Sportlandiaより「ダニエル・カーネマン著ファースト&スロー(速い思考と遅い思考)」

マルティーナさんの論文記事。
心理学的観点からジャッジの動向を分析しています。

原文:Daniel Kahneman:Pensieri lenti e veloci | sportlandia (wordpress.com)

マルティーナ・フランマルティーノ著 (2021年2月2日)

ダニエル・カーネマンの著書『ファースト&フロー』について書き始める前にお願いがあります。カーネマンの本を読んで下さい。原題は『Tinking, Fast and Slow』、本当に読む価値があります。この本は全てのジャッジ、ジャッジの試験を受ける人達、そして既に試験を受けた人達全員に読むことを義務付けるべきだと私は思います。

私はこれまで偏向ジャッジについて書いてきました。そして非常に多くのケースが存在することが分かりました。私は偏向ジャッジは資格を剥奪すべきだと思います。しかし、誤審はどうでしょうか?優れたテクノロジーは大いに役立つ可能性があり、これについては私よりも有能な誰かの引用を添えて執筆する必要がありますが、フィギュアスケートに必要なのは公正なジャッジとより優れたテクノロジーだけではありません。 フィギュアスケートは優秀なジャッジも必要としており、彼らのトレーニングは数冊の本を読むことによっても行うことが出来ます。『ファスト&スロー』のような本で。

ファースト&スロー(速い思考と遅い思考)」は私達の脳がどのように機能するかについて語っています。私にはこの本がフィギュアスケートについて多くのことを語っているように思えます。このことは私の脳がどう機能しているかを示しています。というのもカーネマンは実際にはフィギュアスケートもついて一言も語っていないからです(まだ全部読んでいませんが、この記事を執筆するにはここまでに読んだ内容で十分だと思います)。

 

ゆっくりと見ていきましょう。まずはカーネマンが私達が信じ、真実にしたいと思っていることを覆すことは困難であると指摘しているイントロダクションから始めましょう。私はある事柄について自分は優秀だと信じることが出来ます。
しかしこれは果たして事実でしょうか?
誰かが私の過ちを指摘した場合、私が自分自身を修正したいと思う可能性はどのくらいあるだとうか?
そこに感情的要素が存在する場合、物事を冷静に分析出来る明晰さが自分にどれほどあるだろうか?
観察したことを自分はどれだけ客観的に評価出来るのか?
私も大勢の人と同じです。

系統的エラーは「バイアス」と呼ばれ、特定の状況において発生する予測可能な先入観である。

(イントロダクション4ページ)

他の言語の同じ本を持っている人が、私が書いた内容に興味を覚えた場合、問題のフレーズを見つけやすいよう、引用箇所のページを明記するようにします。

私はフィギュアスケートにおけるナショナルバイアスについてもはや数えきれないほど多くの記事を書きましたが、バイアスには様々な種類が存在します。その幾つかは予測可能で繰り返し起こります。カーネマンは容姿端麗で雄弁な、そしてただそれだけの理由で実際より信頼性があるように見える一人の演説者を例として挙げています。彼の言うことが信頼出来るかどうかは重要ではありません。重要なのは、話者の外見が私達に影響を与えることであり、私達は醜く不器用な人が同じことを言うより信じてしまう傾向があります。

ナショナルバイアスではジャッジ達は同国の選手により高い得点、ライバル選手にはより低い得点を与えます。全てのジャッジがナショナルバイアスに陥る訳ではなく、全員が同じ方法でナショナルバイアスを実施する訳ではありません。自分のやっていることを完全に自覚してそれを行う人もいれば、無意識に行っており、適切なトレーニングによって改善される可能性のあるジャッジもいます。

ISUは(最良のテクノロジーの導入に加え)ジャッジ育成に投資すべきです。何故なら、試合が正しく評価され場合のみフィギュアスケート競技は意味のあるものになるからです。カーネマンは以下のように書いています:

ほぼ全ての思考と印象は、我々の意識経験の現れである。
例え、それらがどのように提案されたのか自覚がないとしても。

ある事をただ知っているだけということがどれ程ありますか?ある事をただ知っているけれど、何故知っているのか分からない、という場合、常に注意が必要です。カーネマンの例を取り上げましょう。具体的に私達の脳が特定のテーマに集中する理由を完璧に説明していますので、非常に有効な例です。私自身を例に挙げましょう。何故、私はこの本がスケートについて語っていると思うのか?何故なら私がフィギュアスケートのことを考えているからです(勿論、四六時中ではありません。このブログではほとんど書いていませんが、私には自分の人生があり、未成年の2人の娘と夫があり、仕事があり、ファンタジー小説界における副業があります)。従って、特定のエッセイを読んだ時、筆者が別のことを意図して書いていても、私はフィギュアスケートとの関連性を見出すのです。私の意識がフィギュアスケートに集中しているため、心理学の記述がそこへ行きつくのは当然のことです。

人はその問題を記憶から簡単に取り出せるかどうかで、問題の相対的重要性を測る傾向があり、その多くは、メディアがその話題をどれだけ扱っているかによって決まる。メディアによって頻繁に取り上げられる話題は意識を占めるが、そうでない話題はすり抜けていく。メディアがピックアップする話題は、メディア自体がその瞬間、大衆の意識の中にあると考えている話題である。

(イントロダクション原作11ページ)

メディアと彼らによる執拗な宣伝に影響されるのは、その話題の重要性だけでなく、その話題に対する私達の印象です。何故、欧米メディアは最も声の大きい人に従う(長いものに巻かれる)大勢のジャーナリスになる術を知っているお利口な子ヤギのように、ネイサン・チェンが素晴らしいチャンピオンであることを強調するのでしょうか?
チャンはほとんどミスをせず、多くの4回転ジャンプを跳びます。強いスケーターであることに議論の余地はありません。しかし、本当にメディアが言うほど強いでしょうか?

私の意見では、彼はストーリーテーリングの完璧な見本です。この記事で私はアメリカのテレビにとってチャンピオンを得ることがどれだけ重要なのかを書きました。

おそらくアメリカメディア的には女子スケーターの方が好ましかったのでしょうが、この際男子でもいいのです。同じ記事の中で、彼の全米五連覇と、そして彼の同国のライバル達は全く当てにされていない事実を考察しました(私はジェイソン・ブラウンは好きですが、現行の採点システムが4回転ジャンパーに有利になるよう偏っており、ブラウンが4回転ジャンプを習得しない以上、彼が特定のスケーターに勝つのは不可能です)。

アメリカメディアの中にはチェンをあろうことかディック・バトンと並べた人もいたようですが、バトンはこのような比較に対して怒る権利があると私は思います。しかしながら、メディアがチェンと彼のダンサーとしての資質を持ち上げ続ければ、記事を読み、実況を聞いたジャッジ達もチェンのスケーティングは素晴らしいと確信し、彼の演技構成点は上昇します。チェンのプログラムを分析して、クロスオーバーの数とステップシークエンス以外で彼が実施している難しいステップの数を数えるべきです。

カーネマンに戻ると、彼は私達は直観能力による操作を繰り返し実施していると指摘しています。私達は自分達が行うことをいちいち考えている訳ではなく、私達の行動の多くは習慣によって導かれ、多くの決定は直感に導かれています。私達はあることが正しいと感じ、その直感に従って行動します。しかし、残念ながら感情は私達の直感に影響を与えます。直感的に答えを出さなければならない難しい問題に直面した時

すぐに答えが思い浮かんだとしても、それは元の質問に対する答えではない。

(イントロダクション:今日の状況。17ページ)

カーネマンは、彼が金融会社の取締役と交わした会話を回想しながら、このコンセプトを説明しています。その男性は自分の直感が正しいと言ったという理由で市場における価値を調べずにフォード社の株に多額の投資をしたばかりでした。残念なことに、カーネマンが会話の中で気付いたように、その男性は最近、自動車展示会でフォードの車に感銘を受けたばかりでした。彼はフォード社の製品が気に入り、会社については調査しませんでした。カーネマンの見方では、この男性がフォード社の株に投資するのが正しいか否か自問自答した時、彼の脳は、必要な情報が揃っていないため答えを出すことが出来ませんでした。代わりにフォード社の自動車に対する彼の評価を伝達しました。彼の脳は「フォード株にお金を投資すべきか?」という質問を「フォード車が好きか?」という質問にすり替えたのです。男性は脳内で質問がすり替わってしまったことに気づかず、答えが「はい」だったため投資しました。脳は難しい質問を簡単な質問にすり替え、男性は間違えた答えを受け取ったことに気が付きませんでした。

フィギュアスケートに話を戻します。フィギュアスケートのジャッジはチェンのスケーティングスキルを評価しなければなりません。正しい質問は「彼のスケーティングスキルは優れているか?」です。もし答えが「はい」なら得点は9.00から9.75、「いいえ」ならそれ以下になります(Outstandingに与えられる10.00も存在しますが、冗談はやめましょう。ただし全米選手権ではこの得点を出したジャッジさえいたようですが)。
これはチェンが3度目の勝利を飾った2019年のファイナルのプロトコルです:

その後、何が起こったでしょうか?ジャッジ達はチェンのスケーティングスキル(プログラムはクロスオーバーだらけで、コレオシークエンスでは躓きましたが、+4と+5しか受け取りませんでした)ではなく、彼の名声に得点を与えました。「チェンは強いスケーターですか?」「はい、勿論です。彼は世界選手権で2度優勝し(2018年世界選手権はオリンピック金メダリストは怪我で欠場、銀メダリストは公式練習中に負傷、銅メダリストは引退していました。一方2019年の世界選手権では彼の唯一のライバルは右足を負傷しており、実質片足で戦っている状態でしたが大きな問題ではありません)、ファイナルで3度優勝しました(内大会は羽生が怪我で欠場していましたが、大きな問題ではありません)。従って彼は強いスケーターです」
結果は?
最も低い得点は9.00でした。いずれにしてもチェンが氷上で行っている内容には高過ぎる得点です。

これは直感的なヒューリスティックの本質である。困難な問題に直面した時、しばしば無意識の内により簡単な問題に答えを出し、大抵の場合、脳内でこのこのような置換が行われたことに気が付かない。

(17ページ)

この直感的な答えは本のタイトルの『速い思考』です。『遅い思考』には熟考が含まれます。普通の状況では私達は速い思考に導かれます。全てについて熟考するとなると、何をするにも果てしなく時間がかかります。逆に私達が熟考する時、より多くの時間を要しますが、様々な要因について考察し、過ちを犯しにくくなります。これが『遅い思考』です。

フィギュアスケートに関する注釈を加えながらカーネマンのエッセイ全文を書き写してページの大部分を埋め尽くすことは出来ませんから、かなり端折っています。是非、本を読み、考えてみてください。イントロダクションが終わり、第一章でカーネマンは速い思考(簡単にシステム1と呼びます)とは何か、その特性、そして遅い思考(システム2)とは何か、その特性について説明します。

    • システム1ほとんど、または全く努力せず、自主的に制御する感覚もなく、迅速かつ無意識に機能する。
    • システム2複雑な計算など、集中力と努力を必要とする脳の活動に注意を向ける。システム2の行為は、選択と集中という2つの行動の主観的体験に結びついていることが多い。

(第1章:2つのシステム。第1章「登場するキャラクター」25ページ)

これは著書全体を通して考察されていく基本テーマの概要です。

基本的に、我々が考え、実行することのほとんどはシステム1に由来するが、物事が困難になった時、システム2に引き継がれ、通常システム2が結論を出す。

システム1とシステム2で仕事を分担することは、労力を最小限に抑え、パフォーマンスを最適化する上で非常に効率的である。 システム1は一般的に非常に上手く機能するため、ほとんどの場合、このメカニズムは上手く機能する。認識状況のモデルは正確であり、短期的な予測は通常正しく、問題に対する初動対応は迅速でほぼ適切である。 ただし、特定の状況で犯しがちな系統的エラー、すなわちバイアスに影響される。後述するように、難しい質問ではなく簡単な質問に答えることがあり、論理と統計についてほとんど理解していない。 また、このシステムの限界は、オフにすることが出来ないということだ。

私達は主に直感に従って反応しますので、システムはより迅速ですが正確性に欠けています。ジャッジがジャンプに得点を割り当てなければならない時、システム1とシスレム2のどちらで行動しますか?
理論的にはシステム2で行動すべきですが、現実的には彼らがそうしているとは思えません。何故なら我々の脳は怠け者であり(そう、私の脳もそうです)、簡単な答えを探そうとするからです。最近比較した幾つかの3アクセルを例に挙げましょう。別の大会だから、というのは弁解になりません。GOEのブレットは試合によって変わるものではありませんし、ジャッジはスケーターがリンクで実施することを評価しなければなりません。プラスのブレットは以下の通りです:

2020年全日本の羽生結弦のショートプログラムです:

プロトコル:

「疑わしきは罰せず」の原則をジャッジ達に適用し、彼らが最善を尽くしたと仮定しても、多くの得点(羽生のプロトコルだけではありません)に困惑させられます。

宇垣静子(J1)、佐々木盟子(J3)、堀内律子(J8)、下出彩子(J9)の意見ではあの3アクセルに何が足りなくて+5に値しなかったのでしょうか?
+4を与えたということは、ブレットの4)、5)、6)の内2項目を満たしていなかったということになります。善意に解釈しても、彼らが緊急にジャッジ育成コースを受講する必要に迫られているのは確かです。彼らが「彼ならもっと出来るはず。だから+5ではなく+4を与えよう」と考えたと推測することが出来ますが、もしそうであれば、彼らは採点方法を完全に間違えていたことになります。ジャンプは完璧でした。従って、そのスケーターの能力に関係なく、純粋にその大会で実施されたジャンプを評価しなければなりません。別の仮説はジャッジ達は盲目だったということです。この場合、彼らが何かを見逃したことは理解出来ますが、そもそもそのようなジャッジ達がジャッジパネルにいたことが理解出来ません。私の頭に浮かぶ別の仮説は・・・真剣に調査する価値があります。最も高い点と低い点が切り捨てられますから、残った得点は+4が3個、+5が5個で最終的に羽生は3.66のGOEが獲得しました。

それではもう2本目の3アクセルを検証しましょう。鍵山優真の3アクセルです。

SP 3A GOE 3.73 pic.twitter.com/zAIHvihvxh

— ジスランにぴょん落ち (@nxsFS0cPkaOajcg) January 27, 2021

2021年冬季国体フィギュアスケートのショートプログラムの3アクセルです。残念ながら鍵山の動画は羽生のより短いです。結弦はジャンプの前に他の選手にとっては完全なステップシークエンスに相当するような代物(ただし彼にとってはシンプルなトランジションですが)を入れています(Transitionsでは5人のジャッジが出し惜しみをして9.25、ジャッジの1人はあろうことか9.00を与えました)。一方、鍵山はジャンプの前に3秒間の助走しかないのが分かります。つまり、鍵山は助走から跳び、羽生はステップシークエンスから跳んでいる。鍵山のジャンプにはプレロテがあり、羽生のジャンプにはない。鍵山の着氷は少し沈み込み、全体的に良い出来ですが、エフォートレスではなく(すぐに次の動きに移っていますが)、回転はギリギリです(スローで検証したいです)。一方、羽生はステップシークエンスからまるで世界でも最も簡単なことのように軽々と実施しています。これは鍵山のプロトコルです:

確かに+3もありますが、最も低い得点は切り捨てられます(幅と高さは良く分かりませんが、「スケーターに有利に」を適用すると、ブレット1と6は満たしている思いますから、私の意見では+2が妥当なジャンプです。ジャッジは5人しかいませんでしたので、最終的には+4と2人の+5の3人が残り、鍵山の最終的なGOEは3.73で、羽生のGOEを上回りました。

ジャッジは何をしたのでしょうか?
おそらく彼らは各ブレットを考慮することなく「綺麗なジャンプだ、気に入った!だから+5」と考えたのでしょう。

考えなくてもよければ、私達の脳は怠け者ですから、考えません。これがISUがジャッジ達に対して割り当てたブレットの内訳(プラスとマイナス)を明記することを義務付けるべきだと考える理由の一つです。こうすれば、ジャッジ達は考えるざるを得なくなり、ミスは減少します。

名前は知らなくてもミューラー・リヤーの錯視図形は誰でも一度は見たことがあるでしょう

ご存じのように、2本の線分の長さは同じですが、違っているように見えます。

システム1は通常行われることを止めることは出来ない。従って、同じ長さではないと分かっていても、2つの等しい線分として見ることが出来ない。錯覚と戦うために出来ることはただ一つ、自分の印象を便りにしない術を学ぶことだ[…]

このルールを適用するには、錯覚のパターンを認識し、その知識を思い出さなければならない[…]

全ての錯覚が目に見える訳ではない。我々が「認知的錯覚」と呼ぶ思考の錯覚も存在する。

( 第1部:2つのシステム。第1章「登場するキャラクター。錯覚」34ページ)  

ジャッジ達が「怠け者のシステム2」をやったつもりになり、実は性急なシステム1を行っていることに気が付いていない、ということが余りにも頻繁に起こっています。唯一の解決策は、誤審に繋がる基本的なメカニズムを説明し(そしてこの本を熟読しましょう)、各ブレットを省察しながら、特定の得点を割り当てる理由を考慮することを義務付けることによって、彼らにこのような現象を自覚させることです。

私の手元にある本、少なくとも読み終わった部分にはほとんどのページにアンダーラインが引かれていますが、 ここでは幾つかの要点を挙げるだけに留めます、脳の怠惰、自分を困難にするかもしれない事柄は、あなた自身がこれらのページで見つけなければなりません。一部だけ引用します

遅い思考の最も厄介な形は、急いで考えることを強いる、という形である。

(第1部: 2つのシステム。 第2章「注意と努力、知的努力」48-49ページ)  

言い換えれば、フィギュアスケートの試合で採点するということは、遅い思考の仕事のはずです。何故なら、ジャッジ達は、次々に実施されるエレメントを見ながら、プラスとマイナスの各項目を思い出して組み合わせ、さらに演技構成点を評価することも念頭に置かなければなりません。これは非常の複雑な、遅い思考を適用しなければならない作業です。しかしこれを急いで行った場合、全てがより困難になります。何故なら「遅い思考」と「性急さ」を共存させることは困難だからです。ジャッジ達により優れたテクノロジーを提供すれば、彼らの評価をサポート出来るかもしれません。スケーターが実際に行っていることを推測するのではなく、より正確に見ることが出来るようになるからです。そしてジャッジ達にかかる重圧を軽減することで、彼らの仕事の精度が上がるかもしれません。

全ての段落に時間を割くことは出来ませんので多くのページを飛ばし、三段論法の後の記述を取り上げます。三段論法が何であるかは重要ではありません。重要なのは、カーネマンが何人かの大学生に三段論法が正しいか否かを質問したこと、彼が受け取った答え、そしてその理由です。

もっともらしい答えはすぐに思い浮かぶ。それを受け入れる誘惑に打ち勝つのは骨の折れる仕事である:それが正しいという執拗な考え(「事実だ!事実だ!」)は、思考の論理をコントロールすることを困難にし、ほとんどの人は問題についてわざわざ熟考しようとしない。

この実験には、日常生活の合理的行動に対して意気消沈させるような含意がある。このことは、人々がその結論が真実であると確信した時、例えその論証に根拠がなくても、その結論を裏付けているように思われる論証を信じる傾向にあることを示唆している。

(第1部:2つのシステム。第3章「怠け者のコントローラー、怠け者のシステム2」59ページ)

要するに、ジャッジが自分は正しいと確信している場合(そして何らかの理由で自分は正しいを確信しがちな場合)、彼らに考えを変えさせることは困難なのです。ジャッジは自分に対する批判をファンが彼らの応援する選手(またはライバル選手)に与えられた得点が不満で怒っている、単なるファンの攻撃と見なすかもしれません。ジャッジが正しい場合もあれば、そうでない場合もありますが、直接関与していると、客観的に物事を見ることが難しいことがあります。これはジャッジだけでなくファンにも当てはまります。 私も含めて。私は自分とは異なる視点を持つために、なるべく他人が書いたものを読むようにしています。

大きく分けて2種類の思考を見たところで、この記事の出発点であるメディアに戻りましょう。これはカーネマンの発見ではありません。彼は2011年に出版された著書の中で80年代に心理学者が以下を発見した時期を特定しています:

ある単語を頻繁に目にすることで、関連する多くの単語を連想させやすくなるという即時的で測量可能な変化が起きる。

(第1部:2つのシステム、第4章「連想メカニズム。『プライミング』の奇跡 69ページ)

英単語を使って例を挙げましょう。「EAT」(食べる)という単語を何度も見聞きした後で、 SO_Pという穴埋め問題を行った場合、SOUP(スープ)という単語が思い浮かぶ可能性が高くなります。しかし、事前に見聞きした言葉がWASH(洗う)だった場合、同じ問題の答えとしてSOAP(石鹸)を連想する確率が高まります。何かを見聞きすると、私達の脳は観念連合を起こし、特定の思考回路に導かれます。

メディアがチェンを称賛し続けることは無害ではありません。何故ならチェンは実際には彼が出来ないことも出来るという考えをジャッジ達に植えつけることになるからです。更に読む進むと以下のような記述に遭遇します:

真実と「良く知っていること」を区別するのは容易ではないので、事実ではないことを人々に信じさせる確実な方法は、何度も繰り返し吹き込むことである。

(第1部:2つのシステム、第5章「認知の流暢さ。真実の錯覚」83ページ)

何かが真実であると人々に信じさせたいですか?
信じさせたい内容を何度も何度も繰り返せばいいのです。遅かれ早かれ人はその主張が私達の捏造であることを忘れ、数え切れないほど耳にした、というだけで事実だと思い込むようになります。何度も繰り返し耳にする、誰もが知っていることなら、嘘のはずはありませんよね?
これは広告の基本原則ですが、独裁者から個人的関心を持つジャーナリストまで、特定のメッセージを伝えたいと思っている相手なら誰にでも通用します。メディアは必ずしも中立であるとは限らないことを思い出さなければなりません(本来は中立であるべきですが)。新聞やテレビは生計を立てるために広告が必要です。広告は新聞が読まれたり、テレビ難組が視聴された場合にのみ発生します。大衆は興味がある話題がある場合にのみ、読んだり見たりします。
そしてアメリカ人の興味は何ですか?
アメリカのテレビは放映権に莫大な費用を支払っています。そして金銭的にひっ迫してたら、例え道徳的に正しくないことであっても、間違いなく非合法的な手段であっても、ジャッジ達の得点に影響を与えることで結果を得ることが出来るなら、実行しない手はないでしょう?
違法行為ではない以上、印象操作と戦う唯一の方法は意識です。

理論上は、ジャッジの人数が多ければ、誤審(それが無意識でも故意でも)の与える影響は低減されるはずです。しかし実際にはそれだけでは十分ではありません。ここではカーネマンの著書に登場した1つのケースのみを紹介し、その他の問題については別の機会に考察します。

ガラス瓶の中に入っている物(カーネマンのケースではペニー硬貨)の数を当てるという馬鹿げたゲームをご存じですか?
私はこのようなゲームの目的を理解したことがありません。質問に答える人はランダムに数字を言うだけで、私の合理的な部分はこの種のゲームから逃げ出します。 いずれにしても以下がその一節です:

集団の個人的判断が非常に上手く行く一方で、一個人では全く上手くいかないタイプのタスクである。硬貨の数を過大評価する人がいれば、過小評価する人もいる。しかし多数の回答者の答えの平均を計算すると、ほぼ正確な数字になる傾向がある。メカニズムは単純だ。全員が同じ瓶を見ていて、全ての判断に共通のベースがある。一方で一個人の間違いが、他者の間違いとは無関係であり、体系的なバイアスが存在しない場合、平均は0になる傾向がある。ただし、間違いを削減する魔法は、各自の観察が独立しており、間違いが相関していない場合にのみうまく機能する。観察者がバイアスを共有している場合、判断の集約が間違いを減らすことはない。観察者が互いに影響し合うことを許可すると、サンプルの規模が大幅に縮小し、グループ評価の精度は低下する。

(第1部:2つのシステム。第7章「結論にジャンプするためのメカニズム。 誇張された感情的一貫性(ハロー効果) 」113ページ)

回答者が全員自主的に答えを出し、回答者が大勢いる場合、平均値は正しくなります。しかし、回答者の一部が、それが正解か否かに拘わらず別の回答者の答えに倣って答えを出した場合、平均の形が崩れます。フィギュアスケートではジャッジが他ジャッジの得点を知らずに各自が独立して得点を与えた場合(加えて彼らが公正で有能であることが前提になりますが、ここでは敢えてそうだと信じる振りをしましょう)、最終的な結果は正しくなるでしょう。まさにこのような理由により、2010年にヴァルター・トイゴが他ジャッジの出した得点をカンニングした時、彼がやらかしたことは重大でした。彼は試合の結果を歪めたのです。

これらのページにはアンダーラインが引かれている箇所があり、改めて熟考する必要があります。現時点では私の議論の範囲を超えていますので掘り下げませんが、今後、戻って来て取り上げる可能性はあります。以下のような内容です:

上手く行ったエピソードで重要なのは情報の完全性ではなく一貫性である。それどころか、ほとんど知らない方が全ての情報を一貫性のあるモデルに組み込み易いことが多い。(117ページ)

前述のように、今は取り敢えずアンカー効果のところまで取り上げます。このような効果のことです:

未知の数量に対して数値を割り当てなければならない時、人はまず選択可能は特定の数値から始めようとする。この現象は、実験心理学で最も立証・認識されているものの1つである。推定値は、被験者は出発点である数字付近に留まり、それがアンカーのイメージを彷彿させる理由である。

(第2部:ヒューリスティクスとバイアス。12章「アンカー」159-160ページ)

数字は私達が評価する上でしがみつくアンカーです。

もし「ガンディーは亡くなった時に114歳を超えていたか」と質問された場合、アンカーの質問で35歳での死について話していた場合よりも、我々は遥かに高い数値を推測してしまう。家を買おうと考えていると、市場価格の影響を受ける。同じ家でも販売価格が低いより高い方が価値が高いように見える。(160ページ)

この場合、カーネマンが言ったことを説明するよりも彼の言葉を使った方が簡単ですので、例も転記しました。脳裏に1つの数字があると、望むと望まざるとにかかわらず、私達はその数字の影響を受けます。

これが、多くのナショナル選手権でジャッジ達が自国のスケーター達の得点を膨張させる理由です(全てのナショナルではありませんし、全ての選手に対してでもありません)。 この件に関しては、上記にリンクを貼ったアメリカのフィギュアスケートの記事で詳しく説明しました。10月に投稿したこの記事の中で(この時、既にカーネマンの著書を読み始めていました)、私は1年前に作成した表を公開しました。

こちらはチェンが最初のシニアシーズンである2016-2017シーズンに獲得して演技構成点です。おそらく、2012年ニースのロミオ+ジュリエットの演技構成点が83点だったことはあまり考えない方がいいでしょう。パリの散歩道で最初の世界最高得点を出した時、羽生が獲得した演技構成点は43.36でした。当時は演技構成点は取りに行くものでしたが、今は多くのスケーターに対して4回転ジャンプのご褒美として気前よく与えられています。

全米選手権でどれほど得点が上がったか気が付きませんか?
確かにその後少し下がりましたが全米前の得点に戻った訳ではありません。

アンカー効果は機能したのです。

全米選手権でチェンが9.00以上の得点を獲得したら、彼が全米ほどではないにしろ、それなりのプログラムを滑ったら、どうして8.50以下の得点を与えることが出来ますか?
本来なら純粋に彼の滑りを考慮すべきですが、もはやジャッジの意識の中にアンカーが定着しており、得点は高くなります。この記事ではこの後、実際の例を挙げていきますが、ここでは重要な部分だけを再投稿します。

これは前試合の結果にジャッジが影響されたことを示す例です。下は2016-2017年シーズンの最後の3試合におけるチェンのショートプログラムです。四大陸選手権、世界選手権、国別対抗戦の3試合です。四大陸選手権は全米選手権のすぐ後でした。ここではショートプログラムだけを見ます。というのは、前の大会で生まれたスケーターへの期待は特にショートに影響を与えるからです。フリーではその直前の得点、つまりスケーターがショートプログラムで出した得点が参考になります。唯一の問題は3人のジャッジが-1を出した4フリップでした。

チェンは羽生のコンビネーションのサルコウがダブルになるミスに助けられ、ショート1位、フリー2位で大会で優勝しました。当然のことながら、次の世界選手権ではチェンは優勝候補の一人と見なされていました。というのも300点を超えられる選手はごく僅かだったからです。しかし、ヘルシンキでは事は上手く運びませんでした。

3アクセルで転倒し、このミスが響いてショート6位でした。フリーでは冒頭の4ルッツと4サルコウで転倒し、別の3つのジャンプ要素でGOEマイナスでした。フリーは4位でしたが、順位を上げることは出来ず、最終順位は6位でした。ジャッジ達の脳内でチェンの相場は少し下がったに違いありません。シーズン最後の試合は世界国別対抗戦でした。

技術的には問題が少なかったプログラムだったにも拘わらず、チェンの演技構成点は前の2大会より低い評価でした。つまり、ジャッジ達はチェンからもはや並外れた演技は期待しておらず、得点を下げました。

ミスをしない人間はいません。しかし、特定のメカニズムを認識していれば、注意することが出来ます。常に完璧であるとは限りませんが、間違いは少なくなります。フィギュアスケート界はテクノロジーが不十分、常に公正なジャッジばかりではない、など多くの問題を抱えています。採点システムが複雑過ぎて採点するのが難しいという問題もあります。短期間で全てを解決することは出来ませんが、少なくとも最善を尽くすことは出来るはずです。ISUによるジャッジトレーニングもその一つです。 採点における心理的側面、遭遇する可能性のある困難や問題を忘れないためのトレーニングです。 もう一度言いますが、カーネマンの著書を読むべきです。

☆筆者プロフィール☆
マルティーナ・フランマルティーノ
ミラノ出身。
書店経営者、雑誌記者/編集者、書評家、ノンフィクション作家
雑誌等で既に700本余りの記事を執筆

ブログ
書評:Librolandia
スポーツ評論:Sportlandia

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この記事はイントロダクションに過ぎず、この後の記事ではフィギュアスケートの試合における例を列挙して、より具体的に考察しています。

ジャッジ達に悪意はなく、彼らなりに最善を尽くしている、と善意に解釈したとして、ネイサンに対する最近の得点のインフレーションは2015/2016年シーズンから2016/2017年シーズンにかけてエフゲニア・メドヴェデワ選手に対して起こった現象と同じだと思います。

メドヴェデワの2016/2017年シーズンの欧州選手権(1月末)、世界選手権(3月末-4月)、世界国別対抗戦(4月中旬)における得点の推移を見ると、229.71→233.41→241.31とほぼ同じ演技内容にも拘わらず、3か月足らずの間に得点は10以上も上昇しています。国別では3ルッツに満点近いGOEが付いていました。

このことはジャッジ達がもはや各エレメントを個々に評価しておらず、現在無敵のエフゲニア・メドヴェデワがまたしてもノーミスの演技をしたから、という理由だけでGOEもPCSも項目を考慮せず、まとめて満点に近い得点を出していたことを示しています。

ネイサン選手についてもここ数年、世界選手権やファイナルなどの大きな試合ではクワド4本または5本をミスなく着氷していますから、個々のエレメントのクオリティを詳しく見ることなく、全てまとめて高いGOEとPCSを与えているのではないでしょうか?

明らかにルールブックに書かれている基準に則っていませんから、本来ならISUが介入すべきですが、「ジャッジが皆忘れているから」という理由で長年ショートプログラムの必須要素だった「ステップから直ちに実施されるソロジャンプ」を廃止するような思考回路を持つ組織です。

ショートプログラムは例えばピアノなどの音楽コンクールなら課題曲に相当する種目で、ジャンプ要素は3つしかない代わりに、1本は単独でステップから、もう1本はコンビネーション、最後の1本はアクセルジャンプと言う規定を与えることで(ジュニアでは今年はルッツ、来年はフリップというようにソロジャンプの種類さえ指定されています)、苦手なジャンプのない、コンプリートな選手を育てるという意味がありました。

規定を無くしたらただ要素が少なくなっただけで実質フリーと変わらず、ショートプログラムが持っていた本来の意味が失われると思うのですが・・・

Published by Nymphea(ニンフェア)

管理人/翻訳者(イタリア在住)。2011年四大陸チゴイネ落ち @pianetahanyu