CittaNuovaより「地震から世界の頂点へ」

イタリアの新聞『CittaNuova』に2014年世界選手権直前に掲載された羽生結弦選手の記事です。イタリアフォーラムのジュルシーさんが紹介してくれました

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マルコ・カタパーノ記者
(2014年3月24日)

デジタル版原文>>

フィギュアスケート世界選手権が間もなく開幕する。大会にはカロリーナ・コストナー、そして開催国のアイドルであり、極めて特殊な宿命を背負う青年、日本の羽生結弦が出場する。

ウィンタースポーツのシーズンはもはや最終章を迎えようとしている。
今シーズン最後を締めくくる試合は日本の埼玉で開催されるフィギュアスケート世界選手権だ。
エントリー選手の一覧を見ると、数人のトップ選手の欠場によって技術的にそれほどハイレベルな試合にはならないことが危惧される。

特に男子シングルではパトリック・チャン(2月のソチ・オリンピック銀メダリスト)と最近、背中の手術を受けた『皇帝』プルシェンコなどの有力選手が出場しない。

女子シングルではロシアの五輪女王アデリナ・ソトニコワと、ソチ・オリンピックで銀メダル獲得後、現役引退を表明した韓国の『女神』キム・ヨナが欠場する。 またロシアの最強ペア、タチアナ・ボロソジャル/マキシム・トランコフ組、現在のアイスダンス界における二強、カナダのテッサ・ヴァーチュ/スコット・モイア組とアメリカのメリル・デーヴィス/チャーリー・ホワイト組も欠場する。

勿論、これらの欠場はそれほど意外なことではない。実際、五輪後の世界選手権では、多くの選手が怪我や不調を抱えているか、あるいは精神的に燃え尽きてしまって、このような重要な大会に出場することを断念するケースはよくあることなのだ。

しかしながら、これらの選手の欠場にもかかわらず、間近に迫った世界選手権にはトップクラスの選手達が集結する。

その筆頭の一人は勿論、僅か数週間前のオリンピックで銅メダルに輝いた我が国のカロリーナ・コストナーである。ペアの優勝候補、ドイツのアリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコーヴィ組、アイスダンスの強豪エレーナ・イリノフ/ニキータ・カツァラポフ組、そして数日後、2万人収容可能な『さいたまスーパーアレーナ』を埋め尽くす観客が最も待ち望んでいる、氷上で開花する素晴らしい選手がいる。

その選手、ユヅル・ハニュウ(あるいは日本人は家名を尊重するから苗字を先にしてハニュウ・ユヅルと書くべきだろう)の話をしよう。

「何故なら勝つために学んだ多くのことを失ったのです」

ソチ冬季オリンピックで金メダルを獲得したばかりの、途方もない才能に恵まれた19歳の日本のスケーターは、最近このように述べた。

羽生は何について言及しているのか?

ある意味で彼の人生を変えることになったその瞬間には正確な日付がある。

2011年3月11日。

前年のジュニア世界選手権で優勝した結弦はその日、故郷である仙台のアイスリンクで練習していた。突如、彼の足元で氷が2つに割れた。地震だった。
東北地方と北日本沿岸の沖で津波が発生し、公式推計値によれば約1万5千人の命が失われた。
羽生はスケート靴を履いたまま逃げたが、その後も断続的な余震が続いた。
彼の家は倒壊し、彼とその家族は、その他の被災者達と共に学校の体育館で数日間を過ごした。

この少年にとって苦難の時だった。この数日間に負った心の傷は永遠に消えることはないだろう。
だが結弦はスケートにかける強いモチベーションによって苦難の時を乗り越え、震災から約1年後、元スケーターのブライアン・オーサーの指導を仰ぐためにカナダのトロントに渡った。日本では安心して練習出来る場所がなくなってしまったのも練習拠点を変えた理由のひとつだった(実際、仙台から数キロ離れた使用可能なリンクでは福島原発から発せられる放射能のためにしばしば練習を中断しなければならなかった)。

結弦が苦難を乗り越えられたのは、この悲劇によって全てを失った人々に対して彼が抱いた特別な感情と献身のおかげでもあった。

実際、結弦は彼らのために具体的な何かをするために、津波の犠牲者家族への義援金を集めるための60公演ものチャリティーショーに参加した。

そして、3歳の時から持病の喘息に伴う様々な問題を抱えているにも関わらず、このほっそりとした少年(170センチを僅かに越える身長に対し体重は約55キロ)は、世界最強のスケーターの一人になった(オリンピック金メダル以前にも2012年のニース世界選手権で銅メダル、昨年の世界選手権で4位を獲得している)。

金曜日の朝、我々は2014年世界選手権ショートプログラムでゲイリー・ムーアの『パリの散歩道』を滑る彼を見ることが出来る。一方、金曜日のフリープログラムでは、数週間前、彼をオリンピックチャンピオンに導いた演技(ニノ・ロータ作曲の映画『ロミオとジュリエット』のサウンドトラック)を再び見ることが出来る。

そして最高レベルのジャンプ(幅があり非常に高いジャンプ)、回転速度の速いスピン、滑らかなステップから成る傑出した技術装備と、彼を氷上で開花させる音楽と同化する並外れた表現力を堪能することが出来るのだ。

ひょっとしたら表彰台で『君が代』を聴きながら2011年3月11日を思い出し、感極まる彼の姿を見ることが出来るかもしれない。

この日、不幸にも命を落とした同郷の人々の記憶は彼の中で永遠に生き続けることだろう。

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☆ 温かい、そして文章の美しい記事ですね。

福島原発の下り、事実とは違うのかもしれませんが、原文通り訳しました。
羽生選手の存在によってイタリアで震災や福島原発のことが注目され、このように報道されていたのだと解釈して下さい。

ソチメダリストが軒並み欠場しましたので、盛り上がらない大会になるのではないかと記者が危惧していましたが、結果は、ソチの雪辱戦のようなハイレベルな素晴らしい大会になりましたね。

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記事のタイトル変更について
(2018年10月4日更新)

今日、読者の方からこの記事「津波から世界の頂点へ」のタイトルで「Terremoto」(地震)が「津波」と誤訳されていますとの指摘を頂きました。

このCittaNuovaの記事はフォーラムのジュルシーさんが提供くださったもので、私にとって思い入れのある記事の一つです。

私自身、翻訳した当時(2015年)「地震」ではなく、敢えて「津波」という言葉が使われていたことが非常に印象的でしたし、元記事は紙面の新聞なので、元のタイトルが「津波から世界の頂点へ」であったことは間違いありませんが、指摘を受けてデジタル版原文にアクセスしてみると、確かにタイトルが「地震から世界の頂点へ」に変更されていました。
羽生選手が被害を受けたのは地震であって、津波ではないと読者から指摘があったのか、あるいは私に連絡を下さった方と同じ理由で編集部に修正を求めた方がいたのかもしれません。

海外における3.11関連の報道にありがちなことですが、地震よりも津波による被害とインパクトがあまりにも大きかったため、こちらの新聞やテレビでは今でも東日本大震災のことを「2011年の津波の災害」、「2011年の津波」と表現することがあります。

原文が修正されていましたので、翻訳のタイトルも修正しましたが、全文を読んで頂ければ、羽生選手が津波に巻き込まれたとは記事の中で一言も書かれていませんし、筆者の方が羽生選手に対して多大な敬意と賛美を込めて、心からの善意でこの記事を書いて下さったことは明らかです。

タイトルで使われていた「Tsunami」が、文字通りの「津波」ではなく、「東日本大震災」を隠喩していることは、中学生の国語力でも理解できると思いますし、まして記事を書いているのはプロの新聞記者です。
「地震」ではなく、「津波」という言葉を選んだのは、決して誤解や知識不足などではなく、ただの地震ではないこの未曽有の災害を象徴的に表現するのに、「Tsunami」の方がより適切だと判断したからではないかと私は思います。
それを内容の本質を理解せず、表面的な言葉だけを捉えて、選手の誹謗中傷に利用する人がいることが残念でなりません。

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu