以前からこのブログを読んで下さっている方はイタリアフォーラムのジュルシーさんを覚えているでしょうか?
2015年、彼女は羽生君のこの世のものとは思われない演技と不屈の精神に憧れる17歳の高校生でした。私は2015年のバルセロナファイナルで彼女に会っているんですよね。
ジュルシーさんのバルセロナGPFの感想はこちら↓
こちらは当時、器械体操に打ち込んでいた彼女が試合でユヅルパワーを発揮したエピソード
そのジュルシーさん(本名ジュリア)がYoutube動画に出演していました!
懐かしい~!
後半で日本を学ぶきっかけを語っていますが・・・
「フォーラムのメンバーでイタリアに住んでいる日本人」って・・・
私のことじゃないですか!!!🤣
このブログは私の我が儘、というか怠慢のせいでコメント欄を開放していませんので「日本のフォーラムのコメント」と言うのはフォーラムの翻訳記事をいつも同時掲載して頂いていたこすもさんの「羽生結弦選手 応援ブログ」の読者の皆さんのコメントのことですね。
そういえば、ユヅリーテ達のコメントは日本語に訳していましたが、それに対する日本のファンのコメントは翻訳してあげていませんでした!😅
四苦八苦しながら読もうとしてくれていたのですね!
当時のGoogle翻訳は今に比べるとずっと精度が低かったから、日→伊に翻訳しても支離滅裂な文章になってしまって「❓❓❓」だったと思います。
そしてこの日本のファンのコメントを読みたいと思う気持ちが日本語を勉強しようと思うきっかけになっていたなんて!
ジュリアにはテレビ東京から『世界ニッポン行きたい人グランプリ』に出演してもらえないかという依頼も来たりして、フォーラムのユヅリーテ達の間で「ジュリア頑張れ!」って随分盛り上がりました。
テレビ出演依頼に関する一連の記事はこちら:
しかし、最終的にジュリアの映像はカットされて放送されず・・・
17歳の少女に「羽生と結婚したいか?」などというアホな質問をした上、イナバウアーまで披露させて結局放送しないとか、何て失礼な番組なのかと当時かなり憤慨したものでした。
しかし日本のテレビ局からこのような無礼な仕打ちを受けても、日本語を学びたいというジュリアの情熱が冷めることはなく、高校卒業後、迷わず日本語学科に進学しました(当時、ヴェネツィア大学とボローニャ大学で迷っていると言っていましたが、結局どの大学を選んだんだろう?)
しかもこんなに上手に話せるようになって!!!
バルセロナで会った時、既に独学で勉強し始めていましたが、「下手だから」と恥ずかしがって日本語では話してくれませんでした。
思えばあれから6年が経ち、その間にジュリアは高校を卒業し、大学も卒業し、1つの言語をマスターしていたのです。時が流れるのは何て早いのでしょう!
「空気を読む」とか知っていて笑いました😂
確かにイタリア人には「空気を読む」という感覚はないですね。説明しても理解してもらえるかどうか😅・・・
カロリーナの実質引退で喪失感に陥っていたジュリアのおじいちゃんも「蝶のように美しい」羽生結弦の演技を見て生気を取り戻したとか
羽生結弦がきっかけで日本語を始めたイタリア人はジュリアだけではありません。
私が知っているだけでも・・・2011年からユヅリーテを発症しているイタリアフォーラム管理人のブルーさんは大分前から日本語を勉強しています。エレナさんも独学中で、いつか大学で本格的に日本語を学ぶのが夢だと言っています。マルティーナさんは日本語の教科書と日本史の本を買い込み、「ひらがな」は既に覚えたと言っていました。あの膨大な論文記事を執筆しながら、いつの間に「ひらがな」までマスターしたのでしょうか???😱
彼女には仕事効率の奥義を伝授してもらいたい。
そして以前ご紹介したペリカン小学校の音楽の先生もユヅの言葉を少しでも理解したい、という気持ちからスマホのアプリを使って独学で日本語を始め、私が時々Zoomで会話の練習に付き合っています。羽生君に触発されてスケートを習い始めたユヅリーテもいます。
何かを凄く好きになって、その情熱が何かを始める原動力に変換されるのは凄く良く分かります。
私自身、高校生の時にドイツのスポーツ選手を大好きになったのがきっかけで、NHKラジオのドイツ語講座でドイツ語を勉強し始めたことがありました。そのスポーツ選手に対する熱は割とすぐに冷めてしまいましたが、ドイツ語自体(特に文法)が面白くなってしまって、当時はイタリアではなくウィーンかミュンヘンに留学したいと考えていたこともあり、大学でも第一外国語にドイツ語を選び、夏休みには父の知人であるドイツの大学教授のお宅にホームステイさせてもらったりしてかなり短期間でドイツ語をマスターしました。
私の場合、動機が不純な方がやる気が出て長続きするのは自覚しています。😂
現にこのブログだって日記が3ヵ月以上続いたことのなかった私がこんなに長く続けられているのです。これがイタリア奮闘記とかイタリア徒然とか、そんなテーマのブログだったら、きっと半年も続かなかったでしょう。
羽生結弦という強力な動機が存在するから、その引力に引っ張られるがままに6年も続けられているのです。