大衆文化、ファッション、時事問題を扱う雑誌「VANITY FAIR」イタリア版に掲載された羽生結弦選手の特集記事です
2018年2月19日
日本のスケーターが平昌で魅了し、再びオリンピック金メダルを獲得した:地震と津波から生き延び、どこへでも黄色いクマを連れて行く。韓国の規則がプーの出入りを禁じたにもかかわらず
ウィニー・ザ・プーの雨が江陵アイスアリーナを黄色く染めた。リンクの中央でぬいぐるみに囲まれながら羽生は深々とお辞儀をした。彼には分かっていた、フィギュアスケートの歴史に新たなページを書き足したことを。
12月に23歳になったばかりの日本の天才はフィギュアスケート男子シングルにおける二大会連続のオリンピックチャンピオンになった。オリンピック史上、1920年代のギリス・グラフストローム(スウェーデン)、その10年後のカール・シェーファー(オーストリア)、そして40年-50年代のディック・バトンのたった3人のチャンピオンしか成し遂げたことのない快挙である。
二連覇は66年間達成されていなかった。しかも羽生の平昌オリンピック出場が1か月前までかなり危ぶまれていたことを考えるとこの快挙の価値は倍増する。
11月のグランプリ大会中の練習で着氷に失敗して右足に負った怪我は彼をノックアウトした:
「足首を怪我してから、僕はずっと滑ることだけを考えていました。昼も夜も、一週間ずっと。ずっと準備を続け、自分を信じていました」
偉業の後、彼はCNNの取材に対してこう明かした。
「これまでの努力が実を結んでもたらされた結果です。これが僕の涙の理由です」
多くの人々によって史上最高のフィギュアスケーターと見なされている羽生は、足元の地面が揺れ出した2011年に既にどん底を経験している:
「仙台のホームリンクで練習中でした。本能的にスケート靴を履いたまま建物の外に逃げ出しました」
過去に彼はこう語っている。地震と津波から生き延び、彼の自宅は損傷したものの、倒壊は免れた。
「避難所で3日間過ごし、その後家族と一緒に家に戻りました。でも地震はリンクの配管を破壊し、2週間滑ることが出来ませんでした」
彼にとって手放せない幸運のお守りであるウィニー・ザ・プーを連れていくことは韓国では困難だった:
「プーはホテルに置いてきました。でも会場に行く前にいつもしているように僕の頭にプーの頭を押し当てました」
羽生はNew York Timesにこう明かした。
オリンピック委員会は選手達が試合会場に持ち込める「非本質的」製品を厳格に規制しているのだ。しかもディズニーの有名なクマは表彰台で花束の代わりに選手に贈られる平昌2018の公式マスコットのトラ「スホラン」と「対立」してしまう。
「ファン達が僕に投げてくれた黄色いクマ達ですか?貧しい子供達にプレゼントします」
こうしてウィニー・ザ・プーもスホランを打ち負かした。
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☆Vanity Fairはアメリカの出版社によって1983年に刊行されたカルチャー/ファッション/ニュースマガジンで、イタリアでは高級の部類に入る雑誌です(イタリア版初刊は2003年)。
まさかVanity Fairが羽生君を特集してくれると思わなかったのでチェックしていなかった!!!
迂闊でした・・・
しかも写真特集付きで!(原文ページの最初の写真の< SFOGLIA GALLERY >をクリックするとフォトギャラリーを閲覧できます)
Vanity Fairは写真のクオリティが非常に高い雑誌なので紙面版を買い損なったことが悔やまれます・・・😭