イタリアの最大手スポーツ新聞『La Gazetta dello Sport』に羽生君の記事が!!!
ちなみに『サッカー以外スポーツじゃない』国、イタリアではオリンピックと世界選手権以外、フィギュアスケートは新聞記事になりません。
(2015年11月28日)
日本の二十歳のオリンピックチャンピオンは、長野のグランプリ大会で前代未聞の演技を披露した。あらゆる限界を打ち砕き、フリーで200点、総合で300点の壁を超えた。3本の4回転ジャンプと3本の3回転ジャンプ、そして芸術面で13個の10点満点:「もっと進化出来る」
演技する羽生結弦(ロイター)
このようなレベルには未だかつて到達したことがなかった:
既にスポーツ史に名を刻んでいた羽生結弦が、今度は伝説になった。日本の二十歳はフィギュアスケート・グランプリ大会最終戦の第7回NHK杯長野大会で実現不可能と思われていた難度のスケートを披露した。
あらゆる論理、あらゆる限界、あらゆる美の概念を超えた。
オリンピックチャンピオンは金曜日のショートプログラムの得点(106.33 点)に、フリーの得点(216.07点)を上乗せし、宇宙的な歴代最高得点(サイエンスファンタジーの総合得点322.40)を叩き出した。いつか200点と300点を超えられる選手が現れるだろうかと尋ねる者がいたとしたら、ナイフのように鋭い結弦が彼らを粉々に粉砕した。
記録上では彼の一番危険なライバルの一人である3度の世界王者、カナダのパトリック・チャンが2013年のエリック・ボンパール杯パリ大会で獲得した歴代最高点を塗り替えるのは困難だろうと思われていた。今日まで、そして、未だかつてないほど凶暴になったサイクロン、羽生が打ち破るまで。
中国の新鋭、ジン・ボーヤンは説得力のある得点266.43点で2位に入ったが、膨大な点差を付けられた。
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試合 — ショートプログラムのフレデリック・ショパンの調べから、フリープログラムの日本人作曲家、梅林茂(映画のサウンドトラック『SEIMEI』)まで、全てが魔法だった。
偉大なキムヨナを始め、既に多くの選手のコーチを務めたブライアン・オーサーの弟子は圧倒的なほど完璧だった。
技術的には、フリープログラムではスーパーコンビネーション、4トゥループ/3トゥループを含む3本の4回転ジャンプ、2本のアクセルを含む7本の3回転ジャンプを美麗に成功させた。芸術面において、彼の演技は13個もの10点満点評価を獲得した。音楽と完璧に同調し、腕と手の卓越した使い方、往年俳優のような顔の表情、細部まで洗練された振付けは、感動せずにはいられない夢のハーモニーだった。
必見の、そして何度も見返すに値する演技である。
羽生、コーチのブライアン・オーサーと新記録の得点に驚く(ロイター)
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反応 — 日本人は常に礼儀正しいにもかかわらず、スタンドの『彼の』観客は発狂した。そして自分が成し遂げた偉業に混乱している彼は、何度も『アリガトウ』と答えた。
皆が彼に酔い痴れていた。彼の周囲の人々が、観客が、そして画面で観戦している視聴者達もが。
「得点にはびっくりしました‐(笑顔)‐緊張していましたが、全力を出し尽くしました。
1988年にオリンピックが開催されたまさにこのリンクで、僕がオリンピックチャンピオンであることを見せたかった。記録に関係なく、まだまだ進化出来ると思っています」
その進化を知ることは禁断の実を摘むことである。羽生は長野ビッグハットでこの競技の限界を引き上げた。この瞬間から、フィギュアスケートはこれまでとは全く別のものになる。
記者:アンドレア・ブオンジョバンニ
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☆ サッカー王国(最近弱いですけれど)イタリアでは、新聞、ニュースにおけるスポーツの扱いはサッカー90%、残りのスポーツ10%。
フィギュアスケートはウィンタースポーツの中でもアルペンスキーなどに比べるとマイナーなスポーツで、スポーツ新聞のガゼッタ紙でさえ、取り上げられるのはオリンピックと世界選手権ぐらいで、グランプリシリーズはファイナルも含めて完全スルー。
よほど異常な事件でも起こらない限り記事になりません。ちなみにこの異常な事件には昨年の中国杯での衝突も含まれ、この事件はカラー写真入りで記事になり、写真特集までされていました(しかも衝突事故の衝撃映像というより羽生結弦~耽美写真集に近い写真のチョイスだった)。
つまり、NHK杯で羽生君が成し遂げたことは、フィギュアスケートという競技の枠を超えたスポーツ界を揺るがす大事件だったわけですね。
ちなみに記者のアンドレアさんは時々RaiSport放送(マンマ解説版)の解説もしていて、ニースのロミオから羽生君に注目していると言っていました。