プロフェッショナルの矜持

先日news every. で放送された「Notte Stellata舞台裏」を見ることが出来ました。

素晴らしい内容で特に出番までの時間を彼がどう過ごしているかにスポットを当てた舞台裏は衝撃的でした。プログラムとプログラムの合間、私は軽いウォームアップをして後は静かに精神統一しているのではないかと思っていました。まさかあんなにハードな筋トレを行っていたとは!

脚を上げながら持っていたウェイト。夫が筋トレマニアで自宅に同じものがあるので、同じ15キロのウェイトでちょっと試してみましたが無理でした😂
10キロでもあの高さまで持ち上げるのがやっとで、持ち上げながら脚を上げるなんて無理!
脚の筋肉がバキバキなのは知っていましたが、腕力も凄いんですね。
あの細い身体のどこにこれほどの筋肉を隠し持っているのでしょうか!
座って筋肉を弛緩させた状態からの3アクセル、とか意味が分からない!😱

3日連続で行われたノッテステラータにおける彼の演技は別格でした。
3日間、3つのプログラムは全て完璧。
ノーミスとかそんなレベルではなく、1ミクロンの揺らぎもズレもない、文字通り一糸の乱れもない、圧倒的な完成度とクオリティでした。
そして、その完璧な演技を達成するために舞台裏で彼が行っていた凄まじいトレーニング。
それでは深夜のアイスリンク仙台で、彼は毎日一体どんなトレーニングをしているのか・・・きっと想像を絶する、命懸けの練習を行っているに違いありません。

今では2時間以上の単独公演ですら最初から最後まで完璧に滑り切ってしまえる彼です。横浜公演では埼玉の頃に比べて、最後まで断然体力に余裕があるなと思いましたが、宮城ではアンコールのジャンプのあまりの軽さに驚きました。2時間近く滑った後で、どうやったらあんなに余裕で3アクセルを跳ぶことが出来るのでしょうか?
観ている側は魔法か奇跡を見せられているようですが、この域に達するために積み重ねられた地道な努力があり、より効率的に、より体力を使わずにジャンプを跳ぶためのメソッドを試行錯誤し続けているのでしょう。

ああ現地で見たかった~!!!😭
来年はおそらく単独公演のある2月中旬から3月中旬までの予定で帰国しようか???と思わず2025年3月11日が何曜日なのか調べてしまう私なのでありました。
単独公演じゃなくても、プログラム3つでも彼の演技にはイタリアから利府まで赴く価値があります。

さて、私は最近、羽生君の出演するアイスショーしか見なくなってしまったので、フィギュアスケート界の他の界隈がどうなっているのか全然知りませんでしたが、マッシさんが衝撃的な写真を上げていました。

この違いについて、誰か理由を説明して欲しい。
スケーターには申し訳ないが、誰かが自問自答すべきだろう。
諸君の答えを待っている。

上は羽生君のいなかった今年のスターズ・オン・アイス大阪公演
そして下は羽生君が出演した昨年のスターズ・オン・アイス

羽生君が出演しなかったから集客に苦労したとは想像していましたが、ここまで悲惨だったとは思いませんでした・・・まるでリハーサルの光景のようです。
世界選手権直後のメダリストが勢揃いしたアイスショーですよ???

違いは何か?

結局のところ、高いお金を払って見たい思う内容かどうかなんですよね。
つまり演者と制作陣の魅力と能力の違いです。

でもクラシック音楽や舞台芸術の世界も同じです。
高額なチケットでも常に客席が埋まるスカラ座公演やカーネギーホールのリサイタル、日本ならサントリーホールやオーチャードホールに呼ばれるような演奏家や演奏団体の公演、ポピュラーミュージックなら武道館や東京ドームを埋められるアーティストのコンサートと、出演者が大量のチケットノルマを持たされても満席に出来ないその他の公演やコンサートとの違い(チケットノルマは日本独特の制度ですが)。

カーネギーホールはニューヨークのマンハッタンにある音楽の殿堂で、クラシックでもポピュラーでも演奏家やアーティストにとってこのホールに呼ばれて演奏出来ることは大きな名誉であり、一流の証です。

ミラノのスカラ座は言うまでもなく世界最高峰のオペラ座ですが、オペラだけでなく、ミュージカル、バレエ、オーケストラのコンサートやソリストのリサイタルまで様々なジャンルの演目が行われます。

イタリアではローマオペラ座を含め、多くの劇場が赤字続きで深刻な経営難に喘いでいますが、その中で、スカラ座だけがいつも余裕の黒字決算なのは、ネームバリューによって大手銀行を始め錚々たるスポンサーが付いていることも勿論ありますが、何よりも各公演の圧倒的なクオリティの高さによって、常に客席を満席に出来るからです。
コンサートでもオペラでもバレエでも、主役や主要キャストとしてスカラ座の舞台に立つことが出来るのは、超が付く一流の演者ですが、スカラ座の専属歌手である脇役や合唱、群舞のダンサーも非常にレベルが高く、オペラで少し登場するだけの群舞でも、ダンサー達の動きはダイナミックかつ気持ちがいいほど揃っています。そんなハイレベルな演者達に加えて超一流の演出家と指揮者、そして照明、大道具、小道具、衣装からカツラに至るまで専属の熟練職人達によって、ディテールにまでこだわって作り上げられた格調高い豪華な舞台が、観に来た人達を「流石はスカラ座の公演!」と感嘆させ、また観に来たいと思わせるのです。

ガレリアと呼ばれるスカラ座の天井桟敷を埋めるオペラファンは最も耳が肥えていて評価が厳しいと言われており、自分達が素晴らしいと認めない演奏には容赦なくブーイングします。
スカラ座に出演するレベルの歌手が、音程が外れたとか、声がひっくり返ったとか、歌詞を忘れたとか、そんなミスをするはずはありませんが、彼らが納得する美声、技術、音楽の解釈や表現、感情移入でなかった場合、有名歌手でもブーイングされるのです。

イタリア人にとって思い入れの強いヴェルディやプッチーニのオペラの場合、観客が求める水準は更に高く、特に彼らが最も愛する「椿姫」では、ヴィオレッタを演じた殆どのソプラノが一度はブーイングの洗礼を受けています(マリア・カラスがスカラ座で大成功を収めたオペラであり、ヴィオレッタ役のソプラノが酷いブーイングに遭うと「カラスの呪い」と言われたそうです)。

2009年にはシーズンオープニング演目の「アイーダ」でラダメス役を演じたフランスの人気テノール、ロベルト・アラーニャが一幕のアリアで観客からブーイングされ、怒って舞台を放棄して帰ってしまうというハプニングが起こりました。幕の途中から控えのテノールが急遽代役を務めますが、衣装がなかったので私服で出演。共演者のアムネリスは途中から別人のラダメスが出てきてさぞビックリしたでしょうが、そこはプロ、全く動じずに演じ続けました。

スカラ座の舞台で歌うことは、歌手にとって大変な名誉ですが、同時に気難しい天井桟敷に認められるかどうかの挑戦でもあるのです。

しかし、耳の超えた観客の存在も、19世紀から今日に至るまでのヨーロッパにおける舞台芸術の発展の一端を担ってきたと言うことが出来ます。ヴェルディやプッチーニもスカラ座で初演したオペラで観客にこっぴどくブーイングされ、苦い経験したことがあります。スカラ座の舞台芸術はこうした厳しい観客と共に成長し、現在の世界最高峰のオペラの殿堂としての確固たる地位を築いていったのです。ブーイングもするけれど、素晴らしければ嵐のような拍手喝采と「ブラボー」で演者を称える天井桟敷の常連客は、自分達が歴代の大歌手を育ててきたと自負しています。

アイスショーの話に戻ると、私はこうした公演を見慣れているせいか、日本の従来のアイスショーはちょっとお客を舐めているんじゃないかと感じています。

多くの現役選手からは自分の本分はあくまでも競技で、アイスショーは招待されたから出ています、というユルさが伝わってきます。ジャンプでミスをしても減点されないし~という緊張感のなさが見ていて分かるんですよね。現役を引退した「プロ」スケーターも、ジャンプの難度を下げ、その難度を下げたジャンプですら抜けたりコケたりしますし、現役の頃の比べると身体の動きは明らかに重く、キレもなくなっています。
勿論、みんながみんながそうではありませんし、高いプロ意識を持ち、素晴らしいプログラムを披露してくれるスケーターもいます。例えば、ジェイソン・ブラウン選手はどのアイスショーでも非常に完成度と質の高いパフォーマンスを見せてくれるスケーターです。彼の母国アメリカではアイスショーの人気は壊滅的ですし、素晴らしいパフォーマーとは言え、五輪の個人メダルや世界選手権のメダルを持たないジェイソンにとって、日本のアイスショー出演は貴重であり、危機感も違うのでしょうね。
しかし、アイスショーは練習の場などと悪びれもなく発言しているスケーターを見ると、プロ意識が低いなと思います。それに群舞やグループナンバーで振付を間違えたり、テンポからズレたりしているスケーターがいると、私は気になってしまうんですよね。競技で活躍するシングルスケーターにしてみたら、群舞やグループナンバーは自分の本分じゃないから、と思っているのかもしれませんが、それは甘いと私は思います。競技大会のエキシビションならそれでもOKですが、ギャラを貰って出演するアイスショーでこんな甘ったれた姿勢は高額なチケットを払って見に来る観客に失礼です。

アイスショーはスカラ座公演やカーネギーホールのリサイタルとは違うから比べるのはナンセンスだと言われるかもしれません。

確かにそうですが、問題はチケットのお値段です。

国際的超一流しか舞台に立つことの出来ないカーネギーホールで開催されるコンサートのチケット代は36~174ドル。超有名人気ソリストのリサイタルの一番いい席でも300ドルです。スカラ座はオペラで30~300ユーロ、オーケストラのコンサートで24~110ユーロ、ソリストのリサイタルで22~60ユーロ、バレエで22~150ユーロ。当日売りの天井桟敷の立ち見席なら一律10ユーロです。天井桟敷はぴあアリーナMMなら4階席に相当する席です。立ち見と言っても座席はありますから、舞台を観ずに音だけ聴きたい人はずっと座っていることも出来ます。

現在は空前の円安ですが、それでも日本の多くのアイスショーより安く、現地の物価や平均所得との相対価値で考えると、比較的安価な若手スケーターのアイスショー、ドリーム・オン・アイスより遥かに安いのです。このクオリティ/プライスの差はどうでしょうか?

スカラ座の超豪華な舞台とハイレベルな演出、世界一流の演者が出演するオペラやバレエのチケットがこのお値段と考えると、即席の群舞、低難度構成のゆる~いプログラムや抜けやコケだらけのプログラム、素人が聴いても分かるほど音程の外れているゲストアーティスト(特に私は絶対音感があるから耐えられないのです)、退屈な演出、というクオリティのアイスショーで、お客から数万円のチケット代を取る興行主は観客を馬鹿にしているんじゃないの?と思う訳です。確かに、アイスショーは氷を張るのにお金がかかりますから、他のエンターテイメントに比べてチケット代が高くなりますが、氷を見るためにチケットを買う人はいません。出演するスケーターは自分達のショーを見に来る観客が如何に高額なチケット代を払っているのかを自覚して演技すべきです。

チケットの販売方法もそうです。スターズ・オン・アイスは出演者を発表する前にチケットを販売していましたが、こんなやり方は私に言わせて貰えば殆ど詐欺に近いです。
スカラ座でもパリオペラ座でもオーチャードホールでも、このお値段の公演で出演者を発表せずにチケットを販売するなんて聞いたことがありません。まさに「フィギュア村の常識は、世間の非常識」の典型で、羽生君が出演してくれることに賭けて、最前列をゲットしたい羽生ファンをターゲットにしているのは明らかです。
羽生君が時々出演していた昨年まではこんな殿様商売が通用していましたが、単独公演という新たなジャンルを切り開いた彼が今後出演してくれる可能性は低く、もう少し誠実で透明性のある運営方法に切り替えないと、僅かに残ったスケートファンすら離れていってしまいますよ。

数ばかりが多く、お客の入らないアイスショーの現状に危機感は感じているようで、最近新しい試みを色々取り入れているようですが、公演自体のクオリティを見直すのではなく、ケータリングだの体験席だの特典を付けた高額席を作って取れるところから取ろうという安易な発想がもうズレています。そうじゃないだろう・・・
肝心の内容で勝負せず、付録を付けて売り付けようという考え方はエンタメとして終わっていますし、だからダメなんだと言いたい。

日本のお客さんはお行儀がいいから、スケーターが練習不足でも群舞がバラバラでも歌手が音痴でもブーイングせずに拍手してくれますが、魅力が感じられないアイスショーに毎回高いお金を払って来てくれるほどお人好しではありません。その結果があのガラガラのアリーナなのです。

アメリカではもう随分前からフィギュアスケートの人気は低下の一途を辿り、アイスショーに至っては死滅の危機に瀕していますが、90年代はアイスショー黄金時代でした。ブライアン・オーサーやブライアン・ボイタノ、カート・ブラウニング、カタリナ・ヴィット、ゴルデーワ/グリンコフなどの五輪メダリストがプロスケーターとして活躍していた時代で、プロスケーターの世界選手権までありました。当時はアマチュアスケーターである現役の選手がアイスショーに出演することは禁じられていて、プロスケーターはアイスショー、アマチュアスケーターは競技大会と、それぞれの活動場所がはっきり分かれていました。アイスショー出演のギャラは五輪メダルの色で決まりますので、選手達は五輪メダル(出来れば金メダル)を獲ったら引退してプロになりました。しかし女子も3回転‐3回転のコンビネーションジャンプを跳ぶようになると、女子の競技年齢が低下し、非常に若い年齢で金メダリストや世界チャンピオンになった女子スケーターは、お金を稼げるプロになるためにさっさと競技を引退してしまうようになりました。この傾向に歯止めをかけるためだったのかどうかは分かりませんが、現役の選手もアイスショーに出演出来るようになり、アマチュアとプロの境目が曖昧になりました。そしていつの間にか、技術や体力が低下してジャンプを跳べなくなったアマチュアスケーターがプロスケーターになるというイメージが定着し、「プロになる=一線を退く」と見なされるようになりました。

本来の言葉の意味は
Amateur=素人、趣味で行う人
Professional=本職、熟練者、専門家、
なんですけどね・・・

フィギュアスケート界に定着したプロスケーターの既成概念を根本から覆し、アイスショーの世界に革命を起こしたのがプロアスリート羽生結弦です。
そもそも、アイスショーで4回転ジャンプや3アクセルをバンバン跳び始めたのも彼でした。晴れてプロになった彼は、決意表明会見で言った「これは終わりではなく、始まり」の言葉の通り、今までの常識では考えられなかった奇想天外な公演を次々に成功させ、あっという間にアイスショーの概念まで変えてしまいました。

もはやアイスショーではなく「羽生結弦」という新たなジャンルを確立した彼のアイスストーリーは、カーネギーホールレベルの超一流演者のパフォーマンスと、スカラ座レベルの舞台&演出を提供する総合芸術です。発想のユニークさや革新性という点においては唯一無比と言えます。
利害度外視の、妥協のない豪華で斬新な演出と舞台装置。マニアックなまでに音質を追及した音響。GIFTの音響チームは、音響が良くないと言われているあの東京ドームで、どうやってあのクオリティの音響を可能にしたのでしょうか!

スカラ座の凄いところは、一般的に殆ど知られていないマイナー演目を上演しても、演奏と舞台のクオリティによって安定して客席を埋めることが出来ることです。
椿姫やカルメンのような人気の高いオペラは、演目の知名度だけで全公演が瞬く間に完売しますが、例えばモンテベルディの「ポッペアの戴冠」のようなマイナーオペラは初日のチケットは売れても、歌手や演出によほど魅力がなければ、連日満席には出来ません。バレエなら「白鳥の湖」や「ジゼル」が前者、「春の祭典」が後者でしょうか。

羽生君のRE_RRAYは後者と言えます。
埼玉公演の世界配信でRE_RRAYを初めて見た時、自分には全く未知の分野であるゲームの世界や聞き慣れない異質なゲーム音楽が、正直よく理解出来なかった。でも彼の氷上を飛翔しているような唯一無比の滑り、重力を感じさせないジャンプと美しいスピン、圧倒的な存在感と迫力、音楽と映像との融合、ずっと鳥肌が止まらなくなるような全身全霊の演技に圧倒されました。

また見たい、現地で見たい、この謎だらけのアイスストーリーをもっと知りたい、理解したい、攻略したい・・・
ゲーマーさんの解説を読みつつ、佐賀、横浜、宮城と回を重ねるごとに、彼の伝えたいストーリーをより理解出来るようになり、埼玉公演では傍観者だった私が、いつの間にかプレイヤーになり、彼の進化と共に、私自身もレベルアップしていました。

だから彼の公演は常にチケットが完売し、ライビューからディレイビューまで大盛況なのです。羽生君のファンダムは巨大ですが、彼の単独公演や出演するアイスショーがことごとく完売するのは、羽生結弦のスケートを見たいという一般客や業界人が相当数いるからだと思います。

「人気だから、超有名人だから、金メダリストだから記念に一度は見ておきたい」で見に来るのは精々一回です。こうして見にやって来た観客に「想像以上に凄かった!こんなに素晴らしいならもう一度見たい」と思わせられるかどうかが、公演を継続的に行っても常に安定して集客出来るかどうかの鍵なのです。東京ドームの35000席をたった一人で完売するなんて本当に途方もないことです。

スカラ座の特にプラテア(地上席)とパルコ(ボックス席)はあらゆる国籍の観客で埋まりますが、海外からのお客さんの殆どは、観光旅行でイタリアを来ていて、せっかくミラノに行くのだからスカラ座公演も見たいと旅行代理などで事前にチケットを手配した人達です。スカラ座公演を観るためだけに、遠方からわざわざ飛行機に乗ってやってくる人は殆どいないでしょう。
しかし、羽生君の場合、彼の公演を観るだけのために地球の反対側からやってくるファンがいるのです。
自国の、地元の人すら会場に足を運ばせることが出来ないアイスショーもあるというのに。

でも当然ですよね。

一番才能のある人が一番努力し、一番人気のある人が一番危機感を持ち、一番何もかも持っている人が一番貪欲で、更に高い理想を追い求めて日々、鍛錬と研究を続けているのだから。
プロフェッショナルとしての矜持が違います。
そして覚悟の質が違うのです。

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu