FantasyMagazineより「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd」

→RE_PRAY← TOUR」

小説や映画の評論誌「FantasyMagazine」に寄稿されたマルティーナさんのRE_PRAY評です。

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単独公演から単独ツアーへ:羽生結弦が新やなアイスストーリー「RE_PRAY」を演じる。プロローグで始まり、GIFTに引き継がれた実験の道は続く。

マルティーナ・フランマルティーノの総評

2023年11月12日(日曜日)

最近、ゲームは娯楽として価値だけでなく、美的観点においても傑出しているという考え方が、哲学的論争で取り沙汰されるようになった。そんな中、ゲームを出発点として新しい作品を創作したのが羽生結弦である。

2つのオリンピックタイトルを含む存在する全てのタイトルを獲得し、フィギュアスケート競技に革命を起こした後、羽生は2022年夏に競技を去り、新しい実験の旅に乗り出した。史上初のフィギュアスケート単独公演となったプロローグでは、過去演技の映像と、時にはプロジェクションマッピングで彩られたライブパフォーマンスの画期的な融合を通して、アスリートとしても彼の物語が語られた。GIFTでは、更に一歩前進し、デジタルアート、ライトアート、ストーリーボード、リンクサイドのダンサー達の存在、観客に非日常的な体験をさせてくれる2つのオーケストラが、ここで語られる彼の物語をより普遍的な物語へと変容させた。RE_PRAYはダンサーとオーケストラによる生演奏はなかったものの、更に一歩前進していた。

公演のサブタイトル、Yuzuru Hanyu ICE STORY 2ndは最初のアイスストーリーGIFT」と繋げているが、物語はゲーム(それも1つのゲーム)という狭い世界から展開し、本質的なテーマにまで至る。羽生はゲームの中にいて、その世界のルールに従わなければならない。結局のところ、人間の自由と創造性を最大限に発揮出来るのは、我々の行動を制限することによって、己の限界と我々が生きている現実の限界に直面することを強制するルール下においてのみなのだ。

2018年冬季五輪エキシビションにおける羽生結弦 – CC 3.0 デヴィッドW. カーマイケル撮影 – http://davecskatingphoto.com/photos_2018_olympics_gala.html

羽生はゲームマニアで、彼のゲーム好きは選曲にも何度か現れている。過去にも、2つのビデオゲームのサウンドトラックをエキシビジョンナンバーに使用している。プロローグのために制作され、GIFTで再演された「いつか終わる夢」は、プロジェクションマッピングを担当したライゾマティクスとのコラボによって実現され、全ての単独公演で披露されたプログラムであり、モンスターに脅かされる人類のゲーム、ファイナルファンタジーXの楽曲である。羽生は過去に演じたプログラムを再演するように、自分のプログラムを再演し、それらに新しい意味を与える。
Re-proposes
Re-Play

そして、最後の壁を乗り越え、最後のモンスターを倒し、ゴールに辿り着こうとする。あるいは新しい道を見つけるために。

新しい楽曲は、椎名林檎の「鶏と蛇と豚 」、トビー・フィックスUndertaleのために作曲した「Megalovania」植松伸夫Final Fantasy IXのために作曲し、ピアニストの清塚信也によって編曲された「破滅への使者」の3曲だった。今回も演出はMIKIKOが担当した。羽生結弦は自分の分身を何人も登場させ、ゲームパッドを操作するゲーマーとしてスクリーンに登場したかと思えば、リンクに降りて全身で冒険を体験し、リンクの枠を飛び出して息もつかせぬ実写アクションを繰り広げるキャラクターに変身したかと思えば、再びリンクに戻ってきて氷上を滑るブレードの音だけで彼の音楽を創造した。彼が立ち向かっているのは闘いなのだ。そして、その闘いは、かつて試合で決めていた時と同じ完成度で実施される3回転ジャンプや4回転ジャンプ、そして試合では跳ぶことの出来ないコンビネーションジャンプ、3A-eu-3S-eu-3Sで表現される。競技ではルールで禁じらているこの5連続ジャンプは、反復の観念を効果的に強調していた。スポーツ、運動競技、それが芸術になる。何故なら、芸術が単なる娯楽を超えて我々を豊かにしてくれるものだとしたら、羽生の作品は、異なる世界の混交が一つのビジョンで融合された新しい形のパフォーミングアートだからだ。そしてクライマックスはショー後半に訪れる。人生が不完全であるように、誤作動から誤って生まれた不完全のようだ。従って、羽生はゲームを繰り返し、リプレイする。位相のズレはあるが、ゲーマーは常に一択するから、ゲームが重なることはない。目指すべきゴールはあるが、人生の問いに決められた答えがないように、ゴールに向かうまでの道のりにも決められた答えはない。人生にはゲームオーバーになった後、再プレイを可能にするボタンはない。

アスリートとして成長した羽生結弦は、あらゆる面において、フィギュアスケートをこれまで想像も出来なかったレベルまで引き上げて完成させ、競技を離れて新たな道を歩み始めた。その真っ暗な道のりで、彼は観者達が、(おそらく)自分自身を見出すために没頭出来る新しい形の表現手段を発明しようとしている。

日本語のナレーションと多言語の字幕付きで昨日11月4日に日世界配信された初日公演は、2023年11月14日から21日まで Beyond LIVEでアーカイブ動画を視聴することが出来る。

マルティーナ・フランマルティーノ

幼い頃から本が大好きで、当然の流れで書店員になった。ファンタジー小説への愛情と執筆への情熱によって2006年秋にFantasyMagazine社に出会い、現在に至るまでコラボレーションを続けている。

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☆彼女の考察はいつも深いですね。私はやっと前半を(多分)把握したところで、これから後半を理解するためにじっくり見なければなりません。

そして、メンシプでは2つも自作の新プログラムを公開してくれましたね。
タイミングがタイミングだっただけに胸がいっぱいになりました😭😭😭
きっとファンがもの凄く心配していることを知っていて、「大丈夫だよ」というメッセージを発信してくれたに違いありません。

マッシさんも出演したナポリの日本文化フェスティバル「Japan Week」で上映された坂東玉三郎さんのドキュメンタリー映画「書かれた顔」から、印象に残った玉三郎さんの言葉を引用します。

僕は言いたいことがない
言いたいことがないから踊ったり芝居したりしている
そこで見てくれることが僕の一番言いたいこと
ということは、言葉にならずにフッと振り返って衣装を着た時が一番言いたいことだったかもしれない
ただこうやって聞かれると、自分の気持ちに起こった感情だとか魂だとか宇宙的だとか霊感的だとかというものをとにかく伝えたい時に、言葉を選びながら順番にモンタージュして言うと、何となく伝わるためにその言葉があるだけで、本当は言葉は二次的なもの

(中略)

「ごっこ」の出来る人達
例えばちょっとした空間を与えられたことによって、そこが違うスペースだということをパッと作れる、あるいは一つの空間をパッと区切られた時、その限られた空間の中にパッと宇宙観を表現出来る人達、それが演劇的な人達だと思う。

そう、芸術家は言葉ではなく、己の表現手段で言いたいことを発信します。そして、それはどんな言葉よりも説得力のあるメッセージなのです。

羽生君もそう、彼はスケートという強い表現手段を持つアーティストです。
嵐はしばらく続くと思いますが
あなたには世界中のファンが愛するスケートがあります。

きっと大丈夫

これからも応援しています。

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Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu