イタリアのスポーツ情報サイト「Mondiali.it」に掲載された記事です
クリスティーナ・フォンターナローザ(2018年2月28日)
ウィニー・ザ・プーが平昌で何やってるの?
オリンピック韓国大会の主役、メダリスト達に贈られる白虎のスホランは羽生結弦の栄誉を称えて平昌の江陵アイスアリーナを黄色く染めたウィニー・ザ・プーに主役の座を乗っ取られ、しばし脇に追いやられた。
少し前に「史上最高のスケーター」として洗礼を受けたスケーターは第23回冬季オリンピックで2個目の金メダルを獲得した。66年ぶりに個人選手による二連覇を成し遂げ、カール・シェーファー、ギリス・グラフストローム、そしてディック・バトンといった偉大なスケーターと共に歴史のページに名を刻んだ。
23歳の天才はこの氷の競技と、そして冬季オリンピックの年代記に名を記した。
そして彼の個人的なストーリーが、努力と固い決意と、そして彼のここまでの道のりを支えた大勢の人々のサポートによって達成されたこの快挙をより魅力的なドラマにし、平昌におけるこの瞬間を一層記憶に刻まれるひと時にしている。
演技の後、スケートリンクに投げ込まれたプーの雨によって、観客は記念品の白虎より日本のスケーターを感激させた。
それにしても、どうして彼らはこんな風変りの方法で彼を祝福するのでしょう?
どうやら羽生結弦はこのぬいぐるみに特別な愛着を抱いていて、いつも持ち歩いているようなのだ。
ゲン担ぎなのか、感情的な理由なのかはさだかではないが、彼にとって試合でのラッキーアイテムであることは間違いない
しかし、韓国ではオリンピックの公式マスコットと敵対することもあり、プーは自由に出入り出来なかった。
だから羽生はしかたなくこの忠実な布製の友達をホテルに残し、傍に置くことが出来なかった。しかし彼のことを良く知る彼のファン達は、自分達のアイドルが人生で一番重要な瞬間にプー不在の寂しさを感じないよう、リンク全体を数10匹のウィニー・ザ・プーで埋め尽くし、自分達の愛情と称賛の念を披露した。
この行為は羽生結弦を感動させた。彼はこのオリンピックに出場するために重い怪我に立ち向かなければならなかった。そして、これまでの競技人生の中で自分の故郷を襲った地震の被害とも向き合わなければならなかった。
2011年の大地震を覚えていない人はいないだろう。非常に強い揺れ(マグニチュード9だった)が津波も引き起こし、数万人の被害者を出した。
羽生結弦はこの時、恐怖と悲劇の余波を自ら体験した一人であり、このパニック状況の記憶は未だに彼の脳裏に刻まれているだろう。
「仙台のホームリンクで練習中でした。本能的にスケート靴を履いたまま建物の外に逃げました。避難所で3日間過ごし、それから家族と一緒に自宅に戻りました。でも地震はリンクの配管を破壊し、2週間滑ることが出来ませんでした」
しかし、彼の滑りたいという思いが消えることはなかった。可能になるや否や練習を再開し、そこから次々に成功を収め、決して引き返そうとはしなかった。
2014年と2017年には世界タイトルも手に入れた。
何度も自分の限界を超え、世界最高得点を何と12回も更新し、現在もショートプログラム、フリープログラム、トータルスコアの世界最高得点の保持者である。
つまり、類稀な規格外の選手であり、あらゆる逆境にもかかわらず、常にトップの座に君臨し、今日、彼のプーと共にまたしてもその快挙を祝うのだ。
観客が投げ込んだこれらのプーをどうするの?という質問に羽生結弦はこう答えた:
「ファンの皆さんが投げ込んだ黄色いクマですか?貧しい子供達にプレゼントします」
自らのストーリーで皆を感動させたこの年若いオリンピックチャンピオンは才能だけではなく、広い心も持っているのだ。
圧巻のプーシャワー映像
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☆イタリアでの色々なメディアが羽生君のオリンピック二連覇を取り上げて記事にしていますが、プーシャワーは相当のインパクトだったのでしょう
どの記事でもウィニー・ザ・プーについて言及していますし、中にはプーの話題がメインという記事さえあります。
商標を宣伝しないためにキャラクターグッズの持ち込みを廃止したIOCの配慮はほとんど無意味だった・・・