L’Altro Giapponeより「羽生結弦 | 天と地とスペシャル~天と地とを繋ぐ舞手」

先日翻訳したナポリの日本文化協会「L’Altro Giappone」の特集記事「「羽生結弦 | 天と地とスペシャル」からバレリーナのアレッサンドラ・モントゥルッキオさんによるバレリーナ視点からの考察を翻訳します

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天と地とを繋ぐ舞手(アレッサンドラ・モントゥルッキオ)

私が初めて生で羽生結弦を見た時、彼は滑っているのではなく、歩いていました。彼を知らない人が見たら、バレエダンサーだと勘違いしたでしょう。そう、彼にはバレエダンサーと同じ優美で静かな歩み、真っすぐな背中、エレガンスが備わっていたのです。この日、彼は氷上で Otoñalを披露するはずでした。クラシックバレエにおける、体重を感じさせないポーズやムーブメントが散りばめられた、彼のスポーツにおける唯一無比を決定的に証明するプログラムでした。 彼は、バレエダンサーに求められる必要条件と基礎的要素の多くを氷上で表現し、バレエダンサーと全く同じ身体動作を持つ現在唯一のアスリートです。そして、彼が演じる役柄は演技終了後、観客の拍手を浴びている間も彼の中に留まり、リンクから出るまで彼に憑依し続けるのです。

優美さとエレガンスと表現力を兼ね備えたスケーターは他にも存在すると言われるかもしれませんが、羽生はそれ以上の特別な何か、ヌレエフやバリシニコフのようなバレエ界のレジェンドを引き合いに出さなければならないような存在なのです。  

いずれにしても、明らかなところから始めましょう。
フィギュアスケートとバレエは、どちらも通常音楽に乗せた空間でのムーブメントですので、様々な接点があります。踊り手は、何かを伝達し、物語る動きにするために、単なるアスレチック的動作を超え、より表情豊かで芸術的なムーブメントにしようと試みます。この目的のため、ただ音楽のテンポとリズムだけでなく(パソドブレジェイブ では踊りません)、音楽の調性、音色、雰囲気にも合わせなければなりません。これが出来て初めて、技術的能力、実施のクオリティ、芸術と呼ばれる音楽との融合が実現されるのです。

この観点において、フィギュアスケートは通常、バレエに比べて「大雑把」と言えます。このスポーツ特有の性質が、ムーブメントと音楽の同調を妨げます。つまり、4回転ジャンプの準備をしながら、ミリ秒単位で調整するのは不可能なのです。優秀なスケーター達は静止している時、つまりプログラム冒頭やステップシークエンス (StSq)またはコレオシークエンス(ChSq)の前では、自分達のスケート技術を音楽に合わせて変換し、感情のクライマックスを作り出すことが出来ますが、その更に先まで行ける人は誰もいません。

羽生結弦は例外です。第一に、彼をしばしばナノ秒単位で音を先駆けており、これにより、まるで彼の身体がオーケストラで、音楽が彼の中から生まれくるような印象を与えます。しかも、彼には音楽の呼吸を捉え、動作や間や呼吸の質をこれと同調させる才能があるのです。 楽曲、技術的難度、解釈は化学反応を生み出し、この化学反応から心理学でいうところの「フロー」(時空の座標を忘れて迷子になるほどある活動に意識が没頭している状態)が起こります。実施と享受が同時に起こる芸術またはスポーツでは、観客さえにアーティスト/アスリートが作り出したフローの中に飲み込まれることがあります。この点については、羽生の試合を目撃した無数の人々が証人になってくれるでしょう。彼のコーチであるブライアン・オーサーは、自分の教え子が観客に与えるインパクトを表現するのに、神秘的体験という概念を持ち出したのは偶然ではありません。

羽生はバレエダンサーが氷上で実現することを、氷上で実現出来る唯一のスケーターであり、バレエと完全に一致しない彼のステップもほとんど場合、バレエのステップに非常に似ているのです。フィギュアスケートには全般的にバレエと共通する要素があると言われるかもれません。確かにそうですが、バレエダンサーのように正確にクリーンに実施しているのも、幾つかの要素を氷上で実施することが出来るのも羽生だけなのです。

この観点において典型的な例が天と地とです。このプログラムについて3つ瞬間を分析したいと思います。1つ目はジャンプ3本のシークエンス、2つ目はステップシークエンス冒頭です。

ジャンプシークエンス:

音楽は特に強さにおいてクレッシェンドしていきます。まるで傾斜に遭遇した川の流れのように、流れが激しくなり、その後再び平穏が訪れます。羽生は3アクセル+2トゥループのコンビネーションを実施し、トランジションのステップを幾つか入れて3ループを跳びます。スケーターが曲調のクレシェンドに合わせてジャンプするのは驚くことではありません。ここで驚かされたのは、音楽と完璧に融合するエレメントを選んだ彼の能力です。

詳しく説明しましょう:羽生はここでプログラムの「重い」コンビネーション(4T+3T)ではなく、より「軽い」3A+2Tを跳びました。各ジャンプが(4T+3Tに比べて)1回転ずつ少ないからだけでなく、旋律の邪魔にならない(目立ち過ぎない)せいか、より適しています。そしてアクセル、つまりエッジジャンプを選びました。エッジジャンプは氷面にトゥを強く突かずに離氷しますので、離氷が荒々しいトゥジャンプよりより柔らかです。氷を打つトゥが破線のようなトゥジャンプに対して、エッジジャンプは曲線に似ています。破線では傾斜に遭遇する川の流れは表現出来ません。従って、羽生は3Aを選んだのです。そして2トゥループ。3アクセルの3回転半の後ではトゥジャンプにも拘わらず、非常に優しく、「のどかな」な印象を与えます。そして前述の曲線に向かってトランジションの幾つかのステップが続き、シークエンスは3回転ループで締めくくられます。ループはエッジジャンプというだけでなく、おそらく最もエレガントで繊細なジャンプなのです。踏切と着氷の脚が同じで、他のジャンプに比べてより静的でコンパクトという、技術上の性質により、それほどスピードと高さがあるジャンプではありません。つまり、クレシェンドが中断され、一瞬の静寂の後で音楽が再開します。

ここで2つの点について詳しく述べなければなりません。一つ目:バレエではピルエットを1回目は観客の方、2回目は横向き、3回目は後ろ向き、という具合に向きを変化させながら、何度も実施するのは非常に難しいことです。普通のピルエットを1回または数回実施するには、視線を一点(スポット)に定め、視線をギリギリまでそのスポットに残し、出来るだけ早くそこに戻さなければなりません。向きを変えながらピルエットを実施するということは、出発点と到着点のスポットが変わりますので、バレエダンサーはバランスを崩すリスクがあります。2つ目::  1回転のピルエット、準備、ピルエット、準備、ピルエットを実施するのも非常に難しいことです。このような連続技ではポジションを変化させ続けること(プリエ、パッセ、プリエ、パッセ)が求められ、 重心移動と、バランスを保つためのハードと筋力の働きを伴い、ピルエットの「動」と準備の「静」が交互する絶妙なタイミングを測らなければなりません。ここでは、羽生はほとんど準備なく3アクセルを跳ぶだけでなく、2トゥループを実施するために減速し、身体を回転させながらトランジションを実施し、3ループを踏み切ります。しかも、を描きながら、つまりスポットを変え続けながら、ポジション、スピード、重心の高さ、方向、姿勢を千変万化させながら実施しているのです。結果として、ジェスチャーと音楽の完全な相互浸透が生み出されます。フィギュアスケートの至高の瞬間であり、同時にバレエと瞬間芸術の至高の瞬間です。

動画: ジャンプシークエンス:1.15-1.24;  ステップシークエンス開始:1.41-1.54

ステップシークエンス冒頭

スピンの後、羽生は左腕を前方に上げ、まるで「注意して欲しい。自分はこれから見る価値のあることをしようとしている」と言うかのように手の平をジャッジ席に向けます。腕の動きがどこから発しているかよく見て下さい。肩甲骨からです。これはバレエで最初に学ぶことの一つです。腕を支えているのは背中なのです。そうでない場合、つまり上腕二頭筋と上腕三頭筋を使って腕を支えている場合、疲れてしまってレッスンの最後まで持ちません。一方、正しい動かし方により、腕とムーブメントに力を与えるだけでなく、腕の速度と振幅も調整することが出来るのです。羽生はまさにこれをやっているのです。肩甲骨から肘、そして手首、手の順で腕を上げています。よくコントロールされた無駄のない動きです。

その後、フリーレッグを下ろしてパッセからクーペデリエールに移行しながら、半回転のピルエット・アン・ドゥオールを実施します。そして、回転しながら脚のポジションを変えるのは簡単なことではありません。パッセは空間を占める幅が広い回転速度を下げるポジションです。逆はクーペは幅が狭く、回転速度を促進するポジションです。 しかし、羽生はパッセからクーペに移行しても、同じ回転速度を維持出来るのです。このことは、身体のコントロール能力が圧倒的に高いことを意味しています。

ピルエットの後、フリーレッグを下ろして1/4の円を描き、これを弾みにして2度のツイヅル、あるいはバレエ用語では「ダブルフェッテと呼ばれる一連の動作を実施します。確かに完璧ではありません。ロン・ドゥ・ジャンブ(1/4の円を描く)では脚の位置が低く、腕はポジション2番の間はいいですが、回転中のポジション4番はクリーンではありません。しかし、開始時とは腕を違う位置にして回転するのは難しいことを考慮しなければなりません。特によくコントロールされていなかったり、あるいは左右対称でない場合には猶更です。何故なら、回転速度とバランスに異なる影響を与えるからです。

ピルエット1回と半回転のアン・ドゥダンを実施しながら、羽生はフリーレッグを前方に伸ばし、胴体は前傾し、やや右に傾斜しています。つまり、少し軸がズレており、軸がズレた状態でピルエットを実施するのは非常に難しいことなのです。身体の一部が身体の他部分と同じ直線上にない場合、バランスを保つのが困難になるからです。氷上でこのパッセージを実行するために、羽生は腹筋を収縮させ、頭と腕の動きをコントロールし、臀部を収縮させています。結果、包み込むような、繊細で内面的な動きが生まれるのです。

それから羽生は後方に2歩下がり(ただ簡単なステップではなく、アラベスクフォンデュまたはバロッテ・アナリエールです)、コントラターンの後、前述のピルエットを、ただし逆向きに実行し、まるでお辞儀をするように前屈みの姿勢で後方に下がります。「天と地と」の平和に支配されたセクションとの決別、あるいは新たな戦の前の休戦でしょうか?甘い眼差しから鋭い戦士の目つきに変わった彼の眼差しの変化が、このことを雄弁に物語っています。最後に彼はスッと背筋を真っすぐに伸ばし、両腕を天に向かって上げます。ここで特筆に値するのは、まるで「待って、そこにいて」と言うかのように、羽生が手首を曲げ、腕を前に緩やかに伸ばしながら実施する2度目のバロッテコントラターンです。それから、腕を曲げ、手は自然に腕に従いますが、一瞬、とまどい、呼吸するような間をおいてから、下に下ろされます。この最小限の動きの、手と指の息遣いの中には羽生の優美さだけでなく、彼のバレエダンサーとしての資質が全て詰まっています。ただ動作を行うだけではなく、表現する腕と手と指を持っていることは、偉大なバレエダンサーなら誰もが持ち合わせている資質です。感情、観念、物語を「醸し出す」身体能力によって役柄が演じられるのです。その「話す」ことが出来る腕、手、指においても羽生は並外れた偉大な表現者であり、天と地とで彼は空中に物語を描いているのです。戦いの前の穏やかな内観と調和を追求する物語。

氷上の鮮烈で感動的な舞によって語られる上杉謙信の物語。

バレエ用語の一覧 – Wikipedia

https://www.balletto.it/

 アレッサンドラ・モントゥルッキオ
作家、編集者、翻訳家。幼少時よりバレエを学び実践するバレリーナであり、指導も行っている。
Wikiプロフィール:https://it.wikipedia.org/wiki/Alessandra_Montrucchio

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☆ピアニストの清塚信也さんがおっしゃっていたことと重なりますね。

フィギュアってバレエとは違って、すべての音に合っていなきゃいけないものじゃない。共存してればいいというようなところもあるから、あそこまでシンクロさせなくても、というところもあるかもしれないんですけど、羽生選手は違う景色を見ておられるんでしょうね。

北京五輪へ!知られざる“宝”のストーリー

バレエと違って、フィギュアスケートには加速するためのいわゆる「漕いでいる」部分やジャンプを跳ぶために必要な助走など、音楽と切り離されてしまう時間がどうしても存在するのですが、羽生結弦はそんな制限を取り払ってしまいました。

最初の一秒から最後の一秒まで、完全に音楽と同調し、全ての音を拾い、まるで彼自身が音楽を奏でているような印象を与える。だから音楽家やバレリーナが彼のフィギュアスケートにこれほど興奮し、感動し、称賛するのです。

アレッサンドラさんは「ロンカプ」の分析記事も書き上げて下さっているのですが、ものすご~く長いので、訳すにはある程度まとまった時間が必要なため、いつ翻訳出来るかちょっと不明・・・

そして選手達が続々と北京入りしていますね。
羽生君はいつもギリギリに現地入りするイメージですが、明日でしょうか?

ちょっとこんなのを見つけたんですが凄くないですか?

中国の冬季アスリートの人気投票で日本人の羽生結弦が圧倒的大差で1位!
オリンピック開催国の人気投票でその国のアスリート達を上回って1位と言うだけでも凄いのに、2位以下を1桁ではなく、2桁引き離しているという😲

東京オリンピック前に日本でこのような人気投票が行われたかどうか知りませんが、注目するアスリートアンケート等で名前が挙がっていたのは池江さんとか内村君とか普通に日本の選手ばかりでしたよね?

北京のアイスリンクの観客席に誰が座るのかは分かりませんが、観客が誰でも中国の皆さんはきっと羽生君を温かく応援してくれると信じています。

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu