→RE_PRAY←佐賀公演を見て

前回の→RE_PRAY←埼玉公演初日の世界配信を見た後、衝撃と興奮が冷めやらぬうちに、気の赴くままに→RE_PRAY←感想(実際は「破滅への使者」の印象だけ)を書き散らしましたが、タイトルに(1)と付けちゃいましたので、少なくとも(2)までは書かないと、とここ数か月、書こうと試みていたのですが、グズグズしている間に2日目の公演が放送され、テレビ朝日で「独占密着!ドキュメンタリー 羽生結弦 RE_PRAY」が放送され、佐賀公演が世界配信されました。
この数か月間、私は一体何をやっていたんだ・・・

現在ジワジワとハマっている「鶏と蛇と豚」とMegalovaniaの感想は勢いで一気に書いてしまえたのですが、「祈り」「命」がテーマの後半でなかなか筆が進まず、今日に至っています。
というのも、最初にライブで命と祈りがテーマの後半を見た時、私はすぐに世界中で粗末に扱われている命、特にウクライナとガザで奪われた命、奪われようとしている命と結びつけずにはいられませんでした。
ヨーロッパに住んでいると、ガザでの殺戮に関する情報や映像は、日々のニュースを通しておそらく日本の数倍の量、数倍の勢いで入っています。ミラノやローマなどの広場ではイスラエルのガザ攻撃を抗議するデモやパレスチナ支援の集会が行われ、これは決して遠い国の他人事などではなく、もっと身近な問題なのだと肌で感じられます。毎日、網膜と鼓膜を通して洪水のように流れ込んでくる現実はあまりにも悲惨で理不尽で、時には目を覆い、シャットアウトしたくなります。しかし今この瞬間も銃弾や飢餓によって亡くなっていく人が無数にいるという現実から目を逸らすべきではありません。今の私には、「祈り」「命」のテーマをガザで起こっていることと切り離して考えることが出来ず、(おそらく難しく考え過ぎて)あれこれ悩んでいる内に、年が変わり(しかも年明け早々、夫共々コロナウィルスに感染して寝込みました)、佐賀公演の日がやってきました。

でも今回の配信を見て、私は前回とは全く別のことを感じました。アイスストーリーの世界観やテーマ、個々のプログラムが持つ意味を超えて、今回、公演全体を通して私が強烈に感じたのは羽生君の「もっと見せたい、もっと届けたい、もっと伝えたい、もっと表現したい、もっと創造したい、もっと、もっと・・・」という魂から迸るような強い気持ちでした。

この世界は羽生君には汚過ぎます。良心やモラルを持たない人達が醜い欲望に任せて嘘や妄想をまき散らし、愚かな大衆が下衆な好奇心からそれを貪り拡散する世界。
しかし、彼がスケートを通して表現し、創造する氷上の世界は、彼だけの神聖な領域であり、誰も立ち入ることは出来ません。彼はもう下界を見限り、このような汚い世界は完全に遮断して自分の世界の中で作品を創造し続けることに専念し、そのためだけに生きているように見えます。体力が続く限り、命を削り、魂を削り、心の炎を燃やしながら・・・

彼は十代の頃から生き急いでいるところがあって、常に自らを崖っぷちに追い詰め、試合となれば、まるでその日が人生最後の日であるかのように、命の最後の一滴まで出し尽くして滑り切り、いつも「わざわざ」最も困難で過酷な道を選びました。だから「歩く少年ジャンプ」「フリルを着た阿修羅」などの異名をとってきた訳ですが、今もその気性、彼の本質は全く変わっていません。きっと彼にとっては、そうでなければ「生きている」ことにならないでしょう。彼にとって「生きる」とは命を燃やすことであり、常にギリギリの状態で限界まで挑戦することが、生きている証なのでしょう。

天才と呼ばれる芸術家は、創造が自分の天命だと自覚し、命ある限り、一作でも多く、より優れた作品を世に残そうとします。時間に限りがあることを知っていて、自分の生きた証である作品をその限られた時間の中で一点でも多く残すために、魂を注ぎ、命を燃やすのは芸術家の本能です。その意味で、羽生結弦は典型的な芸術家です。そして彼はアスリートでもあります。だから体力的に可能な限り、技術を磨き、より高難度を目指し、より過酷な挑戦を自らに課して、貪欲に進化し続けようとするのです。

彼は東京ドームで現地やライビューに来てくれた皆さん、配信を見てくれる皆さんのおかげでこのGIFTが出来ていますと感謝し、RE_PRAYの埼玉公演でも佐賀公演でも、自分が表現し、滑れる場所があるのは見てくれる方のおかげだと強調していました。

東京ドーム単独公演、そして今回の単独公演ツアー、会場は全てスーパースターにしか許されない大箱で、毎回、全国の映画館でライブビューイングやディレイビューイングが行われ、多国言語の字幕を付けて世界配信される。羽生君の単独公演では今やこれがデフォルトになっていますので、感覚が麻痺していますが、これは尋常なことではありません。グループでも劇団でもない、世界的一般的にはマイナースポーツのアスリートが、たった一人で東京ドームのような大箱を満席にし(それどころか抽選落選者が続出しているので、こんな大箱でも座席数は明らかに足りていない)、ライブビューイングのチケットすら大都市では完売させるのです。しかも羽生君のバックには、プッシュしてくれる大手事務所や有力組織は付いていません。それにXの公式アカウント以外、大して宣伝してないですよね?

アイスストーリーは、今の羽生結弦にとって、自分がやりたいことを実現し、頭に思い描くことを表現出来る理想的な形なのだと思います。競技以上に過酷で更に研ぎ澄まされた精度と技術が必要、という点において常に極限まで自分を追い込み、限界に挑戦したいアスリート・羽生結弦の本能とモチベーションを満たし、同時にアーティスト・羽生結弦のアイデアやニーズに合わせて、様々の形、無限のバリエーションが可能です。

そしてアイスストーリーの実現に必要なのは、まず1人で2時間10本以上のプログラムを滑り切るという羽生君の超人的な身体的・精神的能力、そして毎回、会場を埋め、ライビューや配信のチケットを購入する観客の存在です。
きっと羽生君の頭の中にはこれから試したいジャンルや技、アイスストーリーで表現したい世界観やテーマのアイデアが無数にあって、体力が続く限り、表現し続けたい、創り続けたい、滑り続けたい、届け続けたい、見せ続けたい、と思っていることでしょう。

だからこその「どうか皆さんのお力を下さい」なのだと私は理解しました。

彼が思い描く単独公演をずっと実現し続けるには、一時的な人気やブームではなく、常に会場を埋め、ライブビューイングや世界配信を購入する観客数を維持し続けることが重要であり、羽生君もその辺はよく理解しているはずです。私生活のあれこれで離脱したりアンチ化したりするファン()ではなく、総合芸術「羽生結弦」を心から愛し、彼のスケートを見に行くファン&観客こそ、今後の彼の活動を支える、なくてはならない存在なのだと思います。

羽生ファンになると心労が絶えません。競技時代からそうでした。怪我や体調を心配し、本番失敗しないかハラハラし、ジャッジや連盟に憤り。プロになってからも心配は尽きません。何しろ競技時代よりずっと過酷なことにチャレンジしているのです。ちょっと瘦せたんじゃないか?怪我してるんじゃないか?体調は大丈夫なのか?そしてジャッジやISUにイライラしなくてよくなったら、今度は週刊誌に苦しめられるようになりました。

でもおそらく彼がファンに望んでいるのは、母親のように怪我や体調を心配したり(まあ心配するな、というのは無理ですけどね。私も毎回ハラハラドキドキしています)、週刊誌に抗議文を送ったり、ヤフコメのアンチコメに反論することではなく(かくいう私も週刊誌には激怒を通り越して殺意さえ抱いており、もし自分に呪詛の能力があったら、もう何人呪い殺しているか分かりません😡)、自分の演技を見て、感じて、自分のスケートから発せられるメッセージを受け取って欲しい、というのが一番なんだろうな、と今回の佐賀公演を見て私は感じました。

しかし彼ほど人前に出てくる度に(Xのメッセージ然り、YouTubeチャンネル然り、ドキュメンタリー然り、単独公演然り)、「ますます応援したい」と思わせる人っていませんよね?
私自身、佐賀公演を見て、ますます応援していこうと決意を新たにしたのでした。

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Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu