Sportlandiaより「プロローグ」

ノンフィクション作家のマルティーナ・フランマルティーナさんのエッセイ。「プロローグ」横浜公演の感想と考察が綴られています。

原文>>

マルティーナ・フランマルティーノ著 (2022年11月21日)

Prologueの開催が発表された当時、私はこのアイスショーについて何も書きませんでした。ショーのニュースは私を幸せにしましたが、同時に心配でした。ワンマンショー?観客を魅了し、感情移入させる羽生の能力を疑ったことはありませんでしたが、体力的に一体どうやって公演の最後まで滑り切るのか?不慮の事態が幾つも発生する可能性を考えても、プロ転向後、初めて彼が姿を現す機会が大惨事になったら?

確かに、これまでも彼は無数のインタビューや出演した様々なテレビ番組に登場し、Youtubeチャンネルを開設し、24時間テレビで序奏とロンド・カプリチオーゾを神々しく演じてみせました。しかし、アイスショーを最初から最後まで一人でやるというのとは話が違います。ですから、私は(過去に未知数の試合が心配だったように)この未知数のアイスショーが心配でした。そしてショーで求められる彼の体力が心配でした。羽生はある意味で彼にとっては現役時代と何も変わらないと言いました。そして、これまでと変わらずに努力を続け、試合と同じ緊張感を維持しながら滑り続けると宣言しました。そして彼はそれを完璧に有言実行してみせたと言わなければなりません。SharePracticeの最中でさえ、彼が4回転ジャンプを跳ぼうとしている時、私は彼にしか出来ないクオリティのジャンプが成功することを願っていました。そしてSEIMEIを滑っている時には、完璧なプログラムが見られることを平昌のあの日に願っていたよりも一層強く望んでいました。確かに平昌当時の私はただの羽生ファンでFanyuではありませんでした。しかしあの練習の強烈さは他の誰の試合をも上回っていました。

横浜のアイーナは非常に大きな会場で、収容可能な人数は最大で1万人です。羽生は片側のショートサイドをスクリーンを設置するために使いましたので、許容人数は7900人に減少しました。いずれにしてもリスクはあります。

観客席が埋まらないアイスショーが幾つありましたか?
日本のスターズ・オン・アイスは北京五輪の金銀銅メダリスト(内2人は日本人で彼らは世界選手権の表彰台にも上りました)、五輪銅メダルの世界女王、現在の日本スケート界の主だったスケーター達、新しいクワドキングが揃っていたにも拘わらず、2500席の会場は満席からは程遠い状態でした。グランプリ大会を見て下さい。どの会場もガラガラです。2500席のスケートアメリカ、5500席のスケートカナダはより会場の大きかった大会ですが、空席が目立ちました。観客数では3500席のフランス国際と1500席のシェフィールドと変わらなかったのではないでしょうか。私の基準では、一試合当たりの観客数が800~2000人程度の大会が小さな会場、少ない観客に相当すると思います。NHK杯が開催されたのは最大1万人収納可能なアリーナでグランプリ大会では最も大きな会場でした。しかしショートサイドと最上階席は実質空っぽ、その他のセクターでも空席がチラホラ見られました。どのぐらいの観客がいたのでしょうか?5.000人?6.000人?いずれにしても全席完売で2日目公演はテレビで生中継されたにも拘わらず、映画館の合計100ホール以上でライブビューイングが行われたプロローグよりずっと少ないです。データを見ると、ぴあアリーナのチケット抽選には15万人以上が参加したものと思われます。第一ラウンドは完勝でした。数字が語っています。ユヅはISUよりずっと重要なのです。

皆と同じように、私もワンマンショーを最後まで乗り切るために必要なスタミナを心配していました。私達はユヅがエネルギーを使い果たしてプログラムを終えるのを何度も目撃しています。それに私達は彼が常に全てを出し尽くすことを知っています。今回は、きっと驚異的な体力強化トレーニングに取り組んだに違いありませんが、2日は初日に比べると疲れているのが分かりました。八戸は3日あります。成功を祈っています。息を整え、着替えるために映像を挟むことは分かっていました。彼は1時間半のショーの内、3分の1に当たる30分間滑りました。いずれにしても常軌を逸したマラソンです。SEIMEIで4回転ジャンプ2本(6分間練習でも4回転ジャンプを2本跳んでいました)、更に何本もの3アクセルとその他のジャンプ。そしてスピンとステップも相当のエネルギーを消耗します。Henniが技術要素を数えてくれました。彼女の表は、アスレチック面においてどれほど並外れたパフォーマンスであったかを証明しています。Henniのツイートはこちらですが(ここに付いたリプライも面白いです)、ツイッターがずっと存続するのか分かりませんので、念のためにここにも表を掲載します。

6分間練習でショーを開始するというアイデアは天才的でした。次のショーでは変えてくるでしょう。プロローグが彼の途方もない歩みの追体験だったとすると、毎回使えるアイデアではないと思うからです。プロローグは架け橋でした。8月に私自身もこう書いていたことを思い出すとおかしくなります(お蔵入りしてそのままになっている記事ですが、いずれ公開するかもしれません):

何をやるかを発表する前に、彼は詳細まで細かく決めておく必要があります。しかし、彼が理想とするフィギュアスケートは変わっていません。そして競技ルールによる制限が無くなった今、彼は自分の限界と可能だと見なされていることの範囲を拡大し、プロアスリートの概念を変えようとしています。

羽生の競技キャリアは彼が史上最高のスケーターであることを証明しましたが、彼の旅路はまだ終わっていません。そして彼について行く人々にとってはエキサイティングな旅が待っています。過去はプロローグ(序章)に過ぎません。

そして今、一層強くなった私の確信を彼が証明しました。過去はプロローグであり、ここから未来が構築されていくのです。私は彼がこれからやることを幾つか思い浮かべてみました。幾つかのテーマショー・・・彼はきっとやるでしょう。私の想像を遥かに上回るクオリティで。だって彼は私よりずっと優れた頭脳を持っているのだから。いずれにこのショーは過去と未来の架け橋として考案されました。従って、次回のショーは全く形式の異なるものになるのではないでしょうか。彼のプログラムはいつも似たようなジャンルだと批判するアンチがいますが、6分間練習で開始するというアイデアを思い付き、それを実際に実行する勇気のある人が他にいるでしょうか?何よりも彼は皆を驚かし、何か新しいことを創造しようとしています。そしてプロローグの次のショーに登場する彼は、もはや競技を引退したばかりのスケーターではなく、既に前人未到のスペクタクルを披露したプロスケーターなのです。

キャリアの二つの段階を繋ぐ架け橋。11時11分から始まる時計があります。何故なら彼はこれまでも、これからも常にナンバーワンだからです。ここから彼のこれまでの軌跡を振り返り、そして最後に時計の針は未来に向かって前に進みます。もはや競技の時代ではありません。映像の中でも扉が閉まるシーンがありましたが、閉じた扉の向こうには発見すべき世界が広がっています。しかも、私が読んだ情報によれば、時計をイメージしたゲートも彼自身のデザインだというのです。勿論、制作における協力者はいたと思いますが、彼の物語を時間の経過というテーマと結び付け、視覚的なイメージを作り上げることを決めたのは彼でした。

実際にはショーは6分間練習ではなく、7月19日の彼の決意表明会見の映像から始まります。それから、これまでに彼が幾度となくやってきたことが続きます。彼がリンクに登場するのです。とりわけ、彼にとっては辛い大会だったトリノの映像も含まれていましたが、この映像は間違いなく彼の試合の見方を非常に強く表しています。何故なら彼はこの時、自分の存在を疎ましく思う勢力があることを理解し、同時に会場全体の過熱を感じたのだから。それから自身のキャリアの様々な瞬間における試合のシーンが次々に現れます。幼い頃の練習や試合のリンクでの映像もありました。「ロシアから愛をこめて」を演じる幼い結弦。そして小さな結弦から徐々に成長した結弦に変わっていくシットスピン。彼は大きく成長しますが、彼はずっと彼のままでした。オリンピックチャンピオンである彼が、初めてオリンピック金メダルを獲ったフリースケーティングの楽曲「ロミオとジュリエット」の旋律をバックにこれらの映像が流れます。ソチの金メダルはサプライズでした。羽生はグランプリファイナルで途方もないプログラムを滑れることを見せつけましたが、この大会の優勝候補はパトリック・チャンだったからです。そしてソチ以降、世界タイトルを他の選手に譲ることがあっても、実質的には彼がずっとナンバーワンでした。他の選手が試合で勝つことがあっても、チャンピオンは彼でした。

数分間、過去を追想した後、6分間練習で現実に戻ります。4日、私は6分間練習のアナウンスがあったことをツイッターで読んで爆笑しました。それでいいのです。試合の開始でした。羽生が最後に観客の前で滑った時、アイスショーだったにも拘わらず、彼は競技者でした。ファンタジー・オン・アイスの頃はまだ正式に競技を引退しておらず、ショーも従来のオープニングで開始されました。アナウンスで開始された6分間練習、最初はジャージを着用し、プーのいるリンクサイドでドリンクを飲みます。彼は私達が知り、愛することを学んだユヅです。何も変わっていません。何事にも真剣な彼の姿勢は変わらず、私達の彼に対する愛情も変わりません。それから彼はジャージを脱いで衣装を見せ、彼が衣装を披露する時、いつも起こるように、観客は一斉に息を呑みます。ジャージの襟元から覗く色で皆予想していたでしょう。オリンピックのSEIMEIです。SEIMEIの衣装は6バージョン以上のバリエーションがありますが、これは平昌バージョンでした。

6分間練習に関する記事を幾つか読みました。前日のショーを観戦したファンのレポを読み、断片的な映像も見ました。だからアイスショーの構成は大体把握していましたが、把握しているのと、ショーで実際に目撃するのとでは全く違います。そしてその後があります。より充実した内容の新しい情報が提供されます。私は日本語が分かりませんので、誰がが翻訳してくれなければ内容を理解することが出来ません。将来的にライストに英語の字幕を付けてもらえませんか?会話にライブで字幕を付けるのは不可能ですが、せめて録画部分と曲の歌詞だけでも。

6分間練習をアナウンスし、羽生と対話した声の主は日本の国内大会でいつもアナウンスする人だと読みました。素敵なアイデアだと思います。彼女の声を再び聞けて嬉しかったです。ライブでは特に注意を払いませんでしたが、確かに聞き慣れた声でした。私の脳が記憶し、「通常通り」と認識する声でした。私は6分間練習に対する観客の反応と、実際には試合でないことを知りながら集中出来るか心配だったという羽生の発言を読みました。観客の反応は私達が見た通りです。私も自分の反応を自覚しています。

6分間練習はとても気に入りました。そして私には彼がどうやっているのか皆目見当が付きませんが、彼は常に正しく集中することが出来るのです。皆に認められたチャンピオンだった時も、皆が彼の途方もない演技を期待している時も、誰かが彼の失敗を願っている時も、彼はまだ無名の少年が初試合に臨むような初心を失うことなく常に正しい集中法を見つけてきました。SharePracticeの間中、90人近いジャーナリストとカメラマンが彼から数センチの位置からその一挙一動に注目していました。メディアがこれほど間近に迫っている中で、どうやってこんなに集中出来るのか私には理解出来ませんが、これも私が彼を称賛していう理由の一つです。

羽生はSEIMEIの衣装を着ていましたが、6分間練習では「天と地と」の楽曲をバックに滑っていました。これも天才的な演出です。まずサウンドトラックの競技プロでは使わなかった部分を使い、私達は壮大な曲調を感じ取りますが、まだ曲名を知りません。そして、彼がジャージを脱ぐタイミングで、彼のプログラムに組み込まれた聞き慣れた旋律が始り、私達は「天と地と」の楽曲であることに気付くのです。相変わらず完璧に計算されたタイミング。伝説となったSEIMEIの衣装で「天と地と」の旋律。最後の競技プログラムであり、例え苦痛であっても過去を否定することは出来ないからです。そして、これらのプログラムは日本の魂なのです。

SEIMEIの羽生は闘う準備はあるけれど、少し離れたところから全てを風刺的に傍観している魔術師でした。一方、上杉謙信は安倍晴明よりずっと人間的でした。より苦悩し、多くの迷いがありました。SEIMEIから「天と地と」へ。この2つのプログラムを通してアスリート、羽生結弦が見せた人間的成長は並外れています。私は彼がいつか日本をテーマにしたアイスショーをやってくれることを期待しています。SEIMEI、天と地と、ホープ&レガシーに加え、様々なエキシビションナンバーがあります。ストーリーを語るプログラムではありませんが、非常に有名な花になれ、花は咲く、The Final Time Traveler(これは2005年の阪神大震災の記憶に捧げられたビデオゲームのために書かれた曲ですからストーリーがあります)、天と地のレクイエム、春よ来い・・・など。氷を傷付けずにリンクに移動式舞台を設置出来ないでしょうか?形式の異なる2つのパフォーマンスを混合しても面白いかもしれません。

「一番、羽生結弦さん」私はこのフレーズが完全ではないと感じました。「さん」の後、「ニッポン」、あるいは「ANA」がありませんでした。私達は試合にいました。私達が何年も立ち会ってきたように、競技用と同じサイズのリンクでSEIMEIを滑る彼の試合に。試合と同じ本物をプログラムを披露するために、彼は客席を縮小しても、このサイズのリンクを望んだのです。試合を再現するために、フル照明にしたのも良かったです。

2本の4回転ジャンプ。残念ながら水が張っていたため、サルコウ着氷後、エッジが滑って転倒してしまいました。しかし、手を氷に付くことなく、驚異的な脚力で立ち上がります。通常、アイスショーではスケーターは簡単なプログラムを滑り、4回転ジャンプの数は減らします。タイトルはかかっていませんし、得点はありませんし、転倒は美しくないからです。羽生はそうではありません。彼はいつでも自分のプライドを賭けるのです。彼はアスリートですから、アイスショーでも4回転ジャンプを跳ぶのです。転倒しても、立ち上がって前に進みます。いずれにしても、初日より疲れていたのでしょう。6分間練習でもサルコウが開いて3回転になりますが、すぐに跳び成して4回転を決めました。彼が提案しているのは、彼に史上最高のスケーターの絶対的称号を与えた試合なのです。彼は2曲の音楽と演技(構成が少し違うものの)によって数分間で彼のオリンピックの物語の記憶を呼び起こしました。3アクセル3本。3本目の4回転ジャンプを跳ばなかったのは、アイスショーを最後まで滑り切るための体力を温存しなければならなかったからでしょう(8月の公開練習では、オリンピックバージョンを完璧に滑ったことを忘れてはなりません)。

しかし3アクセルを3本にした選択には2つの意味がありました。まず、彼を常に支えてきた、そして誰も近づきもしないほど美しいジャンプである彼のアクセルに対する愛の告白。そして、長丁場を滑り切らなければならず、これが最初のプログラムであることを考えて、いずれにしても4回転ジャンプほど体力を消耗しない3アクセルを3本跳ぶことにしたのでしょう。2つ目の意味はルールに縛られなくなったことです。

ルールによって幾つの珠玉が奪われてきたでしょうか?SEIMEIのバッククロスロールに注目して下さい。彼はプログラムに完璧に合っているこのステップをショーバージョンのSEIMEIでは常に入れていますが、試合でステップシークエンスでレベル2の評価を受けた後、競技プログラムから外しました。レベル2?彼のステップシークエンスが?Originのスピンの前に入れていたシットツイヅルも外しました。このスピンでレベルを1つ落としたからです。シーズン開始前、トロントでメディア向けに行った公開練習のOriginの振付は、その後、試合で披露されたものとは異なっていました。何故なら、ルールに適応させる必要があったからです。他にもルールのために犠牲にしたことが幾つあったでしょうか?従って、彼はリンク全体をカバーする能力があり、簡単なことを望まず、何も妥協せず、芸術的側面が必要不可欠であることを、言葉ではなく、実行によって宣言したのです。そしてアクセルが彼の人生であることを。

それから、時を遡り、彼の誕生、フィギュアスケートとの出会い、彼に初のナショナルタイトルをもたらした「ロシアから愛を込めて」を滑った初期の試合を振り返ります。そして、彼のジュニア2季目のシーズンを文字通り制圧した「パガニーニの主題による狂詩曲」の映像が流れます。

断固たる決意や成功の映像の間にクリスマスツリーや回転木馬などの微笑ましい映像も散りばめられていました。しかし微笑ましさの横には痛みもあるのです。クリスマスツリーはフィンランディアのサンタクラウス杯のものです。回転木馬の映像では元気いっぱいの彼のエネルギーと、背中のリュックで揺れる小さなプーさんに思わず笑いがこぼれました。彼が暇でただ楽しんでいるだけだったことは一度もありません。ツイッターに寄せられた情報によれば、あの回転木馬は彼がサンタクラウス杯に出場するために行ったフィンランディアの空港の待合ホールにあったものです。玩具は空港での待ち時間に与えられました。彼のそれ以外の時間は全てフィギュアスケートに捧げられていたからです。

映像の編集が見事だったことにも言及すべきでしょう。全部なのか、一部だけなのかは分かりませんが、彼が編集を手掛けたという情報を読みました。そして、三味線奏者の生演奏によるChangeで彼はリンクに再び登場します。何という美しさ。津軽三味線の音色はこのスペクタクルに完璧に合っていました。年若い演奏家は見事な腕前で、ユヅは、アーティストとライブ共演を常に重視していました。Changeは彼がまだジュニアの頃に滑り始めたエキシビジョンナンバーですが、シニア時代、彼がオリンピックチャンピオンになった後にも再演しています。彼と深い結びつきのある仙台のグループ、モンキーマジックの楽曲ですから、羽生は自分の歴史を辿るだけでなく、彼の街にもオマージュを捧げたかったのでしょう。彼ならフィギュアスケートと音楽の演目を混ぜたショーを行うことも可能でしょう。様々なミュージシャンや演奏家が、彼らが歌い、彼が演じるスペクタクルに活気を与え、公演の三分の一をゲストミュージシャンの演奏に当てれば、彼の身体的負担は軽減されるかもしれません。

Changeは、彼がこの曲と演奏するグループをとても愛していたからだけでなく、プロローグのリンクに彼が持ち込んだその他の内容と異なっているという点においても重要でした。彼はあらゆるジャンルを表現しようとしました。何故ならフィギュアスケートは様々な言語を話すからです。TwitterのHenniが気付いたように、彼は(ほぼ)全員の振付師にオマージュを捧げています。都築章一郎のスパルタカス、阿部奈々美のChange、阿部奈々美の振付にナタリア・ベステミアノワとイゴール・ボブリンが手を加えた「ロミオ+ジュリエット」、カート・ブラウニングのHello, I love You(当時の彼はブラウニングのステップを注意深く研究したに違いありません。何故なら現在、羽生のステップが世界一だとしたら、ブラウニングも世界最高峰の一人であることに変わりはなく、当時のこのコラボレーションは羽生にとって多くのことを学ぶ機会だったはずです)。宮本賢二の花になれ(観客へのアンケートではLet’s Go Crazyが最も多く、本来なら滑るはずではないプログラムでしたが、おそらく宮本にオマージュを捧げるために彼自身がこのプログラムも滑ることを望んだのでしょう)、ジェフリー・バトルのLet’s Go Crazyと「パリの散歩道」、デヴィッド・ウィルソンの「春よ来い」、シェイリーン・ボーンのSEIMEI、そして羽生結弦の「いつか終わる夢」。Henniは八戸では関徳武にもオマージュを捧げるために「アマゾニック」/「死の舞踏」か「サマーストーム」を滑るのではないかと予想していますが、どうなるでしょうか?

初日では羽生は赤い手袋をしていました。赤は美しい色ですが、この袖の中では効果は最悪でした。赤に赤は写真では映えません。もし赤い手袋が好きなら、袖のない別の手にはめるか、あるいは袖口の色を変えた方が良かったでしょう。視覚的効果が良くないことに気付いたのか、翌日の公演では手袋は両手共に黒でした。このことは彼はあらゆる細部にまで注意を払っていることを示しています。

Change、2日連続で滑ったLet’s Go Crazy、それから「花になれ」とHello, I Love Youの演技の後、レクイエムの旋律に乗せて震災に関連する映像が流れました。松尾泰伸はヒーリングミュージック専門の作曲家です。彼は人々が苦しみをく乗り越えるのを助けたいという明確な目的を持って作曲しています。そしてユヅが天と地のレクイエムと名付けたプログラムの原曲である長さ10分の、東日本大震災鎮魂歌「3・11」という別のタイトルを持つ楽曲は、震災の直後、日本で起こっている衝撃的な悲劇の映像がテレビで次々で報道されている時期に松尾が作曲しました。彼は明言しています。被災地を思い出してもらいたいと。辛いけれど、この日に起こったことを思い出すことは、被災者にオマージュを捧げることになります。彼の全てのプログラムと、彼がこれまでに寄付してきた金額から、私達は彼の言葉が上辺だけではないことを知っています。

寄付と言えば、この赤いボタンをクリックするだけで、毎日募金することが出来ます。何の労力も必要ありません。ささやかな寄付ですが、小さなことでも重要なのです:https://www.uukyoto.com/

そして神戸のアイスショーの映像です。皆さんはご存じですね?震災から約一カ月後、その16年前に別の地震で破壊され、そして再建された町、神戸で東北復興のためのチャリティ公演が企画されました。アイスショー企画(高橋大輔や荒川静香も出演した大規模なチャリティショーでした)の発起人の中には、宮本賢二もいました。リンクに入ろうとする羽生の背後で俯いている男性です。宮本は16歳の時に神戸の地震を体験しました。つまり彼には羽生の気持ちを完全に理解することが出来ると言えるかもしれません。

このプログラムは3回転ジャンプ2本入っていました。プログラムは前シーズンのショートプログラムだったホワイトレジェンドでした。何故3回転ジャンプを2本しか跳ばなかったのでしょうか?何故なら、震災後、羽生は10日間滑ることが出来ず、通信手段が途絶え、道路、鉄道、空港、港などが破壊されて物資が届かなくなり、しばらくの間、配給される食料のみで凌いでいたため、身体的にも万全な状態ではなかったのです。そして彼のスケート靴はダメになってしまいました。リンクから逃げる際、エッジカバーを付けなかったため、研磨では修復出来ないほどブレードが損傷してしまったのです。最初はシングルジャンプを跳ぶのも大変でした。従って、神戸のアイスショーに出演した時は、一カ月前までは問題なく跳んでいたジャンプを実施出来なくなっていましたので、この時、出来ることをやったのです。しかし、ジャンプは少なかったものの、感情は強烈でした。

ここで言及するエッジカバーについての情報は、ショーで見たことではなく、私が2月以降にならないと受け取れないパンフレットに書かれていることです(そして受け取っても私は読むことが出来ませんが、仕方がありません)。彼は避難する際、エッジカバーを使いませんでした。手に持っていたけれど付ける暇がなかったのか、アイスリンクのコーチ達が彼の着替えの入ったバッグと共に外の持ち出したのかは分かりません。しかも、停電になっていましたから、彼は暗闇の中、リンクの外に出たのです。この瞬間から、羽生は試合ではいつも同じエッジカバーを使っています。練習ではあの地震の日のエッジカバーを酷使して摩耗しないよう、別のものを使っています。彼はあの日、使用しなかったためにブレードを損傷してしまったあのエッジカバーを競技プログラムの前に外し、ブレードを保護してくれたことを感謝するために額に当てるのです。彼がこの行為を何時から始めたのか気が付きませんでした。彼がリンクに入る瞬間が撮影されていると仮定して、試合のプログラムをより注意深く見直す必要があります。彼がリンクに礼をし始めたのは、アイスリンクが再開された7月のことです。この時はリンクに戻ってこれたことがよほど嬉しかったのか、2度礼をしていました。

震災の後に演じられた最初のフリープログラムはロミオ+ジュリエットでした。映像では2011年グランプリファイナルの演技が流れました。この時、彼は3日前に17歳になったばかりでした。世界選手権では最高の4Tを実施しました。転倒があったにも拘わらず、あるいは、おそらくこの転倒があったからこそ、この時のロミオとジュリエットは伝説のプログラムになりました。何故、数カ月前のグランプリファイナルの映像を選んだのかは分かりませんが、おそらく映像の権利の問題のためでしょう。それに映像と音楽の権利のために相当の費用がかかったと想像されます。ここでも天才の閃きを見ることが出来ました。映像の中の17歳のロミオを27歳のロミオが引き継いだ演出は秀逸でした。優秀な監督と優秀なカメラマン、スタッフの選択も見事でした。試合で肝心なところが良く見えないカメラアングルに苛立つことが何度ありましたか?このプロローグではまさにプロの手腕が披露され、このパッセージは鳥肌モノでした。ステップのところで「どうか転倒しませんように」と祈りながら見ていた人が皆さんの中に何人いたでしょうか?私はそうでした。そして私の記憶が正しければ、(グランプリファイナルのロミジュリでは)最後のサルコウでステップアウトしますが、彼独自の方法でプログラムに上手く同調させました。そしてこのプログラムもChange同様、ビールマンスピンで締めくくられていうことも注目すべき点です。ほぼ28歳の男性がビールマンスピン!トップクラスの女子スケーターでも全盛期でさえピールマンスピンを一度も実施したことのない人もいるというのに(真っ先に思い浮かぶのがカロリーナ・コストナーです)。

その後、彼のキャリアにおける重要な瞬間の数々を見せる短い映像が挟まれます。それら全ては皆が記憶している瞬間であり、短いながらも大きな感動を呼び起こします。それから彼のYoutubeチャンネルに投稿された「夢見る憧憬」の映像。この時は気が付きませんでしたが、彼は自身のチャンネルでプロローグの一部をプレビューしていたのです。Change、そしてこの「夢見る憧憬」です。このプログラムについて、私は何も書いていませんでしたが、ジャンプは傑出しており、プログラムの構造は天才的で、編集はプロが手掛けたようでした(おそらくプロの映像編集者は異論があるでしょうが、素人のモンタージュによく見られるシンプルな編集ではありませんでした)。そして感情的インパクトは強烈でした。

そして「夢見る憧憬」から「いつか終わる夢」へと繋がっていきます。ファイナルファンタジーXの曲です。彼のオタクの一面が垣間見えて微笑ましいですが、実際には、彼が選んだ全ての曲同様、素晴らしい楽曲です。そして彼は「夢の憧憬」で身体を包んでいたヴェールをまとって登場します。私達はそこにいて、進行する彼の夢に、そして彼の闘いに演技を重ねていきます。彼の闘い・・・何故なら彼のとって、プログラムとは、他者が研究して作り上げたものを彼がただ再現するものではなく、彼自身がその中に降臨し、表現するものだからです。振付は彼自身が手がけ、そして驚異的な振付でした。私達は皆、彼のクールダウンに見とれていました。クールダウンでさえ、彼の動作は美しく、競技中における他のスケーター達の殆ど全ての動きよりずっと美しいのです(彼は別として、本当にスケートが上手いスケーターはここ数シーズンにおける世界選手権のメダリストに含まれていません)。クールダウンを彼にリクエストしたのは私達ファンでした。そして彼がそんなファンの声に耳を傾けてくれているのは明らかです。

彼自身が振付を手掛けたことは、彼が自分のスケートにおいて、より創造的な方向性を目指してことを裏付けています。長年、振付師とコラボレーションしながら、彼は彼らが求めることをただ実施するだけに留まらず、今回は、全てを一人でやってのけたのです。そして今後、このようなことが更に多くなるのではないかと推測されます。ISUがますますジャンプ偏重の方向性を取り、ジャッジ達がルールを無視して多くの4回転ジャンプを跳ぶ者にGOEとPCSで高い得点を与える中、羽生はフィギュアスケートの質が重要だと断言しているのです。ジャンプは重要です。彼はショーの最初に4回転ジャンプを実施し、複数の3回転ジャンプと3アクセルを実施しました。しかし、ジャンプが全てではないのです。朝日テレビが羽生の動きが良く見えるカメラアングルの映像を放送してくれることを願っています。何故なら彼の滑りは間近からじっくり眺めるに値するからです。

カメラが遠くてユヅの動きが良く見えないのは何故でしょう?何故ならユヅがMIKIKO先生とコラボレーションしたためです。彼女の名声を考慮すると、「いつか終わる夢」と「春よ来い」の2曲のコラボレーションには高額な費用が掛かったことが想像されますが、それだけの価値がありました。アイスショーでもカラフルな照明やスポットライトを使った特殊効果を見ることはありますが、私達がプロローグで見たものとは比べ物になりません。MIKIKOは新しい芸術におけるアーティストなのです。彼らのコラボレーションは本物のコラボレーションです。ユヅの滑りがこれほど精巧でなければ、実現不可能でした。映像と滑りが一致せず、平凡なものになってしまうリスクが高いからです。例え世界最高の2人の演奏家が共演しても、各自が共演者に合わせずに好きなように演奏したら、悲惨なことになってしまいます。ユヅは、今まで誰も想像も出来なかったことをアイスリンクで実現出来ることを証明して見せたのです。そして見事に実施しました。

プログラムのテーマは彼の4回転アクセルとの闘い、そして自分を失うまで皆の期待に応えたいという思いにまつわるものでした。彼の言ったことがプログラムのテーマに関することなのか、それとも現在の心境に関することなのか確かではないので、これ以上は掘り下げません。テーマは重要です。ユヅはまたしても彼の魂、彼が将来何をするかは、彼が準備が整ったと感じた時、彼自身でそれを発表すると言う彼の精神を見せてくれました。私達が見て言うのは、光を生み出し、世界全体を創造する彼の動きです。私達は自分達の世界を創造します。そして私達が創造するものは、己の想像力と前に進む意志の力次第なのです。

4回転アクセルとの闘い。私達は彼の闘いを見ているのです。次のビデオでは4サルコウと4アクセルの転倒がほぼ並行して映し出されます。皆さんはどのぐらい前から彼のキャリアを追ってますか?私は短過ぎると思っています。もはや何年も前から彼を追っていますが、いつも短か過ぎると感じています。私は古いフォーラムと当時のコメントも含め、沢山読みました。「振付された転倒」と呼ばれた4サルコウに関するジョークも読みました。2012-2013年シーズン、彼のプログラムは4トゥループで始まり、それから4サルコウの転倒があり、3アクセルが続きました(シーズン最初の2試合だけで、その後、3本目のジャンプは3フリップに変更されました)。同じように、2013-2014年シーズンは冒頭で4サルコウの転倒があり、4トゥループ、そして3フリップでした。多くの人が4サルコウは回避すべきだと思っていました。当時、4回転ジャンプの本数はまだ少なく、4サルコウは必要ないように思われました。何故、わざわざ転倒するリスクの高いジャンプを入れるのか?なぜ怪我するリスクを冒すのか?今では彼の4サルコウは素晴らしいジャンプです。確かに、時々家出をすることはありますが。私は2019年の埼玉と2022年の北京でサルコウに悪態をつきました。しかし、綺麗に決まった時、誰も彼のような4サルコウを跳ぶことは出来ません。

他の人が誰も全く近づくことの出来ないほど美しい羽生のジャンプはどれでしょうか?4ループ、4サルコウ、そして3アクセルです。4トゥループも非常に美しいジャンプですが、全盛期のパトリック・チャンも非常に美しい4トゥループを跳んでいました。同じく、羽生の4ルッツも非常に美しいですが、ミハイル・コリヤダも決まった時には、非常に美しい4ルッツを実施していました。ボーヤンの4ルッツも巨大ですが、助走が長過ぎます。

サザンカのビデオの歌曲は、羽生が選ぶ全ての歌曲同様、非常に深い意味を持つ歌詞が付いています。  

羽生は当時4サルコウを諦めなかったように、この4年間、4アクセルを決して諦めませんでした。転倒しても、優勝を逃しても、怪我をしても。

映像の中で私達は彼が落胆した瞬間を見ます。10歳だった彼が、日野龍樹に負けて2位だった時、2013年の秋、パトリック・チャンに敗れて2位だった時。4アクセルと4サルコウ。断固たる意志は常に同じです。苦しい時期もありました。転倒の後、足首が重い代償を払うことになった瞬間。彼は何度怪我をしたでしょうか?そして痛みに耐えながら滑る決断をしたことが何度あったでしょうか?

2014年中国杯の映像も見ました。このトラウマを乗り越えるために、彼はどれほどの代償を支払ったでしょうか。

彼の歴史なのです。歓びと勝利だけではありません。彼は彼であり、あらゆる勝利を得てきました。何故なら、彼が生き、自分の経験の全てを受け入れて成長するためにそれらを使ってきたからです。歌の歌詞は闘い、敗北、迷い、苦悩について語りますが、同時に己の夢を諦めたり、妥協したりせずに彼が進んでいる道が正しい道であることを証明しています。

彼の歩みは試練の連続でした。浮き沈みがあり、私達は彼と共に苦しみ、歓びました。そして少なくとも競技のキャリアは北京で締めくくられました。

春よ来い。競技会のリンクで彼が最後に演じたこの作品ほどショーの締めくくりに相応しいプログラムはありません。

再びMIKIKOとのコラボレーション。彼の一歩一歩が花を開花させていきます。花、春、今日より素晴らしい明日。そう、完璧な締めくくりでした。時計の針が歩みを再開した後、伝説を生んだプログラムの一つ、「パリの散歩道」をアンコールで滑りましたが。パリの散歩道はショートプログラムで初めて100点を超え、彼に最初にオリンピック金メダルをもたらしたプログラムでした。

観客はライトバングルで会場中をブルーに染め、彼を抱擁しました。
アリガトウ、ハニュウ-サン
ありがとう
この壮大なスペクタクルを、過去を、未来を、そしてこれからやってくる全ての夢をありがとう。

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☆これは「プロローグ」横浜公演2日目が終わった直後に書かれたエッセイですから、今では私達が知っている多くのことは、まだ明らかになっていませんでした。

東京ドーム公演「GIFT」、3.11に開催されるアイスショー「羽生結弦Notte Stellata」、内村航平さんとの共演、ディズニープラスでの生配信、Huluストア生配信・・・

決意表明会見で、彼が目をキラキラ輝かせながら、「これは引退なんかじゃない、これからが本当の始まり、もっともっと進化していく」と宣言した時、私は彼なら従来のプロスケーターやアイスショーの概念を覆す、誰も想像すらしなかったような凄いことをやってくれるに違いない、とかなり壮大な期待を抱いていましたが、私程度の人間がイメージする「壮大」を遥かに上回るスケールで爆進しています。

羽生君、スケール大き過ぎ、スピード早過ぎ
振り落とされないようにしないと・・・

そして発想や着眼点の斬新さ、ユニークさ、思い切りの良さ
体操界のレジェンド、内村航平さんとの対談に喜んでいたら、何とアイスショーで共演!?

それも同じショーに出演するだけではなく、同じ演目を一緒に演じるそうです。
共に高難度だけでなく、技の美しさと実施のクオリティによって違い見せつけてきたアスリートです。一体、どんなパフォーマンスが見られるのかワクワクしています。

そして20日後にはもうGIFTです。

MIKIKO先生とライゾマティクスに加えて、音楽監督が武部聡志氏であることも発表されました。羽生結弦を中心に超一流の人材が結集したチームによって創造されるGIFT。きっと夢のような世界を見せてくれる気がします!

マッシさんとユヅリーテ達はGIFTをイタリアでも視聴出来るよう、Disney+ ITに怒涛の嘆願メッセージを送りつけているようで、イタリアでもDisney+がトレンド入りしていました

公式が動いてくれるか・・・

しかし凄まじい羽生結弦現象
 まさにフェノーメノ

Disney+dアカウント以外の申込<年間プラン>” border=”0″></a></p>
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⠔⋰#ディズニープラス
2/26(日)国内独占ライブ配信決定❄
⠢⋱

『Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023
   “GIFT” at Tokyo Dome』#羽生結弦 製作総指揮
スケーター史上初 単独東京ドーム公演✨

全国どこでも観られるチャンス❕
ライブ配信で、見逃し配信で
「GIFT」を楽しもう💫#GIFT_tokyodome pic.twitter.com/C7jmza4ktI

— ディズニープラス公式 (@DisneyPlusJP) February 3, 2023

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu