1日当たりの日給は月給より価値がある。グランプリファイナルで与えられる謝礼金300ドルは半年分の給料に相当するのだ。その観点から見ると、旧ソ連諸国のジャッジ達がゲームをプレイする動機を理解するのは簡単である。そうしなければ、彼らは自宅に留まることになるのだ。

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このようなケースについては、連盟全体の資格を一時停止すべきです。もしジャッジが派閥に属するなら(そして彼らは派閥に属しているのです)、それは彼らに圧力を掛ける連盟のせいです。ジャッジ達は公正か、あるいはジャッジを辞めるかを選択しなければならない状況に置かれるべきではありません。こうしたことを止めさせる唯一の方法は、不正行為が許されないことを連盟に理解させることであり、もしそうすることが、連盟全体の活動を一時停止させることを意味するのなら、まずそこから始めるべきです

2001年12月にスコットランドで開催されたグランプリファイナルのエピソードに戻りましょう。

またしてもオフィシャルとジャッジ達は君主を訪問するように扱われた。

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ここではスキャンダルはありません。フィギュアスケートのジャッジ達は何の見返りもなく、自分の時間を競技に捧げていると私に言ったあるジャッジに対する答えです。OK、彼らは旅行をして、大会のために数日の休暇を取ることが出来る仕事に就いていなければならない訳ですね。でも生業に差支えがなく、時間的に可能で、この競技が好きなら、ジャッジをやる何らかのメリットはあるのでしょう。

ジャクソンは2000年にスコットランドで開催されたジュニアのグランプリファイナルでジャッジを務めました。これが最終結果です:

当時、アイスダンスでは3つの試合があり、最初はコンパルソリーダンスでした。ジャッジの中には私達が既に知っている名前も含まれていました。

ディナーの時、私は魅力的なロシアのジャッジ、エレナ・フォルミナの隣に座った。私は男子の試合のジャッジを務めることになっていた。デザートの間、別のロシア人、マイラ・オブラソワがほんの数秒私に話しかけ、その後でエレナに注意を向けた。彼らは完全にロシア語で話していた。彼らの不愉快なやり取りはよく聞こえたが、私は「nyet!(ノー)」以外は一言も理解出来なかった。 エレナは彼女に対するどんな要求にも抵抗しているように見えた。

マイラが立ち去った後、エレナは「彼女は女子の試合のジャッジをしている」と私に知らせた。マイラは彼女から男子の試合を奪おうとしていた。私は理由を尋ねると、彼女は肩をすくめ、からかうように「ダンス?」とだけ言った。

私には彼女の言葉の意味を推測することしか出来なかった。男子の試合とアイスダンスの試合では各国が幾つかの共通の利害を共有していた。女子の試合はそうではなかった。何としてそれをやり遂げたい場合、マイラは他の国々からロシアチームの順位付けを獲得するために、何らかの見返りを約束しなければならなかった。女子の試合では各国間に共通の利害関係は存在しないため、見返りを約束することは出来なかった。しかし、もし彼女が男子の試合のジャッジなら、彼女にその気があれば、ダンスの順位と引き換えに男子の順位を約束することが出来た。

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私は先程、役割を入れ替えるべきではないと書きましたね?裏工作をしたがっている人にとって、どのカテゴリーのジャッジを務めるか自分で決めることが出来れば大きなアドバンテージになります。今ではルールが修正され、このような事が可能ではないことを願っています。ここで行われているのは明らかに交換採点です。あなたの国のスケーターを助けますから、私の国のスケーターを助けて下さい。この場合、ナショナルバイアス値には現れません。

男子とアイスダンスのどちらにも自国選手が出場していた国はロシアとアメリカだけでした。そしてジャクソンは彼の同胞が不正な援助を受けたとは書いてはいません。1つまたは両方の試合についてよく覚えていなかったのでしょうか?この大会で複数カテゴリーに自国選手が出場していた国は3つありました。中国(男子ペア)は2つの金メダルを獲得しました、ロシアのペアは4位に終わり、ロシアのスケーターがショートからフリーで順位を上げた唯一の種目は男子シングルでした。 女子とアイスダンスに自国選手が出場したドイツは、ペアが最初の2試合、コンパルソリーダンスとオリジナルダンスの後、フリーダンスで順位を一つ上げ、表彰台に乗ることが出来ました。女子とペアに自国選手が出場した日本に関しては、ジャクソンの思い違いをしており、日本のペアがショートプログラムの後、フリーで順位を1つ上げていたなら、ロシアペアの採点に対する見返りかもしれません。しかし、交換採点はもっと広い範囲で行われていて、私達が知らない第三の国のジャッジも関わっていた可能性もあり、当事者が告白しない限り(そして絶対に誰も告白しないでしょう)、状況を正確に推理するのは不可能です。

男子の試合の結果にはスケートの内容が反映されていなかった。程遠かった。アメリカの3人の少年、パーカー・ペニングトン、エヴァン・ライサチェク、ライアン・ブラッドレイは全員こき下ろされ、いい出来からは程遠かったロシア人の少年が2位と3位だった。 アイスダンスではロシアのペアは2位だった。マイラがどうしてもその男子の試合を採点しなければならなかった理由がますます明らかになった。

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先程も書いたように、大会中の不正以前に当時の状況を正確に再構築するのは困難です。従って、エピソードは事実だと確信していますが、ジャクソンの語る内容には幾つか辻褄が合わない点があります。試合の動画を見ることが出来ればいいのですが、残念ながら見つけることが出来ず、各ジャッジが出した得点も分かりません。私に分かっているのは各試合の順位だけです。過去と現在の試合に関するあらゆる情報を公開するということが、ISUのやるべき事リストに入っていないのは残念です。例えば各ジャッジが適用したGOEのプラス要件とマイナス要件を公表するとか。決して悪いアイデアではないと思います。現在のプロトコルでは比率から切り離された数値しか分かりませんので、推測することしか出来ません。いずれにしても、フォルミナは彼女自身が裏工作が計画したのではないにしても、それに加担していました。彼女が以前はどのような採点を行っていたのかは分かりませんが、ひとたび道徳的観念を見失い始め、不正行為を受け入れ、自分も加担していることに気付くと、このような行為を正常なことだと判断しがちになり、試合の操作でより中心的な役割を果たすようになっていくのです。フォルミナは現在に至るまでロシアで最も重要なジャッジの一人であり、このことに私は懸念を抱かずにはいられません。

次のページでは私達の良く知る人物、ローリー・パーカーが登場します。ジャクソンは彼女に多くのスペースを割いていませんが、興味深いことを言っています。はっきり目に見える違法なやり取りがなかったとしても、彼女が有能な工作者であることは明らかであり、これもあまり正常なことではありません。人間の工作と審査の公正性にはあまり互換性はありません。

これが彼女の第一印象です。

ローリーは多方面に渡るスケート一家の一員である。彼女の母親、叔父、叔母、いとこ、そして娘は全員このスポーツに関わっている。任務を超えて友好的な彼女には敵はなく、自分が会う全ての人を知っているか、話したことがあるようで、彼らの名前を覚えていた。

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スポーツに深く関わりのある家族を持ち、皆と接触する機会のある彼女のような人物が、オリンピックを含む最も重要な大会にジャッジとして派遣されることは驚くことではありません。皆を知っていて、皆に好かれているために、何があっても、上手く切り抜けることの出来る人物のように思われます。

選手達はローリーを非常に愛していた。彼女は同じ一人の大人として彼らに関わり、元スケーターと元母親だけに可能な激励を彼らに与えた。彼女の熱意は大学のチアリーダー並みであり、これは彼女の前の人生でも起こったことだった。

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パーカーについての描写を読むと、彼女はチームリーダーには最適ですが、ジャッジには全く不適切な人物のように思われます。彼女はスケーター達の友人であり、公正性がどこにあるのか分からない可能性があるからです。

こちらはジャッジの匿名性がようやく廃止された後、パーカーが活動した 2016-2017年及び2017-2018年シーズンにおける国際大会における彼女のナショナルバイアス値です。この後の平昌オリンピックではフアン・フェンがバイアス値8.83点(ショート4.03+フリー4.80)によって(残念ながら)たった1年間だけ資格停止になりました。

シーズン 試合 SP FS Tot.
2016-2017 JGPF M 4,14 9,26 13,40
2016-2017 GP Final M 3,03 5,07 8,10
2016-2017 Four Continents Championship M 0,99 5,60 6,59
2017-2018 GP Rostelecom Cup P 2,78 11,52 14,30
2017-2018 GP Rostelecom Cup L 4,31 6,18 10,49
2017-2018 GP Rostelecom Cup M 3,92 3,54 7,46
2017-2018 GP Cup of China P 3,21 3,58 6,79
2017-2018 GP Cup of China L 0,14 5,95 6,09
2017-2018 GP Cup of China M 2,78 -0,04 2,74
2017-2018 Team Olympic Games M 0,28 10,60 10,88
2017-2018 Olympic Games M 10,43 10,43
Bias totale 25,58 71,69
10 11
2,56 6,52 9,08

11試合中5試合(その内の1つはフリーしか採点していません)でパーカーのバイアス値はフェンを上回っていました。彼女の平均バイアス値9.08は、平昌におけるフェンのバイアス値より高い数値です。何故、彼女はまだジャッジを続けているのでしょうか?2020年スケートアメリカでパーカーは3カテゴリー全てのジャッジパネルにいました。従って、今後いつでも重要な大会に登場し、ISU主催大会のオフィシャルリストに名を連ねる可能性があるのです。【追記:パーカーは2021年世界国別対抗戦のジャッジでした。つまり、重要な国際大会で採点し続けているのです。

さて、本を読み進めると、その少し後にスロベニアで開催されたノービスの大会でジャクソンは男子シングルのレフェリーを務め、パーカーはジャッジの一人でした。ジャクソンは大会名を明記してませんが、かなりの確率で2001年4月18日から22日に開催されたトリグラフト杯だったと推測出来ます。ノービスAでは、アメリカのトレイゲ・ラウズがスイスのモリス・ファイホーファーとイタリアのマルコ・ファブリを上回って優勝しました。

ローリーは、私がレフェリーを務めるノービス男子の試合でロシアンスタイルのマーケティングキャンペーンを行っていた。彼女が宣伝していたアメリカの少年はマスタースタイリスト(熟練したパフォーマー)だった。そして彼女はこのカードを生かすためにあらゆる機会を利用したに違いなかった。彼はショートプログラムを2位で終えたが、芸術点は最も高かった。その後に行われた議論の中で、ローリーはロシア風テイストにひねりを加えて、米国のスケーターがプレゼンテーションで如何に優れていたかを外国のジャッジ達に納得させた。「本当?本当にそう思うのか?」小指を顎に当て、両眼を天井に向ける

フリーではアメリカの選手はパフォーマーとしては十分だった。私の記憶では、彼には1本または2本のジャンプが足りなかったが、プレゼンテーションは注目に値した。直後に滑った若いスイス人は綺麗に実施された多くのトリプルジャンプで目を釘付けにした。彼は完璧なプログラムを滑り、勝者であることは明白だった。まあ、少なくとも私とアシスタントレフェリーはこのような見方をしていた。当然、スイスジャッジもそうだっただろう。しかし、ローリーと前もって彼女に説得されたジャッジ全員がアメリカ人を勝者にした。彼らは、彼(スイス人)の技術的優位による点差を補うために、芸術点で彼を大幅にリードする得点を与えた。

ローリーがどうやってこれをやってのけたのか私には未だに分からない。私がそれを知っていたら良かったのだが。彼女は単一の順位を取引することなく、見返りを約束することもなく、交換条件も無しで目標を達成したのだ。(見返りを与えることは)彼女には出来なかったはずだ。ここではアイスダンスの試合はなく、彼女はアイスダンスのジャッジでもなかった!彼女はロシア人がオクサナ・バイウルのために行ったのと同じ方法で、そして彼らが2002年にイリーナ・スルツカヤのために試み、2006年に再び試みたのと同じ方法でそれを達成したのだ。

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ジャクソンが何の躊躇もなく書くほど、この世界ではこのような行為が当たり前になっていて、彼はロシア人が結果を操作していることを確信しているのです。2006年のオリンピックでは日本の荒川静香がアメリカのサーシャ・コーエンとロシアのイリーナ・スルツカヤを上回って金メダルを獲得しました。しかし、ジャクソンが何故アイスダンスを持ち出したのか私には理解出来ません。裏工作なら女子とペア、または同じ試合内で行うことが出来たはずです。例えば、A国に金メダルを狙う、しかし助けが無ければ2位になる可能性の高い選手がいて、B国に銅メダル狙いの、しかし4位の可能性が高い選手がいた場合、A国とB国のジャッジは両選手を推すことで合意するかもしれません。そしてA国が金、B国が銅で、両国共に満足します。これはあくまでも可能性であり、実際にそうだったと言っている訳ではありません。パーカーがアイスダンスのジャッジではなかったという理由だけで彼女は見返りを約束しなかったというジャクソンの仮説には証拠がありません。ただの仮説に過ぎないのです。いずれにしても・・・彼の憤りは何処に向けられているのでしょう?勝ったのがアメリカ人なら、全て良しになるのでしょうか?自分が不正の犠牲者になった時だけ怒り、そのような行為自体は正しいのでしょうか?そしてもう一つ。一体何故、ローリー・パーカーは未だにジャッジを続けているのでしょうか?

スケーター達がローリー・パーカーを愛するのは不思議なことではなかった。彼女は彼らを助けるために全力を尽くすだろう。そして彼女は何度もそれを繰り返したのだ。

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アメリカ人は彼女が大好きなのです。しかし、世界にはアメリカ人しか存在しない訳ではないですし、「スポーツの公平性」と呼ばれる理念も存在します。そして同国人を助けるために他者に不当なペナルティーを科していい訳がありません。もしパーカーとISU幹部、そしてここで少し自分を見失ったジャクソンの住所を教えてもらえるなら、私は贈り物として辞書を郵送出来るでしょう。彼らがその意味を無視している幾つかの単語をもう一度学習出来るかもしれません。

オリンピックシーズンの最初にスケートアメリカがありました。

この夜、思いがけず精彩を欠いた人気のミシェル・クワンの演技は、当時無名だったサラ・ヒューズに物議を醸しだす金メダルをもたらすことになった。

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クワンはこの時、既にオリンピック銀メダル1個、世界選手権の金メダル5個と銀メダル2個を獲得していました。アメリカ人は彼女を愛しており、皆が次のオリンピックの本命は彼女だと思っていました。クワンがソルトレークシティーでタイトルを獲るチャンスを増やすには、同国選手に勝つ必要があるとはジャッジ達は考えつかなかったのかもしれません。サラ・ヒューズは数か月前に自身3度目となる世界選手権に出場し、銅メダルを獲得していますから、全く無名の選手という訳ではありませんでした。しかしアメリカが推していた選手では無かったです。そして以下も忘れてはなりません:

スケートアメリカは、スカーター達に新プログラムを初公開する機会を最も早く提供する大会である。[…] またバンケットでの雑談や、毎日、毎時間、毎晩のパーティや社交の場におけるカクテル片手のおしゃべりに基づいて、オフィシャル達が彼らの初期ランキングを確立するための最初の機会でもある。メディアにとってはドラマをゲットするシーズン最初の機会である。そしてオリンピックシーズンであったため、この大会は冬季オリンピックに向けて読者層を構築するチャンスだった。

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ドラマを語り、主役を作り上げることがメディアにとって如何に重要かは既に書きました。それにしてもジャッジ達がランキングを決めるのがバンケットというのは興味深いです。各試合で一番良い演技をしたのが誰なのか判断する努力はしないのでしょうか?きっとより難しいことなのでしょうが、これがジャッジの本来の仕事のはずです。人間なのでミスは受け入れられますが、工作は受け入れられません。クワンはアメリカのアイドルでした。従って優勝は彼女でなければならず、スケートアメリカのジャッジにとってはそれが全てでした。このシーズン、クワンが優勝したのはこのスケートアメリカと全米選手権だけでした。その他の大会では銀メダル(世界選手権を含む)と銅メダル(オリンピックを含む)だけを集めました。複雑な試合の後で、オリンピックタイトルはサラ・ヒューズが手に入れました。

オリンピック前に行われた最後の重要な大会は四大陸選手権でした。女子シングルでは有力選手の大半はオリンピックに備えて万全の準備をするためにこの大会には出場しませんでした。

全ての視線はアン・パトリス・マクドノーに向けられた。

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前シーズン、マクドノーはジュニアのグランプリファイナルで優勝し、世界ジュニア選手権では銀メダルでしたから、将来有望なスケーターでした。数カ月前にグランプリ大会でシニアデビューを果たし、この数カ月後には彼女にとってジュニア最後の大会となった世界ジュニア選手権で優勝することになります。この大会にはマクドノーより9カ月年上のジェニファー・カークも出場していました。カークは1999-2000年シーズンにおけるジュニアの世界女王、グランプリファイナル優勝者で既にシニア2年目でした。

練習中やカクテルでのジャッジ達のおしゃべりは全てアン・パトリスに関するものだった。私はジェニファー・カークもまた、考慮すべきスケーターであることを彼らの思い出させようとしたが無駄だった。

ショートプログラムでは私はジェニファーを1位にした唯一のジャッジだった。彼女は明らかに今日一番の演技をしたが、ジャッジ達の注意はアン・パトリスと2人の若い日本のスケーターに向けられていた。ジェニファーは何とか2位になったが、彼女は1位に相応しかった。

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ここではジャクソンの表記にミスがあり、カークは2位でなく3位でショートプログラムを終えました。当時のルールでは劇的な点差はなく、ショート3位の選手が最高のフリーを滑れば逆転優勝は可能でした。従って、試合はある程度コントロールされており、必要なのは誰よりも良い演技をすることだけでした。2選手の順位が2つ以上離れている場合には、他の選手の演技と相対順位も重要になるのです。カークはショート3位で、優勝するのに誰よりも優れた演技をしなければなりませんでした。そしてフリーではまさにそうなりました。フリーでベストの演技をしたカークが金メダルでした。ショートの後、彼女に次ぐ4位だったマクドノーはフリーでミスを連発し、5位に順位を落としました。ショートとフリー共に2位だった日本の荒川静香が銀メダル、ショート1位、フリー3位の恩田 美栄は最終的に銅メダルでした。

この大会の女子フリーの動画はYoutubeにありましたが、ショートの動画はありませんので、カークが本当にショートで最も良い演技をしたとのか確かめることが出来ません。フリーに関しては、全てのプログラムに幾つかの問題がありました。従って、当時のルールではこれらの問題がどれほど得点に響いたのか知る必要があります。カークはクリーンなプログラムを滑った唯一の選手でしたが、コンビネーションジャンプは1本しかなく、セカンドジャンプは2トゥループでした。マクドノーもコンビネーションに関しては同じでしたが、加えてジャンプの繰り返しがあり、2本のジャンプで片手を氷に付き、ステップアウトが何度かありました。恩田は3アクセルで転倒しましたが、コンビネーションは2本ありました(いずれもセカンドジャンプは2トゥループ)。彼女はジャンプ要素を7本ではなく、8本実施しました(1本は手を付いてステップアウト)。当時のルールでは(ジャンプ要素を8本跳ぶことが)許可されていたのでしょうか?荒川はジャンプ要素1本を演技の途中で失い、冒頭の3ルッツが両足着氷でした。しかし、コンビネーションは3本実施し、3サルコウ-2トゥループ、3ルッツ-2ループ、そして3ルッツ-3トゥループ-2トゥループという他の選手にとっては夢のようなコンビネーションで締めくくりました。いずれにしても、ジャクソンと現在も現役ジャッジの韓国のチヒ・リーを含む5人のジャッジがカークを技術面で最も高く評価しました。

芸術点では、上位5人で荒川を下回ったのは恩田だけで3人の欧米人(アメリカ選手2人とカナダのジェニファー・ロビンソン)は彼女より高い得点でした。荒川は4人のジャッジ(ルーマニア、韓国、ノルウェー、スロベニア)のジャッジから1位、1人のジャッジ(スロヴァニア)から2位(1位はカーク)、アメリカ、カナダ、ベルギーの3人のジャッジから3位(アメリカとカナダは2位に恩田、ベルギーは2位にマクドノー)と評価され、1人のジャッジ(オーストラリア)は何と彼女をカーク、恩田、そして同じく2トゥループとのコンビネーションが1本しかなく、3ルッツでステップアウトだったロビンソンより下の6位にしました。カークは5人のジャッジ(オーストラリア、アメリカのジャクソン、カナダ、スロヴァキア、ベルギー)から1位と評価され、5対4で彼女が優勝しました。

結果は正しかったでしょうか?私は完全には納得していません。しかし、このエピソードから最も強く浮かび上がってくるのは、ジャッジ達の絶え間のないおしゃべりが、試合の結果に影響を与える可能性があると言う事実です。ジャクソン自身もショートプログラムでカークを首位にした自分の採点について次のように書いています

他のジャッジが私にこの順位について質問してくる機会を作った。自国スケーターのためにロビー活動をすることなく、フリースケーティングの準備をする絶好の機会でもあった。

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体裁を保ちましょう。後はどうでもいいのです。2002年のこの時点で誰が荒川静香に注目していたでしょうか?

2002年四大陸選手権以前の4年間の荒川静香の成績を抜粋してみました。当時の彼女は将来有望なスケーターではありましたが、まだ重要な結果は出していませんでした。全日本チャンピオンですらありませんでした。それも過去3年間ずっと。そう、この時は、まだ日本が世界で並外れた結果を出し始めるだったのです。2002年に本田武史と村主章枝が世界選手権で銅メダルを獲得しましたが(村主はその後、銀メダルを獲得します)、日本が世界選手権で最後に金メダルを獲ったのは1994年の佐藤有香、オリンピックメダルは1992年の伊藤みどりの銀メダルだけでした。

ジャクソンは最後にペアについて短く言及し、この大会の話題を締めくくります。彼は絶対順位(最終順位)には言及せず、カナダとアメリカのペアの相対順位について話しています。従って金メダルのチン・パン/ ジャン・トンと銅メダルのダン・チャン/ハオ・チャンは彼の議論には無関係で、同じように中国三番手のペア(8位)と日本のペア(9位)も関係ありません。いずれにしても、彼は最終順位はカナダペアとアメリカペアが交互にランキングしたと書いていますので、記述に誤りがあります。実際は最上位は2組のカナダペア(アナベル・ラングロワ/パトリス・アルケットの銀メダル、ヴァレリー・マルクー/ブルーノ・マルコットが4位)に入り、次にアメリカで最上位のペア(ステファニー・カレサビッチ/アーロン・パーシェム、5位)、3番手のカナダペア(ジャサント・ラリヴィエール/レニー・ファウスティーノ、6位)、最後に他の2組のアメリカペア(レナ・イノウエ/ジョン・ボールドウィン、7位、キャサリン・オーシャー/ギャレット・ルキャッシュ、10位)という順位でした。この本の中で私が見つけたこのような誤りはこれで4つ目です。3つ目はこの記事で指摘し、前の記事で別のミスを指摘しました。ジャクソンが思い違いや記憶違いをしている可能性があるため、彼の主張は常に検証する必要があります。しかし、検証が必要なだけで、無視するべきではありません。何故なら細かい間違いがあったとしても、この本に書かれた内容の大半はおそらく事実だからです。そして非常に深刻な事実です。いずれにしても、カークがマクドノーだけでなく荒川にも勝ったことは、彼にとっては妥当でした。彼の怒りに火を点けたのはペアの結果でした。カナダ人ジャッジについて言及し、名前は出さず、人間としては評価していると断った上でこのように問いかけています。

どうやって彼女はこのように露骨な贔屓採点を見逃してもらったのか?レフェリー自身もカナダ人であり、イベントレビューミーティングでこのことに一言も触れなかった。

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バイアスは(例えあったとしても)ジャクソンが主張するほど露骨ではなかったと思います。何故なら全体的に(従ってカナダのジャッジだけではありません)、1組ではなく、2組のカナダペアが最上位のアメリカペアに勝っているからです。しかし、レフェリーが自分にとって都合のいいジャッジのバイアスを見逃すことが出来るという事実には考えさせられます。ここでは、ジャクソンの主張はおそらく事実ではないのかもしれませんが、彼が順位を部分的に間違えて記述したというだけで、全てをナンセンスだと却下することは出来ません。ジャッジはより簡単に調べられますが、試合の結果に何らかの方法で影響を与える可能性のある全ての人間を注意深く観察する必要があります。

この章が終わりましたので、私もこの辺で止めておきます。ジャクソンはいよいよソルトレークシティー五輪の章に突入します。

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私は翻訳するのは速い方です。このぐらいの分量なら普通なら週末に一気に訳せてしまうはずなのですが、何故こんなに時間がかかっているかというと、読み進めれば読み進めるほど気持ちが重くなり、エンジンがかからない・・・というより全く集中出来ないからです。傷口をわざわざメスでえぐって広げているような痛みを心に感じるのです。

正直、このような読んでも辛くなるだけの記事を誰が読みたいだろう?翻訳する意味があるのだとうかとも思います。

それでも、少しずつでも翻訳しているのは、一度始めてしまったものを途中で放り出すことが出来ない性格だから、というのもありますが、何よりもここに書かれている内容がほぼ事実だと思うからです。

これはジャーナリストが書いた記事ではありません。週刊誌がよく使う、存在するかどうかも分からない「関係者談」でもありません。

元ジャッジ、それもスケート大国アメリカの、そしてアメリカでフィギュアスケートが今よりもずっと人気があった時代のジャッジによって書かれた本なのです。

数日前、ロシアのジャッジ、アレクサンダー・ヴェデニン氏のインタビュー記事が話題になっていました。ヴェデニン氏はジャッジ歴20年の大ベテランジャッジで現在もロシアフィギュアスケート界の重鎮と見なされている人です。

自動翻訳でイタリア語にしてざっと読んでいましたが、「ロンドンつれづれ」のポプラさんが分かりやすく翻訳して下さいました。ポプラさん自身の考察も大変興味深いです。

呆れた話 | ロンドンつれづれ (ameblo.jp)

アメリカ人のジャクソンはロシアと旧ソ連諸国のジャッジに批判的、東側のヴェデニンは北米ジャッジに批判的という立場上の見方の違いはありますが、彼らが言っていることの本質は同じです。

選手の命運を握っているのはジャッジなのです。そしてそのジャッジ達から自国選手のために有利な採点を引き出すために、各国の連盟は政治的駆け引きに余念がないのでしょう。

2018年平昌オリンピックの後、GOEが+3/-3の7段階から+5/-5の11段階に変わりました。これは一見、難度よりも質を重視するための変更に思われましたが(そして名目上そう思わせるのが狙いだったのでしょう)、蓋を開けてみれば、ジャッジが自由裁量で採点出来る範囲が広がっただけでした。GOEについてはガイドラインで要件が細かく決められていますが、ここ数シーズンの採点を見る限り、このガイドラインに沿って正確に採点しているジャッジはほとんど存在しません。

金メダリストが下げ採点される、というのは何も今に始まったことではありません。現にマキシム・トランコフやテッサ・バーチュといった金メダリストがはっきりとそう発言しています。

ISUとしては金メダルは1人1個まで、1選手による連覇は望ましくないのでしょう。

まして日本人選手の連覇など・・・

プルシェンコ、キム・ヨナ、テッサ・バーチュ/スコット・モイアも五輪連覇はさせてもらえませんでした。バーチュ/モイアは平昌で金メダルを獲りますが、私はショートダンスにおけるガブリエラ・パパダキスの衣装ハプニングが、設定されていた羅針盤を思いがけず狂わせてしまったのだと思っています。

トランコフはジャッジ達の採点傾向を見て彼らの意図を悟り、引退しました。プルシェンコも去り、スコットとテッサも去っていきました。

しかし、羽生結弦は去らなかった。ジャッジから「もう後進に道を譲ってどうぞ引退して下さい」と云わんばかりの酷い採点をされても。

4アクセルという前人未到のエレメントを成功させる夢を達成するため、そして何よりも彼がこのスポーツを心から愛しているからだと思います。彼にとってフィギュアスケートは彼の人生そのものなのです。

羽生結弦は言ってみればフィギュアスケート界におけるイエス・キリストのような存在だと私は思います。革新者、先駆者、救世主という意味において、圧倒的なカリスマ性があり、国境や文化の壁を超えて多くの人々から愛され、天命を背負って生まれてきたという点において。

ちなみに私は特定の宗教の信者ではありません。信仰を持たない人間がイエス・キリストの名前を持ち出すのは不謹慎と言われるかもしれませんが、敬虔なカトリックの国であるイタリアのファンや解説者やジャーナリストが、羽生結弦を「Dio」(Dが大文字の場合、異教徒の神ではなくキリスト教の神です)と呼び、彼を語るのに「Apotheosis」(神格化)という言葉を用い、ヨハネ福音書を引用するのです。

羽生結弦はラテン語で言うところのilluminatum(光明)と形容される人物だと思います。
泥中の蓮という諺がありますが、まさにスケート界における彼のことです。
そして彼のような人物の出現はISUにとって最大の誤算だったのではないでしょうか。

今の彼はISUや各国連盟の思惑などを超えた別次元で戦っているのだと思います。
どうか健康で
そして彼の競技人生を賭けた、最後の夢を達成出来ることを祈っています。

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu