瞬間芸術~偉大なマウリツィオ・ポリーニを追悼して

3月23日、イタリアが生んだ偉大なピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが亡くなりました。享年82歳でした。

ミラノ生まれのポリーニと強い絆で結ばれ、彼が16歳でデビューしてから実に168回ものコンサートが行われたミラノ・スカラ座が偉大なピアニストを失った悲しみを表明し、その偉業を称賛する記事を上げていました。

スカラ座は現代最高の音楽家の一人であるマウリツィオ・ポリーニの死を悼む

26日の火曜日には、一般の人が弔問出来るようにポリーニの棺がスカラ座のホールに運ばれ、大勢の人々が巨匠に別れを告げるために訪れました。

マウリツィオ・ポリーニは、現代最高のピアニスト一人と言われています。18歳の若さで国際音楽コンクールの最高峰であるショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝し、国際舞台での華々しい活動が約束されていたにも拘わらず、より腕を磨くための修練に時間を充てることを選び、受賞後8年間はイタリア国内でのリサイタルのみに活動の場を制限しました。天文物理学や科学への造詣も深く、勤勉で研究熱心な人だったようです。
こちらのインタビュー&レクチャーはとても興味深いです(日本語字幕付き)

中学生の時、ピアノの先生がプレゼントしてくれた1枚のCDが私とポリーニの出会いでした。
ショパンのエチュード全集でした。
幼い頃からピアノを習っていて、両親共にクラシック音楽が好きでしたから、我が家には既にクラウディオ・アラウ版のショパンのエチュード全集があって、よく聴いていました。華やかで情熱的な演奏をする人だなあ、そしてテクニックが凄い!というのが、ポリーニのショパンを最初に聴いた時に受けた印象でした。
このCDを聴いて、父がポリーニを気に入り、ベートーヴェンのピアノソナタ全集も買ってきました(ちなみに我が家には既にウィリアム・ケンプ版とダニエル・バレンボイム版がありました)。その後、高校・大学時代に、彼が演奏するシューマンのピアノ曲のCDを買い集め、ポリーニは私の好きなピアニストの一人になっていました。
ミラノに留学してすぐ、ポリーニがベートーヴェンのピアノソナタ第1番から第32番までの全曲を数回に分けてスカラ座で演奏するコンサートシリーズが始まりましたので、毎回聴きに通いました(お金のない学生ですから、当日発売される天井桟敷の立ち見席で)。

ポリーニのベートーヴェン・ピアノソナタは、中学生の頃からCDでよく聴いていましたが、生の演奏は全く別物で、多彩な音と鍵盤から迸る凄まじいエネルギーに圧倒されました。個人的にベートーヴェンのピアノソナタの中で一番好きな第17番「テンペスト」は音色の美しさが鳥肌モノでしたし、第21番「ワルトシュタイン」では楽譜に比べて音が増えていました(笑)。
そう、ポリーニはそんな悪戯心のあるピアニストなのです。
CDでは分かりませんでしたが、ポリーニは観客を楽しませ、演奏しながら観客とコミュニケーションを取ることの出来る、茶目っ気と遊び心を兼ね備えたパフォーマーでした。このベートーヴェン・シリーズでも毎回、耳の肥えた、評価が厳しいと言われるスカラ座の観客を文字通り熱狂させていました。

話が飛びますが、先日放送されたRE_RRAY佐賀公演初日のMCで、羽生君が「僕は楽曲みたいにデータとして何かをここに残すことが出来るわけではない」と言っていましたよね。

音楽の演奏、バレエやオペラ、演劇などの舞台芸術、そして勿論フィギュアスケートも、特定の場所と時間に限定された、瞬時に消えていく芸術です。これが何百年後もオリジナルを鑑賞出来る絵画や彫刻のような美術、そして楽譜を後世に残すことが出来る作曲作品との違いであり、このような理由から瞬間芸術とも呼ばれています。

確かに現在では高度な録画・録音技術によって、音や映像を記録として残すことは出来ますが、会場で観ていても、あるいはテレビのライブ放送を視聴しているのであっても、この瞬間における演技・演奏、演者に熱狂する観客、テレビの画面越しでも伝わってくる会場の熱気、そして鳥肌が立つような感動と興奮は、映像を再生することは出来ても、再現することは出来ません。過ぎ去ったその空間におけるその時間は二度と戻ってこないのです。そしてその時の感動が強ければ強いほど、記憶として脳に深く刻み込まれます。二度と再現出来ないからこそ、記憶としてより鮮明に残り、それが集団的に起きた場合、伝説と呼ばれるようになるのも瞬間芸術の特徴なのかもしれません。

ポリーニの訃報を聞き、YouTubeで彼の演奏を視聴しながら、そんなことをしみじみ考えてしまいました。スカラ座で彼のベートーヴェンを聴くことが出来たのは何と幸運だったのか!心に染み渡る悲愴、美しいテンペスト、炎のような熱情、音の多いワルトシュタイン、熱狂する観客・・・
彼は去年スカラ座でコンサートを行っていました。
ああ・・・行っておけばよかったと後悔の念に駆られ・・・同時に彼の演奏を生で聴くことはもう二度と叶わないのだと思うと何とも言えない寂しさに襲われました。

そして何故か・・・バルセロナ、ヘルシンキ、マルセイユ、モスクワ、そしてトリノで見たあの光景が走馬灯のように蘇ってきました。そして一カ月ほど前に横浜のアリーナで目撃したあの奇跡のような2時間半も・・・

スカラ座の座席はプラテア(地階席)、パルコ(ボックス席)、ガレリア(天井桟敷)で構成されていますが、最もツーで耳が超えているのは、当日売りの立見席を含むガレリアを埋める観客です。もう何年も前、連日立ち見でスカラ座に通っていた学生時代の話ですが、オペラをよく見に来る90歳近いおばあちゃんがいて、ある時、隣の席になったことがあったのですが、彼女は「私はここでカラスを観たのよ。彼女は女神だった!」とそれは嬉しそうに、誇らしげに語ってくれました。カラスとは勿論、もはや神話化されている伝説のオペラ歌手、マリア・カラスのことです。

今なら彼女の誇らしい気持ちがよく分かりますよ。
私はホロヴィッツを生で聴くことは出来なかったけれど、ポリーニとアルゲリッチはこのスカラ座で聴くことが出来ました。
マリア・カラスを観ることは出来なかったけれど、ホセ・カレーラスやミレッラ・フレーニが主演するオペラを観ることは出来ました。
そして、この先ずっと「私は羽生結弦を見た」と言うことが出来るのです。
それに彼の演技はこれからもまだ見ることが出来るのです・・・
その幸運を噛みしめ、これからも彼の演技の一瞬一瞬を瞼に焼き付けていかなければなりません。

偉大なマエストロを追悼して私の中のベスト5

ベートーヴェン作曲ピアノソナタ第17番Op. 31「テンペスト」

ベートーヴェン作曲ピアノソナタ第23番Op. 57「熱情」

シューマン作曲ピアノ協奏曲Op. 54 クラウディオ・アバド指揮‐スカラ座管弦楽団

シューマン作曲クライスレリアーナOp. 16

ショパン作曲エチュードOp. 10+Op. 25

Addio Maestro, grazie per la sua passione e la sua dedizione…

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu