もうすぐ東日本大震災から10年になりますが、素敵な記事を見つけました。
震災の年、2011年の12月にガゼッタに掲載されたコラムです
2011年12月15日
マリオ・サルヴィーニ
今年の3月11日14時45分23秒、羽生結弦は仙台で練習していた。史上最強の地震が日本を揺らした時(日本は地震の多い国である)、ブレードの下で氷が激しく動いた。彼はスケート靴を履いたまま逃げた。
両親と共に住む自宅は最初、損傷が酷過ぎると思われたため、彼とその家族は避難所で何泊かしなければならなかった。数日後、家屋は安全基準を満たしていると認められ、自宅に戻ることが出来たが、彼のアイスリンクはそうは行かなかった。17歳で世界ジュニアチャンピオンだった結弦はしばらくの間、どこで練習すればいいのか分からなかった。彼はそれでも何とか練習を続けた。
11月26日にモスクワのロステレコム杯で優勝した結弦はカナダのクベック・シティーで開催されたグランプリファイナルに初めて進出した。女子シングルでカロリーナ・コストナーが優勝した大会だ。
結弦は4位だった。見る目がある者は、彼は未来だと言う。
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2011年のグランプリファイナルの後の記事です。
この2週間後の全日本選手権で羽生君は3位に入り、初めて世界選手権の切符を手にします。
しかし、ガゼッタにもこんなに早くから彼に注目していた記者がいたとは!!!
ニースの前ですよ?
記者のマリオさんは間違いなく、羽生結弦は未来だと見抜いた「見る目のある」一人だったに違いありません。
こちらはグランプリファイナルにおける羽生君のフリーです。
最後の3サルコウがステップアウトになり、僅差で4位でした。
そうなると当然、ニースのロミオも見たくなりますよね?
もう何百回目か分かりませんが・・・