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Sportlandia「フィギュアスケート、4回転ジャンプ、芸術性」

マルティーナさんの記事、今回は分析というよりエッセイです。
非常に秀逸な内容だったのでご紹介します。

原文:Figure Skating, quadruple jumps and artistry | sportlandia (wordpress.com)

 

マルティーナ・フランマルティーノ著(2021月4月21日)

英語では「figure skating」と呼ばれています。もはや「figures 」(コンパルソリーフィギュア)はありませんが。イタリア語では「pattinaggio artistico」、英訳すると「artistic skating」です。私がフィギュアスケートで最初に記憶しているのは、コンパルソリーフィギュアでも芸術的な動作でもありません。女子の伊藤みどりが跳んだ3アクセル、つまりジャンプでした。男子について私が初めて耳にしたことは、そして何年もの間、私にとってのフィギュアスケートは「彼が4回転ジャンプを跳べる」ということでした。実際、カート・ブラウニングは幾つかの試合で4回転トゥループ1本跳びましたが、しばらくの間、彼が世界一でいるにはそれで十分でした。しかし、彼は4回転ジャンプが跳べるスケーターではありませんでした。彼はスケートも上手かったのです。私は彼の4回転ジャンプについて聞き、彼のスケーティングに心を奪われました。
つまり、フィギュアスケートとは何でしょうか?
スケーターは何をすべきでしょうか?

2021年世界世界国別対抗戦のショートプログラムで羽生が実施したような4サルコウや4トゥループ/3トゥループのコンビネーションを見る時、私は畏敬の念を覚えます。彼の3アクセルにも畏敬の念を抱きましたが、それは全く別の理由からでした。サルコウとコンビネーションは『完成』の域に達していました。サンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」やミケランジェロ・ボナロッティの「アダムの創造」やヴォルフスブルク・アマデウス・モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」やシェークスピアの「ハムレット」やステファン・エドバーグのバックハンドボレーのように・・・これらのジャンプは彼の最も純粋な形の芸術です。

しかし、サルコウとコンビネーションがどんなに息を呑むほど美しくても、フィギュアスケートはジャンプだけではありません。私はこのようなプログラムに心を奪われます:

芸術性と運動能力の完璧な融合。彼のフットワークは気まぐれで、彼のスピンはスリリングでした。

これは私の言葉ではありません。大手ネットワークに過去に公開された記事から引用しました。
皆さんは賛成ですか?
当時、新世界チャンピオンになったばかりのスケーターは自身がどのようにしてフィギュアスケートの虜になったかを回想しながらこう言いました。

そして、スケートにおいて最も記憶に残るプログラムは、そのプログラムは覚えていても、どのエレメントが実施されたかは覚えていないものです。

考えて下さい。考えるだけでいいのです。あなたはジャンプと感情のどちらをよく覚えていますか?
私が気に入っているカード・ブラウニングのプログラムの1つは彼が2010年に滑った「Christmas For Cowboys」です。ブラウニングは1966年生まれでもはや若くはありませんでしたから、このプログラムで彼が跳んだ唯一のジャンプは2アクセルだけでした。しかし、流れるようなブラウニングのシームレスな動きは見事だと思いませんか?どれほど強い感動をこのプログラムから受けたでしょうか?もしかしたら、このプログラムがカウボーイで癌で亡くなった彼の父親に捧げられたという知識にも助けられたのかもしれませんが、私はこのプログラムをよく覚えています。そしてただジャンプ、ジャンプ、ジャンプだけの多くのプログラムより私はこのプログラムの方が好きです。

私が引用した記事の中でそのスケーターはこう述べています:

「私はそこへ出て行って、氷上に全てを残してきました。私は自分の気持ちを率直に表現しました」
そして今、彼の首には金メダルがかかっている。

スケーターが自分の気持ちを率直に表現した時、私達にはそれが分かります。私の意見はさして重要ではありませんが、彼は当然金メダルに値しました。

ブラウニングが1988年の世界選手権で初めて4回転ジャンプを着氷して以来、クワドの重要度について議論が続いている。そして、これで終わりではない。

ある者[…] は男子フィギュアスケートに必要不可欠な要素だと言った。[…] またある者 […] はクワドは重要な要素だが、優れたパフォーマンスを生み出すために必要な要素の長いリストの中の一要素に過ぎないと言った。

「今日、クリーンなプログラムを滑ることが出来て幸運でした。それをするために私は一生懸命集中しましたが、私が集中したのはジャンプだけではありませんでした。フィギュアスケートですからスピンやストロークといった、その間にある全てのセッションに取り組んでいます」

世界チャンピオンは彼より4回転ジャンプを多く跳んだ銀メダリストの隣りでこのように述べました。

「この4分半で起こることが全てです。ジャンプだけではありません・・・そして」

何故なら、例えジャンプが最もスペクタクルなエレメントであっても、

「ジャンプとジャンプの間に行われることに全く意味がない訳ではありません」

私は発言の内容は変えていませんが、発言者であるスケーターの名前とこの大会が行われた年はワザと伏せています。
皆さんはこの意見に賛成ですか?
フィギュアスケートとは何でしょうか?例え4分半ではなく4分になったとしても、私にとってこの4分半の間に起こるべき全てに変わりはありません。私は世界国別対抗戦のショートプログラムで実施された羽生のサルコウとコンビネーションを心から愛しています。そして、私は羽生のアクセルに呆気にとられました。しかし、私にとってプログラムのハイライトはステップシークエンスであり、羽生がジャンプとスピンの前後に実施していたことです(そしてスピンも見事でした)。これらはこの世のものとは思われませんでした。純粋な天賦の才です。観客は最初の一秒から最後の一秒まで拍手しました。そして彼らの惜しみない拍手には理由があるのです。そこには上手く実施されたジャンプ以上の何かがありました。

「私のスポーツは1本のジャンプで定義されるものではなく・・・1つのエレメントで定義されるものでもないことは火を見るよりも明らかだと私は思います」

当時の銅メダリストはこう述べました。ここでも彼の名前は明らかにしません。

「トップスケーターになるために必要なのはトータルパッケージです。あなたは全てを持っていなければなりません」

皆さんはこの言葉に賛成ですか?
私が敢えて発言者の名前を伏せた理由は、スケーターの好き嫌いに影響されることなく、純粋のその言葉を評価してもらいたいからです。そう、私は当時の世界チャンピオンと銅メダリストに賛同しましたが、銀メダリストの以下の発言には賛同出来ませんでした:

彼(ライバル)完璧な試合をしたのでなおさらがっかりした。彼はミスをしなかった。

しかし優勝者は2つのプログラムで彼に比べて4回転が2本ありませんでした(ただし銀メダリストには幾つかのミスがありました)。匿名のジャーナリストが勝者について以下のように書いています:

パワーとジャンプが全てだった[ベストジャンパー]とは対照的に、氷上にエレガンスをもたらした。[…] しかし、多くの場合、高難度ジャンプに費やされた努力は、他の要素に集中するスケーターを打ち負す。 [ジャンパー]はしばしば「木で出来ている」(固くてぎこちない)と批判され、ジャンプばかりに重きを置く多くのレベルの低いスケーター達は当然のことながら、あまり注目されない。

その数年後、別の興味深い大会がありました。大会で優勝したのは銀メダリストより4回転ジャンプが少なかったスケーターでした。ここでも選手の名前は敢えて伏せておきます。

[銀メダリスト] はジャンプは素晴らしかった。彼は幾つかの素晴らしい、非常に難しいことをしました」[優勝者のコーチ]はこう言った。「しかし、彼のスケーティングを考慮すると、彼は輝き、それからダウンする。また輝き、そしてダウン、と言う具合に波があった。一方、[私のスケーター]はストレートラインに留まり、最初から最後まで一定のレベルをキープして滑りました」

そして優勝者はこう発言しました。

もしジャンプ競技なら、最高のジャンプを跳ぶために10秒間与えられれば十分です。しかし、これはスタートからフィニッシュまで約4分40秒間のスケーティングとパフォーマンスなのです。 [彼]は言いました。「これが今夜の私の挑戦でした。そしてかなり上手く行ったと感じています」

この2つの大会を巡っては論争が巻き起こりました。誰もが結果に満足した訳ではなかったのです。そして2つ目の大会の後、ルールが改正されました。しかし、スピンとコンポーネントがライバル達に比べて断然強い場合、4回転ジャンプの数が少ないスケーターも重要な大会で優勝出来るのを私達は見てきました。

私は何も4回転ジャンプをショートプログラムで2本、フリーで5本跳ぶ選手に対して4回転ジャンプを1本も跳ばない選手について話しているのではありません。銀メダリストは金メダリストに比べて2つのプログラムで合計2本の4回転ジャンプを余分に跳びました。

これらのケースではより高難度のジャンプを実施する能力は、PCSやスピンなどのその他のエレメントの得点に影響を与えませんでした。何故なら、これらは全く別物だからです。そして今、スケーターがフリーで4本またはそれ以上の4回転ジャンプを跳んだ場合、高いPCSに値すると誰かが言う度にこのことを思い出さなければなりません。確かにそのスケーターは高い基礎点に値し、そのジャンプがどのように実施されたかに応じて高いGOEにも値するかもしれません。しかしPCSは全く別物です。

ネイサン・チェンのプログラムはその大部分がジャンプのための準備であることは彼自身が認めています:

プログラムのコレオセクションを増やそうと試みましたが、現時点では技術的負担が大きく、僕はサルコウやトゥジャンプの準備にある程度の時間が必要なので、特定のエレメントの前の時間を短縮するのは困難です。

彼はジャンプの準備に時間が必要ですので、長い助走を行います。これ自体は何も悪いことではなく、彼の正当な選択です。しかし彼のジャンプが長い助走の後で実施され、前後に何も入っていないという事実は、GOEとPCSの得点に反映されなければなりません。間違いを犯しているのは、彼に高過ぎる得点を与えるジャッジ達です。

先程私が引用した古い記事はこちらこちらです。

つまり、2008年と2010年にはアメリアメディアは、4回転ジャンプを跳ばなかったカナダのジェフリー・バトルとアメリカのエヴァン・ライサチェクがプログラムで4回転ジャンプを実施したフランスのブライアン・ジュベールとロシアのエフゲニー・プルシェンコに勝ったのは正しいと考えていました。トータルパッケージの話をした銅メダリストはアメリカのジョニー・ウィアーです。「木で出来ている」と揶揄されていた[ジャンパー]はエルビス・ストイコです。

不思議なことに、今ではアメリカメディアにとって唯一重要なことは(スケーターの名前がジェイソン・ブラウンでない限り)4回転ジャンプをひたすら跳びまくることなのです。

☆筆者プロフィール☆
マルティーナ・フランマルティーノ  

ミラノ出身。  書店経営者、雑誌記者/編集者、書評家、ノンフィクション作家
雑誌等で既に700本余りの記事を執筆
ブログ
書評:Librolandia
スポーツ評論:Sportlandia

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☆記事の中でクワドレスの選手が優勝した最初の例として挙げられている2008年世界選手権のジェフリー・バトルのフリーはこちらです。

一方、銀メダルだったブライアン・ジュベールのフリーはこちら

終盤、聞き覚えのある音楽が!♥

ジュベールは2本目の4回転ジャンプ、サルコウが3回転になり、終盤のコンビネーションでセカンドジャンプの回転が抜けるミスがありました。

バトルは文字通り完璧な演技。カナダの伝統である滑らかなスケーティング、豊かなトランジション、多彩なフットワークが光ります。

得点的にはバトル(TES84.29/PCS78.78)に対してジュベール(TES79.11/PCS74.11)でした。

確かにジュベールはステップが非常にパワフルで見せ場になっていますが、プログラムのそれ以外の部分は助走が多く、バトルに比べてトランジションが断然少ないのは一目瞭然です。彼らのPCSの差は4.67点でした。

男子は多種多数クワドを入れる選手はトランジションが薄く、助走時間が長い傾向がありますが、例えばエテリ組のシェルバコワやワリエワは4回転ジャンプと豊かなトランジションを両立していて見事だと思います。

トゥルソワのフリーは世界選手権でイタリア解説のラファエラ・カッツァニーガさんが激怒していたように、ステップシークエンスとコレオシークエンス以外はほぼ助走しかありませんでしたが、彼女のショートプログラムを見ると、繋ぎがテンコ盛りで全てのジャンプ要素を難しいトランジションから跳んでいます。前にクリムキンイーグルの直後にコンビネーションを実施していたこともありましたから、3回転ジャンプだけのプログラムならトランジションが豊かなプログラムを滑れる選手なのです。

しかし、勝つための戦略を練る、という話になった時、PCSはどんなに頑張っても女子は80点が上限です。一方、TESはクワド5本を全て成功させれば100点を遥かに超えることが出来ますから、PCSでどんなに優れた選手もクワド5本を着氷したトゥルソワに勝つことは出来ません。しかも、クワドを跳ぶためにトランジションを削っても、ある程度のPCSがもらえるのです(世界選手権のトゥルソワのフリーのPCSは66.34でした)。トランジションを無くして体力を温存し、クワドを確実に決めることに焦点を当てた方が得策、と考えるのは当然でしょう。

ネイサンについても同じことが言えます。彼はスケーティングも踊りも上手い、資質という点においてコンプリートな選手ですから、クワド3本のプログラムならきっとトランジションをもっと増やすことは出来ると思います。実際、ショートはフリーに比べて振付がずっと豊かです。

しかし、フィギュアスケートはスポーツであり、競技ですから、トランジションがほとんど無くてもクワドさえ決まればジャッジ達がPCSとGOEを大判振る舞いする現在のジャッジング傾向では(ただし特定の国限定ですが)、無理にトランジションを入れてジャンプを失敗し、シリアスエラーを食らうより、トランジションを犠牲にしてもクワドを増やし、基礎点を積み上げられるだけ積み上げた方が勝算が高い、という結論に至ります。

勿論、ルールブックにはこのようなことは一言も書かれていません。
ルールブックではPCS、GOE共に評価基準が明確に定義されており、クワドの本数や種類は何の関係もありません。

TESとPCSのバランスが偏り過ぎている現在の採点システムも問題ですが、一番の問題はルールを正しく適用して採点していないジャッジであり、彼らを放置しているISUです。

選手には何の責任もないのは言うまでもありません。彼らは勝つために自分の出来ることをやっているだけなのです。

最後に国別の圧巻「 Let Me Entertain You」

Published by Nymphea

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち