震災から10年目の3月11日、羽生結弦選手が報道各社を通してメッセージを発信しました。
先日、羽生君の被災地に寄り添う10年間の歩みを素晴らしい文章で振り返る長文エッセイを執筆して下さったマルティーナさんが、このメッセージに寄せて珠玉のエッセイを投稿してくれました。
マルティーナ・フランマルティーノ著
(2021年3月12日)
言葉
今日、私が取り組んだ唯一のテーマ、それは言葉です。
いいえ、事実を言えば、この数時間で私は幾つかの動画を見ました。でもフィギュアスケートの動画は一つもありませんでした。日本の歌も聴きました。私に聞き取れる日本語の単語は本当にごく僅かですが。歌は指田郁也、曲は「花は咲くです」。
今読んでくれている人は、私は何を言いたいのか理解するために全てを読む必要はないでしょう。
自ずと分かったはずです。
世の中にはデータや統計やあらゆる種類の合理的考察を超越するものがあります。
私達の心を揺さぶり、私達を変えるものが。
ここ数年、私は幾つのスポーツを追ってきたでしょうか?
何人のアスリートを応援したでしょうか?
フィギュアスケートは多くのスポーツの一つに過ぎません。スケーター達にはそれぞれのキャリアがあり、強い選手とそれほどでもない選手がいて、数シーズンの間、彼らのベストを尽くし、それから、それぞれの人生を進んで行きます。私達はしばらくの間、彼らを見て熱狂し、彼らが負けると少し悲しくなり、そして、私達は皆先に進みます。 彼らは彼らの世界で、私達は私達の世界で。
「私達」と書きましたが、「私」と書くべきでしょう。以前はずっと「私」でしたが、今ではインターネットが全てを広げ、自分とは違う文化を持つ、他の大陸に住む人々とメッセージをやり取りしますので、私達の誰にも属さない言語と格闘するという、自分にとっては当たり前のことが、彼らにとってもそうなのか理解するのは難しいことがあります。でも私は敢えて「私達」と書きます。何故ならある境界の中で私は「私達」になったからです。
私はスケートの採点システムについて、自分の納得の行かないことについて沢山書いています。時には、過去のデータを見て、統計を見て、実際には不可能なランキングを仮定しようとしています。自分が少々統計狂であることは自覚していますので、時には新しい統計システムを考案し、面白いと思った場合には公開します。しかし、統計は真実の一部、あまり重要ではない部分に過ぎません。しかし、統計は私達に広められることであり、「誰が最強か」についてトンチンカンな議論をする人達の顔面に叩き付けることは出来ます。何故ならスポーツでは必然的に競争が生まれるからです。
オリンピック金メダル2個、議論はここから始まり、ここで終わります。
オリンピックで2度勝ったことの無い人は問題外です。他の大会でどんなに勝っても彼に並べることはありません。例え次のオリンピックで勝ってもこの事実は変わりません。少なくとも2連覇しなければならないからです。これまでの幾つかの投稿では「オリンピック金メダル2個」より多くのことを書きましたが、それはただ単に私が文章を書くのが好きだからです。何かが私を夢中にし、私がそれについて書くとすれば・・・その理由は誰の目にも明らかです。
とはいうものの、正確には五輪二連覇は最高の成績であり、氷上でユヅがやってのけることは並外れていますが、これらは最も重要な動機ではありません。フィギュアスケートは私達に彼を知るきっかけを与え、彼がそれをやる度に私達の息を止めるものです。そして、何度も書いているように彼は史上最高のスケーターですが、フィギュアスケーターとしての彼は、人間としての彼に比べたら何者でもありません。
彼が向き合わなければならなかった試練、長くなり過ぎますからここではリストアップしませんが、無数の身体的問題、リンクまたは地震に関連した問題、別の大陸に移住する事に伴う困難、常に脚光を浴びる人生、アンチ達は次々に馬鹿げた言いがかりをでっち上げて彼を非難しようとしますが、事実を言えば、それは彼ら(彼女達)にはしがみつくものが他に何もないからです。
「反脆弱性」と定義出来る人が存在するとすれば、それは彼です。彼の常に立ち上がる能力は驚異的です。彼の強さ、物事を分析できる聡明さ、競技への献身、数え切れない機会に彼が示した知性を私達は賛美しています。しかし、これらの事実さえ一番重要なことではないのです。
私は書き続けます。私が書くのは、それが私の本職だからですが、簡単なことを書きがちになります。私と文章の間にフィルターがあるのです。
私は本を分析します(このブログの読者、特に英文記事の読者はご存じないでしょうが、私は長年、フィクション作品に対する書評やエッセイを書いています)。あるいは試合の成り行きを分析します。これらは分析で、一方にあり、私は反対側にいて、時には言葉と格闘しています。私の頭の中にある考えを的確に表現する言葉がどうしても見つからないために、言葉と格闘している時、感情があると言葉は失われ、混乱し、ベール(時々、私の目前に現れる湿潤性のベールかもしれません)の後ろに隠れてしまうのです。
私が読んだ恐ろしい話を覆うベール、私が見た衝撃的な映像を覆うベール、私が遠くから、一度だけ生で見た、私を驚嘆させ、感動させ続ける一人の若い男性を覆うベールです。
ありとあらゆるタイトルを勝ち取った彼は傲慢になることも出来ましたし、彼が耐えてきた、また今も耐えている、あらゆること(天災や怪我のことだけを言っているのではありません)を考えれば、ひねくれたり、自分のことだけを考えるようにする、という選択も出来たはずです。
しかし、彼はそうはならなかった。
他の選手のファンには絶対に理解出来ないことでしょう。
勝利はプラスアルファです。勝利は彼の目標なので、私はいつも他の機会ではめったに経験したことのない不安に苛まれながら、彼が自分の思い描いていることが出来るよう願い、応援します。しかし、勝利は私のこの感情を変えられるものではありません。スポーツのどんな結果も、彼がこれほど重要である理由を変えることは出来ません。彼の言葉を(あらゆるニュアンスを汲み取るために数十バージョンの翻訳を通して)読むたびに私が覚える感謝の気持ちを変えられるものは何もありません。私が「私達」について話す時、私の念頭にはとりわけ遠方のファンにもユヅの言葉が読めるように自分達のフリーな時間とスキルを無償で提供してくれる全ての人達の存在があります。
彼の言葉、思いやり、温もり、繊細さ、彼が何か言う度に感じられる配慮に心が温まります。私が思い通りに書くことを阻むベールがあります。
感動だけではなく、無力感から生まれるベールです。信じられない何か、驚異的な誰かを目の当たりにした時、それを的確に表現する言葉を見つけることが出来ないというもどかしさ。
今日のこのメッセージは、この十年間、彼がずっと示し続けてきた他者への思いやり、テレビカメラを意識しながら、あるいは完全にプライベートで行われる大小様々なジェスチャーと同様、他の誰が語らなくても、彼を特別な存在にしています。彼がやっていることは余りに素晴らしく、余りにも並外れていて、アスリートの枠を遥かに超えています。
私は彼らがリンクで実施することを見ながら何度も泣いたことがあります。同様に彼は言ったことを読んで何度も泣いたことがあります。
でも私の言葉だけではとてもこの感情を表現することは出来ません。
今日は分析無しです。今の私には出来ません。そして全てを分析することも出来ません。
時にはどんな形容詞も物足りない、その人の前で、ただ尊敬の念を込めて沈黙するしか出来ないこともあるのです。
ユヅ、この先何が起ころうと、どうか健康で、あなた自身を大切にして下さい。
あなたは苦難に満ちた道のりの中で人々の「応援」に支えられた、と言うかもしれないけれど、あなたはその言葉と行動で、この「応援」を数百万倍にして私達に返してくれているのだから。
☆筆者プロフィール☆
マルティーナ・フランマルティーノ
ミラノ出身。
書店経営者、雑誌記者/編集者、書評家、ノンフィクション作家
雑誌等で既に700本余りの記事を執筆
ブログ
書評:Librolandia
スポーツ評論:Sportlandia
**********************
☆11日早朝に公開された彼のメッセージも自分用に貼っておきます。
日本スケート連盟公式ツイ
東日本大震災から本日で10年となりました。震災により犠牲となられた皆さまに心から哀悼の意を表しますとともに、被災された全ての方々に心からお見舞い申し上げます。
羽生結弦選手のメッセージです。#東日本大震災から10年 #羽生結弦 #YuzuruHanyu #頑張ってください #アフロスポーツ pic.twitter.com/WUNW9O5dyk— 公益財団法人日本スケート連盟 (@skatingjapan) March 11, 2021
スポニチさんツイ
きょう11日付東京版1面です。#東日本大震災 から10年。仙台市出身の #羽生結弦 が、報道各社にメッセージを寄せています。結弦だから、言えることにがある…。 pic.twitter.com/rULX5aVzmf
— スポニチ東京販売 (@sponichi_hanbai) March 11, 2021
オリンピックチャンネルも特集していました
10 years ago today, a devastating earthquake and tsunami hit Japan.
Promising young figure skater Hanyu Yuzuru was forced to flee his local ice rink when the disaster struck. This is the double Olympic champion’s story.#StrongerTogether@Japan_Olympic @ISU_Figure
— Olympics (@Olympics) March 10, 2021
羽生君の震災関係のドキュメンタリーの中で特に胸を締め付けられたのは、当時まだ高校生だった彼が「自分だけ逃れていていいのか」「被災地にまだ残っている人達に対して本当に申し訳ない」という心の葛藤を吐露している場面でした。
プルシェンコに憧れ、無邪気にがむしゃらにスケートをやっていた少年は、被災地を離れ、大好きなスケートを続けることに罪悪感を抱いていました。
でもそうではなかった。
東北の人達が羽生結弦という一羽の白鳥に希望を託し、瓦礫の中から空へ放ったのです。
この白鳥がいつか自分達の救世主となると信じて。
衝撃を受けた、というカメラマン能登直さんが撮った神戸に舞い降りた白鳥の美しい写真。
私が彼の白鳥を最初に見たのはこの数か月前、震災が起こる前でした。
この頃から彼を応援していたイタリアのユヅリーテ達はホワイトレジェンドに因んで、羽生君を「仙台の白鳥」、「私達の白鳥」と呼んでいます。
そしてこの白鳥はあらゆる荒波と嵐を乗り越えて強く美しく成長し、沢山の希望を持って被災地に帰ってきました。
今の彼は東北の被災地だけではなく、日本と世界の大勢の人々の心を照らす希望の光です。